Blade of Iris 〜六剣の守護者〜
嵐が止んだ雨上がりの空の下。帝都に向かう船で、祖父から託された六本の剣を携える青年ライオは、船酔いで吐きそうになっているところを介抱される形で一人旅をしている少女シエルと出会う。
ライオの持つ剣は錆びつくまでに古びてしまっていたが、彼女が持つ謎の力によって刀身はかつての輝きを取り戻す。そして、それをきっかけにライオは六本の剣に秘められた力と自身の役割を知り、帝国に渦巻くある陰謀に巻き込まれていくことになる。
――これは、虹と六剣によって生み出される「決意」の物語。
辺境の港から帝都に向かう船旅の途中。
今朝からずっと降り続いていた雨がようやく止み、つい先ほどまで荒れていた海が少しずつ凪ぎ始めた頃のことだ。
ふらふらとした足取りで甲板に出て、脇目もふらずに船の外に身を乗り出したライオは、胃の中に溜まっていたものを全て海へと盛大にぶちまけていた。
「ゔえええっ……!! 船ってこんなに揺れるもんなのかよ。こんなことになるなら、船が出る前にがっつり飯なんて食うじゃなかった」
口腔に胃液の灼けるような不快な感覚が通り抜ける度、後悔の念に駆られると同時に段々と消えていく激しい嫌悪感。
そのどちらもが落ち着いてきた辺りで、隣から落ち着きのある澄んだ女性の声が聞こえてきた。
「なんだ、船に乗るのは初めてだったのか。波が荒れてるのに平然と港で大量に食事をとっていたから、てっきり船に強いものだと思っていたよ」
「ここまで揺れると知っていたら、最小限に抑えていたか食べるのを我慢してたっつーの。……というか、俺が酒場で飯食ってたの見てたのか」
「まあな。それに君の格好は特徴的だったから」
「あー……そういうこと。なんであれ、肩を貸してくれて助かったよ。ありがとう」
感謝の言葉を述べながら、声がした方へ顔を向けると、胸元辺りまで伸ばした青みがかった紫髪に、空のような淡青の瞳を宿した少女の姿が視界に映る。
恐らくはライオと同年代だと思われるが、やけに大人びて見える。
きっと茶色の外套や黒いロングブーツといった落ち着いた色合いの装いと、どこか威厳のある口調が相俟っているからだろう。
「礼を言われるまでのことでもないさ。君の顔があまりにも真っ青で死にそうだったから声をかけただけだよ」
少女は髪を耳にかけると、柔らかく瞳を細めてみせた。
彼女との出会いはついさっきのこと。食い過ぎと予想以上の時化が原因で、酷い船酔いに襲われていたところに声をかけてくれたのがきっかけだった。
もし少女がいなければ、ライオは外に出る前に吐き気に耐え切れず、船内の床をゲロまみれにしていたことだろう。
そんな彼女の眼差しの先にあるのは、ライオの腰に下げられた二本の長剣と四本の短剣である。
ライオが変に人目を引く最大の要因になっている合計六本の剣をまじまじと見つめて少女は、「ところで」と話を切り出し、ある種当然ともいえる疑問に触れる。
「ずっと気になっていたのだが、なぜそんなに剣を持ち歩いているんだ?」
「これか? んー……なんていうか理由は色々あるんだけどさ。言ってしまえば、単純に剣を六本使って戦うからだよ」
「……曲芸に使うのではないのか。つまり君は六刀流の剣士ということか」
「曲芸って……まあ、そんなとこ。けど、基本は一刀で状況に応じて使う剣を増やしたり変えたりするから、変則六刀流っていう方がしっくりくるかな」
なるほど、と少し間を置いて少女は頷いてみせるものの、いまいちピンと来ていなさそうな反応だった。
でもまあ、笑われなかっただけ良しとするべきか。そもそも、俺の戦い方なんて無理に理解してもらわなくてもいい話だしな。
などと考えていると、ふいに何かに気づいた少女が視線を上空へと外し、「虹だ」と小さく呟いた。
「……虹?」
ライオも少女に追従するように空を見上げてみる。そこには、彼女の言う通り絢爛な虹が群青に弧を描いていた。
赤から始まり橙、黄、緑、青、藍、そして紫と移り変わっていゆく色鮮やかな光彩の架け橋。「綺麗だな」恍惚とした様子で声を漏らす少女に、「そうだな」とライオが相槌を打ったのは数秒が過ぎた後。
反応が遅れたのは、一ヶ月ほど前に病気でこの世を去った祖父の遺した言葉が、ふと脳裏を過ぎっていたからだ。
「強くなりたきゃ虹を探せ、か」
誰に言うでもなく、その言葉をぼそりと声に出す。すると、少女の目がパッと見開き、「へえ」と食いつき気味に反応を示してきた。
「随分と変わった探し物をしているみたいだな。君の言うそれは、今見えているあの虹なわけではないのだろう?」
「お、察しがいいな。あんたの言う通りだ。虹っていうのはある人物のことを指しているらしい。ちゃんと言うと確か……」
「――虹霓の巫女」
「そうそう、それ。物知りなんだな、あんた。それとも有名なのか、その虹霓の巫女っていうのは?」
ライオの問いかけに、少女は頭を振って答える。
「いいや、私以外でその言葉を知っている人間に会ったのは君が初めてだ」
