Ep17
鋭い金属音が耳に響いて…はっと我に返る。
『何!?』
飛び退り、刀の交わった衝撃に震える手を押さえ驚愕の表情を浮かべる…青女。
相変わらず足元の白い雪を赤く染めながら、私は『百花』を構えて立つ。
『呆れた…まだそんな力が残ってたなんて』
「………まぁね」
正直、自分でもびっくりしている。
でも………
諦めさえしなければ、きっと何回でも立ち上がれるわ。
残った僅かな力を振り絞って、最後の最後まで…戦わなきゃ。
朦朧とする頭を大きく振って、心の中でありがと、とつぶやく。
あなたのおかげで助かった。
そうよ…負けるもんですか。
死ぬかも知れない。でも…何もせずに、むざむざ殺されてたまるもんか。
『百花』を握る手に力が込もる。
刺し違えても、この女を倒す。紺青を守るって…一夜と約束したんだから。
『…気にくわないね、あんた』
ぞっとするような低い声で。
『あんたみたいな女が…私はいっちばん嫌いなんだよ』
青女は吐き捨てるようにつぶやいて…
不意に、妙な話を始めた。
『たてはって女…あんたは知ってるのかい?』
…確か。
「名前…くらいはね」
くれはのお母さんとかいう人。
冬鬼の家系と、たてはさんの家系と…韓紅には代々、族長の家系が二つあったのだという。
冬鬼は生涯独身で、子供を残さなかったから…今、一族を束ねられる血筋の人間はたてはさんの血を引くくれはだけ、ということになる。
『『神力』は強くとも、細っこくて女々しくてさ…大っきらいだった、あんな女』
『青女は、韓紅の並み居る大人の男達でも太刀打ち出来無い…最強の女戦士だったんだ』
くれはが以前…白い病室で、そんなことを話してくれたことがある。
「あなたからすれば…そうなんでしょうね。だってあなたは」
『うるさい!!!』
急に声を荒げ、忌々しい目で私を睨みつけ。
青い瞳を妖しく光らせ、彼女は呪文を唱えるように淡々と言う。
『私は氷の女。触れようとする者を全て凍りつかせる…だから私を女と思い近づく男など…ただの一人としておらぬ』
そして。
『ずっとずっと、そう思って生きてきた…あの日までは、ずっと』
独り言のように呟いて…青女は遠い目をして空を見上げた。
それは冬鬼も青女も…みなが存命していた頃。
そしてまだ、北の洞窟に落ち着く前のことだ。
異民族の襲来から一族を守るため、冬鬼に率いられた若者達は集落を離れ死闘を繰り広げていたのだという。
敵は多数。それに引き換え、韓紅の戦える人間など限られていた。
一人一人の力がいくら強くとも…飢えと疲労が重なり、彼らはじりじりと追いつめられていく。
そんな中………
『情けないことに、私は…襲撃を回避出来ずに手傷を負ってしまったのさ』
このままでは足手まといになると、自分が一番良く分かっていた。
そもそも女であるが故…体力は遥かに他の戦士達に劣ってしまっている。
だからこそ体力の差を補って余りあるほどの力を、蓄えてきたはずだった。
『氷の女』
『三将の一角にして、最強の女戦士』
皆が怯え囁きあうことが…彼女にとっては誇りだったのだ。
それが…まさかこんなところで、打ち砕かれることになるなんて。
『私を囮に使ってください』
彼女はそう…冬鬼に進言したのだという。
『敵が私に気を取られている間に、背後から襲撃するのです。さすればきっと』
しかし。
冬鬼は…黙って首を横に振った。
『そなたは女だ。女を盾にすることなど私には出来ぬ』
『女』という言葉が屈辱的に響き、背筋がぞっと寒くなり。
彼女は声を荒げ、指揮官の冬鬼に反論した。
『そんなこと…関係ないではありませんか!?男であれ女であれ、私は…皆と共に一族の為に戦ってきたのです』
『それより…我々が攻めている間に、そなたは集落へ戻り皆に危機を告げよ。あの土地を捨て、また別の土地に集落を築くのだ』
