墜下するトルクエタム
記者会見会場に現れた”僕”はとある事故の生存者だった。
謎の施設で起きたその事故で”僕”は記憶を失っていた。
”僕”は当時の事を思い出しながら語りだす。
記憶を失い、謎の施設で目覚め、崩壊したその場所を彷徨い、絶望的な状況に陥ったことを。
目を焼くようなカメラのフラッシュが眩しい。マイクと机で隔てられた彼ら取材陣は僕の言葉を待ち望んでいる。
僕は語らねばならない。唯一の生存者として。
そして、彼女の遺志を継いで。
「僕が目覚めたのは――」
鼻をつく強い匂いで目が覚めた。消毒用アルコールを濃くしたような刺激臭。
寝起きと臭気の不快感に苛まれながら目を開くと、青ざめた月のような薄明りが明滅していた。
非常灯だろうか。
首を傾げれば凝り固まった肩が痛んだ。
意識がはっきりしてくるとともに違和感。周囲を見渡す。
直径三メートルほどの円形の通路。垂れ下がる剥き出しのケーブル。乱雑に転がる機器と思しきもの。それらが何だったのか。見覚えはあるが思い出せない。
「……」
前を見る。後ろを見る。
明かりが弱々しく遠くまで見通せないが、通路は真っすぐに続いているようだった。
夢、と思いたかったがそれにしては現実味がありすぎる。
「っ」
立ち上がると、頭に鈍い痛み。思わずバランスを崩しそうになり、通路の壁にもたれかかる。
ああ、夢じゃない。
右側頭部を探るように触れる。ざらり。血が固まったようなような感触。
何かに強くぶつかったのか。それとも。いや、分からない。
首を振り、考え込みそうになる思考を遮る。
足元に視線をやれば、ひしゃげた缶詰が転がっていた。それ以外にも、砕けたガラス、捻じ曲がった金属板など。そういったなものが乱雑に混ざり合っている。
それはまるで地震か何かの災害にあったような状況だった。
これも、分からない。考えても仕方がないと思い、今最も明確な手がかりである匂いの発生源を探る。
頭痛をこらえながら数十メートルほど歩く。
最も匂いが強い場所。
通路の隅に小さな穴が開いていて、そこから刺激臭を伴う液体が漏れ出ていた。どうやらそれが少しずつ僕の方へと流れていたようだった。流れる、ということは通路が微かに傾いているということになる。
液体の色は非常灯の頼りない明かりの下でも薄緑に見え、飲用に適しているとは思えなかった。
その穴から少し離れて座り込む。近くでは断線したコードが小さな火花を上げている。
ぼんやりとそれを見つめていると、線香花火のようだなんてことが浮かんだ。
どうでもいいことばかり思うのは、この現実を、この状況を受け止め切れていないからだろう。
だから、言葉にする。
「ここはどこだ? 僕は誰だ?」
記憶を失っていることを再認識する。とにかくまずは状況の把握。
可能なら頭部の傷も確認したい。鏡か、もしくは治療できる他人か。
通路を振り返る。前か後か。傾いていることを加味すれば、上か下。
これが元々の形状であればいい。一方、何らかの事故で傾いでしまったのなら、どちらが良いだろうか。
上を選択する。
脱出するなら下だとは思う。けれど、外部の様子を俯瞰するのなら上だと考えた。今のところ窓のようなものを見つけていないけれど。
数百メートルほど歩いただろうか。長い通路の先に隔壁が存在したと思しき残骸があった。それはズタズタに引き裂かれていて、所々に赤黒い跡。何度もぶつかったような。
「うっ……」
残骸の隙間を乗り越えると、先ほどの液体の刺激臭とは違う、むせ返るような生々しい匂い。嫌悪感と吐き気を呼び起こすような。
最悪を想定しながら原因を探した。
重い部位は通路の端に転がり、軽い部位は天井の配管に。他にもケーブルに絡み合うように引っかかっているものもあった。
あちらこちらに人だったモノの欠片があった。
何かしらの手がかりがあるかもしれないと思い、検分すべきか迷う。
――今じゃない。
僕はそう結論付け、黙とうを捧げた。
頭痛が僕を焦らせるのもあったが、今の状況で調べても判断するための指標がない。
せめて、事故か災害か、この場所が何か。それらが分かってからでも遅くはない。
何より、死を意識させるこの場所にいたくなかった。僕もいつ意識が途切れるか分からない。体に麻痺を起こすかもしれない。
息を吐いて、強く足元を踏みしめ、恐怖を飲み込む。
がしゃり。
踏みつぶしたガレキの音が耳に響いた。
どれくらい歩いただろうか。
永遠に続くようにも感じられた直線通路が終点を迎えた。体感ではずっと歩いていたようにも思えるし、そんなに歩いていないかもしれない。
終点はT字路だった。正面にはタッチ式の備え付けの端末。画面は黒く消灯している。
左右を確認するも似たような直線通路、相変わらず非常灯が疎らに点滅している。
