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――⑥――

 さて、形而上学的境涯としての思惟が存在の本質に辿り着くこと

のできない幻想であるならば、理性に従って意味のない生存をさっ

さと終わらせるか、それとも形而上学的境涯を棄てて生成としての

世界へ転身することが迫られる。しかし、形而上学的境涯から生成

の世界への転回は決して生易しいことではない。それは、まさに信

仰に生涯をささげた者が「神の死」を知っても直ぐに信仰を棄てら

れないことと似ている。そこでニーチェは、形而上学的境涯がニヒ

リズムに陥って「没落することがないようにするために芸術をもっ

ている」と言う。つまり形而上学的境涯を「生きる意味がない」と

結論して「さっさと終わらせる」ことができない者は、芸術家的境

涯への転身によってニヒリズムから遁れるしかない。では、形而上

学的境涯よりも《価値がある》という芸術家的境涯とはいったいど

ういう境涯なのか?

 ニーチェは生成としての存在の本質は「力への意志」であると言

い、そして「芸術は力への意志のもっとも透明でもっとも熟知の形

態である」と言います。つまり、この世界にとどまる限り、それは

変遷流転する生成の世界であり、その本質は「力への意志」である

とすれば、芸術家の創造的な作業こそが生成の世界、とりわけ「力

への意志」が直載的に反映された行為であると言います。もはやそ

こでは理性による固定化した言葉による認識の「理解」は及ばない

。芸術こそが生成の世界で生きるための価値であるならば、我々は

理性によって世界の本質を確かめることはできない。

そもそも我々が価値を認める近代科学文明社会とは、理性による

科学的認識から生まれた科学技術によって物質文明が発展し、もち

ろん生存のための様々な問題を克服してきたが、しかし、我々にと

って最大の恐怖である「死」から解放されたわけではない。「すべ

ての命はいずれ死ぬ」、そもそもこの受け入れ難い事実を解き明か

そうとして形而上学は始まったが、しかし、科学的認識をもってし

ても存在の本質を解き明かすことはできない。


                         (つづく)

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