Ep1 平穏
窓を開ける。
頬に当たる冬の夜風冷たさが、心地よく…懐かしさを呼び起こす。
私の生まれた…北の土地。
あの土地を離れてから、色々なことがあったけど。
あの人達は今…何をしているだろう。
その時。
突然脳裏をよぎったのは、聞き覚えのある男の声。
「冬鬼……?」
思わずその名をつぶやくが、返事はない。
気のせい…か。
それとも…一瞬、夢でも見ていたのだろうか。
その時。
不意に、背後から低い声が聞こえてきた。
「花蓮……寒いから窓、閉めないか?」
不機嫌そうな声色に…顔がほころんでしまう。
彼は、昔から寒いのが苦手なのだ。
………そう。
そんな昔の話、今となってはどうでもいいこと。
こうして…平和で幸せに暮らしているのだから。
はあい、と返事をして、私は窓を閉めた。
ベルゼブの脅威が去り、早いものでもう1年あまりが経つ。
「草薙隊長!見回り行って参ります」
「おー、気ぃつけてな」
隊士達に声をかけながら、思う。
気をつけるようなことなんて…最近じゃ滅多にないんだけど。
おかげ様で商売上がったりで、嬉し困りな今日この頃である。
珍しく隊舎に一人きりになり、うーん…と背伸びをした、その時。
「藍いるー!?」
突如聞こえてきたはしゃいだ声に、俺はぎょっとして隊舎の入り口を見た。
「…一夜さん!?」
3ヶ月ぶりに会う古泉一夜さんは、相も変わらず男前だ。
以前は肺のことがあって痩せ過ぎな感もあったのだが、今は健康そのもの。男前っぷりに磨きがかかり、羨ましいことこの上ない。
が。
そんな一夜さんが変わった所…と言えば。
「あれ?藍いないの?」
…そう。
紆余曲折の後…彼とうちの伍長の三日月藍は、晴れて恋人同士と相成ったのである。
「あいつなら、見回りからまだ帰ってませんけど…」
「そっかぁ…残念!やっと会えると思ったのになぁ」
ぼやきながら隊舎に入ってくると、彼は空いた椅子の一つに腰掛けた。
「遠距離恋愛って大変なんだねぇ。龍介はこれがずっと続くんだろ?つらくない?」
「遠距離…すか?」
「だって…鈴音ちゃん、西に行っちゃったじゃん」
『鈴音ちゃん』こと槌谷鈴音は、白虎隊の隊長として西に着任したばかり。
「風牙もさ、鈴音ちゃんよりは頻繁に都帰って来てるんだろうけど…心配だろうな、あんなにかわいい彼女を紺青に残しとく…なんて」
十二神将隊総隊長に浅倉愁が就任したことに伴い、伍長の月岡風牙は隊長秘書職を兼任することになって、最近は南陣と紺青の都を行ったり来たりしている。まあ…南の墨族という有力な民族の族長、朋という人物は紺青に好意的な人物らしいので、朱雀隊が表立って動かなくても、南はそれなりに平和に治まっているようだが。
風牙は、天后隊の病院に入院していた時主治医だった四之宮ちかちゃんという子と、いつの間にか親密な仲になっていた。
ちかちゃんは…一夜さんの言う通り、ものすごく可愛い子で。
男にしては小柄な風牙よりももっとちっちゃいのに、巨乳でナイスバディ。
目が大きくて、かわいらしいメイクをしていて、高い声でよく笑う…明らかにどっかの誰かさんとはタイプの違う、女の子らしい女の子である。
て………おい。
「一夜さん?あの、俺…槌谷とはそういう関係では」
「ええっ!?龍介ってばまだ手出してないわけ!?」
「………手………」
『蔵人のことを忘れられるまで待つ』
そう宣言してもう…1年以上が経っていた。
確かに…頻繁に無線で話すし、仕事のこととかで色々と相談もしあったりするし、昔に比べるとかなり近しい関係にはなってきた。
けど………それ以上のことは。
一夜さんは頬杖をついて、いたずらっぽい目で俺を見る。