『逃げろと…おっしゃるですか?』
『そうではない!私は…そなたに死んで欲しくない。私の…大事な部下なのだからな』
彼の思いがけない言葉に打たれ…
青女は指示に従い、集落へと戻り。
到着と同時に…意識を失った。
『気がついたら、そこは元の集落の医者のところでね。冬鬼様は死闘の末、見事敵を打ち破り…韓紅一族を守ったんだ』
見舞いに来た冬鬼に深く頭を下げ謝罪したが。
彼は一筋の涙を流し、彼女にこう…声を掛けたのだという。
『その傷…一生消えぬであろうな』
彼女の頬にある、引きつったような大きな傷。
それは…その時の戦闘で負ったもの。
『命の次に大事であろう顔にそのような傷をつけてしまい…すまなかった』
その言葉に、心に小さな火が灯るように感じた、と…青女は言う。
『そんな優しい言葉を掛けられたのは…生まれて初めてだったのさ。あの方は女である私を冷遇することはなく、それどころか…あんな風に労ってくださるだなんて。だから…私は』
青白い頬を、すうっと一筋の涙が流れ。
不意に…胸にざわつきを覚える。
氷の心を持つと呼ばれた、女戦士の芯にあったもの。
それは………
『冬鬼への愛』だというのだろうか。
しかし。
自分の弱い部分が曝け出されることを嫌悪するかのように、彼女は大きく首を振り。
突如…刀を抜いて斬りかかってきた。
はっとして。
咄嗟に繰り出した刀と青女の刀が交わり、鋭い金属音が鳴り響く。
だが。
彼女は更に、矢継ぎ早に刀を繰り出しながら…ヒステリックな声で叫んだ。
『だから私はその時誓った!冬鬼様の為に、どんなことでもやってやろうってね!』
残った僅かな力を振り絞って、私は彼女の刀を受け止める。
『無論、報われるなんて愚かなこと、これぽっちも考えちゃいなかったさ!だが、あのお方は生涯妻を娶らず、一人の女も傍には置かなかった!冬鬼様のお側に仕えていた女は私一人!それだけで…それだけで十分だったんだ!!!』
彼女の一撃一撃の…重さ。
冬鬼への想いや、やり場のない怒りや、憤りや…
言葉に表しきれない様々なものが、全て刃となって襲いかかってくるようだ。
『だが、あの女はどうだ!?あの女、いつもいつも私をまるで哀れむような目で見ていた!しかも、女を寄せ付けない冬鬼様が…あの女にだけは違った!いつも優しい声を掛けていらしたし、あの女も…いつもいつも冬鬼様にべったりで!』
激しい攻撃を回避しながら、私は鋭い金属音でかき消されそうになる、彼女の叫びに耳を澄ませる。
刀を振り下ろす速さは変わることはない。
が…明らかに不規則になっている。
青女は…冷静さを欠いてしまっていた。
『冬鬼様がお亡くなりになった時…分かったんだ!冬鬼様が妻を娶らなかったのは…』
「もう…分かったわ!分かったから」
それ以上言わなくていい、と言いかけた私の『百花』を大きく跳ね飛ばし。
彼女は頭上から真っ直ぐに…刀を振り下ろした。
『あの女を…愛していらっしゃったからなんだ!!!』
いけない。
と…思うより早く。
私は腰の『氷花』を抜き放っており。
交差した二本の小太刀が、怒りの刃を受け止めていた。
『何!?』
驚愕の表情の彼女の刀を押し戻し、私は地面に突き刺さった『百花』の元へ駆ける。
そして、渾身の力を込めて跳躍し…炎の刀を一気に解放した。
『…あああっ!!!』
赤い怒り狂うような炎が走り、青女の体を袈裟懸けに切り裂く。
白い蒸気が立ち上り、周囲の雪がみるみる溶けた。
後方に吹き飛ばされ、どさっという音を立てて地面に叩き付けられる彼女の姿を確認しながら、刀を鞘に収め。
がくっと…地面に膝をついた。
雪が蒸発して出来た白い霧と、荒れ狂う吹雪の中。
ふらりと…青女は立ち上がり。
『…どうやら、私はあんたを見くびっていたようだね』
