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Ep19

『………何故…止めを刺さぬ?』

「あれ…?意識あったんだ。びくともしないから気絶してるのかと思った」

恐らくじっとうずくまったまま…体中を支配する『痛み』に、己が慣れるのを待っていたのだろう。

ゆっくりと体を起こし、六辺香は再び同じことを問う。

『戦で…機を逸するのは命取りであろう』

「まあ…そうなんだろうね」

彼は、しゃがみこんで頬杖をついていた俺に向かって…突然両腕を伸ばすと、胸倉を掴んで地面に引倒した。

さすがにちょっと驚いて、咄嗟に受身の態勢を取る。

おかげでなんとか…顔から硬い地面に倒れずには済んだけど。

肩から背中にかけて、ごつん、という振動が走った。

「いって…」

『まだ…完全に回復してはおらぬようだな…貴様も』

六辺香の刀の先端が、目の前でぎらりと光る。

「まだ…そんな余力があったとは。さすが韓紅一の剣士は違うね」

首元にかっちり押し当てられた刀に若干動揺するように…彼の額を汗が一筋流れた。

「いい?」

『………何だ』

「せーの、でその刀を引っこめること。でなきゃ今度は知らないぜ?」

『……………』

「じゃ決まり。せーのっ」

かちゃり、という音と共に二つの刀はきっちり鞘に納まり。

周囲を…静けさが包み込んだ。

地面に胡座をかくと、体が凍りそうに冷たい。

愁…大丈夫かな。

壁一枚隔てているだけなのに、あっちの部屋の物音は、何一つ聞こえてこない。

まあ…大丈夫じゃない愁なんて、今まで一度も見たことないけど。

『もう一度聞かせてもらうぞ』

六辺香が尖った声で、ぼそり…と言う。

『何故止めを刺さぬのだ?』

「お前こそ…何でそんなに拘るの?」

『情けをかけたつもりか?私の命がもう…』

情けをかけた…なんて。

そうは思ってみるが。

「なんていうか…」

返答に困って、思わず頭を掻く。

「うまく言えないんだけど…前半は違うって断言出来る。でも後半は…まあ、一理あるかな」

『………どういう意味だ』

「全力でぶつかった相手が、例え剣術で自分に劣っていたとして…舐めて手加減したら相手に失礼だ。相手に恥をかかせるなんてこと、剣士のすることじゃない。そうだろ?」

『…では一体』

「全力で戦うのも…まあいいよ。けどさ」

俺は足を組み替えて座りなおし、不可解そうにこちらを眺める彼の灰色の瞳を…じっと見つめ返した。

「お前…死を賭けて戦う前に、会っておきたい人とか…いないの?」

俺が泣いたのは、母親が死ぬほんの少し前と。

………そう。

あの夜。


『一緒に逝ってあげる』

全身を包みこむような優しい声と。

背中に感じた、彼女の温もり。

もっと早くに…会って、伝えておけばよかった。

後悔しても、もう手遅れだって…あの時はそう思っていた。

………でも。

おかげで、決心がついたのだ。

これで命を賭けて戦える、いつ死んでも惜しくはない…って。


こいつにそんなこと話したら、もしかしたら…軽蔑されるかもしれないけど。

だいたい、この無骨な佇まいからして、そういうこと考えて生きてそうな奴じゃないし。

『…馬鹿馬鹿しい』

想像通り、彼の第一声はそんな言葉だった。

だが………

二声目は、意外なもので。

『会っておきたい人間なぞ…もう、この世には一人もおらぬ』

『この世には』?

