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6th Lap.弱いは今日までの私であるように

 ウェットコンディション。――その呼び名の通り、サーキットの路面が濡れている状態のこと。

 その状態では、タイヤがグリップを失いやすく、転倒を始めとしたアクシデントが起きやすい。

 本戦の行われる日曜日、朝から降りしきる雨に、決戦の舞台であるモートポリスは全域が完全なウェットコンディションとなっていた。


 奏さん達も、こういった状況を全く想定していなかったわけではなく、シミュレータではそういった状況での走行練習も行ってきた。

 だが、幸か不幸か、これまで私達が実際に走る練習の時は、一度も雨に降られたことはなかったのだ。

 練習コースの一部を濡らして、レインタイヤを試したことはある。でも、その程度だった。

 私には、走れば水しぶきが舞うようなウェットコンディションでの経験が、無い。

 響や真智さんは、私に比べればその経験がある。

 私よりは真智さんの方がこの状況に対応できるのではないか、と一瞬考えたが、レース前にはランナのメディカルチェックが義務づけられている。正当な理由無しに出場ランナの交代は出来ない。

 結局、押し殺しきれない不安を胸に抱えたまま、私が、ぶっつけ本番で挑むしかなかった。


 セーフティカーによる先導で、コースをゆっくり一周する。

 初めてのレースが雨の中で行われることになった上、オープニングを飾るのは学生達だ。雨量は少し落ち着いて、今は大降りというほどではないが、念のためということだろう、フォーメーションラップではセーフティカーが先頭に立つことが急遽決められた。

 レインタイヤの性能は申し分ないようで、時速六十キロにも満たない速度で走る分には、下り坂でもヒヤリとするようなことは全くなかった。

 肩のACUの外側に付いているライトは前方数十メートルの地面を明るく照らし出しているが、その距離では第一コーナやジェットコースタ・ストレートの終わりなどは見えてからブレーキングするのでは間に合わないかも知れない。今は先が見通せないほど暗いわけではないが、もし雨がまた酷くなったりしたら状況は変わるかも知れない。しっかり距離感を頭に叩き込んでおかないと。

 そんな感じで、各々が濡れたコースでの感触などを確かめながら走り、全員が問題なく最終コーナへ差し掛かる。

 セーフティカーはピットへと戻り、私達は指定のグリッドへ。

 いよいよ、戦いが始まる。

 不安は、まだ心の中にある。

 だけど、期待も、覚悟も、闘志も、一緒にそこある。

 だから、恐れは、無い。


 シグナル点灯。

 レッドシグナルが増えていき、そして、消える。と同時にスタート!

 私達から見える範囲では、自分達も含め、ミスのないスタート。

 全員がコーナに備えてアウトに寄っていくが、水しぶきが後ろへ舞うため、あまり前のランナには接近できない。ACUでは細かい物ならともかく、大粒の水滴までは防ぎきれない。シールド表面は撥水性だし、ワイパも付いているが、好んで真正面から受けたいものではない。


 一周目は大きな動き無く終わる。どこも前に引き離されないように気をつけながらも、難しいコンディションで慎重になっているようだ。

 そして二周目、最初に動いたのは、私だった。

 前のランナが巻き上げる飛沫は、思ったよりも視界の邪魔をしないと感じた。なので、第二ヘアピン後の下りで前との距離を詰めた。

 60R、90Rと、離されないように付いていくと、豊加のセカンドは80Rで私が狙うオーヴァテイクラインを塞ぐように位置取るようになった。

 ならば、と、エースの後ろにぴったり付けるように動くと、そのセカンドは判断に迷ったか、次の60Rで外側に膨らんだ。

 そこで私は、今度は私がそのセカンドの妨害を妨害してやろうと、豊加のエースとセカンドの間に割り込んだのだが、その判断が迂闊だったのかも知れない。

 50Rを右に曲がる時、ふっ、と、外側の踵が“抜けた”感覚がした。

 ――後から考えれば、上り勾配で、前と内側に重心を傾けている状態で、一番荷重のかかっていないのがその部分だ。ましてや、路面はウェットコンディション。そうなることも充分に想定できたはずだった。私はもっと慎重になるべきだったのだろう。

 それから私は、遠心力に負けて外側に滑り、そして、転倒した。

「ごめん! 響、大丈夫!?」

 すぐに無線を入れる。

《大丈夫。私も含めて誰も巻き込まれてないよ》

 良かった。最悪の事態は免れたようだ。

「了解、すぐ追いかける!」

 幸い、コーナで速度は落ちていたし、縁石が私の身体を止めてくれたので、コースアウトは免れている。私は響とピットへ無線を入れながら、最後尾にさほど離されずにレースに復帰した――。



