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忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
3/32

日河葵(ひかわあおい)にはある〝秘密(ひみつ)〟があった。


葵は物心がついた時から、ある種の幻覚(げんかく)に悩まされていた。

 他人に触れると、知らない映像が頭の中に流れ込んでくるのだ。最初は他のみんなも同じだと思っていたが、中学にあがる頃には自分だけが()えているのだと気が付いた。

 以来、人には極力触れないようにしている。

 人によっては霊感だとか、第六感という言葉に当てはめられたりもするが、これがなかなかに厄介(やっかい)な〝(かせ)〟となってきた。


(これはきっと呪いだ)


 人と違うと孤立する。

 これまでの人生で、(あおい)が学んだことだ。



***



「まーたここに居たの?」


 ぴょこん、とナナが段差に飛び乗って振り返った。その仕草が小動物みたいでクスリと笑ってしまう。


「うん、あまり家にいたくないし」

「そっか……。ね、買い物行こうよ! 新しい服も欲しいし、付き合って」

「うん!」


 ナナは今どきの愛くるしい女子高生だが、他人の悩みに無粋に首を突っ込んだりせず、こちらが話したい時には、静かに耳を傾けてくれる。

 葵にとって、一緒に居ても肩の力を抜ける、唯一の友人だ。


「で、(のぶ)くんに告んないの?」


 二人並んでコンクリートで舗装された大通りに出ると、ナナが核心をついた。こちらの行動パターンは読まれているらしい。

 葵は笑って誤魔化そうとしたが、当然、通用しない。


「さっさと言わないと、先越されちゃうよー?」

「で、でも……」


 ピシャリと言いきられてぐうの音も出ない。

 信人(のぶと)は近所に住む幼馴染で、その明るい性格から男女問わず人気がある。小・中と同じ学校だったが特別仲がいいわけでもなく、話した事もあまりなかったが、葵はずっと、密かに想いを寄せていた。それが顔に出ていたのか、すぐにナナに見抜かれ、それ以来早く告白しろ、と(あお)られる日々である。


「私なんかじゃ……」

「なんかってなによ?」

「だ、だって……」


 葵は自信なく目を伏せた。

 告白する気がないわけではない。しかし、自分に(まと)わり付く、気味の悪い〝(かせ)〟が、いつも葵を思い(とど)まらせた。

 これまで葵が必死に築き上げた人間関係を、この〝枷〟が片っ端から壊していった。


「はあ……。 グズグズしてると、(のぶ)くん……とられちゃうよ?」


 呆れるように言うナナの表情(かお)は、(うつむ)いているせいで見えない。


(気を悪くさせちゃったかな?)


 不安になって慌てて言い訳する。


「そのうち、きっと言うから!」

「そう言ってもう一ヶ月たってる」

「そ、そうだっけ?」

「そうですー!」


 額をツン、とつつかれた。大きなアーモンド形の目を細めて睨む顔が、怖いよりも可愛らしくて全く迫力がない。

 葵はほっとした。どうやら機嫌を(そこ)ねたわけでは無いらしい。

 ナナとは高校を卒業しても、ずっと友人関係を続けていきたい。


「明日こそ、学校でいいなよ? なんなら、あおちゃんが言いやすいように、私がお膳立(ぜんだ)てしてあげる!」

「いや、それはちょっと……」

「だめだよ! そうでもしなきゃ、またうやむやにするんだから!」

「そ、そんなこと……。ほんと、いいから!余計なことしないでよ?」

「えーなんでよ!」


 まずい、と葵は焦る。ナナはやると言ったら本当に行動を起こす。


「ほんと、本当に勘弁してください!」

「えー……」


 それだけは!と必死に懇願(こんがん)すると、ナナは口を曲げて不満をあらわにしながらも、しぶしぶ頷いた。


(あ、あぶな……)


 葵はまだバクバクしている心臓を落ち着かせていると、今度は悪巧(わるだく)みを含んだような笑顔を貼り付けて、葵を見上げた。

 ナナがこの表情(かお)をする時は、決まって何かをねだる。


「じゃ、買い物付き合って?」

「良いけど……」


 〝じゃあ〟って何だ、と身の内でつっこみながら、数駅離れた街にあるショッピングモールへと足を向けるのだった。



***



 自宅の前で深呼吸をする。


 ナナとの買い物が楽しくて浮かれていた気分は一転、自分の家を見た途端に気が重くなる。そんな家なんか、家と呼んでいいものか(はなは)だ疑問だが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。