「知らないぜぇ、変な輩に横から掻っ攫われても。俺昔から『押せ』って言ってるじゃん?」
けらけら笑う彼に、俺は思わずため息をついた。
「………前々から…ずーっと言いたかったんすけど」
思い切って…彼の綺麗な顔に、びしっと人差し指を突きつける。
「それ、一夜さんにだけは言われたくないです!一夜さんだってずーっと押せなくて、それどころか回り道ばーっかしてたわけでしょ!?人のこと言えないじゃないすか」
彼は一瞬びっくりしたように目を丸くした後…自慢気ににやりと笑う。
「けど、俺はちゃんと押したよ?」
「………けど…突然、しかも万物全てなぎ倒すくらいの押しっぷりだったでしょーが!?あん時、どんだけ俺たちがびっくりしたと思ってんすか!?」
不謹慎かな…と思って、ずっと胸の奥に秘めてきたことだったが、まあさすがにもう時効だろう。当の一夜さんとて、ごめんごめんとかるーい感じで笑っているのだし。
…とはいえ。
こんな感じでいつもへらへらしてる癖に、一旦怒りがツボに入ると手がつけられない人なので…大胆な発言をしてしまったことに、実はちょっとドキドキしていた。
「あれ?一夜…燕支から戻ってたのか?」
そんな彼を戸口から呼ぶのは、勾陣隊長片桐剣護…俺の幼馴染だ。
一夜さんと剣護は同じ剣術道場出身で、所謂つーかーというやつ。以前は勾陣隊で共に働き、隊士達をビビらせていた仲なのである。
よっ、と嬉しそうに片手を挙げ、一夜さんは剣護を隊舎に招き入れる。
「剣護久々!調子はどう?」
「まぁ、ぼちぼちかな」
「藍、見なかった?」
目を輝かせた彼の言葉に…うんざりした顔をする剣護。
「お前なぁ…藍の前に、まず師匠んとこ行けっての!師匠がお前の身元引き受けてくれなかったら、今頃どうなってたと思ってんだ」
一夜さんは対ベルゼブ戦の後しばらく自宅軟禁状態で、大裳隊の取調べを連日受けていた。
ベルゼブを倒すことに貢献した…とはいえ、紺青に刃を向けた事実は消えない。
もう一人の中心人物であり、首謀者でもある一ノ瀬孝志郎は、ベルゼブとの激しい戦闘が元で記憶喪失になってしまい、当時の敵方の状況がわかっているのは彼だけということで、詳細に渡って事情を聞かれたらしい…のだが。
こういうおちゃらけた人なので、取調べも遅々として進まなかったらしい。あの時を境に橋下伍長は白髪が増えたらしいとか、実はいつも被っている帽子の下には当時出来た十円ハゲがあるのだとか…十二神将隊では、今もまことしやかに囁かれている。
で、何とか終わったはいいが…十二神将隊に戻すわけにもいかないし、処遇をどうするか皆が決めあぐねていた時に、突如名乗りを上げた人物。
それが…彼と剣護の師匠である、笹倉同心だったのだ。
一夜さんの剣術の腕は超一流で、笹倉道場の師範代という肩書きを持っている。道場を手伝って、ゆくゆくは子供のいない自分の後継者になってほしい…ということらしい。
その後しばらくして、橘右京が燕支に一時帰国するという話が持ち上がった。
右京は燕支という東の小国の皇子だが、自国を継がず紺青に仕官することになった。そのことを父である燕支王に報告し、なかなか帰れなくなるであろう故郷に別れを告げるため、しばらく里帰りすることになったのだ。
そして、それに同行したのが一夜さん。ほとぼりを冷ます…という偉いさんの意向なのかなんなのか知らんが、護衛として燕支まで付き添うようにとのお達しがあったのだという。もっとも右京に護衛と言っても、彼自身も一夜さんに負けないくらいの剣術の腕前なので、必要はないように思えるのだが。
まあ…そんなこんなで一夜さんは今、ここにいる。
………あれ?
