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忌巫女の国士録  作者: 真義える
水波盛
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襲来

 子を抱いた物乞いの女や、ずっと力なく座り込んでいた者も散り散りになって逃げ出した。

 道の真ん中で親とはぐれた子供が泣いている。けれども誰も、他人を庇う余裕はない。


 中心部の方からは鐘の音が忙しなく鳴り続けている。おそらく、この国での警報なのだろう。

 葵は、川に浸かったまま動けずにいた。目の前の妖獣から目を逸らせない。少しでも動いたら丸呑みされると、本能が告げている。

 なんとか川から上がらなければと、少しずつ後退していく。緩やかに流れる川の色が濁っていることに気が付いた。木屑(きくず)に混じって生活用品や着物なども流れてくる。

 とん、と重みのある塊が葵の腕にぶつかった。

 葵はそれを柔らかいマネキンだと思った。それが幾つもぷかぷか浮かんで流れてくる。五体が揃わず、不完全なものも少なくない。なんともシュールな光景だった。

 葵はそのうちの一体を目で追っていた。見慣れないものを受け入れるまで時間を要したのだ。

 すぐに死肉の匂いがつんと鼻をついて、ようやく川を染めているものが何なのかを理解した。


 恐ろしさのあまり、悲鳴をあげるまで自分を狙う妖獣のことをすっかり忘れていた。

 気づいた時には獣の口が目前に迫り、葵の頭を吸い込もうとしていた。


(────死……)


 それを本当の意味で理解したと同時に、視界が暗転した。

 人生の終わりには走馬燈が見えるというが、あれは嘘だ。葵には見えなかった。死に際に見せる程の内容などなかっただけかもしれないが。

 しかしすぐに視界が開けた。その先には鮮やかな血が降り注ぎ、胸焼けをおこすような生臭さに嘔吐した。


(た、食べられたかと思った……)


 確かに喰われたのだが、通り道だったはずの鳥の(くび)はスッパリと斬り離され、赤黒い断面が葵の方を向いて転がっていた。


「本殿から出るなと、言ったはず」


 やけに落ち着いた声がした。この地獄絵図のような惨状に似つかわしくないのに、妙にしっくりくる。

 けれど、今は一番聞きたくない声だ。


「──リン……」


 辺り一面の赤色では充分すぎるほど目立つ配色だ。

 片手に握られた刀から獣の血が滴り、真っ白な水干(すいかん)についた返り血が生々しい。

 リンは鳥頭の断面から頬に向かって刃を入れて切り開き、葵を解放した。


「どうして……?」

「本殿の周りは断崖絶壁。外へ出る道は正面しかない。それに私が居た書庫からは楼門(ろうもん)がよく見える」


(最初から全部見られてたのか……!!)


 手を差し伸べられたが、罰が悪いのと悔しさで躊躇(ちゅうちょ)してからその手をとろうとした。

 しかし互いの手は重なることはなく、葵は首根っこを掴まれて網に掛かった魚の(ごと)く引き上げられた。

 首が締まって「うぐっ!!」と呻き声を漏らす。


「だから雑なんだって!! なんでそこ掴むの!?」

「巫女には触れたくない」

「人を汚いものみたいに……!?」


 確かに血や諸々(もろもろ)で汚れてはいるが、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。

 不満を眼で訴えるが、相手は気に留める様子もなく、紐の端を(くわ)えて器用に(たすき)をかけている。


(やしろ)に戻るぞ。決して離れるな」

「でもまだバケモノが!!」


 あんな大きな獣を一発で仕留めたなら、襲われている人々を助けられるはず。そこらじゅうで


「それは私の仕事ではない」

「……な、何言ってんの? あんた神子(みわこ)なんでしょう!?」


 耳を疑った。仮にもこの国を納める王の息子から出た台詞とは思えない。


「巫女の命が最優先。大勢を庇いながらお前を護れる程、妖獣狩りは容易ではないよ」

「私はもう助かったから、他の人を──」

「たとえ己の命にかえようとも、災蝕(さいしょく)まで巫女を護り抜く事、それがおくり子の役目の一つ。私とて例外ではない」

「でも人が死んでるのに!!」

「ならばなおさら今は(こら)えろ。お前が災蝕を止めれば妖獣(アレ)もいなくなる。さすれば大勢の命を救えるのだ」


 ピシャリと切り捨てられ、また猫でもつまみ上げるように襟を掴まれた。

 知らない世界で、わけのわからない災害を止めろだなんて押し付けられたって、ただの学生に何が出来るというのか。


(今だって喰われそうだったんだ! ────こんな怖い思い、二度とごめんだ!!)