まずは端末に触れることにした。
ディスプレイが反応し、黒地に白文字の画面が表示される。
『非常事態F3が発令されました。災害用シーケンスに基づいて起動します』
すさまじい勢いで数字と文字が表示され、自動的に処理が行われていく。
その処理は十秒もかからずに終わり、新たな文字が表示される。
『当シーケンスでは個人認証を行わずにアクセスが可能です。重要機密を除く全ての情報を開示処理します。機密の閲覧にはアクセスキーが求められます』
『アクセスキー? Y/N』
‘N’を選択。
『ゲストアカウントを作成します』
数字と文字の羅列の後、画面が切り替わる。
『ようこそ。アマツミカボシへ!』
その表記と共に、おそらくこの施設の外観図と思しきものが浮かび上がる。
例えるならば魚の骨の胴体部分。まっすぐ伸びた脊柱を中心に左右にいくつもの細長い椎骨状のトラスが接続されている。
端末には現在位置が光点で示されており、骨の末尾に近い。医療設備などがある場所は中央部のようだった。この辺りは実験棟と書かれている。
骨の前方は『Flooded』、トラスの多くは『Lost』の表示。
画面のひだりに乗員名簿や実験記録といったセクションへのリンクがあった。実験記録は薄暗く表示され、アクセスできない。
乗員名簿を開く。氏名と年齢、性別と国籍。
顔写真くらいはあると思ったが、どうやら消去されているようだった。
「……」
名前を見ても何も思い浮かぶものはなかった。もしかしたらこの中の誰かが僕かもしれないと思ったのだが。
性別は一人を除いて男性。年齢は二十代から四十代。国籍は全て日本。
日本の施設と仮定して問題ないだろう。
僕は小さく息を吐いて、目を逸らしていたものに向きあう。
表示を名簿から外観図に戻す。
その背景に浮かぶ、宇宙から見た地球の画像。
施設の特異な形状。
アマツミカボシ。星の神。
『Flooded』の表示。浸水もしくは水没。
流れ落ちていた薄緑の液体。重力の存在。
すなわち、墜ちた。
巨大建造物が墜落したのであれば、救助もしくは回収があるかもしれない。救難信号は出ているのか。
そんな希望や疑問を浮かべながら、端末でアクセスできる箇所を一つ一つ検分していく。
運行記録。
墜ちた原因が分かるかもしれないと思ったが、平常時の記録にしかアクセスできなかった。
ただ、現在時刻と開示されている記録を比較して、墜落してさほど時間が経っていないことが分かった。
乗員の日記。
機密と思しき部分には検閲が入っている。それ以外は日常の出来事や地球との交信記録など。
目を引いたのは、『アマノサカホコ』というフレーズ。実験に関わることらしく具体的なことは分からない。
ただ、「彼女」が強く反対していたということが愚痴とともに書かれていた。
「彼女」とは、唯一の女性乗員だろうか。
他に何かないか。頭痛で気が散って仕方がない。
外観図に戻ると、ナビゲーションAI(β)という項目を見つける。ベータ版だからか、画面の端に小さく隠すように置かれていた。
タップし、起動する。黒色の鳥が翼を広げるアニメーション。
「こんにちは! ボクはナビゲーションAIのアンド……おっとっと。私は、ヤタガラスのヤタです」
中性的な音声が再生される。名乗りに微妙なノイズがかったものがあったのはいったい何だろうか。
「ヤタは状況を理解している?」
「宇宙ステーション『アマツミカボシ』は運用中の事故により、地球の海洋上に墜落しました」
推測は確定へと変わる。初めからコレを使えばよかった。
「じゃあ、僕は誰だか分かるかい?」
「災害用シーケンスを適用中のため、個人認証による照合が不可能です」
翼をはためかせるモーションをしながらヤタは答える。
それならば、と僕は考える。
「……墜落場所は?」
生き残る可能性を探る。陸地が近いなら、脱出も視野に入る。
「しばらくお待ちください」
ヤタの動きが止まり、沈黙する。
数十秒経って、ヤタは一枚の画像を表示した。
そこには一面の夜の海。空にはまばらな雲と月。陸地は、見えない。
画面の右下には『S48°52′W123°23′』の表示。
「現在稼働可能な外部カメラを用いて撮影したものです。現在位置は南太平洋上の到達不能極、通称『ポイント・ネモ』です」
「陸地までは?」
「約2700キロメートルです。この距離ですと、低軌道を周る他国の宇宙ステーションの方が近いですね」
無慈悲な情報を淡々とヤタは告げる。
自力の脱出は難しい。救助を待つにしても時間はかかりそうだ。
そもそも、アマツミカボシが水没する可能性もある。
様々な不安が鎌首をもたげてくるのをどうにか押し殺し、僕はヤケクソ気味に問いかけた。
「僕が生き残る手段はある?」
頭が、痛い。