と…いうことは。

「あの世には…いるわけ?その…」

『お前は』

口から流れる血をぐい、と腕で拭い。

六辺香は、冷たい目で俺を見据えた。

『大切な人物に………先立たれたことがあるか?』

大切な………

きっとそれは、おふくろ…とか、そういうんじゃないんだろう。

そうじゃなくて、きっと…

黙っていると、彼は洞窟の天井に視線を向け。

『私は…己の命が燃え尽きるその瞬間まで…あの日を忘れたことはなかった』

静かに…語り始めた。

『外は…静かに降る雪で一面真っ白だった。この地で暮らす者にとっては見慣れた光景だったが…あの日の雪は、格別に白く冷たく感じた』


その人は、雪が好きだった。

寒がりの癖に雪が好きで、雪の降る日はよく外へ行こうとせがまれて。

誰もいない荒野で二人、空から舞い降りる白く冷たい雪を眺めたものだ。

震える彼女を見兼ねて、もう帰ろうと彼が言うと。

大丈夫、もう少しだけと…その人は頑固に首を振った。

それは………

少しでも長く、彼と二人でいたいって…そういう想いからだったんじゃないだろうか。

無論…見るからに不器用そうな彼に、それが分かっていたかは定かじゃない。

華奢で、強く抱きしめたら折れてしまいそうに細い彼女が、病に倒れたのは…彼が発病する、半年程前のことだったという。

もともと体力がある方じゃなかった彼女は日毎に衰弱していき、医者も早々と匙を投げてしまったという。医者が診なければならない患者は山のようにいたし、なんといっても…医者本人の体さえ、いつまで持ちこたえられるか…分からない状態だったのだから。

