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忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
14/32

ニシキ

 こうなったら何がなんでも逃げなければならない。

 紗華(さいか)の言ったとおり、生きてさえいれば日本に帰れるかもしれない。

 葵は(ひざ)のうえで(こぶし)を握った。


「怖い顔をしているよ……まあ、無理もないか」


 そっと、肩に手を添えられた。

 見上げるとニシキが慈愛(じあい)の笑みを向けている。


「教育を受けていない君には、とても(こく)なことだと思う。肝心(かんじん)のおくり子はあの調子だし……さぞひどい目にあわされたろう?」


 ひどい目なんてどころではない。もう散々だ。

 葵は唇を噛んでうつむくと、優しく頭を撫でられた。


「君にいいことを教えてあげる」


 耳元で囁かれて葵はニシキを見た。


「いいこと……?」


 突然、視界が白い幕にさえぎられた。

 強制的に手を離されたニシキは苦笑いを浮かべ、「リン」と呟いた。


「巫女への過剰な接触はさけて頂きたい」

堅物(かたぶつ)なんだから」


 ニシキは笑った。


「優しくしてやるように言われたろう?」

()()()()()だ。それ以上は不要」

「キミのできる範囲(はんい)が狭すぎるんだよ」


 リンがムッと表情を(くも)らせる。

 会議での冷静さは見受けられない。あれは仕事用の顔だったのだろうか。


「だから余計な世話だと言ってる。親の事を教えるのも、私は良い考えだとは思わぬ」

「いいじゃない、それくらい。何も知らされないままだなんて可哀想だろう?」


 楽観的なニシキの態度が気に食わないのか、リンの機嫌はどんどん悪くなっていく。


「こいつは逃げる。親の事を知ったら、なおさらじっとはしていないだろう」

「ずいぶん手をやいてるんだ? キミがねえ?」

「ばかを言うな。その気色悪い顔をやめろ」


 ニシキが可笑しそうに笑うと、リンは早々に切り上げたいらしく、葵の腕を引っぱって立たせた。


「親のことを教えてやる。着いてきなさい」


 自分を捨てた親なんかどうだっていい。けれど(ここ)から逃げ出せたなら、逢うことになるかもしれない。知っておいて損はないだろう。

 一度捨てられたとはいえ、頼るアテは他にないのだから。


 葵がリンに着いていこうとすると、逆の腕をニシキに引かれた。

 すぐに気がついたリンが、獣の(うな)るような声を出した。


「……どういうつもりだ?」

「その前に、巫女様を南棟(みなみとう)にお(まね)きしたいんだ」


 振り向いたリンの眼は血走り、狂気に満ちていた。


「邪魔をするな」


 今にも斬りかかってきそうな威圧に、葵は後ずさる。

 場に残っていた神官達が危険を察知し、逃げるように散っていった。


「そ、そんなつもりはないさ!」


 ニシキは慌てて両手をふった。

 争う気がないことを示しながらも、さり気なく葵を背後に隠す。


「この()、すごく怖がってるんだよ。でも明日には儀式だし、今しか話す時間がないんだもの。ちょっとだけ貸しておくれよ、悪いようにはしないからさ!」

「怖いのはどの巫女も一緒だ。それに寝間着(ねまき)で村をうろつくような奴、そんなタマでもないだろう。あまやかすな」

「また女子(おなご)にそんなこと言って……」

「巫女は女ではない。〝供物(くもつ)〟だ」


 つまり人ですらない、と言いたいのだろう。

 今までの雑な扱いはそういうことだったのだ。

 これにはさすがに腹がたって、文句を言おうとしたところを、ニシキの手にさえぎられた。


「だけどリン、物心がつくまえから教育を受けているのと、昨日今日でいきなり言われるのとでは心持(こころも)ちも違うだろう?」


 ニシキが穏やかな口調で(さと)すが、それでもリンは(きび)しい眼差しを向けている。


「頼む、僕に任せてほしい。結果的に、キミのためにもなる。兄弟なんだし、協力させておくれよ……ね、いいだろう?」


 ニシキはリンの手を両手で包むと「ね、お願い!」と繰り返してごり押しした。