ここにいる、ということは。
「一夜さん!右京も帰ってきてるんですか!?」
一夜さんは興奮気味の俺を見て、愉快そうににやりと笑った。
「当然じゃん。今は花蓮様に挨拶するって、朔月邸に行ってるよ」
花蓮様は僕の顔を見つめ、ほっとしたような嬉しそうな顔で笑った。
「お帰りなさい!右京。燕支はどうだった?」
「はい!オンブラが出なくなってからは、本当に平和そのもので」
彼女は満足気に頷いた後…不意に硬い表情になって、声をひそめる。
「お父様…仕官のこと………何て?」
心配そうな花蓮様を安心させようと、僕は笑って答えた。
「まあ…少し寂しそうでしたけどね。『行ってこい』って…国も一番上の兄が継ぐらしいですし、玲央のところみたいな混乱はなさそうです」
僕の幼馴染、相馬玲央の出身国常盤は、後継者問題が国の存亡を揺るがすほどの惨事に発展してしまった。王族は絶え一時国は衰えたが…紺青の力を借りながら、民主制の国に生まれ変わろうとしている最中なのである。
「そう…よかった」
ほっとため息をついて…花蓮様はいたずらっぽい顔をして、僕に顔を近づける。
「で、霞ちゃんにはもう会ったの?」
「な………何ですか!?それ」
「だってぇ、右京がいなくなって…霞ちゃん、すっごく寂しそうだったんだもの。早く元気な顔見せてあげなきゃかわいそうだなぁって………で、どうなの???」
うきうきしている花蓮様に、顔が熱くなるのを感じながら…しぶしぶ答える。
「公務でお忙しそうだったので…まだですけど」
「そっかぁ。身分違いの恋もなかなか大変ねぇ…でも分かるわ!私も経験あるもの!頑張って右京!先生は応援してるわよ!!!」
「………はぁ」
「その辺にしといてあげたら?お母さん」
はしゃぐ花蓮様の背後から、よく通る声が聞こえてきて。
振り返ると、花蓮様の娘で騰蛇隊伍長の藍さんがにこにこ笑って立っていた。
「長旅お疲れ様でした!お国ではゆっくり出来ました?」
「はい、おかげさまで」
「姫様方はまだお仕事みたいですし、よろしければ先に騰蛇隊舎へいらっしゃってください。龍介さんも、それはそれは首長ーくして待ってますから!」
………え?
「藍さん、あの今…何て?」
きょとんとした目で僕を見る藍さん。
「何って…龍介さんですか?」
「龍介、邪魔するぞ」
騰蛇隊舎の戸を叩いたのは、以前ここの隊長だった一ノ瀬孝志郎さん。
彼は記憶喪失なのだが、俺たちに接する態度は以前と大差ない。
これはひとえに、孝志郎さんの愛妻白蓮が彼に纏わる全てのことを、一生懸命教え込んだ成果。それに、彼は元々ものすごく記憶力が良く頭もいいので、覚えたことをうまく消化して色々な場面で活かしているのだろう。
「藍はどうした?」
「はい!三日月なら、今見回りに…」
そこまで言ったところで…孝志郎さんは怪訝そうに首を捻った。
「…どうかしました?」
「いや。その………お前、藍と喧嘩でもしたのか?」
「…え?いや…何でですか?」
その時。
剣護も何事かに気づいたらしく…口を押さえて、ぐっと笑いをかみ殺す。
「…ああ!?何だよ剣護!?」
「い…や………何でもねーよ」
「久しいな、右京じゃないか?」
騰蛇隊舎に向かう道で、背後から声がかかり。
振り返ると…そこには、天空隊隊長の涼風来斗さんの姿。
来斗さんは王立図書館長を兼任しているので、日中図書館に籠もっていることが多いのだが、今日は騰蛇隊に用があって外出したのだという。
「お久しぶりです!来斗さん」
目を細めて笑う来斗さんに…さっきの話をしてみる。
「ご存知ですか?藍さんと草薙さん」
「ああ…呼び名のことか?」
苦笑する来斗さんに、藍さんが口を尖らせる。
「何よぉ、何かおかしい?」
「おかしいっていうか………」
返答に困っていると、来斗さんが代わりに的確な答えを出してくれる。
