第5話 襲撃
ゴー ババゥァー ゴアー
轟々と燃え盛る炎。
パリンッ パリンッ
廊下の窓ガラスは割れ、破片が飛び散る。
「ヒャッ
何なのこれは」
私はたじろぎ立ち止まる。
「お嬢、大丈夫か!」
前方に居た恰幅の良い丸坊主の男が振り返る。
彼の名はジアス。
おじいちゃんの側近だ。
「ゲホッ ゲホッ ゲホッ」
私は煙を吸い込み苦しくて咳込んだ。
「なるだけ煙を吸い込まないように姿勢を低くするんだ」
ジアスは私が立ち止まっている場所へ引き返して来てくれた。
そして、ヒョイっと私を小脇に抱える。
「ありがとう、ジアス」
「お嬢、一気に駆け抜けるからな!」
コクリと私は頷いた。
「急げジアス、こっちじゃ、こっち」
廊下の先に見える部屋には扉を半開きにして手招きしているおじいちゃんの姿が見えた。
「ソクラリス様!
危ないですぜ。
先に部屋の中へお入り下さい!」
「あい分かった、急げよジアス」
おじいちゃんが部屋の中へ身を隠したその数秒後、私を小脇に抱えたジアスは勢いよく扉の中に飛び込んだ。
「あちちちち。
ふうっ、危ない、危ない、もう少しで丸焼けだぜ」
「怪我しとらんか、エウロ、ジアス」
「おじいちゃん、私は大丈夫よ。
ジアスはどう?」
「俺はちょいと擦りむいちまったぐらいだな。
大したことはない。
ソクラリス様はお怪我ございませんか?」
「うむ、ワシのほうも大丈夫じゃ」
私たちは、お互いの無事を確認し安堵した。
「それにしても、これはいったい何が起こったんですかねぇ?」
ジアスがおじいちゃんに尋ねる。
「ワシにもいったい何が何やら、何故この様な事態になっておるのか皆目検討がつかん。
確かに言えることは、我々は今、かなり危険な状況ということじゃ。
さて、どうしたものか」
おじいちゃんは顎髭を親指と人差指でワサワサと摘みながら落ち着いた様子で考え込む。
「おじいちゃんてば、顎髭なんか触りながら何を落ち着き払ってるのよ。
この部屋だっていつまでもつか分からないわ。
廊下に出たら火だるまになっちゃうし、仮にお屋敷の外に出られたとしても周りは武装したゴブリンだらけなのよ」
ジアスの手から床に降ろされた私はバタバタと忙しなく手足を動かし、早口でおじいちゃんに捲し立てた。
「まあまあエウロ、こんなときこそ焦ってはいかん。
焦っても良い考えが浮かぶわけではないのだから。
先ずは目を閉じ胸に手を当ててゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着けなさい」
おじいちゃんが私を諭すように言う。
「ヒーヒーフーッ」
私はゆっくりと呼吸をする。
「その呼吸法は別のときに使うもんじゃが、まあいいじゃろう。
どうじゃ、落ち着いたかのう」
おじいちゃんはニッコリと私に微笑みかけてくれた。
「ごめんなさい、おじいちゃん。
私ひとりで焦っちゃって・・・」
ウンウンと頷きおじいちゃんは私の頭を優しく撫でてくれた。
「しかしソクラリス様、お嬢の言うことも尤もですよ。
余り時間があるようにも思えません」
落ち着いた様子で話すジアスであったが、その表情からは内心焦っているのは手に取るようにわかる。
「ワシが時間稼ぎする他に手はなさそうじゃのう。
ジアスはエウロを連れてここから脱出するのじゃ」
そう言いおじいちゃんは壁に掛かっている古時計の長針を外し、盤面の小さな穴に差し込んだ。
ガチャリと右に捻ると秒針がグルグルと回りだし、次の瞬間、反対側の壁にある暖炉が左にゆっくりと動きだした。
ゴゴゴゴゴーッ ガッチャーン!
暖炉が横にズレると、そこには小さな階段が現れた。
「この階段の下にはキオネル雪原に通づる地下道がある。
ジアスよ、監視塔はお主もよく知っておるな?」
「はい、勿論です」
「監視塔の裏手に枯井戸があったじゃろう。
この抜け道はそこへ繋がってるのじゃ」
「この部屋にこんな仕掛けがあったなんて・・・」
ジアスは抜け道を見つめながら暫し驚きで固まっている。
「まさかこれを使うときが来るとはのう・・・」
おじいちゃんは複雑な表情を浮かべているようだった。
「時間稼ぎするってどういうこと?