 グイグイと詰め寄られて、リンの顔が引きつっていく。


「寄るな」

「じゃあ、任せてくれる?」


 リンはしばらく苦しげな顔をしていたが、ニシキの手を払い除けると諦めたように深く息を吐いた。


「……一刻だけだ。だが南棟に連れていくは許さない」

「え? 駄目?」


 ぽかんと聞き返すニシキを、リンが呆れ目で見やる。


「当たり前だ。盛りのついた猿の(おり)に入れるような真似(まね)ができるか」

「うっ、言い返す言葉もない……」


 会議での一件をつつかれて、ニシキは言葉をつまらせた。

 しかし、なんとか食い下がろうと頑張っている。


「けれど、さすがに巫女に手出しする莫迦(ばか)はいないよ」


 リンは断固(だんこ)首を縦には振らない。


「本殿の居室を使え。のめないならこの話は無しだ」

「わかった、じゃあそれで! ありがとう、リン!!」


 ようやく落としどころが決まり、ニシキは満足げに両手を広げた。────が、待てどもその胸に飛び込む者はおらず、(さみ)しげに背中をまるめた。


「話が済んだら書庫に連れてこい」

「うん。髪でも染めて待っていてよ。また父上に叱られてしまうし」


 リンは仏頂面(ぶっちょうづら)で、髪を一束つまんだ。


「……どうせすぐに落ちる」

「僕はその髪色の方が好きだよ」

「染めるか……」

「褒めたのに!!」


 リンが無愛想なのは既に心得ているが、ニシキにはさらに厳しいように見える。

 しかし兄はめげない。そっぽを向く弟をどうしても構いたいらしい。

 だが、一方では反応を楽しんでるようにも見える。

 仲が良いのか、悪いのか……。


「そろそろ兄上(あにうえ)って呼んでも──」

「断る」


 リンは即答すると、これ以上関わりたくないのか、兄には目もくれずに行ってしまった。


 さっきよりも深く項垂(うなだ)れるニシキを、葵は若干(じゃっかん)引き気味で見やる。

 本当にこの男について行って大丈夫なのか……不安だ。


「……じゃあ、行こうか……」

「は、はあ……」


(なんなんだろう、この人……)


 滂沱(ぼうだ)の涙を流しているニシキに、かける言葉が見つからず、そろそろと後ろを着いて歩いた。



***



「……あの、大丈夫ですか?」

「うん? ああ、いつものことだよ」


 廻廊(かいろう)を渡りながら、そっと声をかけた。

 ニシキは目じりに残った涙を(ぬぐ)うと、へらっと笑って答えた。


「僕が(ここ)に来てもう十年になるけど、リン(あのこ)、なかなか(なつ)いてくれなくてね……」

「一緒に育ったんじゃないんですか? 兄弟なんですよね?」


 ニシキの笑みに苦さが混じった。


「リンの母君(ははぎみ)正室(せいしつ)の奥方。僕は側室(そくしつ)の子供なんだ。義兄弟(きょうだい)はもっといるけれど、みな離ればなれさ」

「今どき一夫多妻なんですか」

「子は必ず育つとは限らない。いつどうなるかわからないから、できるだけ子を()すのも当主の(つと)めだろう?」

「そういうものですか……」

「君の国は違うのかい?」


 葵はうなずいた。


「普通は一人です。浮気しようものなら大問題ですよ。……もうそれは、めちゃくちゃですよ」


 言いながら、完全に自分の事を話しているようでいたたまれなくなった。

 養父のしていることは間違っていることなのに、この国では成立してしまうのだから、常識とはおかしなものである。


「……それは、大変だったね」


 ニシキが(いた)わるように言った。面倒見の良いお兄さんという印象を受ける。

 なのに、なぜリンが突っぱねるのか、葵にはわからない。

 こんな優しい兄がいるなんて、羨ましいかぎりだ。


(やっぱ、あいつの性格が曲がってるんだな)


 ニシキは廻廊(かいろう)の途中で足を止め、手摺(てすり)に手を置くと、どこか遠くを眺めた。

 葵も同じ方を見る。

 この社は、景色だけは別世界のように美しく、唯一好きなところだ。

 水面(すいめん)が鏡のように、月と(やしろ)を反転して映し出している。一面に散らした星があちこちで輝いて、ため息が出るほど綺麗なのに、葵はなぜだか(むな)しくなった。

