表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
6/32

呼声

 気が付いたら葵は、いつもの(ほこら)の前に居た。

 呆然としていたせいで、どうやってここまで来たかよく思い出せない。夜に制服姿で徘徊していたのに、補導(ほどう)されなかったのは運が良いのか悪いのか……。


 一番信頼していた人に裏切られていただなんて、もう何を支えに生きればいいのかわからなくなった。


(行き場がない……)


 どんなに馴染もうと努力しても、こんなにもあっさりと世界から弾き出されてしまう。それもこれも全て、生まれつき〝(かせ)〟をつけられた人間だから、ということなのだろう。目立たず、平穏に……ただそれだけで良いのに、見えない枷が足を引っ張る。


 暗闇に包まれた祠は妙に居心地が良かった。陰気な雰囲気が、葵の心に共鳴しているように感じた。

 脚に力が入らないのは歩き疲れたせいだけではないだろう。

 その場に崩れ落ちるように、地べたにへたりこんだ。日に当たらぬ地面さえぬるく感じた。もう涙すら出ない。


(このまま消えてしまいたい……)


 自分など、最初から存在しなかったことになればいいのに。


(いっそ、高校も辞めて、このままどこか遠いところへ行こうか……私の事を知ってる人がいないどこかに……)


 その想いだけが心を支配して、存在するはずのない神に懇願した。



『……み……さま』


 ふ、と耳を掠めた誰かの声。気のせいかとも思ったが、念の為周りを見回してみる。

 暗くて遠くまでは見えないが小さな島だ、もし誰か居たなら気配があるはずた。しかしその気配すらないのだから、やはり気のせいだろう。


『……みず……さま…… 』


 いや、確かに聞こえる。

 幼い女の子の声だ。(かす)れてよく聞こえないが、助けを求めるような……。


「……誰?」


 耳をすまして声の主を探すが、姿が見えない。

その時点で、生きている人間ではないと予想もできたが、その声を無視する気にはなれなかった。どこかで聞いたかはわからないが、聞き覚えのある声だったからだ。

 携帯のライトを点灯させて、周辺をくまなく探す。


「誰なの?どこに居るの?」


 集中して声の出処を探り、振り返った先に目に入ったのは、ひときわ存在感を放つ井戸だ。


(まさか、井戸の中?)


 深さは知らないが、人が落ちたら自力で出ることは不可能だろう。

 蓋は閉まっている。

 やはり人ではないものか……? でももし、生きている人間が、誰かに突き落とされたのだとしたら……?


「大変!」


 葵は木製の井戸の蓋をズラそうと体重を掛けて押した。

 思いの外あっさりと蓋がズレて、井戸の真っ黒な穴が三日月形に口を開けた。半月程度になるまで蓋を押しのけ中を覗くが、暗くて何も見えない。

 これは相当深そうだ。


「大丈夫!? すぐに助けを呼ぶから、もう少しだけ頑張って!」


 井戸に身を乗り出して声の主に話しかけるが、返事がない。

 もし井戸の底で力尽きてしまっていたら、と不安が押し寄せる。スカートのポケットから携帯電話を取り出して、画面をタッチした。

 震えながらロックを外す。


(警察? いや、消防だっけ? ……もうなんでもいい!)


 番号を押そうとした途端、井戸の中から白い手が伸びてきて、葵の手首を掴んだ。

 携帯が滑り落ち、井戸の脇に転がった。


「……っ!?」


 しまった、と思った時にはもう遅く、物凄い力で井戸の中へ引っ張られる。

 咄嗟に井戸の縁を掴んだ手は(こけ)で滑り、ズルズルと全身が闇へと引きずり込まれ、葵は悲鳴をあげながら真っ逆さまに落ちていった。


 落ちながら、物悲しげな声が耳元で囁いた。


『お頼み申した』


 井戸の傍に取り残された葵の携帯電話が、スリープ状態へと切り替わり、唯一の光が虚しく消えた。



***



「だ、誰か! 誰か!!」


まだ日が登ったばかりの早朝、しん、と静まり返った境内(けいだい)に下女の物々しい声が響き渡る。

 まるで城のように広い(やしろ)の本殿は、広大な湖のような水上に建てられており、そのせいで春でも朝は冬のように寒く、息を吐けば白く染まる程だ。そのうえ辺りはよく霧で覆われ、この日の朝も数メートル先ですら視界が悪い。