忌々しいことこの上ない、といった表情で呟く。
それは…多分、私も同じ。
今のがきっと、一夜の言ってた…
『反射?』
『そうそう』
『反射って、意識とは別に体が反応しちゃうみたいなことでしょ?生まれつき備わってる習性みたいなものじゃないの?』
『まぁそこまでとは言わないけどさ。俺が言いたいのは、意識するより先に体が反応するってこと』
そんなことってあるの?と尋ねると、今までなかったの?と…ちょっと驚かれた。
『そっか、藍は目が良いしすばしっこいからね。相手の初動が視界に入った瞬間動いても、相手の一刀より先に届いちゃうってわけだ』
『…そうなのかなぁ』
そう、と力強く頷いた様子で、一夜は明るい声を出す。
『今の藍ならきっと出来るんじゃないかな。この何時間かで変な癖も随分抜けたし、教えたこともどんどん吸収して…急激に上達し過ぎて怖いくらいだよ、正直』
これも俺の教え方が良いおかげだよね!と楽しそうに言うので…返事はしないで、別の話を振ることにする。
『後は、これをどれだけ実戦で活かせるか…か』
『大丈夫大丈夫!実戦ではこんなもんじゃないよ。火事場の底力っていうか…もっと強い藍が見られると思うな、俺』
けどね、と…声を潜める。
『傷を負って『神力』も尽きかけて、もう限界っていう時は…やっぱり、元のやり方のほうがいいのかも知れない』
『………何よぉそれ!?』
それじゃあ、今までの苦労は一体…何だったというのだ。
まあまあ、と宥めるように言って、一夜は静かな口調で解説を始める。
『今、藍の話を聞いてて、今までそうかなって思ってたことがはっきりしたんだけど…俺や剣護が笹倉先生に叩き込まれた剣術と、藍が孝志郎と一緒に習ってた剣術って大分違うらしい。だとすれば、ここで決めるってときは…初動を見極めて、素早くコンパクトに敵を討つっていう、藍の今までやってきたスタイルで行った方がいいよ』
『でも、私…一夜の初動なんて読めないわよ?』
さっきのは、『気を掴め』とか何とか…無茶なことを言われ続けた末に何とかとれた一本で、まぐれ当たりみたいなものだと、自分でも良くわかっていた。
一夜の動きには無駄が無い。
直立不動の姿勢からでも、一瞬で敵を倒せてしまうのではないかと思うくらいだ。
私の言葉に、一夜はそんなことないない、と笑う。
『七癖っていうじゃん。俺自身、自分の悪い所はちゃあんと把握してるつもりだよ?でも』
『…でも?』
『剣護には…読まれちゃったんだよね、あの時』
はっとする。
あの時って。
『天象館』の、あの………
一夜が最後に放った『顕明連』の一撃。
剣護はほぼ同時か、一瞬速く抜いた『蛍丸』で…受け止めた。
一夜の『神力』が剣護に優っているのは明らかで、剣護があのタイミングで刀を抜いていなかったら、おそらく勝ち目はなかっただろう。
『後で教えてもらったんだ。何で分かったかって、そしたら』
剣護が指摘したのは、今まで意識したこともない…ある動き。
びっくりしちゃったな、あの時は…と、懐かしそうに笑う一夜。
気づいたら、私は涙を流していて…慌ててシャワーでざぶざぶと洗い流した。
あの日の事を思い出すと…何故かいつもこうだ。
泣いていたのに気づかれないように、わざとらしく明るい声で尋ねる。
『ねえ、それで何だったの?その一夜も気づいてなかった癖って』
『教えてあげない!けど…どんな強い奴にだってあるよ。無意識にやってる動きって』
青女にも…ってことか。
やる前にこんなこと言うのも何だけど、と彼は固い声で言う。
『こないだ見た感じだと、あの女…相当のもんだよ。剣術の腕前は藍より上なんじゃないかと思う。今日色々教えたことを実行出来ても、それでも厳しいかもしれない』
『…そう』
『だから、その時は初心に帰ること!深呼吸して落ち着いて、相手の動きを見極めること。そして後は…自分を信じて、藍』