 私の前で、未玖が仕掛けた。

 80Rの後、60Rへの侵入のタイミングだった。

 この後も、50R、40R、50Rと、コーナが続くタイミング。未玖の仕掛けを止めるために無線を入れようかどうか、一瞬迷った。

 でも、その一瞬の逡巡の間にはもう、未玖は豊加のセカンドが開けたスペースへ入り込む動きを始めていた。

 そして、そのすぐ後に、転倒してコースの外側へ滑っていったのだった。

《ごめん! 響、大丈夫!?》

「大丈夫。私も含めて誰も巻き込まれてないよ」

 未玖は豊加のセカンドのすぐ前を滑っていったが、そのセカンドが恐らくは未玖の後ろに下がってからそのインへ入ろうという動きだったため、未玖の動きとクロスするようにして接触の難を逃れていた。

 私も、未玖が下りストレートでペースを上げたタイミングで少し距離が離れたままだったため、巻き込まれる心配は無かった。

《了解、すぐ追いかける!》

 続いて未玖からの無線。どうやら大事ないようだ。

《こちらピット。モニタでは未玖のスラッグにダメージは無し。但し、万が一を考えて、響は無理はしないで良い。前の奴らにもこういったアクシデントがあるかも知れないから、そのチャンスは虎視眈々と狙って集中》

「響、了解です」

 万が一、とは、未玖のスラッグに不具合が生じてリタイアする事態だろう。そこで私も無理をしてリタイアになってしまえば、次のレースでは最後尾スタートになってしまう。

 これは、ポイントで有利なチームがわざとリタイアして、その次でポールポジションスタートを狙うような作戦を防ぐためのもので、無気力走行と判断されても同様の処分が下される。この対応は必要だと思うし、そのルールがあることは仕方ない。

 でも、仕方ないと分かっていても、いざこういう状況になると、不満に感じる気持ちが湧き上がってしまう。

 そして、未玖がしっかりしていれば、という不満まで湧き上がってきて、同時に、そう思う自分への自己嫌悪が始まる。

 そんな負の感情の連鎖を自覚して、心の中で頭を振る。

 今はレースに集中しないと。それこそ要らぬ事故の元だ。

 そう自分に言い聞かせて、走ることに神経を集中させた。


 三周目、ジェットコースタ・ストレートをパスした辺りで無線が入った。

《第二ヘアピンで平学エースがバランスを崩して後ろが詰まったタイミングで、未玖が一気に抜き去った。響、ポジション・ファイブ。未玖、ポジション・テン》

 ……やっぱり未玖は凄い。そう思うと同時に、だったら何で――、そんな嫌な気持ちがまたも湧き上がってきて、無理矢理思考を切り替える。

《響にもチャンスはあるかも知れない。焦らず、無理せず、集中だ》

「了解」

 恐らくは先頭の新港湾も慎重になっているのだろう。後ろを引き離すどころか、豊加との差は詰まり、そして私もその先頭集団とさほど離されてはいない。真智さんの言ったとおり、チャンスはあるかも知れない。

 そう、その時にチャンスをモノにするためにも、私には余計なことを考えている余裕なんて無いんだ。


 五周目に入ってすぐ、事態が動いた。

 第一コーナへの侵入で豊加のエースが仕掛けた。そこで、恐らくは反射的に取ってしまった行動なのだろうが、新港湾のセカンドが手を出してしまったのだ。

 接触は僅かだったようで、豊加のエースは大きくバランスを崩すことなくそのまま走行を継続したが、慌てて手を引っ込めた新港湾のセカンドがバランスを崩し、豊加のセカンドを巻き込んでクラッシュした。

 私はそれを横目に、三番手に上がることになった。

 そして、そのまま走って、第一ヘアピンに差し掛かるところでピットから無線。

《第一コーナで白清のセカンドをパスした未玖が、240R辺りから白清のエースとサイド・バイ・サイド。50Rのブレーキング勝負で前に出て、ポジションアップ。響、ポジション・スリー。未玖、ポジション・シックス》