「お前がそう呼ぶとな…ものすごく親密な感じに聞こえるんだ」
「…そうそう!それなんです、僕が言いたかったこと」
きょとんとした目で僕達を交互に見ると…藍さんはまだ不満そうに呟いた。
「………そうかなぁ」
今日の騰蛇隊舎は、どういうわけか満員御礼だ。
「あれ?今日はなんや賑やかやなぁ」
不思議そうな顔で現れた愁の前に、手を腰に当て立ちはだかる。
「そ!これ以上は定員オーバーなんで、出直してくださいますか、浅倉たいちょ!?」
「…なんやて?」
一触即発の俺達に、孝志郎さんが呆れ顔でため息をつく。
「お前達…いい加減にしないか」
「…はーい!孝志郎さん」
「孝志郎はんが言うんやったら…まぁ、そやな」
俺達にとってこれは…ほとんど条件反射だ。
「機嫌悪いのか?龍介…」
まだ腑に落ちないらしい孝志郎さんが、心配そうな顔をした。
「だから…俺、三日月と喧嘩なんかしてませんって」
「ほらまた……『三日月』って」
孝志郎さんの言葉に…堪えきれず噴き出した剣護を怒鳴りつける。
「剣護、お前いい加減にしろ!!!」
「いやぁ…孝志郎さんて…やっぱ、勘いいよな」
不思議そうに俺達を見ている…一夜さんと愁。
が………その時。
帰ってきてしまったのだ…当事者が。
「三日月戻りましたー!」
目を輝かせて立ち上がり、一夜さんは彼女をぎゅうう…っと抱きしめる。
「藍、お帰り!待ってたんだよ!!!」
「…一…夜…苦しい……」
「ごめんねぇ一人ぼっちにしちゃって!寂しかったろー、泣いちゃったりしなかった!?俺もすーっごくすーっごく寂しかったんだから!!!」
「……わ…かったから…離して……」
ばたばた藻掻く彼女の背後から、ひょっこりと右京が顔を出す。
「右京!」
俺の顔を見て…何故か右京は、意味ありげな笑いを浮かべた。
「お久しぶりです、『龍介さん』!」
「右京、お前…」
焦る俺を尻目に。
『それ一体どこで?』と言いかけた俺の言葉を遮り…一夜さんの腕の中から顔を出した藍が、空気を読まずにしれっと言いやがったのである。
「…そうそう、龍介さん待ってると思ってね、右京様連れて来てあげたんだけど」
「………『龍介さん』?」
一夜さんが…少し低いトーンで…呟く。
まずい。
「こ…こら、藍!お前、少しは空気を読んで………」
と………しまった。
「『藍』?」
「こらぁ龍介!!!」
愁がすかさず、血相を変えて怒鳴る。
「お前、うちの舞のこと…今、何て言うた!?」
………たく。
この二人にだけはばれないように…と…思ってたのに。
それは、一月くらい前のこと。
『なぁ三日月?』
隊舎で事務仕事をしていた藍に、俺は思い切って声をかけた。
『何?』
『お前も伍長になったんだしさ…そろそろその草薙隊長っての、やめねえか?』
藍は士官学校で先輩だったこともあり、騰蛇隊に入るまでずっと俺のことを『龍介』と呼んでいた。それが入隊するや突然『草薙伍長』なんて呼び始め…俺は正直、くすぐったくて気味が悪くて仕方なかったのだ。
最近は敬語もだんだん崩れてきて、少しはましになってきたのだが…やっぱりそれでも。
『…じゃあ、何て呼べばいいんですか?』
『…前みたいに龍介って、名前で呼べばいいだろうが』
『はい』と二つ返事で済みそうなものだが…藍は不満そうに反論した。
『でも…草薙隊長が上司なのは変わらないでしょ?』
『けどなぁ…ほら、剣護だって伍長だった時『一夜』って呼んでたじゃねーか』
『でも、そんなの一般的じゃないでしょ。あの宇治原さんでさえ『源隊長』って呼んでるのよ?風牙も『愁さん』だし、周平くんも『来斗さん』だし………』
そこまでうだうだ言って。
彼女は何かひらめいたらしく…ぽん、と手を叩いた。
『そうだ!龍介さんって呼べばいいんだ』
瞬間、居合わせた隊士達が…一斉に吹き出す。
