水やり令嬢はエルフの植物園で花咲く
公爵令嬢ソラは、『水やり』の加護が判明したとき、全てが暗転した。
植物の生育を助ける――弱い加護に婚約者は冷たくなり、友人や護衛の騎士も彼女を見放す。
あげく無実の罪で追放されそうになり、必死に逃げた森の中で、古びた植物園を見つける。
そこは、エルフの植物園。
エルフ達がのんびりと品種改良していた植物が、ソラの加護で芽吹き出す。
冬には甘くて大きなリンゴ。甘酸っぱいみかん。
春にはイチゴとオレンジ、夏にはレモン。
美味しいフルーツと優しいエルフたちに囲まれ、傷ついたソラの心は再生していく。
やがて植物園生まれの見事なフルーツたちは、他のエルフや商人、転落した元婚約者などいろいろな客人も引き寄せ、ソラと植物園を成長させていく。
婚約者からの言葉が、朝からの頭痛をひどくした。
「公爵令嬢ソラ・アンセムよ! 私は第一王子として、君との婚約を破棄する!」
呆然と声の方を見る。婚約者であるアルフレート王子が、女性の肩を抱いて立っていた。
知らないひとだ。
王子殿下はこちらを睨んでいる。ソラとは、わたしの名。
「……え?」
飲み物を落とさなかったのは奇跡かもしれない。秋晴れの下でもよおされたパーティーは、貴族の方々を集めた正式なもの。
この日のために着てきた空色のドレスに飲み物をこぼしては、またお父様に叱られてしまう。
ただでさえ立場にふさわしいよう、振る舞いに気を遣わなければいけないのだから。
風がやってきてわたしの栗色の髪をなびかせる。
殿下が傍らの女性を庇ったのを見て、はっとした。
「ど、どういうことですか?」
自分でも情けないくらい声が震えた。
殿下の顔は凍りついたように無情だ。
「申し開きは不要だ。全て僕が裁量すること」
殿下の言葉で、芝生を踏みしめながら執事が歩いてくる。盆にはカップと粉が入ったガラス瓶が載っていた。
「君がこの女性に毒を盛ろうとした。証拠がそれで、証言もある」
唖然としてしまった。
「わ、わたくしが、ですか? その……そのお方を、見たこともありません……」
わたしは改めてアルフレート様が肩を抱く女性を見た。目を引くのはきれいな金髪。海の色をした瞳は潤んで、怯えたようにわたしを見つめていた。
「彼女はレベッカ。聖魔法の加護に目覚めた人だ」
そう言って2人は見つめ合う。頬は赤かった。
何がなんだか分からないわたしは、様子を見つめるしかない。慢性的になっていた頭痛がひどくなってきた。
「君が彼女を妬み、亡き者にしようとしていたことはよく知っているよ。『水やり令嬢』」
瞬間、空気が変わった。
緊張が緩む。でも冷たさはそのまま。
沸き上がったのは嘲笑だった。
「名家の令嬢なのに、得られた加護は『水やり』!」
「なんでも植物の生育を助ける加護だとか」
「まるで農民のようね」
「火炎の加護や氷柱の加護など、民を守る加護こそ公爵家には必要なはずなのに」
頬と目頭がかっと熱くなった。
そうだ。
2年前、15才の時に貴族院で『加護』の判定を受けた。
貴族には魔力が宿っている。その魔力を民と国のために役立てること――それこそが貴族の勤めだった。
婚約者であるアルフレート王子は『統治者』と『剣聖』、2つの加護。国を強くするものだった。
一方、わたしの加護は――
――あなたの加護は、『水やり』です。
草木に水をあげ、その生育をほんの少し助けてあげる加護。
貴族は女性もまた優れた力を望まれる。加護は子供にも伝わるから。
その日から、わたしは嘲笑の的になった。
積んできたつもりの勉強も作法も、加護があってこそ。でも努力する以外にすべがなくて、勉学は続け、本来は殿下が行うべき仕事も進んで引き受けた。
院の成績は、それでも中の下だったけど。
「聞いているのか?」
頬に鋭い痛み。
殿下から小石を投げられた。
涙がにじむ。
すべて加護が弱いわたしのせいだ。
「彼女、レベッカは『聖女』の加護を受けた人だ」
殿下が肩を抱いた女性に、疑問が氷解していく。
貴族達の間で『水やり令嬢』は婚約者に相応しくないということになったのだ。
代わりは殿下の隣にいるお方。
だから無実の罪をわたしに着せ、排除しようとしている。
「お、お父様達は……ご存じなのですか?」
この結婚はお父様達が決めたこと。迷惑をかけるのが恐ろしくて尋ねたけれど、お父様達は遠征に出ていることに気付いた。
王都に残るのは、殿下に近しい貴族ばかり。
「罪人の処罰だ。遠征の途上にある方々に諮ることもあるまい」
殿下は執事が持つ瓶を指差す。
があん、があん、と頭の奥が鳴ってきた。
「これは毒薬だ。水やり令嬢、君が育てたものだろう」
「わたくしは……!」
無力感で声が詰まり、涙さえ出てこない。
「わたくし、なりに……!」
「そうか。僕には目障りだったよ」
醜い草を切るように、殿下はわたしを切り捨てた。
◆
本に埋もれるようにして最後の仕事を終える。