「あ、そう。……じゃあ、なんであんたは知ってるんだ?」
重ねて訊ねると、にいっと唇に弧を描き、勿体ぶるような仕草を見せながらも「それは」と少女が口を開こうとした時だ。
「――海竜だあああーっ!!」
突如として、船の後方から男の叫び声が船中に響き渡った。途端に緊迫した空気が張り詰める。
「オラァ! てめえら、迎撃用意だ!! さっさと配置に着きやがれ!」
直後、巨大な剣を背負った貫禄漂う大男が怒号のような合図を上げ、いの一番に船内から甲板に飛び出したのを皮切りに、その後に続いて舶刀を手にした船員達が慌ただしく船尾へと向かっていく。
彼らの行く先を目で追った先に見えたのは、発達した前脚が生えた大蛇のような姿をした巨大な怪物だった。
体表は灰青色の鱗に覆われており、ただそこにいるだけで脅威を感じてしまう。
「……凄えな、あれ」
想像以上の大きさに気を取られていると、遅れて外に出てきた船員の一人がライオに気づき、切羽詰まった様子で声をかけてきた。
「なあ、そこの剣をたくさん下げてる兄ちゃん。腕に自信があったら奴を撃退するのに手を貸してくれないか? 今は一人でも多く戦力が欲しい!」
「構わないが、そんなにやべえ奴なのか、あいつ?」
「ああ、下手したらこの船ごと海の藻屑になりかねない。実際、これまでに何隻も奴に沈められている!」
「分かった。俺も行く」
ライオは左の腰に下げている長剣を鞘から引き抜き、船員の後ろをついていこうとしたところで、「おい」と少女に呼び止められる。
「まさかとは思うが、君……それで戦うつもりか?」
振り向くと、少女が眉を顰めてライオの右手に握られている長剣を見つめていた。
理由は大方想像がつく。剣の刀身だけが異様に黒ずんでいることに加えて、ところどころ錆びついてしまっているからだ。
これでは敵を斬る以前に、剣が戦闘の衝撃に耐え切れるかどうかも怪しいくらいだ。
しかし、ライオはふっと笑みを溢して言う。
「そのまさかだ。けど問題ねえよ。見た目よりは斬れるし頑丈だから。それより、あんたは船内の中に避難しておけよ。見たところ武器は持っていなさそうだし」
「いいや、私もついていく。大丈夫、決して足手まといにはならないから」
「それはいいけどよ。でも、あんた戦えたのか?」
「魔術の心得はある。そうでなければ女一人で旅なんてできないからな。それに、一つ確かめたいこともあるから」
ここで少女の口が止まる。一拍置いて、それから「だから……」言い淀みながらも再度、唇が動く。
「こんな状況になってからですまないが、君の名前を教えてくれないだろうか?」
予想外の質問にライオは思わず吹き出すも、すぐに表情を戻し彼女の質問に答える。
「ライオだ。ライオ・ヴァンガード」
「……ライオ、か」
響きを確かめるように声に出してから、ありがとう、少女は礼を言う。それから左手を自身の胸に、右手をライオの胸元へとあてがい、ライオの耳にかろうじて届くくらい大きさの声で何やら呟く。すると、少女の右手を伝って身体の中にあたたかい何かが流れ込んできた。
これは……魔力か?
身体の隅々までと活力が漲るような感覚を覚え、その正体について少女に訊ねようとしたところで、「おい、早く来てくれ!」と、船員に急き立てられてしまう。一先ず、訊くのは後回しか。
「悪い、今行く!」
己の肉体と右手の剣に魔力を巡らせてから、船員の元へと駆け出した瞬間、ライオは自身に起きた変化に気づく。
羽が生えたかと錯覚するくらいに身体が軽くなり、船尾の目前に立っていたはずの船員がいるところまで、僅か数秒足らずでたどり着いたからだ。
「……ん!?」
自身に施した強化魔術によって身体能力が向上しているとはいえ、この引き上げられ方は異常だ。原因は間違いなく先程の少女の行為によるものだ。
一体、彼女が何をしたか気になるところではあるが、今は考えている余裕などない。加えて、変化が起きていたのはライオの身体能力だけではなかった。
右手に握っている剣にあったはず汚れと錆が綺麗さっぱりなくなり、刀身が黒く輝きを放っていたのだ。
ますます何がどうなっているか分からなくなる。しかし、ライオの意識はもう海竜を倒すことに切り替えていた。
ここから先は刹那の出来事だった。船尾に躍り出たライオは、高く跳び上がり、そのまま宙を蹴って剣の間合いまで距離を詰めると、海竜の首を目掛けて長剣を振るう。
放たれた目にも止まらぬほどの高速の斬撃は、海竜の首を容易く両断してみせた。
二分された頭と胴体が海へと沈んでいく光景を尻目に、宙をもう一度蹴って方向転換をして、甲板の上へと無事に着地すると、船尾に駆けつけた少女がライオのすぐ傍までやって来ていた。
茫然と場が静まり返る中で、「あんたは、一体――?」ライオが驚愕しながらも少女に訊ねると、少女は子供のように無邪気な笑顔を浮かべて言うのだった。
「自己紹介が遅れてしまったな。私はシエル。君が探している虹霓の巫女だ。よろしくな、六剣の守護者」





