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忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
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水巫女

 それからリンは、何かを迷ったように少し間を置いてから、意を決したように葵を見つめた。


「どちらにせよ、水巫女(みずみこ)のお前にはやってもらう事がある」

「……水巫女?」


 そこからか、という顔をされた。リンが考えていることを表情(かお)に出したのは初めてだ。


「水巫女には役目が二つある。一つは他者の(けが)れを(はら)うこと。そしてもう一つが、国に迫り来る〝災蝕(さいしょく)〟を止めること。お前がやるのは後者だ」

「さいしょく? ……よくわかんないんですけど?」

災蝕(さいしょく)が起こると、疫病(えきびょう)蔓延(まんえん)し、多くの犠牲が出る。いわば天災(てんさい)だ。災蝕(さいしょく)を止められるのは水巫女(みずみこ)だけだ」

「そんな……そんな……」


 そんなファンタジーな話があるか!と、突っ込んでもいいのだろうか。

 いや、それよりも、この男が言っていることはつまり──。


「それって帰す気がない──」


 どこからか、轟音(ごうおん)が鳴り響き、地が大きく揺れた。余震で家財がガタガタと音を立てる。


「じ、地震!?」

「間隔が短い……次の災蝕(さいしょく)が近い」


 リンは神妙な面持ちで(そら)を仰いだ。

 災蝕(さいしょく)と聞いてもいまいちピンと来ないが、ここが山で、地震の間隔が短くなってきているということは、まさか火山が噴火する前兆なのではないだろうか。疫病(えきびょう)が火山灰による気管支炎や喘息のことを指しているとすれば、辻褄(つじつま)も合う。ならば、この(やしろ)が一番危ない。

 葵は焦って、リンに掴みかかった。


「火山じゃないの!? みんな逃げなきゃ!!」


 葵の真っ青な顔を見るなり、リンは小さく鼻を鳴らした。


水波盛(みなもり)に火山はない」

「え……そ、そうなんですか?」

「どうやら本当に水波盛(我が国)の者ではないらしい」


 至って常識的な事を言っただけなのに、呆れたように言われて不服に思う。

 だとしたら災蝕(さいしょく)とは何なのか、ますます理解に苦しむが、どちらにしろ、ただの高校生である葵がどうこうできる問題ではない。

 妙な事態(じたい)に巻き込まれる前に、お(いとま)するべきだ。

 そう決心した葵は、すっと立ち上がり、二人に向き直った。


「とにかく勘違いですので! 私、水巫女(みずみこ)ってやつじゃないので!! すみませんが帰ります!! 大変お世話になりました!!」

「待て」


 深々と頭を下げて退散しようとしたところを、首根っこを掴まれ、引き戻された。

 「グエッ」と女子校生らしからぬ声を出して、尻もちをつく。


(────雑っ!! 扱い雑っ!!)


 首をさすりながらリンを睨むが、謝るどころか少しも気にした様子もない。

 断言しよう。たとえ天地がひっくり返っても、この男の事は好きになれない。


「お前は洗礼の川を登ってきた。うなじの(しるし)水巫女(みずみこ)である何よりの証拠」

「これは生まれつきで──!」

「幻覚のようなものが視えるだろう」


 葵は息を呑んだ。なぜそんな事を知っているのか、という事よりも、この男が〝(かせ)〟の正体を知っている事の方が気になった。


「巫女は他者に触れることで、その者の記憶を視ることが出来る。〝視憶(しおく)〟というものだ」

「〝視憶(しおく)〟……?」

「それはまるで、その者に成り代わったかのように視えると聞く。 水巫女(みずみこ)だけが持つ特別な能力(ちから)だ」


 それがずっと自分の首を絞めていた〝枷〟の正体なのか。

 そんな変な能力(ちから)を持つのは自分だけだと思っていたが、水波盛(ここ)では珍しいものでもないらしい。葵以外にも、視憶(しおく)ができる人がいるのだ。

 同じ苦悩を持つ人間がいるなら、是非会ってみたい。

 が、葵は頭を振ってその願望を振り払った。


「……いや、ないです! そんなもの!! 私はただ、早く家に帰りたいだけなんです! さっき送ってくれるって言いましたよね!?」


 リンの着物を掴んで(すが)るように揺さぶると、リンは「(おろ)かな……」と溜息混じりに呟いた。


「お前は全く事態を理解していない」

「はあ?」

「今は、身の安全だけを考えていればいい」

「だったら帰してください! 帰りたいんです!!」


 リンは袖を掴む葵の手を静かに払うと、(さと)すように言う。


水巫女(みずみこ)達の中にも、(まれ)親元(おやもと)へ帰りたがる者はいる。だが、皆必ず(ここ)へ戻ってくる」

「……なぜですか?」


 当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな目を向けられる。


「捨て子に帰る家などなかろう」


 身に覚えのある言葉が葵の胸を突き刺す。

 リンは、わかっていたとでも言うように小さく息をつくと、葵に言い聞かせた。


「決して本殿からは出るな。外へ出る際は、必ず私に断りを入れるように。菊乃(その者)に言えば迎えに来よう。くれぐれも、単独での行動は控えることだ」

「そんな! それじゃあまるで──」

「勝手な行動は許さぬ。──よいな?」


 リンは葵の(むな)ぐらを掴んで念を推すと、返事も聞かずに去っていった。

 人ひとりは殺してるんじゃないかと疑うくらいの眼光に、体が強ばる。完全に脅しである。


(やっぱりヤバい組織に拾われたんだ!!)


