表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
16/32

出生

 書庫は三階の東側に位置する、比較的小さめな部屋だった。棚には本や巻物が隙間なく埋められ、ほのかに(すみ)の匂いがする。

 リンは(すで)に、台の上にいくつか巻物を広げて待機していた。

 余程染めたくないのか、髪は白いままだ。


(……反抗期か?)


 惲薊(うんけい)だけには(した)っているように見えたが……。


「済んだか?」

「うん、まあだいたい。……じゃあ、あとは頼んだよ」


 ニシキは葵と目が合うと、ぱちんっと片目をとじた。

 すぐには何のことかわからなかったが、〝鬼退治〟の件を思い出した。


(限りなく無理だわ)


 そんなこと、頼まれても困る。

 そんな葵の気も知らず、ニシキは軽い足取りで去っていった。


 複雑な気持ちで窓の外を見やると、境内(けいだい)を一望できるくらい見晴らしが良く、楼門(ろうもん)が景色のメインを飾っている。


(────バレるわけだ……)


 いや、考えてみれば、最初(はな)から見越して監視(かんし)していたのかもしれない。

 腹黒いリンのことだ、きっとそうに違いない。


「学生なんだろ? 字は読めるか?」


 リンは手元の巻物の一つを葵に向けた。


「そりゃあ、字くらい────何語!?」


 言いながら巻物を覗き込むと、和紙に達筆な字がみっちりと書かれていた。

 達筆だから読めないのではない。ひらがなでも漢字でもない、ましてや英語でもない。全く見たことも無い文字がズラズラと連なっている。


「お前……学生とは名ばかりで、実のところサボってたろ?」

「いやいやいや!! ちゃんと通ってました!! 優等生でした!!」

「……」

「なにその目!? 本当だから!!」


 じとー、という擬音(ぎおん)が聞こえてきそうな眼を向けられ、葵は強く抗議した。


(言葉は通じるのに、文字が違うなんて……!!)


 そうだった、と思い直す。

 ここでは常識が通用しないのだ。

 嫌というほど目の当たりにしてきたのに、修正すべき常識のズレがまだあるのかと思うと、うんざりする。


(もう勘弁して欲しい……!)


 身のうちで滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら、文字を追っていくと、花の絵が出てきた。


「これ……!!」


 葵の首の後ろにある痕と似ている。


「この(しょ)にはお前のことが書かれている」


 葵は少なくとも興奮していた。

 初めて、自分の出生について触れた瞬間だった。


「これは十七年前に下界の役所へ届けられたもの。忌み子を川へ流す前に、親は役所に申請する。それが各分社(ぶんしゃ)へ届けられる」

(やしろ)って、ここだけじゃないの?」

「ここは本宮(ほんぐう)だ。分社(ぶんしゃ)は七つある」


 そんなに大きな組織だったのか、と葵は改めて驚いた。

 そういえば、ニシキが兄弟は他にもいると言っていた。おそらくその兄弟たちは分社にいるのだろう。


「母親はお前たち双子を生んだ後、すでに他界しているらしい」

「……わ、私を生んだせい?」


 昔は出産で死ぬ確率が高かったと、学校の授業で聞いたことがある。ましてや双子であれば、その確率はぐんと上がるだろう。水波盛もそれにあてはまりそうだ。

 しかし、すぐにリンが否定した。


「いや、(やまい)と書いてある」

「病気? なんの?」

(けが)れが発症したらしい」


 水波盛(みなもり)にきてから、幾度(いくど)となく聞いた言葉だ。

 ────死ぬほどの重い疫病(えきびょう)

 葵にはその実態はわからないが、もしかしたら知っている病気のことかもしれない。


「その〝(けが)れ〟って、なんなの?」

「誰もが、身の内に(たね)を持っている。その種が、災蝕(さいしょく)によって芽吹き、身体を(むしば)んでいく」

「う、うーん……よくわかんない」

「見た方が早いが、本殿には病にかかった者はいない。下界は特に被害が広がっている」

「そんなに怖い病気なんだ……」


 つまり自分は、母親の命を奪った(やまい)をこれ以上増やさないために犠牲となるのか。

 そう思うと、ほんの少しだけ責任の重さがわかるような気もする。


(それでも死ぬのは嫌なんだけど……)


