第8話 落雷
「確かに聞こえるよな。
仔犬の鳴き声か?
ずっと吠えてるな」
「こんなところに仔犬?」
エウロはもう一度、手の平を耳に当ててみた。
「ほんとだわ。
何かあったのかしら?」
「狼の子かもしれないけれど、こんな雨の中、まさか狩りをしてるってわけじゃないだろう。
さしずめ、親とはぐれて鳴いてるってところか」
「ちょっと待って、クラウディ!
もうひとつ荒々しい咆哮も聞こえない?」
エウロに言われ、俺は目を閉じ音だけに集中した。
「ほんとだ。
あれは恐らくキラーベアだな」
「キラーベア?」
「魔獣じゃないけど、角の巨人ぐらいの大きさをした、凶暴な真っ黒い熊さ」
「それは大変!
仔犬か狼の子かわからないけど、すぐに助けに行かないと!」
「その必要はないよ。
野生動物の生態系には介入する必要はない。
自然界は弱肉強食の世界なんだよ。
強い者が弱い者を喰らう。
やがてその強者も土に還り植物の肥やしとなる。
食物連鎖ってやつさ。
キラーベアもエサを食べなきゃ生きてはいけないんだよ。
仔犬や狼の子だって、植物や小動物をエサにしてるだろ?」
「そうは言っても、ひょっとしたら仔犬と一緒に飼い主の狩人さんとかが、キラーベアに襲われているのかもしれないじゃないのさ!」
エウロが必死に訴えてくる。
「今は、わざわざ危険なことに首を突っ込む必要なんてないんだよ。
エウロの話は可能性があるってだけだろ?
そんな不確かなことに命を懸けろってのか?」
「だって、昨日は私のこと助けてくれたじゃない!」
エウロは更に声を荒らげる。
「今みたいに雷雨ではなかったからな。
自然の力を甘くみちゃいけない。
それに、昨日は自分の目の前で人が襲われていたから助けたまでさ。
わざわざ自分から魔獣を探して戦いを挑んだわけじゃない。
よく聞きな。
冒険者ってのは、いや、木こりでも狩人でも旅人でも、そして、エウロのように、たとえそれが本意でなく、迷子になったとしてもだ、街や村を離れて、山や森やダンジョンに入るってことは、全てに於いて自己責任なんだ。
俺は昨日、お前を助けたけど、それは義務じゃない。
当然、見て見ぬふりする人も一定数いるんだよ。
むしろ、放って逃げるほうが大多数かもしれない。
だって、他人を助ける為に命を張って、自分が死ぬことになるかもしれないんだからね。
特に冒険者はリスクを背負うからこそ高収入が得られるんだ。
危なくなったから助けて下さいなんて理屈は通らない。
旅人なんだったら、安全を確保するために、それなりの報酬を支払って護衛を雇うべきなんだ。
同じ目的の者同士でパーティを組むって方法もある。
それができないならば、山や森に入るべきじゃない。
俺やエウロのように、ひとりでこんな場所をうろつくならば、それこそさっきも言った通り自己責任だ。
もし俺が危機に直面したとき、誰かが命を救ってくれたならば、当然感謝するよ。
だけど、もし見捨てられたりしても、決して恨むことはない。
全ては自分自身の責任なんだからね」
俺はエウロに力説した。
「それでも助けてあげたいのよ!」
「自分の力じゃなく、俺の力を使ってだろ?
俺に強要するのはおかしくないか?」
「理屈ではわかっているわよ。
でも、クラウディなら助けてくれると思うから言ってるのよ」
エウロは諦めない。
「エウロの言う通りさ。
でも、今は行けない」
「どうしてよ!」
「お前が一緒だからさ。
俺ひとりだったら十中八九、様子を見に行ったさ。
それで、もし人が襲われていたならば助けるだろう。
でも、今は状況が違う。
俺は昨日、約束したじゃないか。
無事にお前をプレアデス村まで送るってな。
懸けていいのは自分の命だけだ。
周りの人間の命を懸けるなんてこと、俺にはできない。
今一番優先すべきはお前の命だ!
