幸運領主は不幸なメイドに狙われる
マラムは豪運の持ち主だった。
幼いうちに両親を亡くしたマラムは若くしてグルナ領主となり、運だけで繁栄していく。しかし反面、それ以外の才能が壊滅的だった。周りからの評判はひどく、婚約者との仲も最悪。
マラム付きの侍女ユーナは類稀なる不運の持ち主だった。「犬も歩けば棒に当たる」どころか歩かなくても棒の方から飛んでくるほどに。
そしてユーナはマラムを狙う殺し屋だった。
依頼に失敗はなく、「死神」と恐れられるユーナの暗殺は、ユーナ自身の不幸体質とマラムの幸運体質により何度も失敗してしまう。
ある時、ユーナはついに口にした。
「あんたいい加減にしなさいよ!? いつもナヨナヨナヨナヨ! 領主ならもうちょっとシャキッとしなさい!」
マラムはなぜか自分を狙うユーナから矯正を受けることに。
豪運の領主と、それを狙う超不幸体質の殺し屋。
正反対で絶対に交わることのないはずの彼らは、次第に成長していく。
エルナーダ公国の南東に位置するグルナ領。辺境のその地を治めるマラムは豪運の持ち主だった。両親が急死したため、マラムは若くして領主の座についていた。
貴族ではあるが田舎貴族だ。学が特別あるわけでもなく、剣術や馬術が得意なわけでもない。自分に自信はなく、ネガティブ、後ろ向き。顔も整ってはいるが、その覇気のなさが全てを台無しにしていた。
ただ――運だけは良かった。
「もう仕事したくない!!!」
そんなマラムは執務室で一人、声をあげていた。
一向に減らない書類の山。しかも定期的に追加されるし、もともと仕事ができる方じゃない。
一年前に両親が急死し半ば強制的に当主になってしまったマラムにとってモチベーションだってないに等しかった。
「お父様はこれの倍は仕事をなさってましたよ」
そう冷たい言葉と共に執務室に入ってきたのは、マラム付きの侍女であるユーナだ。釣り上がり気味の目から鋭い視線を向けられ、マラムはうっと言葉を詰まらせる。
「知らないよそんなの……。どーせ僕は運だけで何もできないやつなんだか――ってどうしたのユーナ。その格好」
いわゆるメイド服に身を包んだユーナは、なぜか草や木の葉をくっつけていた。ライトブラウンの髪からは細い枝が顔を覗かせている。
それを指摘されたユーナは気まずそうな顔をして身嗜みを整えた。
「用があり中庭を歩いていた時、庭師が切り落とした枝がちょうど落ちてきまして」
「あぁ……」
それはまた。マラムは気遣いと呆れが混ざったような声を出した。
「ユーナは相変わらずだね……」
ユーナは極度の不幸体質だった。運のない話には事欠かない。東方の島国には「犬も歩けば棒に当たる」という言葉があるらしいけど、ユーナの場合は歩くまでもなく棒の方から飛んでくる。
「でもそれなら葉っぱとか落としてからきてくれても良かったのに」
「いえ、そういうわけにもいきません。お渡ししないといけないものもありますので」
「うっ……」
(やっぱそれって、そういうことだよね)
ユーナが書類の束を抱えていたのは入ってきた時から見えていた。肩を落とすマラムを無視して、ユーナは書類の束を机においた。
「追加です」
「だから無理だってぇ……」
「無理無理おっしゃられるのは構いませんが、仕事は減りませんよ。どうぞ」
「……ありがとう」
ユーナが横に紅茶を置いていく。ちょうど喉が乾いてきたところだった。
(こういうところが優秀なんだよなぁ。実際かなり助けてもらってるし)
ユーナはとにかく才にあふれていた。なんでこんな田舎貴族の侍女なんてやってるんだろうと思ったのは一度やニ度ではない。
一度嘆息しカップに手をかけたところで。
「あ」
手を滑らせて、中身をぶちまけた。
「お召し物は汚れませんでしたか?」
「う、うん」
「? いかがされましたか?」
怪訝な反応をしたマラムに、ユーナは首を傾けた。
実際、マラムに紅茶はかかっていない。それどころか、幸運なことに机に置かれた書類の一枚にもかかっていなかった。
書類の間を縫うように流れる紅茶を見て、ユーナは息を吐き出す。
「相変わらずですね……」
感心しているような、呆れているような、そんな微妙な表情だった。
「どういうこぼれ方をすればこうなるんですか」
「僕が聞きたいよ……」
「はぁ……。片付けますね」
「ご、ごめん」
仕事ですので。素っ気なく返したユーナは、どこからともなく拭きものを取り出すと、慣れた手つきで拭き取っていく。
「最近多いですよ、飲み物やお食事を溢してしまうこと。全く。もっとしっかりしてください。殺しますよ」
「僕ってユーナの雇い主じゃなかったっけ」
「そう扱って欲しいのでしたら、それにふさわしい振る舞いを身につけてください」
そう吐き捨てユーナはつーんとそっぽを向く。そして不機嫌そうにカツカツ靴を鳴らした。どうやら機嫌が悪いらしい。
こう言われてしまうとマラムは何を言うこともできない。なんとかカップをユーナに渡すと、ユーナはそれを受け取り台車があるマラムの背後へ消えて行った。
(ほんと迷惑かけてばっかだなぁ……うん、僕も頑張らないと)