 (やしろ)では、本殿を一刻毎の見回りをするのが決まりで、代々それを徹底してきた。というのも、本殿の裏門には、様々な物が流れ着くからだった。木の葉や枝だったり、捨てられた物であったりとレパートリーは様々だが、大概(たいがい)はガラクタが多い。それを毎回掃除するのも、見回り係の業務に含まれる。

 その程度の物ならば後でまとめて始末した方が効率がいいのだが、そうしないのは、時折それに混じって、()()()()()()()()が流れ着くことがあるのだ。


 眠気眼で朝の見回りをしていた下女は、気だるげに長い廊下を歩いていた。どうせ手で拾える量のゴミしかないだろうと、欠伸をしながら裏門にやってくると、朱色を基調とした大きな鳥居が、霧の中でも目立つくらいにその存在を主張している。もう何十年と見慣れている光景で特に感動もなく、とにかく早く布団に戻りたい一心で鳥居の間を覗き込んだ。

 流れ着いた()()()()()()()()に、下女の眠気は一気に吹き飛んだ。


「誰かおりませぬか!?」


 張り上げる声が誰にも届かないことに痺れを切らし、下女は足をもつれさせながらも、とにかく人を呼んでこようと身を翻した。

 しかし、そこにあるはずのない壁に顔面をぶつけて盛大な尻もちを着く。痛む尻と、危うく潰れかけた鼻を抑えながら視線を上げた下女は、一気にその痛みが吹き飛んだ。


「み、神王(みわおう)様!?」


 下女が仕える(やしろ)の主は、自分の後ろに控えていた青年が、一歩踏み込もうとしたのを片手で制した。

 大柄な惲薊によってすっぽり隠れていて見えなかったが、華奢な体から溢れんばかりの威圧感を放っている。肩あたりで切りそろえられた白髪が揺れ、霧に覆われた空間では人外(じんがい)のように(あや)しく、異質な存在に感じられる。

