7th Lap.立ち塞がるは二つの壁
《未玖、樹里、タイム差はゼロコンマゼロニ。共に三分十七秒を切って、未玖は現時点で全体のベストラップ。二人とも、ナイスラン。まだ少し時間は残ってるけど、この周でピットインにしよう。最後は軽く流して上がってくれ》
「了解です」
《……了解です》
ピットからの指示に従い、他のチームの邪魔にはならないようには気をつけつつ、コースを流す。ダブルヘアピンを立ち上がった後は、インを走って、そのままピットロードへ。
「お帰りなさい、二人とも。スラッグを私達に預けたらクールダウンをしておいてね」
ピットガレージへ戻った私達は、そんな奏さんの声に出迎えられ、テストランを終了した。
本日は六月第三週、土曜日。
この週末に行われる第二戦目の舞台は、ここ『オカヤマ・グローバルサーキット』。このサーキットは、二つのストレートを十三のコーナで繋いだテクニカルコース、ということらしい。私にとっては、やたら人の名前が付いているコーナが多いという印象なのだが、それも特色の一つだろうか。
全長は約三千七百メートルで、今年スラッグレースが行われるサーキットの中では一番短い。第二戦の本戦は、ここを八周して雌雄を決する。
第二戦からは予選が無い代わりに、土曜日には各チームおよそ一時間のテストランの機会が与えられる。およそ、というのは、制限時間を迎えた時点でまだコース上にいるような場合に、その周を終えるまでは走行が認められるということで、悪質な超過は本戦の最終タイムに加算が行われるタイムペナルティが与えられるとのこと。
前回同様に午前中が学生に割り振られているが、今回は男子の方が先のスケジュールになっていて、本戦も同様の順番で開催される。
ともあれ、テストランが終われば、宿舎に戻って、お待ちかねの昼食だ。
その後はのんびり、といきたいところだが、頭をリフレッシュするための仮眠二十分を挟んだ後にはミーティングが待っている。
と、いうわけで。
「このデータログを見れば一目瞭然だけど、樹里は未玖の後ろに付いたら走り方がガラッと変わるの。だから、単純にタイムで考えれば樹里は未玖に追従させる作戦を採るべきだとは思うのだけれど、敵の出方次第でいくつかプランを持っておくべきでしょうね」
現在はそのミーティングの真っ最中。モニタに表示されたグラフを見ながら、まずは茉奈さんが考えを述べている。
表示されているグラフは速度を初めとして、重心の移動やブレ、それに伴う加速減速など。更にコースの位置情報や比較データなど、多岐にわたる。
私もその意味は理解できるけど、茉奈さんや樹里には遠く及ばない。なんでも、彼女たちにはそのデータが実際の走行イメージと直結して“見える”そうなのだ。
すげーなー。それってどんな感覚なんだろーなー。などと、作戦を授けられる側である私が暢気に考えている間にも、話は進んでいく。
「その、相手の出方だけど、茉奈なら私達に対してどんな作戦を考える?」
「うーん、私の印象だと、豊加のエースと未玖が速さでは少し他より抜けてるから、ここはマークしたいかな。差が詰まれば、前の方のチームがセカンドを敢えて落として付けてくる可能性も十分あると思う」
「警戒されるのはウチと豊加か……。トップだった新港湾は?」
「データで見る限りでは、彼女たちはあのコースを凄く走り慣れてるって印象だった。その割には最後の方は豊加に迫られてたし、後ろにいる分にはあまり脅威になるとは思えないかな。もちろん、油断は出来ないけど」
「なら、豊加の追い上げを警戒しつつ、どう前を攻略していくか、って感じになるのか?」
「そうね。未玖がごぼう抜きしてくれたら話は早いんだけど、駆け引きの巧さという点では未玖はまだまだだから、そう簡単なことではないでしょうね」
「はいはい! その駆け引きはどうしたら巧くなりますか?」