「父親の方は今も健在らしい」

「そうなの!? じゃあ、お父さんがどこにいるかもわかるってこと?」

「まあ……」


 リンの歯切れが悪くなった。


「どこ?」

「知る必要はない」

「なんで!? 教えてくれるって言ったじゃん!!」

「お前、会いにいく気満々だろ」

「そんなことはござらんよ……!!」


 尋常(じんもん)のような視線に、キリッとした顔で対抗していると、リンがため息をついた。


「親が恋しいのはわかるが────」

「別に恋しくはない」

「……なら、なぜ?」

「いや、なんていうか……しきたりとか(おきて)だとしても、そんなすんなり捨てられるものなのかなって……」


 しんみりと言った気はなかったのだが、お互いなんとなく黙りこくった。


 本音を言えば、どんな(つら)をしているのかくらい見てやりたい。それに、急に捨てた子供が目の前に現れたらどんな表情(かお)をするだろう。

 泣いて謝ったって許してやらない。


 そんな意地悪心から言っただけだったが、思いのほか言葉に悲壮感(ひそうかん)(ただよ)ってしまっただけである。


「……なにか────」


 先に口を開いたのは、意外にもリンだった。


「────やむを得ない事情もあったことだろう。下界は混乱していると聞く。はかり知れぬ苦労もあろう……」


 リンは苦虫を噛み潰したような、妙な顔をしていた。

 まさか、と葵は驚く。


「────もしかして……それ、なぐさめてる?」


 リンは仏頂面で首を振った。


(ふーん……?)


 だんだんわかってきた気がする。たぶん、リン(こいつ)も嘘がつけないタイプだ。

 思い返してみれば、リンは言葉を伏せることはあっても嘘をついたことはなかった。多くを語らないのは、そういうことなのかもしれない。

 とはいえ、さんざん雑な扱いをしてきたくせに、急にらしくもない気遣いをされると、逆に怖いものがある。


「私のこと殺すくせに……」

「────役目だからな」

「巫女を守るって言ってなかった?」

「おくり子というのは────」


 リンは一呼吸おくと、()()()について簡潔に説明した。


「儀式の日まで巫女を護り、その命を絶つまで役目は終わらない」


 葵は血の気が引くのを感じた。

 初めて会った時に言われたことを思い出し、今になってようやく意味を理解した。


()()()って────そういうことだったの!?」


 ちっとも家に帰してくれないと思っていたけれど、そっちの意味の〝おくる〟だったとは……。

 リンは呆れたようにため息をついた。


「今までで役目の期間が最短なのに、お前がいちばん面倒だった」

「私だって殴られたのは初めてだっての!! 謝れ!!」

「断る」

「はあ!? 謝ってよ!!」

「嫌だ」


 リンはそっぽを向いた。


「ああでもしなけりゃ、大人しく引き返さなかっただろう。やむを得ずだ。────ま、川に落ちていなければ、まだマシな連れ戻し方ができたやもしれぬが……」

「やっぱわざとじゃん!! マジありえない!!」


 こんな奴に可愛い時代があっただなんて、信じられない。

 駆け落ちなんて、何かの間違いではないのか。


(くっそー……!!)