 じっと見つめていると、まるで時間が止まっているようで、自分の命のカウントダウンが(せま)っているのを忘れそうになる。

 下を見るともう一人の自分と目が合った。

 そっちに行けば何の心配もせずにすむのだろうか。

 けれど、向こう側の自分も同じく苦しげな顔をしているのを見ると、そんな想像も気休めにはならなかった。


「どうして神王(みわおう)と呼ぶか知ってるかい?」


 葵は首を横にふった。


「いえ……」

「神の王と書いて〝神王(みわおう)〟。文字通り、(まつりごと)神事(しんじ)を管理する最高責任者であり、神に一番近い存在として、そう呼ばれるようになった」


 葵は答えなかった。

 無宗教の葵からしたら、バカバカしいと思ったのもあるし、人間が神に近づけるわけがない、という否定的な考えもある。


「すまない。儀式を止めることはできない」


 初めてニシキの深刻な声を聞いた。

 急にそんな言い方をされると、現実味が湧いて苦しくなる。


神王(みわおう)の言うことは絶対。従わないことは、神に背く行為と同じ 」

「……神なんかいない」


 ニシキはわずかに目を見開いた。

 その発言は反逆(はんぎゃく)にあたるのかもしれないが、人柱(ひとばしら)になる葵には関係のないことだ。


水神(すいじん)様は、たしかにおられるよ」

「私が死んだって、病気はなくならないし、バケモノもいなくならない。何もかわらないんです!!」


 ニシキの表情に陰りが出る。


「それは、(けが)れを見てないから言えるのさ」

「私はこの国になんの愛着もない。好きでもない国のために命は張れません!!」

「……それもそうだね」


 ニシキは水面に視線を落とした。

 その哀愁(あいしゅう)(ただよ)う横顔を見ながら、葵は紗華(さいか)から聞いたことを思い出していた。

 儀式を逃れる方法は一つだけある。が、それは葵にとって、とても容易にできることではない。けれど、死ぬことに比べればその方がマシに思えた。

 頭の中で、天秤(てんびん)が激しく揺れ動く。

 決断出来ないのは、ほとんど羞恥心(しゅうちしん)が皿を揺らしているせいだ。


 葵が身の内で葛藤(かっとう)していると、そうとう(ひど)表情(かお)をしていたらしい。

 ニシキは葵を見るなり、突然ふき出した。


「な、なんですか!?」

「はははっ……いや、すごい顔をしているから、つい……」

「────すごい顔って……」

「いやすまない」


 ニシキは朗らかに笑うと、支柱に背を預けた。

 目が合う。

 なくはない、と思った。

 初対面とはいえ、ルックスも性格も申し分ないし、変な男に触られるよりは断然いい。


(────死ぬよりは、マシだ)


 考えている事が顔に出ていたのか、ニシキがまた笑いだしたので、葵は罰が悪くなった。

 

「ありがとう。とても光栄だよ」

「何も言ってませんけど……」


 ニシキはまるでお見通しとでも言いたげに、首を振った。


「みな考えることは同じさ。資格を捨てようとした巫女は決して少なくはない。追いつめられると、人はなんでもするから。────あと、君は顔に出やすい」


 ギクリとする。

 バレていた。死ぬほど恥ずかしい。


「その通りだよ。男と(まじ)わると巫女の力は失われる。けれど、二人ともタダでは済まない。言ってしまえば、ただの心中(しんじゅう)にしかならない」


 改めて言われると生々しい。

 ニシキは困ったように眉尻を下げた。


「助けてあげたい気持ちは山々なんだ。だけどごめんね、僕には心に決めた人がいるから──。それにまだ首も繋がっていたいし」

「────で、ですよねえええ!! すみません!! 本当すみません!!」


 熱くなる顔をおさえながら、高速で何度も頭を下げる。

 告白する前からフラれるってこんな感じか。いや、それはもう経験済みだが、下心となるとこんなに恥ずかしいものなのか。羞恥心(しゅうちしん)だけで死ねそうだ。


「……でも、なんでそんなに重い罪なんですか?」

「多くの民の命を犠牲にするようなものだからね。みな(ひと)しく死罪になるのは当然」

「そんな……」


 じゃあやっぱり死を待つしかないのだろうか。



『それは、他者を犠牲にしてもですか?』



 紗華(さいか)が言っていた意味をようやく理解した。

 資格を捨てられても、自分も相手の男も死罪。

 死罪をまぬがれても、大勢の人々を見殺しにする。

 自分が助かる代わりに、必ず誰かが死ぬことになる。


(────そんなこと言ったって……!!)


 再び紗華(さいか)の言葉がフラッシュバックする。



『ですから────』



 葵は恐ろしさで身震いし、勢いよく頭を振った。

 無性に紗華(さいか)に会いたくなった。

 会って、話したい。紗華(さいか)なら全てを受け入れてくれる気がする。



「まあでも、リンは別かな」


 頭を抱えていると、ニシキがぼんやりと言った。

 葵は純粋(じゅんすい)に疑問に思って訊ねた。


「……どうしてです?」

神子(みわこ)だからね。跡継ぎを失うわけにはいかないだろう?」


 逆に言えば、あいつはやりたい放題ということか。だからあんなに理不尽なのか。

 まあ、あの融通(ゆうずう)の利かない堅物(かたぶつ)が規則を破るとは思えないけれど。


「僕が(ここ)に呼ばれたのはね、リンの代わりとしてだったんだよ」

「代わり?」

「リンが、使い物にならなくなった時のため、と言った方がいいか」


 ニシキにしては嫌な言い方をする、と思った。

 が、自嘲気味に笑うのを見ると、本心からではないのがわかる。思いとは裏腹に、大人たちの圧力があったのだろう。

 ニシキは少し迷ったような素振りを見せると、重たげに口を開いた。


「────十年前、リンは大罪をおかしたんだよ」

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