 その冷酷な眼差しを向けられると、下女は身体が凍ったように動かなくなった。


「よい、リン」


 リンと呼ばれた青年は腰の刀から手を放した。

 それを見た下女は、今まさに自分が首の皮一枚で命が繋がったのだと、ようやく自覚し、身震いした。非礼を詫びる間すら与えてもらえないのだ。


「も、申し訳ございません!! どうか、どうかお許しください!!」


 下女は顔を真っ青にしながら慌てて座り直し、両手を地面に着けて陳謝(ちんしゃ)した。恐怖で手の震えは止まない。

 早朝に突然訪れた騒動に、近くの部屋で眠っていた下働きの者達が、ちらほらと顔を出しはじめ、なんだなんだ、と状況を伺う。


「う、惲薊(うんけい)様じゃ!?」

神王(みわおう)様がなぜこんな時間に!?」

「皆の者、さっさと起きろ!!」


 (あるじ)の姿を見るなり慌てて部屋から飛び出し、両手をついて頭を下げる。

 惲薊(うんけい)は周囲の騒ぎに目もくれず、目の前で平伏(ひれふ)している下女に声を掛けた。


(おもて)を上げよ。して、一体何事……!?」


 言い終わる前に目に飛び込んだ光景に言葉が詰まった。


 ────少女だ。


 下女の背後見ると、本殿の裏門、水上に浸かっている鳥居の間に、段差にしがみつくようにして少女が倒れている。

 身体が水に浸かっているせいで体温が奪われたのだろう、あどけなさの残る顔は青白く、死体と見間違えるほど血色が悪い。

 しかし惲薊(うんけい)が驚いているのは、見知らぬ少女が境内で倒れていることが理由ではない。

 どこかで見たような顔立ちだった。忘れもしない、遠い昔に知っていた幼子の顔。


雪花(せつか)……!?」


 まるで、成長した彼女が戻ってきたかのようだ。

 少女を見る惲薊(うんけい)の顔は、驚きというより絶句と言った方が正しい。考えうる可能性を思索(しさく)した後、眉を寄せてリンを見やった。

 惲薊(うんけい)が向けた眼差しの意を読み取ったリンは、(わず)かに目を細め、それを否定した。


「有り得ません。雪花(せつか)はあの時、確かに……」


 惲薊も納得せざるを得なかった。なぜなら、あの場に自分も居合わせ、確かにこの目で見届けたのだから。


(ならば、この女子(おなご)は一体……)


 惲薊は鳥居の下で横たわる少女を見やった。


「リン」

「はい」


 名を呼ばれて、水波盛(みなもり)当主(とうしゅ)(そば)で片膝をつき、こうべを()れた。


「十年……、この時を今か今かと待ちわびていた。ようやく、水波盛(みなもり)(むく)われよう」


 物思いにふけるような声を静かに聞いた。()は有無を言わせぬような、厳しい眼差しを向ける。


「失敗は許さぬ。二度と」

「……はい」


 新たな任を受けたリンは、朝方の冷えた湖の中へ躊躇(ちゅうちょ)なく足を沈めると、倒れている少女の元へ歩を進めた。時間によって水深が変わる湖は、今は膝までの深さがある。

 少女は、見た事のない珍妙(ちんみょう)な格好をしていた。体のラインを型どったような白い布、首には蝶結びの布が着いている。単なる首飾りのようだ。腰に巻いている大小の線が描かれた布は、ただでさえ短いというのに水面下で揺れ、太腿(ふともも)が丸見えだ。

 水波盛(この国)では考えられない格好(かっこう)に、リンは眉を(ひそ)めた。


(異国の者だろうか?)


 首に指をあてると、小さく脈打つのを感じ取った。


「起きなさい」


 頬を軽く叩いてみるが、当然返答はない。すっかり冷えた少女の体を抱き起こし、髪をかきあげて首の後ろを確認した。

 その(あと)を見るなり、軽々と少女を抱き上げる。(たき)のように(したた)る水が、真っ白な水干(すいかん)と淡い青紫の(はかま)()らし、さらに負荷(ふか)をかけた。普通ならば水の冷たさや感触の悪さに表情を(ゆが)めるところだが、リンは眉一つ動かさず、当主(とうしゅ)の元へと戻った。


(しるし)は?」

「確かに」


 リンの答えに、惲薊は一瞬歓喜と安堵が同時に押し寄せたような顔をしたが、直ぐに真顔に戻ると、その場に立ち合っている全員に向けて、声を張り上げる。


「次の災蝕(さいしょく)までに急ぎ、準備致せ!」


 (つる)の一声で社中(やしろじゅう)の人間が(せわ)しなく動き出す。

 リンは近くに控えていた女中(じょちゅう)達に、部屋と着替えの用意を言いつけると、惲薊(うんけい)に一礼してから本殿の中へと立ち去った。

 少女の姿を見送りながら、惲薊は急に不安を(いだ)いた。


「あれは雪花(せつか)なのか? それとも……」


 胸騒ぎがするが、それが歓喜によるものなのか、はたまたこれから巻き起こる災厄(さいやく)警鐘(けいしょう)なのかはわからない。


(今度こそ、無事に済めば良いが…… )


 黒い雲が空を覆っていき、ぽつりぽつりと雨が降り出し、たちまち霧がより濃くなって社を包み込んでいく。

 まるで不吉な予感を助長(じょちょう)いるように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