 水波盛(ここ)にきてから、だんだん言葉遣いも粗末(そまつ)になっていく自分に悲しくなってくる。

 きっと、リンから謝罪の言葉を引き出すのは無理だ。ならば────、


「じゃあ……お姉ちゃんのこと教えてよ」

「姉……?」

雪花(せつか)っていうんでしょ? 殴ったこと謝らなくていいから、教えてよ」

「教えるといってもここに書かれてるのは────」

「そうじゃなくて!!」


 リンが紙の文字をなぞるのを、手を置いて遮る。


「ほら、どんな子だったかとか……色々思い出とか、あるでしょ?」


 リンは困惑したような、混乱しているような、複雑な表情(かお)をした。


「……なぜ私に?」

「だって……仲良かったんでしょ?」

「────ニシキがそう言ったのか?」


 内緒、と言われていたが、葵はうなずいた。

 リンが怒る素振りを見せなかったからだ。


「────よく知らない」

「いや、嘘つかないでよ」

「……」


 リンは一点を見つめたまま黙り込んでしまった。

 よほど言いたくないのだろうか。

 だが、葵も簡単には引き下がれない。


「────……見せてくれない?」

「なにを……?」


 葵は右手を差し出した。

 自主的に視憶(ちから)を使おうとするのは、これが初めてだ。


「見せてほしい。お姉ちゃんのこと」

「お前が望んでいるようなものはない」

「なんでもいい! 本当の家族のことを知りたい」

「────なにもないと言ってる!!」


 急にリンが声を荒らげたので、びくっと肩がはねた。

 しかし、葵にも知る権利がある。

 意地になってリンの手を掴もうとしたが、すっと一歩後退されて、手は空をかすめた。


視憶(しおく)をそんなことに使うな!」

()()()()()じゃない!!」


 もう一度触れようとするが、また避けられる。


「良くしてやれって言われたじゃん!!」

「お前が見るようなものはない!!」

「姉妹なのに!? 血が繋がった家族なのに!?」


 じりじりと、互いに距離をはかりながら睨み合う攻防戦が続く。

 葵が知りたいのと同じくらい、相手も知られたくないらしい。


「……つらいのはわかる」

「は?」

「その、可哀想だったと思うし……」


 急に息が苦しくなり、背中に痛みが走った。

 遅れて、壁に押し付けられたのだとわかった。胸ぐらをつかまれ、左腕も壁に貼り付けたように拘束されている。

 なぜこうなったのかわからないまま、耳元で声がした。


「そんなに知りたいなら教えてやる」


 目の前に鬼がいる。

 眉間に青筋を浮かべ、今にも喰らいつかんばかりに牙をむく。


「雪花を()()()のは私だ!」


 葵は目を()いた。

 リンは口の端を片方だけ歪めて、奇妙な笑みを浮かべた。


「────ニシキは言わなかったのか?」

「……ど、して……」

「どうして?」


 なにを言う、とリンの声が震える。


「そうしなければならなかったからだ────」


 歯がこすれる、嫌な音がした。


「運の悪い女だった。なにせ、剣を握ったのは初めてだったから……」


 リンの呼吸は乱れ、目はどこか上の空だ。

 普段の冷静沈着さは欠片(かけら)もなかった。


「父上だけは褒めてくださったがな」


 葵の腕を掴んでいる手が、(すべ)るように手に向かっていく。


「そんなに見たいなら見せてやる……苦痛に歪む顔、もがき苦しむ声────お前の姉の最期(さいご)を!!」


 その手が手首にまで迫ったとき、(えり)を掴む手が一瞬ゆるんだ。

 葵はその手を振りほどくと、怒りを利き手に集中させ、渾身の力でリンの頬を叩いた。

 ぱーんと、乾いた音が響いた。

 尋常ではない痛みが腕にまで伝わり、骨が砕けたのかと思った。手のひらの感覚は麻痺(まひ)しているが、ちゃんと動く。

 本気で人をぶったのは初めてで、こんなに痛いものなのかという驚きもあったが、いっこうに怒りは治まらない。


 再び静寂が訪れる。

 リンの表情(かお)は見えない。動く気配もない。

 しばらく、自分の息遣いだけを聞いていた。

 もしかしたら、今ここで斬り殺されるかもしれない、とも思った。が、もうそれはそれで仕方がないと、この時は妙に肝が()わっていた。


「────明日……」


 リンがぽつりと言った。

 声色はやけに落ち着いていた。


「すぐに終わる。痛みもなく、斬られたと気づく間もなく────ほんの一瞬で……」


 葵に向けられた顔は、どこまでも虚無であった。


「今はもう慣れている」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