初動を見極める………か。
思わず、深いため息をついて。
両手でぱん、と弱気になる自分の頬を叩いた。
『それで…一夜?』
『なあに?』
私は道場のお風呂の戸を少し開け、そっと外を覗き見て…尋ねる。
『あなたって…何でさっきからずっとそこで立ってるの?』
だって、と…これまでで一番楽しそうな声で答える一夜。
『今日さ、居合とか色々教えてあげたじゃない?俺』
『………ええ』
『だからね、一緒に入ろって藍が声掛けてくれるんじゃないかと思って、俺ずっとここで』
さっきとは違う…ため息をついて。
戸口の隙間から石鹸箱を投げると、こーん…という小気味良い音が響いた。
初動を見極める…か。
立ち上がり、静かに目を閉じてみる。
今までの青女の太刀筋を、瞼の裏に描いてみる。
自分を信じて…藍。
あなたは俊敏で、目が良くて、それに…記憶力も良い。
思い出せ。
『どうした!?藍!!!かかってこないのかい!?』
苛立った余裕のない青女の声が耳に響く。
初めて私のこと…『藍』て呼んだ。
心の内を明かしてしまったせいか…あの人、少し空気が変わったような気がする。
それは、『氷の女』と呼ばれた彼女にとってはおそらく致命的で…私にとっては好都合。
…利用させてもらう。
『ああ!?もうおしまいかい!?最後の最後に臆病風に吹かれちまったみたいだねぇ』
挑発的な声が遠くに聞こえる。
ああやって怒鳴っているうちは、きっと彼女は仕掛けてこない。
『初動を見極め、素早くコンパクトに討つ』
一夜の言葉を思い出す。
そして、次に思い出すのは…青女の白い刀を抜く仕草。
剣術には様々な流派があるが、彼女の刀さばきは明らかに剣護や一夜とは違うようだ。
………おそらく、無駄な動作や癖が多い。
見よう見まねの剣術を我流で磨き上げていった…そんな感じ。
宇治原さんのケンカ武術みたいなものだ。
なら…一夜の癖なんかより、ずっと見つけやすいはず。
目を開き、じっと青女を見据える。
『やっとやる気になったようだねえ藍!?』
目を輝かせて彼女は言う。
『あの女をこの手で殺めてやれなかった代わりに、あんたは私が殺してあげる。さあかかって来な!!!』
…駄目。
仕掛けて、カウンターを回避して、再び刀を振るう。
一連のそれを全力でやり遂げ、競り勝つだけの力…今の私に残ってはいない。
先に…あの人の刀を抜かせなければ。
その為にはどうしたらいい?
一夜なら…どうする?
………初動、か。
ふう…と深く息を吐き、全神経を目の前の女性に集中させる。
あの人が刀を抜く時。
あの人の癖。
………そうだ。
『百花』を腰に装備し、大きく吼える。
そして。
ぐっと右足に力を込め。
私は、地面を強く蹴った。
「たああああああ!!!」
すると。
突進してくる獲物を見定め、獣のように目を光らせて。
青女は………
利き足の方に…大きく傾いだ。
それが視界に入り、今だ!と脳に信号が行くより速く。
私は………『百花』を抜き放っていた。
『なっ………!?』
彼女の白い体が、真っ赤な炎の渦に取り巻かれ。
熱い風に巻き上げられ、後方へ吹き飛ばされた。
彼女の居場所を確認すると、赤く燃える刀を鞘に収め。
再び駆けて…一気に距離を詰める。
そして。
「行けぇ!!!」
鞘から解き放たれた『百花』は、青女を袈裟懸けに斬りつけ。
ほとばしる赤い光が…その体を包んだ。
『ぐあああっ…!!!』
苦しそうな悲鳴を上げ、大きく後ろに仰け反る彼女。
…とどめだ。
躊躇している暇はない。
体を強ばらせ、ぐっと奥歯を食いしばり。
私は…刀を横一文字に一閃させる。
と。
灼熱の炎と熱風が辺りを包みこみ。
青女は。
かっ、と血走った目を見開いて。
雪が溶け、顕になった土の上に…崩れ落ちた。