茉奈さんの指摘した駆け引きという部分は、私自身、他のレースなどの映像を見たりしてもいまいちピンと来てないところなので、先輩方が話し合っているところに、反射的に質問をしてしまった。
「未玖は、理屈で動くんじゃなくて、感覚的に動いた結果に後から理屈を付けるタイプだと思う。だから、とにかく経験するのが近道なんでしょうね。前回の失敗の自己分析は出来てたし、今回もし勝てなくても、今後を考えればチャレンジを恐れない方が良いのかも……」
「なるほど……」
そう言われると、思いつきや閃きで動いた結果を、後からあれこれ考えて理屈づけるという傾向は自分自身あるのかも知れないと思える。自分がそういう人間だと断言できるわけでも無いが。
そう思うと、自分自身のことなのにハッキリ分からなくてストレスに感じる気はするけど、だからこそ、こうして自分のことを分かってくれる、或いは分かろうとしてくれる人がいるということは幸せなことなのかも知れない。なんて、この場とは関係ないことを考えて、ちょっと感動した。
「未玖にマークが付くようなら、それを囮にして樹里に頑張ってもらうというのもありだけど、樹里はどう思う?」
「……私は、独りだと走りながら色々考えてしまって、反応が遅れがちになっているのだと思います。……でも、そうだと分かったからといって、すぐに直すのも、難しい気がします」
「なるほど、未玖の動きのトレースに集中すれば、余計なことを考えなくて済むから動きが良くなるのね。……まあ、自信が無い人に無理矢理に、やれ、なんて言えないし、やっぱり未玖次第か……」
そこで、それまで黙っていた響が口を開いた。
「……ごめんなさい、私が無理をしなければ……」
響は前回のレースの後、それまで以上にトレーニングを頑張っていた。だけど、それが今回は悪い方に転がってしまった。
約二週間前に響が痛そうな仕草をしたのを星野先生が見逃さず、検査した結果、骨にヒビが見つかったのだった。
ただ、痛みを我慢してもっと無理をしていれば、更に酷い結果になり得たわけで、響が今回のレースを回避するだけで済んだのは先生のおかげと言える。星野先生は、台詞は無くても、私達にとって無くてはならない人なのだ。台詞は無くても。
「……片山さん、今、変なことを考えてないかな?」
正に変なことを考えているところに、部屋の隅で静観していた先生が鋭くツッコんで来て、ちょっとドキッとする。
「とっ、とんでもないです、聡美先生。響が大事に至らなくて済んだのは先生のおかげだって、思い返してただけですよ」
「そうね、大事なのはこの反省を活かせるかどうか。幸運にも折れる前に発覚したのだから、謝るよりも感謝して、繰り返さないようにすれば良いの」
「お姉ちゃん……、そうだね、うん、ありがとう」
美しい姉妹愛を前に、我らが顧問の存在感がまたもや薄れていく気がするのはさておいて。
結局、私が頑張りつつ、後はレース状況で判断するという方向性だけ決まり、その後はデータを見ながら個々の走りの修正点などを話し合って、ミーティングは終了したのだった。
フォーメーションラップを終えて、そのままそれぞれのグリッドへ。
順番は前から、浜海、平学、白清、浜中、煌女、豊加、新港湾。
まだ梅雨は明けていないが、昨日今日と、この週末の岡山は晴天に恵まれて、絶好のレース日和の中、いよいよ本戦が始まる。
――だが、レースは一周目早々から波乱の幕開けとなった。
第一コーナ立ち上がりから上手くラインを取れなかった新港湾のエースが強引な走りをして、続く第二コーナ、通称『ウィルズ・コーナ』で、アウトからコーナへ向かう豊加のエースに勢いよく追突、ランナに怪我は無かったが、スラッグやACUの破損などで両者リタイアとなってしまったのだ。
