表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忌巫女の国士録  作者: 真義える
下界
30/32

記憶

 当たり前だが、マッチもライターもないのだから、火をおこすにも時間がかかる。やり方も原始的で、乾いた平たい木に、枝をキリのようにして煙が出るまで擦る。燃え(かす)を木の皮を細かく裂いたものに移して、優しく息を吹きかけると、たちまち火があがった。


「──すごい!! すごいすごい!!」

「そんな褒められることでも……」


 火起こしを(じか)に見るのは初めてで、興奮してはしゃぐ葵に、テツは呆れたように言いながらも、その頬はほんのりと染まっていた。

 枝をくべてさらに火を大きくすると、たちまち洞窟の中は暖かく快適になっていく。火があるというだけで、身も心も癒され、とても安心できた。



***



「やっぱ、この方が落ち着く」


 洗った着物をその火に当てて乾かすと、二人はようやく元通りの身なりに戻った。


「そうか? 俺は何でもいいけど」

「まあ、おかげで助かったけど……」

「なんなら素っ裸だって気にしないぞ」

「さすがに通報するわ」


 冗談か本気か、テツは快活に笑っている。水波盛(みなもり)の男は基本的に大雑把なのだろうか。テツとリンが極端なだけかもしれないが、ワイルドすぎるのも考えものだ。けれど、そんな二人に助けられてばかりなのも事実。

 葵自身、ずっと身の内に引っかかるものがあった。


(足でまといは、自分だ)


 二人は決して口にしないが、最初から気付いていた。ここに来るまでの間、葵は何もしていない。ただ、ついて歩いていただけ。

 自分が生きるために逃げ出したというのに、助けてもらわなければ何もできない。

 リンは、「何でも利用しろ」と言ったが、なかなかそんなふうには割り切れない。


「火の起こし方を教えてください!!」


 葵が土下座すると、テツは不思議そうに首を傾げた。


「……いいけど、別にわざわざ覚えなくたっていいんだぞ?」

「それじゃあダメなの!! ずっと二人にやってもらってばかりだし、私だって役に立ちたい」

「たってるよ」

「全然たってない!!」


 気休めの言葉は、今は逆に辛い。

 自分もなにか役に立ちたい。でなければ、増していく無力感に押し潰されそうだった。

 そんな葵の真剣な眼差しを受けながらも、テツは「ほんとだって」と笑った。


「葵が地下に来なかったら、俺はあそこ出られなかったし、リン(あいつ)だって今頃どうなってたか……。お前は一晩で二人の運命を変えちまったんだぞ。十分すげーだろ」

「それは死にたくなかったから、自分の為だったわけで……」

「じゃあなんであいつも一緒に連れてきたんだよ?」

「それは……」


 テツが真面目な顔をしたので、葵は少し緊張した。もともとテツはリンを連れてくることには反対だったのに、それを無理やり押しきったのだ。

 口には出さなくとも不満に思っているのかもしれない、と葵は不安になる。


「だって、あのままじゃあんまりだし……」


 遠慮気味に答えると、突然テツが吹き出した。予想に反して笑うテツに呆気にとられる。


「お前って、お人好しだよな」


 身に覚えのない葵はきょとんとする。


「ふつう自分を殺そうって奴、助けるかよ」

「……怒ってる?」

「いいや」


 覗き込むように顔色を伺うと、テツは怒るどころか清々しく微笑(わら)った。


「お前のそういうところ、好きだ」


 葵は口ごもってしまった。どう返していいか、わからなかったのだ。


 ずっと、なるべく目立たずに生きてきたおかげか、学校では大きなトラブルもなかったし、クラスメイトにも嫌われるということはなかった。だが、好かれることもなかった。


 〝どこにでもいる〟〝気付けばいる〟


 それが他人から見た葵の印象だった。内気な葵に興味を持つ人などいない。葵自身もそれで良かった。

 けれど、心のどこかでは誰かに好かれたかった。「好きだと言われてみたかったのだ。一番は養父母(りょうしん)にだが、その願いは叶わないだろうと諦めていた。


 そんなにも欲しかった言葉なのに、いざ言われてみると、脳みそが追いつかないせいで実感がわかない。礼のひとつくらい言わなくては、と思うのに、それすら喉の奥でつっかえて出てこなかった。ただ、テツのように、素直に気持ちを口にできることを羨ましく感じた。