女性に身内はなく、一人臥せっている彼女の元へ彼は毎日通って、献身的に看病した。

夜警で徹夜の後だって、必ず彼女を見舞った。そんな生活は確かに楽なものではなかったが、自分の顔を見て安心したように笑う彼女の顔を見る、そのひとときは…

かけがえのない、大切な時間だったのだ。

だが…いつまでも続いて欲しいと願うその時は、あっけなく幕切れを迎えた。

『雪が見たいな』

高熱に浮かされながら喘ぐように、でも…彼女ははっきりそう言った。

『こんなに空気が冷たいのだもの。外は雪が降っているのでしょう?』

体に障るから今度にしようと彼が何度諭しても、彼女は頑として聞き入れず、ついに彼はその願いを叶えてやることにした。もっとも…

それが彼女と見る最後に雪になるだろうと…薄々感づいていたから。

背中におぶった彼女は一層軽く、しかし燃えるように熱く…まるで燃え尽きる前の蝋燭のようだった。彼は背後の彼女に気づかれないように、密かに…涙を流した。

外は………

大粒の牡丹雪がはらはらと舞う、白銀の世界だった。

『…やっぱり』

白い息を吐きながら彼女は微笑んで、地面に降ろして欲しいとせがむ。

『綺麗ね』

掛けてやった上着にくるまるようにして、彼の肩にもたれかかりながら…彼女は嬉しそうに呟いた。

『よく…こんな風に二人で雪が降るの、見たね』

『………ああ』

『よかった………』

音もなく降る雪と真っ白で静かな世界を、二人でもう一度見たかった。

『ありがとう』

彼女はそう呟いて。

静かに…目を閉じた。


静かにそこまで話し終えると。

彼は手にした刀を突如、地面に突き刺した。

『それからのことは…悪夢のようだった。あんなに熱かった体がどんどん冷たくなり、固く強ばっていって………』

辛そうな姿を見ていられず、小刻みに震える彼から無言で目を逸らす。

『最後は…昔のように穏やかな笑顔だった。それだけが…唯一の救いだ』

「そして…お前も………」

『彼女から感染したものかは分からぬ、なんせ集落中病人で溢れかえっていたのだからな。だが…彼女と同じ病魔に蝕まれているのだと思う方が、救われるような気がしてな』

「救われる…か」

『俺が病に打ち勝って見せれば、何もしてやれなかったあいつへの…贖罪になるのではないか…なんて馬鹿げたことを思っていたものだよ、あの頃は』

だが………

韓紅一の剣士もまた…病を克服することは出来なかったのだ。

『お前には…分からぬであろうな。刀を振るえなくなった剣士の…哀れなぞ』

「……………」

『最期の日…医者の制止を振りきって、表へ出た。外は…あいつが逝ったのと同じ、静かで白くて…何もない世界だった』

冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで…

はっとした。

彼の目に映ったのは…小さな黒い影。

『それは…一匹の、黒い獣だった』

「………お前は、その獣を」

『ああ…斬ろうとした』

六辺香は小さく頷いて。

だが斬れなかった、と…か細い声で付け加えた。

『それは最期の賭けだった。俺が剣士として死ねるかどうかの…力の入らぬ体に喝を入れて刀を抜き、獣に向かって振り抜いた。が………』

刀は彼の手から滑り落ち。

彼の大柄な体は、冷たい柔らかい雪の上に崩れ落ちた。

薄れゆく意識の中、彼の耳に木霊していたのは…

元気だった頃の、彼女の笑い声。

『こんな私を、お前は…情けない男だと思うだろう?』


『一夜!!!』

あの時。

大きな黒い瞳からこぼれ落ちた涙は…ひやりと俺の額を濡らした。

藍は昔から気分屋で、怒ったり笑ったり泣いたり…それは賑やかな子で。

目まぐるしく変化するどの表情も綺麗だったけど、俺はやっぱり、笑ってる藍が好きだった。

傍にいて、笑っていてくれる…ただそれだけで幸せだったんだ。

でも………

泣いてる顔も…悪くないな。

満開の桜をバックにした藍は…

薄れゆく意識の中で、何よりも美しく思えた。


唇を噛んで、天井を見上げ。

懐の『顕明連』に…手を掛ける。

そして。

「立てるか?」

怪訝そうな表情をして差し出された俺の手を取り、六辺香は傷の痛みに一瞬顔を歪め…ゆっくりと立ち上がった。

『…何のつもりだ?』

「いや…そろそろ第三ラウンドの開始時刻かな、と思ってさ」

『何だと?』

彼は不可解そうに尋ねながらも、『神器』の大太刀に手を掛け距離を取る。

『忘れたのか?『神力』を遣わねばこその貴様の勝利だ。『神器』を遣えば…』

「生憎、忘れっぽいタチでね」

『………貴様』

「お前の『神力』が高いのはよーく分かった。そりゃ藍や右京と同じような能力を生まれつき持ってるなんて言えば、すごいのは最初から分かってたけどさ」

彼は感情の無い目で、黙って俺の声に耳を傾けている。

「でも…剣術だけを取り上げれば、俺の勝ちらしい。お前さんも、自分で認めちゃうんだから世話ないね」

『………では』

「『神器』でガチの剣術勝負をやったらどうなるか…見てみたいと思わない?」

さっき、お前がやったのと同じだ。

油断?…そんなこと出来るわけない、こっちだって『神力』は回復しきっていないのだ。

チャンスを与える?…俺は藍と約束したんだ、負ける気なんて毛頭ない。

じゃあ………何だ。