誰だかわからない者のために、雷雨の中キラーベアと戦うことじゃないんだよ」
俺がそこまで言うと、エウロは黙って俯き、その場にしゃがみ込む。
沈黙が流れる中、キラーベアの咆哮と仔犬の鳴声だけは尚も聞こえていた。
ピカッ!
ゴロゴロ!
ドッカーン!
「ひっ!」
エウロは驚き顔をあげた。
「どこかに雷が落ちたようだな」
小屋の扉を少し開けて外を見た。
「クラウディ、ごめん。
私、もう我慢できない!」
エウロは突然立ち上がり、半開きの扉をすり抜け、小屋から飛び出していった。
「お、おいっ!
ちょっと待てよ!」
俺は慌ててエウロを追いかけた。
雷雨の中、エウロは鳴声がするところまで一気に走る。
「な、何だよ、あいつ!
めちゃめちゃ足が早いじゃないか。
待てってば!」
小屋の裏手に到着すると、大木の裏手でエウロは鳴声の主を見つけたようだった。
「やっぱり仔犬だったのね」
エウロは雨に打たれながら呟いた。
「ウーッワンッワンッ」
仔犬の前方に目をやると、やはりそこには、両手を広げて、咆哮をあげているキラーベアの姿があった。
「グァガガガグォーッ!」
「ヒェッ」
エウロは驚いて尻もちをつく。
「ハァハァハァ、何やってんだよ!
このバカ!
勝手なことするなよな!」
追いついた俺は、エウロの肩を掴んで怒鳴った。
「ガガガガゴグォーッ!」
BYUUN!
BAKKIBAKI!
DODDOONG!
俺の声と同時に、キラーベアは仔犬目掛けて右手を振り抜いた。
仔犬は紙一重でそれをかわす。
SYUWANG!
次の瞬間、後ろにあった複数の木が、根元から薙ぎ倒された。
ZAZAZAZAZAAN!
BABABABABAAN!
「グガガガガゴグォーッ!」
「ウーッワンッワンッ」
周りを見ると、至るところにキラーベアの攻撃によると思われる木片が散らばっていた。
「何だよ、あの仔犬。
ずっとあんな攻撃をかわし続けてたっていうのかよ。
信じられないな」
エウロを怒ることを忘れ、俺は目の前の光景に驚きを隠せないでいた。
「助けなきゃ!」
エウロは後先考えずキラーベアの前に飛び出した。
虚を突かれた、キラーベアと仔犬は一瞬固まる。
エウロは間髪入れず仔犬を抱えると、俺のいる場所に飛び込んできた。
「打ち合わせもなしに、突然何やってんだよ!
死にたいのか!」
「グァーッ!
グォー!
グアァーッ!」
獲物を奪われたキラーベアは、エウロを睨みつけ怒り狂う。
「走れ!
エウロ!
小屋まて逃げるんだ!
この場は俺がくいとめる」
エウロを逃がすために俺は普段使用している青銅の剣を構え、キラーベアと対峙した。
「で、でも、クラウディを置いてなんて・・・」
エウロは戸惑いその場から動けない。
「早くこの場を離れろ!
お前らを守りながら戦うほうがリスキーなんだよ。
俺がキラーベアに負けることはない。
気にせず逃げるんだ!」
俺の大きな声を聞いたエウロは、仔犬を抱いたまま一目散にその場から逃げ出した。
キラーベアはターゲットを俺に絞り襲いかかる。
「ギャラギャゥオーッ!」
黒い巨体が両手を広げ、荒々しく叫び声をあげたその瞬間・・・
ピカッ!
ゴロゴローン!
ドッカーンッ!
雷がキラーベアを直撃した。
「うわーっ」
バババーンッ
その衝撃で青銅の剣は真っ二つになり、俺もまた後方へと吹き飛ばされる。
「うわーっ!」
ガッゴーンッ!
俺は大木に頭を打ちつけられ、そこで意識がフェードアウトした。
「クラウディーッ!」
仔犬を抱き抱えたまま、エウロはその場に立ち尽くす。
雷に脳天を撃ち抜かれ絶命したキラーベアと、頭を強く打ち意識を失くし、倒れているクラウディ。
両者には、容赦なく激しい雨が打ちつけるのであった。