『…何だぁそれは!?』
『何よぉ不満!?ついでといっては何ですけど、そんな風に言うんなら…私のことも『藍』って呼んでいただきますから』
『………お前』
『ちゃーんと『龍介』さんって、ご希望通り名前で呼んでるじゃないですか。私もずっと苗字で呼ばれるの気になってたから、丁度よかった…何だかすっきりしました』
嬉しそうに笑う藍を、隊士達の賛同の声が後押しする。
『いいじゃないですか、草薙隊長!』
『三日月さんの言うとおりだと思います!こんだけ仲良いのに、『三日月』じゃちょっと変ですよぉ』
そんなこんなで………
完全にアウェイな空気に包まれた俺は、彼女の提案に同意する他…無かった。
一通りの事情を説明し終えた草薙さんは、げんなりした顔でうな垂れた。
「…俺…絶対こうなると思ってたんだよなぁ……」
孝志郎さんが顎に手をやり、なるほど…と呟く。
「そうか…愁達には隠してたのか。今日に限って『三日月』なんて、なんでそんな他人行儀なんだろうって不思議だったんだよな」
「孝志郎さん!ひょっとして…何か、勘違いしてません!?」
草薙さんが、青い顔をして怒鳴る。
「勘違い?」
首を撚る孝志郎さんの前に、鬼のような形相の愁さんが立ちはだかる。
「龍介!お前も偉なったんやなぁ!?舞にさん付けさせるやなんて…」
「あーーーもう!面倒臭えなぁ相変わらず!何なんだよ愁!?何か文句でも…」
「いいなあ」
ぼそっとつぶやいた一夜さんに…草薙さんが更に青ざめる。
子犬のように抱き締められたままの藍さんが、首を上に向け…一夜さんを見た。
「いいなあって…さん付けのこと?」
「だって、藍って身近な人間ほとんど呼び捨てじゃん?あ、けど…右京もずっと『右京様』って呼ばれてるか」
「え!?僕ですか!?」
とんだとばっちりにびっくりして、聞き返す声が裏返ってしまう。
うんざりした顔をして、藍さんはしぶしぶ尋ねる。
「…呼んで欲しいの?」
「うーん…どうしよっかなぁ」
言葉とは裏腹に、催促するような顔でにこにこしている一夜さん。
小さくため息をついた藍さんは、何か吹っ切れたような笑顔で…言った。
「お帰りなさいませ、一夜様………」
言い終わるやいなや。
一夜さんは藍さんを抱く腕に、ぎゅううう……と力を込める。
「……く…くるしい………」
「くぉらそこのバカップル!用がないなら出てけ!!!」
顔を赤らめた草薙さんが、二人を指差して大声で怒鳴り。
相変わらず不思議そうな顔をしている孝志郎さんに、呆れ顔の来斗さんが言う。
「孝志郎。勘違いしてるようだから言っておくが…藍の相手はあっちだぞ」
「…そうだったな。久々ですっかり忘れてた」
「一夜、お前本当にいい加減にしろよな!」
「舞!僕はお前をそんな風に育てた覚えはないで!?」
「………私のせいじゃないってば………」
どたばたした隊舎の空気に…僕は思わず、吹き出してしまった。
「何だ右京!?」
「い、いやぁ…紺青は平和ですね」
来客を『奥様の顔』でお見送りして、空を見上げると…ちらちらと白い雪。
「今年の雪は早いな」
苦い顔をする彼に笑顔で頷いて、その大きな手をぎゅっと握る。
「秋風さんてば手冷たいですよ。早くお部屋に戻りましょ」
「花蓮!お前は年甲斐もなくそういうことを…」
「いいじゃない?いつまでも仲良しなのは、すごくいいことだと思うけど」
赤くなって眉間に皺を寄せる秋風に、嬉しくなって笑いかけた。
…その時だ。
『…堕落したものだな、花蓮』
はっとして…振り返る。
………誰もいない。
「どうした?花蓮」
「ちょっと…古い知り合いの声がしたような気がして」
『こっちだ』
秋風の肩越しに…中庭の方に、彼は立っていた。
雪のような白い光を身に纏った彼の姿は…昔、韓紅を離れたあの時と全く変わらない。
「何者だ!?」