 テツはそんな葵の態度を気にすることもなく、火を絶やさないように乾いた木をくべた。


雪花(せつか)もそうしてたと思う」


 テツは火をぼんやりと眺めたままで、まるでそこに映像でも見えているかのようだ。


「優しい奴なんだ、ものすごく」


 その横顔は笑みを浮かべているものの、漂う哀愁を隠しきれてはいない。


「雪花だけじゃない。巫女はみんなそうだ。まっ先に犠牲になろうとする。そういうふうに仕込まれるんだ。赤ん坊の時から……」

「──教育……?」


 本殿(ほんでん)で何度か聞いた言葉だ。

 テツは小さくうなずいた。


「けど、誰だって死ぬのは怖い。まだ生きたいに決まってるのに、そんな当たり前のことも言えない。その些細な願いすら許されない。我慢して、みんなのためになるのが嬉しいって笑うんだ」

「そんなの、ほとんど〝洗脳〟じゃない」


 葵は愕然とした。

 とてもじゃないが、そんな気持ちにはなれない。だが、物心がつく前からそう教え込まれていたらどうだろうか。

 そう考えるとゾッとした。


「犠牲の上に成り立っている水波盛(くに)が嫌いだ。それに(すが)る奴らはもっと嫌だ」


 テツが持っていた枝を火の中に放り投げると、その勢いで火の粉が上がった。

 顔をあげたテツからは、いつもの笑顔が消えていた。


「──俺はそうはならない」


 その言葉には悲壮感に似たものがあるが、葵はなぜか救いのように感じた。

 ようやく火から視線を外したテツは、至極真剣な眼で葵を見つめた。


「いいか、絶対巫女だって知られちゃダメだ!! 病人がいても、視憶(しおく)を使うんじゃないぞ!!」

「う、うん……。でも、病気と視憶(しおく)、どう関係があるの?」


 なんだ知らなかったのか、とテツは目を丸くした。


「視憶は、罪を映し出すって教わった。罪悪感とか後悔とか、とにかく、そいつが負い目を感じていることだって……」

「罪……」


 心当たりがあった。

 葵が視たのは、養父の不倫、ナナは隠れて信人と付き合っていることだった。

 二人とも、罪悪感はあったということなのか。


「病の原因が穢れなら、視憶(しおく)すれば治る。けど、取り払った穢れは消えてなくなるわけじゃない。視憶した巫女が罪を共有することで肩代わりしただけだ」

「じゃあ、穢れっていうのは、完全にはなくならないの?」

「ああ。巫女は普通の人よりも穢れが発症しにくいんだ。だから消えてなくなったと勘違いする奴も中にはいる。でもそれは間違いだ。人から人へ移しただけ。穢れを多く背負えば、巫女だって病気になる。そうなったら……」


 その続きは聞かずともわかった。


(──最後はあの穴に落とされる。〝浄化〟と称して……)


 結局、水巫女というのは、利用されるだけされて殺される運命なのだ。


「それで雪花を逃がそうとしたの?」

「ちょっと違う」


 葵は首を傾げた。


「雪花は逃げるつもりはなかったんだ。何度も説得しようとしたんだけど……」


 あいつ全然聞いてくれなくってさ、と苦しげに笑った。

 葵は無意識に、テツの手を包み込むように両手で握った。そうした方がテツの為になるような気がしたのだ。ひょっとしたら、巫女としての本能のようなものなのかもしれない。

 テツはそれには無反応のまま言葉を紡いだ。


「だったらせめて、なにか願いはないのかって言ったら──」



-----------------------------



『ないよ、そんなの。だって、私が……、巫女という存在がみんなの〝願い〟なんだから』


 木々が生い茂る丘の上から村を眺めながら、巫女の装いの少女が言った。おかっぱの黒髪を両サイドで綺麗に結わえていて、顔を動かす度に結い紐の飾りが揺れるが、振り向かないから後ろ姿しか見られない。