それは………

「ま、あれだ…一種の『酔狂』ってやつさ」

言い終わると同時に、『顕明連』を抜く。

薄暗い空間で、短い刀身が美しく光った。

六辺香もまた、無言で大太刀を抜き放ち。

口の端を少し上げ…言った。

『妙な男だ』

「…何が?」

『先程から…ずっとそうだ。先程の、『神力』が尽きかけ倒れそうになっていたときでさえ、貴様は…愉快そうに笑っている』

………そっか。

「じゃあきっと…楽しいんだろ?強い奴と刀を交えるのが…さ」

『………負ければ、死ぬのだぞ?』

「悪いけど…負ける気なんかないよ」

『しかし、苦戦を強いられるであろうことは想像するに難くない…違うか?』

「まあ、そうかもね」

『では何故………貴様は笑っておるのだ?』

「じゃあお前は…何でずっとしかめっ面なのさ」

あの人は、いつだって笑ってた。

怒ってる顔も、泣いてる顔も…亡くなるその瞬間まで、俺は見た記憶がない。

『難しい顔してて何になるの?』

「笑ってたって怒ってたって、どうせ辛い世界も苦しい現実も、消えて無くなったりはしないんだぜ?」

『だったら私…笑ってた方がいいわ』

母さん…言ってたっけ。

『あなたの笑顔が大好きだった』って。

『不思議な男だな…貴様は』

そんな風につぶやいて、彼はじっと俺を見据えた。

『そういえば…貴様の名、ちゃんと聞いておらなんだな』

「…そうだっけ?」

確かに…殊更に名乗る必要もなかったしな。

「一夜だよ…古泉一夜」

『一夜の夢か…雅な名だな』

思わず微笑んで、どうも…と応える。

『そして…貴様に相応しい名だ』

「そうだね」

距離を取り、態勢を整える。

「一期は夢よ、ただ狂え」

歌うように唱える俺を見て、彼は肩をすくめ…ちょっとだけ微笑んだ。

それは、大好きな言葉だ。

同意してもらえて嬉しいよ。

次の瞬間。

冷たい空気がぴりっと凍るような緊張感が肌を刺し。

俺は大きく息を吸い込んで…低い姿勢で『顕明連』を構えた。

『行くぞ!』

「…来い!」


彼の体が、白い眩い光に包まれる。

と、同時に…広い洞窟の広間を、猛烈な吹雪が吹き荒れた。

鼓膜が破れそうな轟音と、凍てつく激しい風。

たちまち全ての感覚を失ってしまいそうな…冷たい嵐の中に俺はいた。

凪…だ。

目を閉じる。

声にならない彼の叫びが、脳に直接響いてくる。

今度こそ…って。

その日彼が見た黒い獣は…姿を変えて彼の目の前に立っていて。

今度こそ、仕留めてやる。

今度こそ、心の底から納得して…彼女の元へ…って。

だけど。

そうはいかないよ。

そいつは、お前に襲いかかって来たりはしなかったんだろう。

でも…俺は違うぜ。

全身全霊の力を込めて迫るお前に…大きく牙を剥いて。

ふう…と一つ、息を吐く。

………勝負は一撃だ。

それは多分、六辺香も分かっている。

お互い、余力はそんなに残っていないのだから。

彼の刀が唸り、こちらへ猛スピードで近づいてくるのが分かる。

これが最後の一撃なら…一番自分の得意なやり方で。

まだ駄目だ。

もっと引きつけて。

…もっとだ。

『食らえ!!!』

氷のように冷たい男の燃え立つ闘争本能が、目の前に迫る。

『顕明連』が眩い光を放ち、瞼の裏を赤く染め。

『光輝燦爛』

静かに唱え、刀をすっと前方に突き出す。

と。

ぐうっ…と、物凄い力が『顕明連』を通して伝わってきた。

………遅かった…か?

ぐっと奥歯を噛み締めるが…骨がかたかた軋むようだ。

ちと…まずいな。

俺としたことが、ほんの僅かばかり…力んでしまっていたらしい。

礫のような雪の塊が襲いかかり、肌を刺す。

足がずるずるずる…と後退し。

大太刀の白い凍てつく光は、短い刀から放たれた黄色い光を今にも飲み込まんとしている。

『これで…終いだ!!!』

六辺香の怒声が轟く。

体の感覚が…次第に無くなっていく。

つうっと頬を赤い涙が伝い…地面に落ちた。

…くそ。

渾身の力で…『顕明連』を押し出すが。

すぐに、押し戻されてしまい。

思わず…固く目を閉じる。


一瞬にして、無音の世界が広がった。

これは………何だ?

何も感じない。

さっきまでの寒さも、傷の痛みも…今にも倒れそうな疲労感も、何も。

俺は一体…どうなっちゃったんだろう。

真っ暗な世界で………

ずっと遠くに唯一見えた、ぼんやりした何かに目を凝らす。

それは。

白い着物を着た一人の男だった。

能面のような笑みを浮かべ…幽霊のように白い肌に、白い髪。

どこかで見たことがあるような、無いような。

彼は、紅でも注したように赤い唇を開き、静かに俺に問いかけた。

『お前は…死ぬのが怖い?』

………何だ?

これは………

呆然とする俺を、彼は冷ややかに笑いながら見ている。

彼の笑顔の意図は…全く汲み取れない。

動揺する俺の姿を…笑っているのだろうか。

笑っているようでいて…今にも泣き出しそうでもあり。

憤怒の表情に一転しそうでも…ある。

気味の悪い綺麗な微笑を浮かべて、彼は再び口を開く。

『死ぬのは怖い?』

「…そりゃ」

答えかけて…気づいた。

お前は………

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