ある作家の恋愛事情
作家の文月は自分の友人であるキュウリと仕事相手の佐々木に恋愛相談を持ちかける。最初はまともに取り合わなかったものの、どうやら本気で惚れた相手ができたらしいことを知ったキュウリと佐々木は、文月が恋慕の相手とうまくいくように協力する。惚れた相手は一駅先の図書館で働く司書。そしてキュウリの妻の後輩でもあった。文月はふたりの助けを借りて思い人へ気持ちを伝えるが、彼女は百日間、一度も休まずに図書館へ来て自分と会えたなら、その時にもう一度その気持ちを聞きたいという。文月はこの条件を了承し、百日間図書館へ通う。その時に小さな手紙を彼女へ渡すことにした。彼女もその手紙の返信を書き、ふたりは交流を深めていく。そして百日目、幾度か難はあったものの見事通うことができた文月が司書に最初に聞いたのは、彼女の名前であった。
木造二階建て庭付きの一軒家。その一階の縁側に、三人の男が集まっていた。一人は着流しを着て雨戸の縁にもたれながら庭を眺め、なにやら憂い顔で煙管を、一人はカジュアルなスーツを着て同じく庭の方を見ながら微笑みを浮かべてパイプを、もう一人はラフな格好をして雨戸から離れた柱にもたれかかり、なにかの文庫本を読んでいる。外は夜の薄明るい中、静かな雨が降っていた。
おもむろに縁側の庭を眺めていた青年が、持っていた煙管に口をつけ、飴でも転がすかのようにその煙を味わう。そしてふう、と煙を吐き出すとおもむろに二人の男へ問いかけた。
「恋をしたらしいんだがどうすればいい?」
「まずは告白して玉砕しろ、話はそれからだ幻視」
「文月先生素晴らしいです、新しい話のネタができましたね、企画に通しておきます」
「頼むから真面目に聞いてくれないか、キュウリに佐々木さん……」
憂い顔で恋の悩みを打ち明けた男、文月幻視に対してその友人である男は手元の文庫を読みながらどうでもよさそうに、もう一人の男はパイプを咥えながら微笑みを崩すことなく悩みに答える。キュウリと呼ばれた男はその視線を本から、スーツの男へと向けた。
「佐々木、お前、企画ってそんな簡単に通せるのか?」
「作家の書いた一行の文から口八丁手八丁で企画を通すのが編集の腕の見せ所だ」
佐々木は文月の担当編集であった。彼のその答えに、キュウリは少し考え込むように首をかしげる。
「盛大に間違っていないかそれ?」
「違わないさ。そうしなきゃ名作は生まれず作家様も俺らもおまんまが食えない」
「話の筋が外れていることも諸々含めて間違っているけれど、今は置いておこう。頼むから、真面目に僕の恋愛相談にのってくれないか?」
二度、同じ問いをする文月の困り切った声に対して、キュウリと佐々木の答えは風船よりも軽かった。
「恋愛相談ってお前必要ないだろ。そのキレイな面で男も女もいけるいける」
「先生、ご自分の顔立ちはよくご存じでしょう。大丈夫です、蝶でも蛾でもカブトムシでもカミキリムシでも寄ってきますって。その様子を是非ネタにして一本書いてください、売れますから」
確かに文月幻視と言う男の顔は、老若男女の大半が美しいと評するだろうものだった。切れ長の目にスッと通った鼻梁、薄い紅を含んだような形の良い唇。常に愁いを帯びたような表情。スタイルもすらっとして背が高く、悪くない。割と顔で食っていけそうではある、結婚詐欺とか富豪未亡人の財産狙いとか犯罪系統の意味も含めて。しかし、
「自分の顔については割と自覚しているが、それとこれとはまた別の問題だからな!? そしてそんなもん書いたって売れないからな!?」
彼は間違いなく常識ある男だった。そして顔ではなく、己の文才とそれに傲ることなく積み重ねた努力によって、大小様々な文学賞を受賞し現在の地位を築いた若き作家でもあった。
薄情な友人と編集に憂いながら、文月は煙管の中の灰を手の平に落とすと、その残り火を使って新しい葉たばこに火をつけ煙管の中に詰める。あまりにも滑らかな動きと、その後じっくりとたばこを味わう姿に、キュウリの口から感嘆が漏れた。
「相変わらずキレーに煙管吹かすなあ、お前は」
その感想に対して、文月の顔には苦笑いが浮かんだ。
「吹かすように見えるんじゃ、僕はまだまだだなあ」
「違うのですか? 辞書には『吸う、もしくは吹かす』とありますが……」
「煙管の煙は吸ったり吹かすものじゃなくて、飲むものなんだよ。爺様は、実に旨そうに飲んでたなあ……」
紫煙をくゆらせながら、文月の目がふと遠いところを見た。空に月はない。
「それに所作は爺様の方がずっとずっと綺麗だった。もっと見て盗めば良かった」
「ああ、あの博打打ちの爺さんか」
キュウリは文月と古いなじみであったので、彼も文月の祖父を見たことがあった。
「元、だよ。僕は爺様が博打を打っている姿を見たことがない。ずっと近くで、事故で亡くなった親の代わりをしてくれていたから。一番記憶に残ってるのは、古書を山積みにした店の奥で、鼈甲の眼鏡をかけながら本を読んでいた着流しの姿さ」
「確かに、それは俺も見たことねえわ。粋な爺さんだったよなあ」
「写真見る限り、若い頃は随分な博徒だったみたいだけどね」
「どんな方だったのですか、お爺様は?」