 ――また、心の中にモヤモヤしたものがあるのが分かる。だから、考えない。言葉にしても、良いことは無いから。

《残り一周半。最悪でもこれをキープしよう》

「了解」

《了解です! 諦めませんけど!》

《いや、未玖。それ、了解して無くない?》

《いいえ。響なら大丈夫だって信じてますから。だから私は無茶できるんです》

《……ま、未玖はそういうヤツだな。ピット、了解》

 ――私は、そんな……。

 胸の中のモヤモヤは、また別のモノが混じり合って、グチャグチャになる。

 そんな感情に、訳も無く、叫びたくなる。

 だけど。

 ――響なら大丈夫だって信じてますから――。

 その言葉は、裏切れない。裏切りたくない。

 そんな想いが、衝動のように胸に湧き上がって。

 私はこれまで以上に目の前に集中出来ていく自分を感じていた。


 ファイナルラップ。

 思っていたよりも苦しいと感じる。

 スラッグはモータスポーツだけどほぼ全身を使って操縦するので、パワーアシストがあるとはいえ、三十分にも満たないレースでも体力的には楽じゃない。

 本番という緊張感も影響しているのかも知れないけど、練習はちゃんとこなしてきたから大丈夫だと、甘く見ていたかも知れない。

 でも、今は諦めたくない。逃げたくない。歯を食いしばって、走る。

 そして――。

 最終コーナを立ち上がる。

 チェッカーが、振られる。――私の、前方で。

 私の初めてのレースは、三着で終わった。


 ――お姉ちゃんがメカニックなら、私がそれに乗って、優勝してあげる!


 ゴールした後、呆然と立ち尽くしながら、ふと、そんな昔の自分の言葉が思い出された。

 それは、幼い頃の夢。

 それは形を変えて、スラッグでランナとして勝つことが、私の夢になった、はずだった。

 そのことを、今になって、思い出した。

 今の今まで、忘れていた、そのことを。

 ――トン。

 背中のバックパックに何かが乗せられる重みを感じた。そして、私の二の腕の辺りを、そっと掴まれた。

《……ううっ……。ごべん……、ひびぎ……。ぐずっ。……ごめんね……》

 接触回線から聞こえる未玖の声は、嗚咽交じりに――ううん。嗚咽の中に、言葉を絞り出して。

 未玖は、泣くほどに、悔しいんだろう。

 私は、何で、泣けないんだろう?

 そう思って、考えて、そして、理解した。

 ――そうか、私は夢を、忘れてたんじゃない。思い出さないようにしてただけだ。

 未玖は、私よりも後からスラッグに触れたのに、あっという間に速くなって、エースになって。

 きっとそれが才能というモノなんだろうと、私は自分を納得させて、夢を諦めようとしてたんだ。

「未玖の中学時代の努力は、彼女の望む形では報われなかったようだけど、おかげで私達にとっては望外の贈り物になったみたいね」

 いつだったか、お姉ちゃんが言っていた言葉を思い出す。

 そうだ、未玖だって才能だけでエースになったわけじゃない。

 負けたら、悔しくて泣かずにはいられないほどに、努力をしてきたんだ。

 なのに私は、その事実からは目を逸らして、才能のせいにして、きっと、私の夢が叶わないことを、未玖のせいにしようとさえしていた。

 そこまで思って、また、理解した。

 ――私は、ただ、不貞腐れていただけだ。

 どうせ自分では、未玖に勝てない。夢なんて、叶えられない。きっと、心のどこかで、そんな風に考えていた。

 そして、負けたら悔しくて泣けるほどの努力を、知らず避けていた。

 できる限りの努力をしてもなお、夢に届かないことを思い知らされるのが、恐かったから。

 ごめん、って、謝らなきゃいけないのは、私の方だ……。

 だけど、それは言葉にしなかった。

 今私が言うべき事は、それじゃ無いと思った。

 自分の不甲斐なさを自覚して、認めて、受け入れて。それから自分は、どうしたい? どうなりたい?

 ずっと先のことは分からない。でも、今この瞬間の答えは、すぐに見つかった。

 ――私は、私を信じると言ってくれたこの友人の隣に、胸を張って立っていたい。それが出来る自分になりたい。

 だから。

「……未玖。私、強くなりたい。ううん、もっと強くなるね」

《……響……。ぐすっ。……うん。……私も強くなる。もっと強く、もっと速くなる。きっと、みんなと一緒なら出来るから》

「一緒なら……。うん、そうだね。……一緒に、頑張ろうね」

 未だ雨が降り続ける空を見上げる。

 ――さっきまでこの空のようだった私の心の中には、今は光が差している。

 決意を言葉にして、今はそんな風に、素直に思えた。


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