 立ち上がらせようと引っ張られた瞬間、思いっきりリンに体当たりをすると、不意をつかれたリンは川へ落ちた。


「だから私には無理なんです!!」


 水に浸かったままのリンに捨て台詞をはくと、葵は振り返らずに全速力で退散した。



***



 残されたリンは、受けた仕打ちに胃が沸騰するのを感じていた。


「────おのれ、あの(アマ)……」


 ギリッと奥歯が音を立てる。

 この屈辱は倍で返してやろう。けれど今は、役目を果たさなければならない。


(逃げられやしない)


 リンは自信があった。

 誰ひとりとして、自分から逃げ仰せた者はいない。そしてそれは葵も例外ではないのだ。



***



 きっと今頃、リン(あの男)は怒り狂っていることだろう。次捕まったらきっとただでは済まない。


(妖獣も怖いけど、あいつのがめちゃくちゃ怖い……!!)


 もう捕まるわけにはいかない。

 二度と追いつかれないよう、狭い路地を縫うように駆け抜ける。


 うまく距離を離したはいいが、初めての村で、こうも建物が入り組んでいては、迷子になるのにも時間はかからなかった。さっそく行き場を失うが、それでも目の届く所では人が死んでいる。見たくないものばかりが目につく。


 突然、前方から妖獣が急降下してきたので、葵は咄嗟に伏せた。間一髪、爪が髪を掠った程度で済んだが、代わりに後ろで逃げ惑っていた男が捕まり、空へ攫われていった。もう一匹の妖獣が餌を横取りしようと襲いかかり、上空で奪い合った末に手足が裂け、一番大きな肉塊は喰い損ねる結果となった。


 恐ろしさのあまり物陰に身を潜め、震える体を抱くようにして蹲った。

 耳を塞いでも、人々の泣き叫ぶ声を完全に遮ることは出来ない。

 生身の人間が次々と餌食になっていく。血肉が裂ける耳障りな音が、葵の精神を追い詰める。

 次は自分だ、と死が迫っているのを本能で感じる。

 一度味わった死の恐怖は、確実に胸に刻まれていた。


「嘘だ……こんな、こんなの……」


 こんな惨状を目の当たりにしてようやく、今居る場所が自分の知っている日本ではないことを理解した。


「そこの方! 大丈夫ですか?」

「──いやっ!!」


 突然、誰かに肩を掴まれ、反射的にそれを振り払った。完全にパニックを起こしていた。

 顔を上げると、同じ年頃の少女が、心配そうに葵の顔を覗き込んでいる。着ている着物は色褪(いろあ)せているうえに土埃で汚れおり、裾は(すね)あたりで破れている。

 少女は葵の腕を掴んで立たせると、驚愕したように目を見開いた。上から下、そしてまた上へと視線を移らせた。


「まさか、巫女様──!? なぜこのようなところに!?」

「えっ?」

「ここへ来てはいけません!! 早く本殿へお戻りください!! ここは──!!」


 突如鳴り響いた重厚感のある音が少女の声を遮った。

 おそらく法螺貝だろう。前に観た映画でその音を聴いたことがある。

 すぐに男達の物々しい雄叫びが近付いてきた。


「兵士が来ましたよ!! 安全なところへ身を隠しましょう!!」

「や、やだ!! 戻りたくない!! 早く家に帰りたいの!!」


 引かれた手を振り払い、その場に縮こまった。

 少女が息を飲んで見張っているのが伝わってくる。


「────どこに?」


 顔を上げると、少女はその大きな目で葵を見つめている。驚きというよりも、同情しているような表情(かお)だ。


「どこに帰るというんです?」


 声色には哀愁(あいしゅう)が込められている。


「帰る場所など……」

「私にはある!! お母さんも友達もいるもの!! きっと私を心配してる!!」


 葵は噛み付くように言い返した。

 身の内で渦巻いていた感情(もの)が、(せき)を切ったように溢れ出た。

 少女は口を閉ざし、ただじっと葵を見つめている。


「巫女がどうだとか、私には関係ないし!! 巻き込まないでよ!! 私は帰りたいの!!」


 この少女こそ無関係だというのに、全ての(いきどお)りをぶつける。八つ当たりだ。

 だが、少女は怒るどころか、慈愛に満ちた微笑みを向けている。


「私は、紗華(さいか)と申します」

「……(あおい)

「葵様、素敵な名でございますね」


 紗華(さいか)は周囲を見回したあと、数メートル離れたところに建っている小屋を指さした。耐久性は期待出来ない見た目だが、背の高い家に囲まれていて、あまり目立たない。


「あそこまで走りましょう! 大丈夫です。私がついていますから!」


 同年代の女の子なのに、この状況で落ち着いているうえに、他人(ひと)を気遣う余裕を見せつけられ、葵は取り乱していた自分が恥ずかしくなった。

 上空を伺い、妖獣が通り過ぎた隙に二人で全力で走った。その間も紗華(さいか)は葵を(かば)うように後ろに付いている。

 走ってほんの数秒の距離なのに、とてつもなく長く感じる。


(────もう少し!)


 突如前から突風が吹き荒れ、巨大な鷹が降り立った。驚いて尻もちを着いた葵を飲み込もうと、またあの鋭く大きな(くちばし)が迫る。


「葵様!!」


 悲鳴をあげる間もなく、葵は目を閉じた。

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