鬼の子
「あい……あの人が? まさか……」
あいつ、と呼びそうになって慌てて言い直すが、つっこまれることはなかった。
ニシキは懐かしそうに語りはじめる。
「まだ九つだったかな。初めて授かったお役目が、当時七つになる巫女のおくり子だった」
ほんのまだこれくらい、と腰の位置に手をかざして、ニシキはくすりとわらった。
「巫女と逃げようとしたんだ」
葵は思わず「ええ……!?」と声をもらす。
「駆け落ちってやつさ。大人でも深入りする事が稀にあるくらいだから無理もない。────かわいいだろう?」
意外すぎる。あんな鬼のような奴でも、そんな純粋な時代もあったのか。
今の印象からは全く想像もつかないが、十年前ならまだ子供。間違いがあってもおかしくないといえば、そうなのか……。
「けれど、社じゃあかわいらしいでは済まされない。相手は巫女だ。それも君と同じく、災蝕を止めるための重要な巫女だった」
「まだ、子供なのに?」
「関係ないよ。巫女は〝供物〟なんだから」
こんな言い方したくないけどね、とニシキはつけ足した。
葵はいちるの希望を抱いて、恐る恐るきく。
「……それで、どうなったんですか?」
「無論、逃げられるはずもない。森で捕まり、連れ戻された」
「かわいそうに……」
「国の者たちはそうは思わない」
葵が呟くと、ニシキがすかさず否定した。
「今日まで幸せに暮らしていた家族が、隣にいたはずの愛しい人が、明日には病にかかり死ぬと思えば、笑って許せるものじゃあない」
そんなことを言ったって、どっちの命が重いだなんて、決められない。
「それで……?」
「儀式は、予定通り行われたよ」
葵の希望はたやすく消される。水波盛に来てから、希望は踏みにじられてばかりだ。
ほんの小さな子供ですら犠牲になる現実に、胸が痛む。
「父上はそれをリンへの罰としたが、神官のほとんどが納得しなかった。神子だから贔屓されたのだとね。父上はこの件について他言無用とされたが、いまだに根に持っている奴も多い」
「だからさっきの会議であんなに……」
ニシキ派の神官達がやたらリンに噛み付いていたのはそういうことだったのか。
けれど、もう十年も前の出来事。いつまでも引きずるのはどうかと思う。
今回ばかりはリンに同情せずにはいられない。
「本当に大変なのはその後だ」
当時の光景が見えているのか、ニシキはうつろな目で表情を曇らせた。
「リンはすっかり塞ぎ込んでしまった。意味の無い悲鳴をあげるばかりでまともに口もきけやしない……気が狂うってああいうことだね」
葵は言葉が見つからなかった。
「────だから僕が社に呼ばれたのさ。父上も諦めていたんだろうね」
「自分の子供ですよね?」
「そうだよ。それと同時に神王でもある。父上は公私混同はしない、相手が誰であろうと等しく厳しいお方だ」
「だからって────……」
それでも血の繋がった我が子を見放すなんて、親のすることとは思えない。
「皆が諦めていた。楽にしてやった方が良いんじゃないかとさえ言われていたよ。────だけどある日、悲鳴がぴたりとやんだんだ」
ニシキは手で口を覆って、うつむいた。
よほど衝撃的だったのか、わずかに手が震えている。
「────驚いたよ。まさかあの状態から持ち直すなんて……」
少しだけ間があいた後、ごめん、と謝られた。
ニシキはなんとか平常心を保つと、話を続けた。
「姿を見せたリンはまるで別人だった。頭は真っ白になっているし、目付きなんか子供のそれじゃなかった」
(あの髪は生まれつきじゃなかったんだ……)
それからニシキは落胆したように肩を下げた。
「あのこの内に鬼を棲わせたのは、水波盛家だ」
そうして今の冷酷なリンが出来上がった。
リンもこの国の被害者だったとは、思いもよらない。
「……ニシキさん、私にそんな話を?」
ニシキはどこか苦しそうに微笑った。
「なんでかな、君が鬼退治をしてくれそうな気がするから、かな……?」
「無理ですよ、そんなこと……」
「そんなことはない!」
ニシキは、リンには内緒だよ、と囁くように言った。
「リンは君を気にしてる」
まさか、と口をついてでた。
そんな素振りはいっさいなかった。そもそも人として扱われていないのに、そんなはずがない。
全く信じない葵に、ニシキは首を振った。
「なんてったって、初恋の子と瓜二つの女子が現れたんだ。気にならないわけがないだろう?」
葵は言葉をつまらせた。
(────つまり、それって……!?)
それを訊ねるよりも先にニシキが答える。
「────雪花。それが君のお姉さんの名前だよ」
「雪花……」
実際、会ったことがないから実感なんかわかない。
死んでしまったことは残念ではあるが、すごく悲しいという感情もわいてこない。
(私もたいがい冷たい人間なのかも……)
ただ、親のこと以上に雪花のことを知りたいと思った。
もやもやと考え込んでいると、ニシキが葵の肩に手を置いた。
「僕は儀式の後に来たから、雪花のことをよく知らない。────リンに聞いてみるといい。素直に教えてくれるかわからないけれど……」
また考えていることが顔に出ていたのか、ニシキは葵の顔色をうかがうなり提案した。
(絶対言わないだろー……)
あのリンが惲薊以外に素直になるなんてことは絶対になさそうだ。
「さ、遅くなるとどやされる。長い立ち話でごめんね」
「いえ……」
ニシキは歩き出したが「それと、いい事っていうのは……」と、思いついたように言って、もう一度振り向いた。
「リンはああ見えて努力家だから、剣の腕は確かだよ」
ニシキがなぜそんなことを言い出したのかわからず、葵は首を傾げる。
「……それがどうしたんですか?」
「ほんの一瞬だよ。────せめて気休めになるかな、と思って」
(────ならんわ!!)
自分の死因が首チョンパだと分かったところで、恐怖と焦りが再び葵の心を満たした。
脱走のチャンスは今夜しかない。
逃げ出せる隙が訪れるまで、せめて怪しまれないようにしようと、ひとり心に決めるのだった。