よしと意気込み、書類の一つに手を伸ばす。
そのとき、机の向こう側に一枚の書類が滑り落ちた。ユーナに拾ってもらおうにも、彼女はマラムの背後にいる。
(はぁ……しょうがないか)
一つ息を吐き出し、席を立とうと椅子を引く。そのときだった。
「――――ッッッ!!!!」
声にならない悲鳴が執務室に響わたる。
「どうしたの!?」
マラムは飛び上がるようにして立ち上がり振り返った。声が上がったのはマラムの背後だ。そこには誰もいない。「あれ?」と思ったのも束の間、今度は右側の本棚でぶつかる音。そしてバサバサとこぼれ落ちる本の音に混じって、「痛いっ!」と小さく悲鳴が上がった。
マラムは音の軌道をなぞるようにして視線を落とした。
「〜〜〜〜!!!!」
そこでは床に散乱した本に囲まれながら、ユーナが片足と頭を押さえながらプルプルと悶えていた。
「あー……なるほど」
それだけ見ればユーナに何があったのか、マラムには容易に想像できてしまった。
マラムが椅子を引いたことによって椅子の足がユーナの足先に直撃。痛みに悶えてふらつき本棚にぶつかり、その衝撃で落下した本が脳天に刺さったと。
(相変わらず可哀想になるくらい運がないなぁ……)
もはやここまでくると苦笑いしか浮かんでこない。
「ユーナ、大丈――」
カツン。
その時マラムの靴の先に何かが当たった。
「ナイフ……?」
書類仕事をするこの執務室でナイフを使うような仕事はない。しかしマラムには心当たりがあった。
振り返ると少し離れたところに、丁寧に揃えられたユーナの靴。
「ユ、ユーナ?」
「――ッ!」
マラムがナイフを差し出すと、ユーナは顔をあげた。瞳に涙を浮かべたままマラムを睨みつけ、その手からナイフを奪い取る。
「このっ……!」
ナイフを構え、切先はマラム。立ち上がりながら一歩踏み込み――ちょうどそこには、マラムが落とした書類が転がっていた。
「――へ?」
綺麗に足が空回り。一瞬の対空時間の後――ビターン! と顔面から綺麗に転倒した。
(うわぁ……)
痛い。今のは絶対痛い。その痛みを想像すると体が震える。
「あー……えっと……大丈夫?」
そうマラムが声をかけると、ユーナはゆっくりと体を起こした。
地面を睨みつけたままその小さな拳はナイフをしっかりと握っている。そして今、はっきりとマラムを殺そうとした。
「――な」
「……な?」
「なんであんたを殺せないのよーー!!!」
――ユーナはマラムを狙う、殺し屋だ。
(まあ、結構前から知ってるんだけどね……)
初めて今みたいな状態になったのは1年前くらいか。なぜ殺せないんだと喚くユーナを見るのは、もはやマラムにとって日常になりつつある。
「靴脱いで足音殺してまでしたのに背後から刺そうとしたらちょうどいいタイミングで立ち上がるし! 毒殺しようとして飲み物に毒入れた時に限ってぶちまけるし! っていうか! マラムの寝室に仕掛けたトラップは!? あれどうなったのよ!」
「トラップ……? 特に寝室では何もなかったけど……」
「また誤作動もう何回目よ!!!」
ダン!! とユーナは拳を床に打ち付けた。
ギャーギャー喚き立てるその姿は、先のユーナの面影すらない。でもこちらがユーナの本来の性格だった。
「……もう諦めたら?」
「冗談じゃないわ。この私が、あんたごときに遅れを取るわけにはいかないのよ!」
ユーナは靴を履き立ち上がると、正面からそう言ってマラムを睨みつける。――瞳には涙を、そしてぶつけた左足を庇いながら。
(やっぱり痛かったんだな……)
ユーナがいう通り彼女は特別無能というわけじゃない。本人曰く失敗なしの殺し屋らしいが、調べさせてみるとその言葉に偽りはなかった。かといってマラムの能力が高いわけじゃない。
ただマラムが幸運で、ユーナが不運なだけなのだ。
(不憫すぎるよ……)
いや自分からしたら助かってる話だけど。マラムも死にたいわけじゃない。ただそれとは別にユーナが可哀想に思えてくるだけ。
マラムの視線にそんな感情がこもってしまっていたのか、ユーナの瞳の剣呑さが増した。
「何よ」
「い、いや別に」
「とにかく!!」
ユーナはそこで一拍置き、声高々に宣言する。
「絶対あんたをいつか殺してやるから!!」
見てなさいよー!! と叫びながら、逃げるようにユーナは執務室から飛び出して行った。
「ふぅ……」
一息ついてマラムは机に戻った。ユーナはああ言って飛び出して行ったけど仕事が減ったわけじゃない。いつも通りなら、明日にでもなればまた戻ってくる。
すると扉の向こうからきゃっと二人分の女性の短い悲鳴。そして一瞬遅れて「冷たあ!?」とユーナの声が聞こえてきた。それだけで何が起こったのかマラムには大体想像できた。
(多分掃除かなんかで水汲みしてた子とぶつかりそうになって、その水を頭から全部かぶったんだろうな)
相変わらずの不幸ぶりに、本人には悪いけどつい笑みが溢れる。
(君はメイドよりどこかの御令嬢の方が似合ってると思うけどなぁ)
それでも自分に絶対的な自信になっているユーナを、マラムはどこか憧れていた。