これを何とか回避した豊加のセカンドの隙を突いて新港湾のセカンドが前に出るが、新港湾にはピットスルーペナルティが与えられ、その後に戦線離脱。豊加のセカンドも目標を次戦の前方グリッド確保に切り替えたのか、手抜きにならない程度に慎重に走ることになり、こちらも上位争いからは脱落した。
私達は、後方で起きたそんなアクシデントのことを無線で聞きながら、くねくねと曲がる『スター“M”』を直線的にパスして、『アドウット・カーブ』を右へ上り、そしてこのサーキットで一番長いバックストレッチを、じわじわと前との差を詰めながら駆け抜ける。
ただ、前との差を詰めているのは私達だけじゃなかった。ペース的には浜海と平学が、続く白清と浜中よりもやや遅いようだ。
とはいえ、その後のヘアピン、リヴォルヴァ・コーナ、『ヴァイパー・コーナ』、更に、『ブラッドマン・コーナ』と『ハッブズ・コーナ』からなるダブルヘアピン、『マークライト・コーナ』、最終コーナ、そしてメインストレッチと、順位に変動は無いまま一周目は終わる。
二周目は、第一コーナで白清のエース(以下A)が平学のセカンド(以下S)をパスしたのを皮切りに、ヘアピンやダブルヘアピンでも順位の変動があり、浜海A、浜海S、白清A、平学A、白清S、浜中A、平学S、浜中S、私、樹里、豊加S、新港湾Sという順位でコントロールラインを通過した。
三周目でも第一コーナで白清Aが浜海Sを抜き去り、首位に肉薄。浜海と平学は焦りからかミスも出て更に順位を下げる展開になり、白清A、白清S、浜中A、浜海A、浜中S、私、樹里、浜海S、平学A、平学S、豊加S、新港湾Sと大きく順位を入れ替えて四周目へ。
そして四周目。ここで、茉奈さんが想定していた事態の一つが現実になる。
まず、白清Sがヘアピンで肉薄してきた浜中Aを抑えるのをダブルヘアピン一つ目で早々に諦め、あっさりとオーヴァテイクを許した。
その時の白清Sのラインを変えた動きが気になったのか、浜海Aはここでもミスをして、浜中Sと私達が前へ。
そして、ここから白清Sと浜中Sが申し合わせたかのように、揃って私達を前に出さないような走りを始めたのだ。
一人でも面倒なのに、二人のマークを同時に相手取るのは余計に難しい。五周目、アドウットでアウトから仕掛けるようなそぶりを見せてみたが、明らかにこちらのブロックを優先しているように動いてきた。
せめてもの幸運は、この二人のペースも決して遅くは無いことだろう。
《浜海エースは後方少し離れて、差はむしろ少し開いてる。前に集中して、焦らずにチャンスを窺っていこう》
そんな無線がピットから送られてきた。
「前はどうなってます? 浜中はまだ見えてますけど」
《白清エースはちょっといいペース。少しギャップを広げてる。浜中エースは未玖達の前の二人とそんなに変わらない。その二人さえどうにか出来ればまだ十分追い抜ける》
「了解」
とは言ったものの、その、二人をどうにかする、というのが難しいから困ってるわけで、簡単に言ってくれるな、という気持ちも少しある。
このまま六周目に入ってしまうと、流石に焦るなという命令も守るのが難しくなってくるかも知れない。
どうやれば、私は、この二人を上手く抜けるだろうか? ――そう考えたところで、閃いた。
「樹里、聞こえる?」
《……どうしたの?》
「次の周で私がまたアトウッド辺りであの二人を引き付けるから、その隙に樹里が先に行っちゃって」
そう、私が無理なら、樹里がやればいい。
《……え?》
《いや、それが難しいって話を昨日してただろう?》
「いやいや、真智さん。樹里は私の動きをなぞるのは上手いでしょ? そして、樹里は茉奈さんと同様にデータだけで実際の走りを想像できる。だったら、レースゲームの……ゴーストでしたっけ? あんな感じで私のイメージをコース上に想像して追いかければいけますよ。樹里なら大丈夫ですって」
《また突拍子も無いことを……。うーん、樹里、どうだ?》
《…………やってみます》
私達の作戦は、決まった。