「お前にだって叶えたい願いくらいあるだろ? 巫女だからとか、関係なく」

『そんなこと言ってるから、いつも神王(みわおう)様に叱られるんだよ』

「い、いいだろそんなことは!!」


 恥ずかしげに言う声はまだ声変わりもしていない、少年のものだ。少女は袖を口に添え、くすくすと笑った。まだ年端もゆかないというのに、その仕草はやけに大人びている。


『夢ならあるよ』

「夢?」


 葵は心が弾んだ。

 少女の胸の内に秘めた想いを聞くのは初めてだったのだ。そんな少年の心と同調(シンクロ)している。


『今すぐ叶わなくたっていいの。あの世でも、来世でもいい──いつか、私の家族に逢いたいな』

「なら、行こう!!」


 寂しげな声に、たまらず少年が提案した。


「雪花の親に、会いに行こう!!」

『できないよ。私は災蝕を止めなくちゃ。でないと、国だけじゃない──。この国のどこかにいる父上や母上、妹だって死んじゃうかもしれない』

「──なら!! ちょっと抜け出して、親に逢えたら戻ればいい!!」


 え、と小さな声をもらして、雪花は顔をあげた。その小さな胸に、希望が浮かんだのが見て取れた。

 しかし、葵にはわかった。少年は戻る気がないことに。親に逢えたら、巫女としての役割を捨ててくれるかもしれない、と考えていた。あわよくば、そのまま両親と逃げて欲しいと……。


「居場所は調べればわかるんだから、探す時間もいらない。真っ直ぐ行って、帰ってくればいい。俺が護衛するから!!」

『そんなことしたら、規則違反で罰が──』

「わかってる。戻ったら、罰もちゃんと受ける!! 大丈夫、たいしたことないさ!!」

『だ、だめだよ!! そんなこと、させられない……!!』

「いいんだ!!」


 少年は、雪花の肩を掴むと、向き合った。


「このまま儀式を迎えたら、俺、ぜったいに一生後悔する。これは俺の為でもあるんだ!!」


 それは本心だった。初めて口にした夢を叶えてやりたい。そして、できることなら雪花の命を絶つことはしたくない。

 だがこれは、この少年の優しさであり、弱さでもある。


『ほんっと、神子(みわこ)様らしくないんだから』


 呆れたように言ったあと、少女は嬉しそうに微笑(わら)った。


『──ありがとう、リン』



-----------------------------



「──お姉ちゃん……」


 葵はその少女を知っている。

 本殿で、巫女の間に入る前に見かけた女の子。その顔は、幼い頃の葵にそっくりだった。


(ずっと、本殿(そこ)に居たんだ……!!)


 血を分けた姉は、ずっと見守っていてくれていたのだ。

 そしてあの夜、テツに引き合わせてくれた。


「──視憶、使うなって言ったそばから破るなよ」

「ご、ごめん……」


 テツは呆れたような、でも少し安心しているように、苦笑いした。


「……逢えたか?」

「私の子供の頃にそっくりだった」

「そっか、よかったな」

「──うん!!」


 葵が満面の笑みで頷くと、テツはどこか恥ずかしそうに微笑(わら)った。

 しかし、葵には気になることがあった。


「でも、どうして握手した時は視えなかったんだろう?」


 それは地下牢でテツに出会った時のこと。手を組むことになって握手した時には何も視えなかったのだ。


「そりゃあ巫女を拒んだり、心を閉ざしていたら視えるもんも視えないだろ」

「えっ? 私、拒まれてたの!?」

「俺じゃなくて、葵が拒んでたんだ。俺のことを」

「あー……」


 否定できなかった。半裸で顔は仮面に隠された状態で牢屋に閉じ込められていた男だ。それに対面早々、あんな脅され方をされたら警戒する。


「で、でも、道中手を貸してもらったりもしたよ?」

「あの時は俺もお前も気が逸れてたからな。視られる側も巫女に心を開かなきゃならない」


 しかもけっこう恥ずかしいんだぞ、とテツは頬をかいた。

 確かに、胸の内を見せるのは勇気のいることだ。血が繋がっていたとしてもなかなかできることじゃない。葵は未だにそれができない。


(それなのに、この人は見せてくれたんだ)


 テツは葵に向き直ると、真剣な眼差しで忠告した。


「とにかく、もう絶対に使っちゃだめだからな」

「わ、わかった」


 テツの忠告を素直に聞き入れる。葵としても、他人の記憶を覗くようなことはしたくないし、病に侵されるのも避けたい。

 けれど、ひとつわかったことがある。


(養父とナナは、ちゃんと心を開いていてくれてたんだ)


 だから二人が抱える罪が、葵に視えてしまったのだ。だが、大好きな人の全てを見た途端、拒絶してしまった。

 人と向き合うというのは、難しいことだ。


(あの時は無理だった。でも今は……)


 養父母(りょうしん)と話がしたいと思っている。

 ナナにも伝えたいことがある。


 死ぬ気になれば何でもできると言うが、葵の場合はそれが叶うかどうかはわからない。

 葵が密かに自嘲(じちょう)したことに、テツは触れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