腰の刀に手をかける秋風を制して、動揺を抑え…尋ねる。
「あなた…冬鬼なの?」
『…私を見紛うとは、よほど平和ぼけしているようだな。それとも…年か』
「年って…年なら…あなたが10も年上だったはずだわ。その姿は一体…」
問いかけには答えず、彼は静かに言う。
『お前には色々と目をかけてやっていたはずだが…紺青に魂を売るとはな』
「目をかけて…そうね、子供の頃はそうだったかも。けど、あなた達は小春を…」
『まあいい…覚悟しておくのだな。紺青に与した人間は皆我々の敵だ。お前も…お前の娘もな』
「…敵って…覚悟ってどういうこと!?」
『機は熟した。今こそ一族の悲願を果たす時だ』
そう言って、ひっそりと笑い。
冬鬼は、白い雪の中に…ふっと姿を消した。
「…さむ」
ポケットに手を突っ込んで、小走りに隊舎を目指す。
こんな雪の日に宿直で見回りしなきゃなんないなんて、たまったもんじゃない。
お母さんは北国生まれらしいので、私の寒がりは不本意ながらお父さん譲りなのだろう。
と、その時。
咄嗟に『氷花』を抜いて、背後から飛んできた刃物を弾く。
『…見事』
それは。
エコーのかかったような低い、男性の声だった。
「何者!?」
そこには、忍者のような格好の男が数人。
六合隊の隊士と違い、その服は雪のように真っ白である。
そして…真っ白な着物で真っ白な袴の、私と同世代くらいの男性。
髪も真っ白で、薄い薄いブルーの瞳をしている。
『さすがは花蓮の娘だ』
「あなた…お母さんを知ってるの!?」
『…答える必要はない』
彼は冷たい声で言い、背後の男達に指を鳴らして指示した。
『始末しろ。まずは娘からだ』
小さく鋭い返事をすると、彼らは一斉にくないを構える。
くないは青白く光り、周囲に冷気が吹きすさぶ。
…応戦せねば。
『氷花』を構え、『神力』を集中させる。
先手必勝。
『スノウストーム』!
刀先から放たれた青白い冷気は、白装束の男達を一気に吹き飛ばす…はずだった。
しかし。
くないの先端に触れると、青白い光は…すっと空気に溶けるように消えてしまう。
「何なの!?これ………」
再度唱えて冷気を放つが…結果は同じ。
弾かれた?
いや…違う。技がかき消されてしまったのだ、まるで何もなかったかのように…
冷たい汗が背中を伝う。
白い着物の男は悠然と笑い、白装束の忍者達の背後に回る。
その瞬間。
忍者の放ったくないが、冷気を帯びて飛んできた。
「あっ!!!」
『氷花』を構え、氷の防御壁を張る。
が。
くないは全て難なく防御壁を突き破り、私目掛けて降り注いだ。
咄嗟に体をひねったことで、直撃は避けられたが。
「痛っ…!」
避け損ねた一本が右足を切り裂き、地面にがくっと膝をつく。
右足からは血が流れ…更に、凍傷にでもなったかのように動かず…触れると、傷は氷のように冷たくなっていた。
「…何なの?これ………」
『ふっ…混血無勢の力で、我々に敵う筈もない。せいぜい恐怖に打ち震えて死ぬがよい』
着物の男は私に背を向けて、白い雪の中に姿を消した。
忍者が再度くないを構え、放つ。
ふりそそぐ刃を、懸命に刀でなぎ払うが。
青白い吹雪の塊が突然襲い掛かり…私の体を吹き飛ばした。
「きゃぁぁ!!!」
同時に飛んできたくないの刃は体を切り裂いていき、傷口から血が噴き出す。
両腕、両足に刻まれた新しい傷も…さっき同様に冷たくなって、体の自由が利かなくなる。
そして…体温が、どんどん下がっていくような感覚。
………何なのよ、これ。
あのくないは…『神器』の類のようだ。
彼らは一切言葉を発していないのに、『神器』の力を発揮している。
一体、どういうことなのだろう。
しかし…そんなことを考える暇はなさそうだ。
着物をずたずたに切り裂かれ、全身から血を流す私に、静かに彼らは近づいてきて。
腰の忍刀を…静かに抜き放った。