おじいちゃんも一緒に逃げるんでしょ?」
「残念ながらそれは無理な相談じゃ。
ワシはこの街の長じゃ。
民を放って自分だけ逃げることなど選択肢にはない。
それにワシはもう歳じゃ。
逃げ切る体力なぞありゃせんよ。
お前たちの足手まといになるだけじゃ。
ジアスよ、エウロを頼んだぞ」
「しかし、ソクラリス様!
お嬢のためにも・・・」
ジアスが続きを喋ろうとしたがおじいちゃんはそれを遮った。
「二人ともよく聞きなさい。
ここを出たらジュピテル連峰を越えてイフリスの街までお行きなさい。
その街はワシの竹馬の友ポラトンが治める街。
きっとお前たちの力になってくれる筈じゃ」
「ソクラリス様、俺もここに残ります」
「それは許すわけにはいかん。
エウロひとりでジュピテル連峰を越えるのは余りにも無謀すぎる。
あの山々は至る所に魔獣が潜んでおる。
今のエウロに戦うことなぞできようか。
それにお主はまだ若い。
今は死ぬときではない。
年寄りの言うことは聞くもんじゃ」
「くっ」
何も言い返せないジアスに代わり私は口を開いた。
「おじいちゃん、それだったら私もここに残る!」
私は半べそをかきながらも精一杯叫ぶ。
「我儘を言うでない。
この老い耄れを困らすな。
お前は生きねばならんのじゃ。
さあ、このネックレスを持っていきなさい」
おじいちゃんは自分の首から白い石が施されたネックレスを外し、私の首に掛けてきた。
「これは、おじいちゃんが大切にしているネックレス」
「そうじゃ。
本来ならば、お前の母ルナがワシから受け継ぐ筈じゃった。
そしてゆくゆくは、ルナからお前に継承されるべきじゃったもの。
しかし、アヤツは志半ばで逝ってしまいよったからのぅ」
おじいちゃんは遠い目をしている。
「お母さんが受け継ぐ筈だったもの?」
「その通りじゃ。
これは継承器と言ってご先祖様から代々我が一族に伝わる大切なものじゃ。
何故今日なのかはわからんが、ゴブリンどもの狙いは恐らくはこれじゃろう。
この継承器はいつかきっとお前の力になってくれるときが来る。
大切に持っておくのじゃよ。
さあ、ジアスよキオネルの長として最後の命令じゃ。
無事にエウロをポラトンのもとへ届けよ!」
「おじいちゃん、嫌だよ。
おじいちゃん、一緒に行こうよ。
おじいちゃんてばあ!」
私は泣きながらおじいちゃんの体を揺さぶった。
「エウロや、聞き分けのないことを言っておじいちゃんを困らせないでおくれ。
もう一度言うよ。
ジアスと一緒にイフリスの街に行きなさい。
後の事はポラトンに聞けばわかる。
そしていつの日か必ずこの地に戻っておいで」
「おじいちゃん!
私をひとりにしないで!」
「いいかいエウロ。
仲間を探しなさい。
この世界にはお前が持つ白い継承器の他に赤、緑、黄、合計四つの継承器が存在する。
必ずや、それぞれの所有者を探しだすのじゃ。
継承器はワシを含めた四賢者縁の者が持つ筈じゃ。
どうやら今、世界は良からぬ方向へ進んでおる。
継承器の継承者は力を合わせ世界を正しい方向へ導かねばならん。
それともうひとり探しださねばならん人物がいる。
Zeusの力を持つ者じゃ!」
「Zeus様って?
おじいちゃん、それは絵本の中だけの話でしょ?
それにZeus神話って王族に伝わる話よね?
十数年前に正当なる王家の血筋は滅んだんじゃないの?」
「いや、滅んではおらん。
必ず復活のときが来る筈じゃ。
その白い継承器は残りの所有者とZeusのもとへお前を導いてくれるはずじゃ。
運命とはそういうものなのじゃ。
まだまだ語りたいことがあるがもう時間がない」
そう言っておじいちゃんはジアスのほうを見た。
無言で頷くジアス。
「さあ、お嬢、行くぜ!」
ジアスは私の手を強引に引っ張る。
「嫌よ!」
私は抵抗したが、ジアスの力に適う筈もなく、引き摺られるように地下道へと連れていかれた。
「おじいちゃん、おじいちゃん!」
私は泣き叫ぶ。
ゴゴゴゴゴー ガガガーッ!
ゆっくりと暖炉が元の位置に戻る。
やがて部屋と地下道は暖炉に遮られ、おじいちゃんの姿は見えなくなった。
「おじいちゃーんっ!」
私の声はもうおじいちゃんに届くことはなかった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「・・・いちゃん
・・・おじいちゃん
私をひとりにしないで・・・」
目を閉じ眠るエウロの頬に、涙が零れ落ちた。