地に足をつける事と道理について
まずここで言う地に足をつけるという事は、安定した収入を得るという事ではありません。
昨今、終身雇用も年金も崩壊してるのでもうあの世に行くまで安定した収入を得られる人々は殆どいないと思われますし。世界情勢もあと一歩で大変になりそうですし。まさか水不足と食料不足、世界的疫病の連鎖、東欧に中東の戦争。また水と食料の関係でアフリカは燃えるでしょうし、台湾以上に沖縄が怪しいです。
その3コンボに加え、ある人材を失ったことが4コンボ目になりそうですね。
仮に彼の国葬がなくなったら、殆どの国の外交が難しくなり、世界中で争いが増えると思われるので、何としてでも実行して欲しいものです。
ここでの地に足をつけると言うのは、考えや行いのようなものだとなんとなく思っていただけるとありがたいです。
そしてこれは私の言語化であって、読んでいるあなたの言語化ではありません。なのでとても当たり前のように感じるかもしれません。ただ他人の言語化ほど当たり前のように感じますが、そう感じる人ほどそれを当たり前のように出来てはないです。サンプル数は僅かですが……。
ただこれを読んで下さったら、あなた自身も地に足をつけるの言語化をしてみてはいかがでしょうか。
地に足をつけるという事、それは今現在の自身の立ち位置を把握できている事です。
勉強でよく言われる、何が出来て何が出来ないのかを知るみたいなものです。
ただ自身ばかり見ても立ち位置の把握の限度があります。
木を見て森を見ず、みたいなものです。
それでも森を見過ぎても迷子になります。
なぜ他者を見過ぎると迷子になるのかというと、道理というものが関わってきます。
ここでいう道理も私の言語化で申し訳ないです。
では道理とは何か、人は0と1でしか動くことが出来ないという事です。
自分から見て他人が2や3で動いていたとしましょう。しかしそれはその人にとっての1でしかないのです。
なので真似して2で動くからこそ迷子になるのです。
森を見て地図を作り、木を見て一歩一歩努力を積み重ねる事が出来る人。
それこそが地に足をつけている人だと私は考えます。
ただ前だけ向いて横を見ず努力している人を、地に足をつけているとは言えないと思います。
私は最近やっと地に足をつけた努力を出来るようになりましたが、これまでが酷かったです。
周りに相談せずに高校選びに失敗した事。
そこで出来る限りの努力をしなかった事。
周りに相談せずに国立大学の推薦を断った事。
ソーシャルゲームと女遊びに熱中して、学業をおろそかにした事。
就職活動にかまけて、学業をおろそかにした事。
周りに相談せずに留学や企業への推薦を断った事。
入社した企業で、自分はここにいるべきではないと考えていた事。
等々。たくさん……。
森を他者と例えましたが、ちゃんと他者をみると言うのはとても難しいです。
ただ目の前の木ですら見えてない人もいます。
先程の道理をなしにして、見分ける方法は無いかと考えました。
無責任な言動、他人任せな言動がその指標になるのではないかと思います。
これもサンプル数は少なく50人ほどですが、無責任な言動や他人任せの言動をするこの人達は、自分の立ち位置が把握できておらず毎月の給料を越える金額を使い込んでいたり、実力に見合わない挑戦をし続けていました。
なので無責任な言動をしたら、反省して地に足をつける所から始めたいものです。私も。