 葵はそう確信し、床に手を着いたまま俯いている菊乃を見やる。

 先程の菊乃の震えは尋常ではなかった。


(まさか菊乃さんも捕まってるとか?)


 菊乃はリン(あいつ)と違って少しも危ない感じはないし、どこから見ても清楚でか弱い女性だ。きっと、あいつに脅されているに違いない。


(なら、一緒に逃げた方が……!)


 意を決して声をかけようとした時、菊乃が高揚(こうよう)したようにうっとりと呟いた。


「なんて(みやび)で優雅な御方(おかた)……」

「え゛っ……!?」


 菊乃は、赤く染めた頬を押さえながら夢見がちな目で、リンが去った方角を見つめている。

 あんなに雑な扱いを受けていたのに、しかも怖くて震えていたはずなのに、突然何を言い出したのか。


「で、でも……怖くないですか? あの人……」

「ええ、まあ……。されど(わたくし)、あのような冷たい目を向けられると、なんだか胸の奥の方がうずうずと(うず)くのです」

「嘘でしょ……」


(この人もヤバい……!!)


 あれは恐怖で震えていたわけではなかったのか。むしろ、あの状況下で悶絶(もんぜつ)していただなんて、図太いというか、なんというか……。

 菊乃に白い目を向けていると、「いやだ、巫女様まで……」と呟かれた。


(私までなんなの!?)


 けれどその後のことは、聞いてはいけない気がする。


「それにしても、さすが巫女様。神子様(みわこさま)と冷静にお話が出来るだなんて。(わたくし)にはとても……」

神子(みわこ)?」

水波盛国(このくに)(おさ)める神王様(みわおう)のご嫡男(ちゃくなん)でございます」

「へー……」


(つまり王様の息子か……ん?)


 驚きのあまり思わず声を張り上げた。


「ええっ!? 王子!? あれが!? 嘘でしょ!?」

「しー! 巫女様! 誰かに聞かれでもしたら──!!」

「ありえない!!」


 葵が想像する王子様は、白い歯をチラリと見せて爽やかに微笑(わら)うイケメンであって、決して女性を雑に扱ったりしない。あんな冷めた目で人を見たりしない。

 夜叉(やしゃ)と言われた方が納得できる。


(でも、そもそもこの話自体が虚言なら関係ないか。うん、そうだ。きっとそう──)


 そう自分に言い聞かせていると、突然、腹の虫が大きな声で鳴いた。葵は咄嗟(とっさ)にお腹を押える。

 顔がみるみる熱くなった。

 そういえば井戸に落ちたあの日、夕食を食べ損ねていた。あれからどのくらい眠っていたのだろう。


(こんな状況でもお腹は減るのか……)


 その音を聞くなり、菊乃が自分の失態を悔いるように、深々と頭を下げた。


「はっ! (わたくし)としたことが! すぐにお食事をお持ち致します!」

「す、すみません……」


 菊乃は跳ねるようにして立ち上がると、慌ただしく去っていった。

 ひとり取り残された葵は、改めて居室を見回す。部屋は至って普通の和室で、必要最低限の家財道具は綺麗に整頓され、ホコリひとつない。


(制服、どこにあるんだろう? 携帯は落としちゃったんだっけ……)


 たとえ携帯を持っていたとしても、水没して使えないだろうけれど。

 ひと通りあちこち物色してはみるが、自分の持ち物は何一つ見当たらず、肩を落とす。


災蝕(さいしょく)って言ってたけど、あんな話ありえないよね。聞いたこともないし)


 あの二人と話していても噛み合わない事だらけだが、ここが日本であることは確かだ。言葉が通じているという事実が、何よりの証拠である。


(これ以上、変なことに巻き込まれる前に退散しよう!)


『捨て子に帰る家などなかろう』


 あの男の言っていたことが引っかかった。

 確かに、帰ったところで家に入れてもらえるかわからない。将来だって、どうなるのかもわからない。

 そう思うと、躊躇(ちゅうちょ)した。


(だったら、このまま──)


 そう思いかけて、慌てて首を振った。

 余計なことを考えるな!と、自分に言い聞かせる。


(大丈夫!! きっと今頃、みんなが居なくなった私を心配してる!!)


 自分を奮い立たせる。


(逃げるんだ!! 今しかないんだから!!)


 当主とやらに礼も無しに出ていくのは後が怖そうだが、なりふり構ってはいられない。

 廻廊(かいろう)に出た葵は、左右の廊下を交互に見た。

 菊乃は食事を取りに行ったのだから、右に行けば台所があるということか。従業員が集まっていたら人の目を盗んでいくのは難しい。それに菊乃はここに戻ってくる。その時に鉢合わせになってはいけない。


(じゃあ、左に行くしかないや)


 くれぐれもリンにだけは会わないようにしなければ。ドキドキしながら左へ歩き出した。

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