わたしが最後の書類に殿下のサインをすると、ようやく頭痛は治まった。
王城の一室は塔のようになっていて、窓に鍵はない。殿下にとってはここから飛び降りた方が都合がいいのだろうか。
窓を閉めると、不気味なほど大きなフクロウがこちらを見つめていた。
追放先への移動は、翌日の朝。
魔物が出る森へわたしは追い払われるという。
「逃げるなよ、水やり令嬢」
馬車に乗った兵士達からそう睨まれる。
行き先は誰も見ていない森だ。到着したらわたしを剣にかけるつもりだろうか。
そう思うと胃が収縮し、頭で鐘が鳴った。
ドレスの替えも許されないまま、数日、移動した。疲れで手かせの重さも感じなくなってきた朝、御者が騒ぎ出す。
「何事だ」
見張りの兵士が窓から顔を出す。
その顔にフクロウの爪が食い込んだ。
「魔物かっ」
そんな危険地帯にはまだ早いはずだった。
「動くなよ」
馬車を出ていく兵士達に睨みつけられ、わたしは席に縫い止められる。そうしてしばらくが経った頃。
「もしもし」
声をかけられたのは、扉の陰から。低めの声だったから兵士かと思ったけれど、見つめ返してきたのはびっくりするほどつぶらな瞳。
手のひらほどのリスだ。
ぽかんとするわたしに向かって、その声は続ける。
「お逃げなさい」
馬車の扉が開いていた。
兵士はまだ気付いていない。わたしは外へ飛び出した。
すると森との境にある草が、まるで進路を示すようにざぁあっと脇へ避けていく。
「さぁ!」
リスに急かされるまま、走った。手かせのせいでうまく動けないし、お腹がからっぽで視界がぐるぐるした。
追放先で殺されるか、森で迷って死んでしまうか、結局どちらがいいのだろう。
やがて目の前に、古びた石造りの建物を見つけた。
天井のように空を塞ぐ木々が途切れて、日の光が差し込んでいる。少し回ってみると、ガラス張りの温室のようなものも見えた。
看板が出ている。
「ヴワル植物園……?」
石造りのエントランスにはびっしりと蔦が絡みついているのに、なぜかその看板だけはきれいに落ち葉が避けられていた。
入口へと続く階段がある。
おそらくは入館者を迎える草木のアーチがあったのだろう。今はほとんどが枯れ果てて、枝だけの殺風景なトンネルとなっていた。
ばさり、と上で羽音。
「さっきの、フクロウ……?」
近くにわたしを探す兵士がいるかもしれない。
おそろしくて、枯れ木のトンネルを前に進むしかない。植物園に入ると、石造りの祭壇とそこに置かれた水盆があった。かつてはここに水が湧いていたのだろうか。
周りの土は乾ききって、残っているのはランなどの乾燥に強い種だけだった。
「水が、枯れてる……?」
「閉館時間ですよ」
どきりとした。
すぐ横に背の高い男性が立っている。
色白で、目は切れ長。夜会から抜け出てきたような装束をしているけれど、ここは森だ。
金髪が絹のように流れて、木漏れ日に光っている。
「閉館時間を、過ぎています。150年と6時間ほどね」
男性は端正な口で笑み、肩をすくめた。
「ミズ、こちらへ」
さしのべられた手を避けてしまった。男性は意外そうに眉を上げる。
よろけた拍子に後の水盆に手をついた。
胸で魔力が沸き上がり、男性が眼を見開く。
「……ばかな、水が」
振り返ると、枯れた水盆になみなみと水が満ちていた。溢れた水が流れ落ち、ひび割れた土がみるみる潤っていく。
わたしの加護、『水やり』だ。
「あなたがこれを?」
恥ずかしいけど頷くしかない。
水の生気が植物に行き渡る。枯れ果てていた植物のうち一つが、だんだんとしなだれていた枝を上へ立たせ、葉を茂らせ、赤々とした実をつけた。
あっという間。
「……りんご、だ」
落ちてきたものを両手で受け止め、驚いた。
赤くて、瑞々しくて、ひんやりしている。
「大きい」
王都で食べられるものの、倍はある。
香りに胃袋が緊急警報。数日ろくに食べていないことを思い出した。我慢しきれずにそのままかじりついてしまう。
甘い果肉が喉を滑り落ちた。
「お、おいしい……!」
なんだか泣けてくる。
仕事漬けで、勉強漬けで、味わって食べたのなんて久しぶりだ。こんなに美味しいリンゴも初めてだ。
二口目にいく直前、呆然とした男性の目に気づいてリンゴよりも赤くなった。
「も、申し訳ありません、ミスター! は、はしたないところを……!」
貧弱な加護をみせたばかりか、食べ物にかじりつくなんて!
「いや……それよりも」
男性は口をあんぐりと開けていた。
天窓からフクロウが飛んでくる。
「ご主人、彼女が『水やり令嬢』ですよ」
フクロウが話し出した。
さっきのリスといい、わたしは常識を馬車に置き忘れてきたのかも知れない。
男性はかがみ込んでわたしと視線を合わせる。真摯な眼差しだ。
「ここはわたし達エルフが隠れ営む、植物園。色々な魔法の植物を育てています」
男性の頭の左右からは、ぴん!と飛び出す長耳。
「ようこそ、ミス。願わくば、私達と共生関係を結んでいただけませんか?」