佐々木が問うと文月は懐から黒の長財布を出し、そこからなにやら白黒の古い写真を二枚取り出し、彼に渡した。見ると一枚は煙管を持って崩れた着流しを纏う若い男の姿。もう一枚はその男と、女の結婚式のようだった。
「男は両方とも、僕の爺様です。女の人は婆様」
「おや、やはりお身内なのですね。よく似ていらっしゃる」
写真の中の男は荒んでいたが背筋はピンと伸び、その佇まいはどことなく品がある。そして結婚式の写真に写る姿は、輪をかけて見目が良く、女も負けず劣らず美しい。紋付き袴と白無垢によって、さらに美しさが増しているようだった。
「聞いた話だと、戦後に違法な賭場を渡り歩いていたんだと。本当に博打が好きな人だったみたいだ」
「博打というのは、パチンコのようなものですかね?」
「アレは博打じゃないってけんもほろろに。チンチロが一番だ、って口癖のように言っていましたよ」
「時代劇とかでイカサマばっかりな、あのサイコロのゲームか?」
「イカサマ見抜くのも込みで博打なんだとさ」
ここで一息吐くように、文月は煙管を口に運ぶ。吐き出された煙は雨に溶けるように消えていった。
「まあ、その博打も婆様と一緒になってからはスパッと止めたらしい。そして博打でため込んだ金を使って古書店を開いたんだと」
「博打で稼いでたのもすげえけど、よく博打を止められたなあ爺さん。」
「『惚れた女に惨めな思いさせるような、そんな情けない男になりたいと思うのかお前は』って言ってたよ」
「凄い方ですね、いろいろと」
佐々木の感心ともため息とも分からない呼気が、パイプの煙と共に宙へ舞った。
「その爺様が唯一止められなかったのが煙管」
「紙たばことかパイプじゃなくて煙管ってのがまた渋いな」
「雨の日しか飲んでなかったけどね」
「それは分かる気がします、雨の日のたばこは旨い」
「たばこって雨の日が旨いのか」
この中で唯一たばこを嗜まない男が、喫煙者二人へ興味本位で聞いてみる。
「たばこの保存管理には湿度70%くらいが良いんだ。だから雨の日のたばこは甘く、舌になじむ感じがする」
「そんなもんか」
「個人差はあるがな」
「俺はたばこやってねえからなあ……。嫁さんのためにも、吸おうとは思わない」
唯一の既婚者でもある男は苦笑いを浮かべ、首を振る。その様子に、佐々木は人を喰ったような笑みを非喫煙者へ向けた。
「なんだお前、そんなに身を削って歌麿でもこっそりと買うつもりか」
それに対してキュウリの答えはあっさりとしたものである。
「馬鹿野郎、手に入れられるならクリムトを堂々と買うわ」
「どっちにしろオカズを買うのか……。そして君ら、僕の相談内容については?」
「「あ」」
二人の声がぴたりと重なる。完全に頭の隅に追いやって忘れていた。問われたのは三回目。
ということは、
「悪い、もしかして割とマジな感じだった? マジで惚れた人がいる感じですか??」
キュウリの問いかけに、文月はぐっと息を呑み、口元を手で隠し顔を背ける。その目元は、頬は、耳は、ぽおっと赤く赤く染まっていた。
「……だから言ったじゃないか、真面目に聞いてくれって」
その様子を見て、ふたりはなんとも申し訳ない気持ちになってきた。
「悪い、お前はまともに恋愛をしないと思ってた。もしくはアセクシュアルかなと」
「先生すみません、生憎私は一編集であって恋愛相談のスペシャリストではないので……連れてきましょうか? そっち系のライター」
「キュウリ、お前は僕をなんだと思っているんだ。そして佐々木さんはあくまでもネタにしようとするのを止めてくれマジで」
文月の顔の赤さが引くのを待ち、三人は何故か正座をして膝をつき合わせた。煙管もパイプも、もちろん消えている。
「とりあえず惚れた相手がどんなのかとか、なんでそんなことになったのかを教えろ」
「仕方ありません、先生の今後の執筆活動のためにも一肌脱ぎましょう。で、相手はどちら様ですか? 人妻やロリ、まさか人外ではありませんよね??」
「待って、いくら作家に特殊性癖持ちが多いからって、僕はそんなにも人の道を外れた恋愛をしそうなの? ……惚れたのはここから一駅先にある図書館の司書さん。名前は知らない。年は多分20代くらい。ランタンみたいなアンティークの髪飾りつけてる。この前夕方にしゃぼん玉してるところを見て惚れました」
その答えにキュウリは目元を手で隠し、天を仰ぐ。
「ふざけんなよ嫁の職場じゃねえか。しかもその特徴聞く限り、嫁の直の後輩じゃねえか」
「しゃぼん玉してるところを見て惚れたってどういうことですか? やはりその人はロリなのでは。先生見損ないました、是非弊社の雑誌の露となってください」
「しゃぼん玉してたくらいでロリってあまりにも早計すぎませんか、佐々木さん? 露にはなりません。そしてキュウリの嫁さんの後輩なら割と接点あるじゃないか、紹介してください」
外聞も恥もかなぐり捨てて、文月は友人に土下座する。それを見てキュウリは一つため息を吐いた。
「本当にいいんだな。おれは本気にするぞ」
「ああ……」
「じゃあ嫁さんと職場の皆さんも巻き込むわ」
「ちょっとまて、公開処刑か」
そんなこんなで、たばこ飲みたちの夜は更けていくのだった。