 意を決して、ドアノブに手をかけた。


 家の中は(あか)りがついておらず、誰もいないことに胸を撫で下ろす。

 台所で夕飯を作ろうと、居間の電気を付けると、ダイニングの椅子に人が座っていて、葵は声をあげずに驚いた。

 義母(はは)だった。テーブルに肘を着いたまま動かない。


「お、かあさん……? 暗いから居ないかと思った……」


 腫れ物に触れるように声をかけたが、葵の顔を見ようとしない。

 義母(はは)が不機嫌な時は大抵(たいてい)義父(ちち)の事で何か問題があった時だ。


「……随分、遅いじゃないの」

「あ、ナナと遊んでたの」

「良かったじゃない、楽しそうで」

「う、うん……」

「私は()()()から、楽しい事なんて一度もないけどね」

「……」


 どう答えても、地雷を逃れることは出来ないらしい。葵は黙りこくった。

 〝あの時〟の事を持ち出されると何も言えなくなってしまう。


「お父さんは? 今日も帰ってこないの?」

「いつものことでしょう。またあの女のところよ」


 義父(ちち)には愛人がいる。葵がこの家に引き取られるずっと何年も前から。


「あんたの卒業まで……」

「……え?」

「離婚はそれからって決めてあるの」


 それは初耳だった。


「本当は中学まででも良かったんだけど、娘が高校を出ないだなんて恥ずかしいでしょう。ご近所はアンタが養子(ようし)だなんて知らないんだし」

「……うん」

「いい? 卒業したら、県外で就職先を見つけるのよ。私達も引っ越すから」

「えっ? そんなの、聞いてない!」

「言ってなかったもの」


 平然と言う母は相変わらずこちらを見ようとしない。


「全員ここを出ていくの。あの人は女と一緒になるだろうし、私は実家に帰るけど、アンタの面倒見る余裕もないしね。高校行かせてあげただけ、ありがたいと思いなさい」

「そんな! そんなこと急に言われても……!」

(きゅう)? 学校の進路相談だってまだ先でしょうに」

「それは──!」

「っるさい! 私が何年我慢してきたと思う!? アンタの為にどれだけの人生を犠牲してきたと!!」


 落ち着いた口調だったが、急に声を張り上げたので、葵はビクッと肩を揺らした。


「あんたじゃない!! 全部、あんたがぶち壊したのよ!? ()()()に──!!」


 ようやく義母(はは)は葵と目を合わせたが、その場に頭を抱えて泣き崩れてしまった。あの時からずっと、養父母(りょうしん)に向けられる目はこの(たぐい)のものだ。

 葵はまた何も言えなくなった。

 この状態の義母(はは)には、何を言っても火に油を注ぐ結果になることを、葵は長年の経験で知っていた。しばらくそっとしておくのが一番マシな対処法(たいおう)だ。

 葵は自分の部屋に向かおうと、静かに身を(ひるがえ)した。


養子(あんた)なんかとるんじゃなかった!! とんだ貧乏くじよ!!」


 背中に母親の捨て台詞が浴びせられたが、溢れそうな感情をグッと押し戻すので精一杯だった。



***



 葵がこの家に引き取られたのは、まだ赤ん坊の時だった。

 両親は近所でも有名なおしどり夫婦で、実子(じっし)のように可愛がってくれて、葵も本当の両親だと疑わなかった。


 初めて幻覚を()たのは、葵が四歳の時だった。幼稚園の帰りに、母と手を(つな)いだ瞬間、頭の中に映像が流れ込んできた。まるで、一人称視点の映画を見ているようだった。

 最初に見たのは、両親が葵を引き取った日のもので、幼い葵は見たまんまを口にした。


「わたし、ママの子じゃないの?」


 その瞬間、母親がぎょっと目を()いたのを覚えている。

 しかし、その時見た映像から感じたのは(あふ)れんばかりの幸福感で、同調するように葵の心は満たされていた。そのおかげで、幼いながらに養子の事実を知っても、少しもショックはなかった。だからその時は、両親が神妙な面持ちで、本当の子供だと思っていること、どんなに愛しているかを、じっくり言い聞かせるのが不思議でならなかった。

 なぜ養子縁組(そんな)事を知っているのか、不思議がる両親に問われても、「見たから」としか答えられなかった。

 その時に感じた幸福感で、葵は()()が視えるのは〝良いこと〟であるとすっかり思い込んでいた。


 だが、その能力(ちから)は〝枷〟なのだと、すぐに思い知らされる。


 それは両親と動物園でカンガルーの親子を見ていた時の事。義父(ぎふ)に肩車をしてもらった拍子(ひょうし)に、頭の中に流れ込んだのは、赤ん坊を抱く綺麗な女の人。

 実はその光景(えいぞう)は、前々から何度も見ていたものだった。

 映像の女の人は愛おしい目で赤ん坊を見ていて、その隣には義父(ぎふ)が笑顔で寄り添っている。

 それは絶対に〝良いこと〟に違いないと思った葵は、やはり見たまんまを訊ねてしまったのだ。


「赤ちゃんにはいつ会えるの?」


 義母(はは)がすまなそうに視線を落とす意味を、その頃の葵は察する事ができなかった。

 父は僅かに目を泳がせたが、しゃがんで葵に視線を合わせると優しく笑った。


「葵は姉弟が欲しいのかい? やっぱり一人じゃ寂しいよな」


 葵は首を横に振った。


「違うよ。知らない女の人が、赤ちゃんをもってるの。パパはもう会ってるでしょ?」


 開いた口が塞がらない父と、目を見張る母。

 誰もが羨む幸せな家庭が崩壊するは、ほんの一瞬だった。



 この家では、誰も笑わなくなってしまった。

 そしてその原因を作ったのは、紛れもなく自分なのだ。


 葵は自室に(こも)るなり、明かりもつけずに鞄をベッドに放り投げ、その横に腰掛けた。

 投げた勢いで鞄から携帯電話が飛び出した。


 わかっている。いつかは自立しなければならない。けれど突き付けられたのは、想像していたかたちとは違いすぎて、不安でたまらない。将来のことを考えても、路頭に迷っている自分の姿しか浮かんでこなかった。


(最悪……)


 人生で二度も捨てられるなんて、こんな酷い話があるだろうか。悲しみを通り越して、沸々と憤りが沸いて出る。それを抑え込むように両膝をぎゅっと抱え、顔を填めた。

 目を瞑ると、現実から自分を遮断できる気がした。


(──あの時、黙っていたらこんな事にはなかったのかな?)


 今更考えたってどうしようもないが、そう考えずにはいられない。


(こんな気味の悪いモノ、私だって欲しくなかったのに)


 携帯のバイブレーションが鳴る。

 画面にはナナからのメッセージが届いていたが、今は見る気にはなれなかった。

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