4th Lap.競うは一蓮托生の仲間たち
スターティンググリッドは、前から、樹里、真智さん、響、そして、私、の順番。これは、先ほどの練習走行のタイムの遅い方から前に並んでいる。
実際のレースでも、初戦と最終戦以外は前試合の順位の後ろから並ぶ、いわゆる『リバースグリッド』方式で並ぶそうだ。ちなみに、初戦と最終戦は予選を行い、タイムの早い順に並ぶ。また、順位に応じたウェイトハンディは、スラッグの操作感に大きく影響する恐れがあるため、安全を優先して見送られたそうだ。
さて、こんな状況になったのは、奏さんの鶴の一声のせいだ。
「予定を変更して、響と樹里も実際に走った後に、四人でレース形式で走りましょう」
私達の試走の後、タイヤをチェックするために戻ったところ、そんな風に言われたのだ。
何でも、私も真智さんも予想していたよりもちゃんと走れていたので、当初のスラッグに慣れるという目的から一歩進めて、本番に近い形での走行経験を少しでも増やした方が良いと判断したそうだ。
その後の響と樹里の走りも問題なかったので、他の練習を挟んでから、変更した予定の通り、試合のように走ることになったのだ。
《勝負は三周。スタートは、フォーメーションラップのプロの先頭がヘアピンカーブに差し掛かったタイミングで行います。私達のラップタイムはおおよそ四分を想定しているから大丈夫だとは思うけど、さっきみたいにスピードを抑えて走っていたらそのうち追いつかれるかも知れないから、厳しいコーナは慎重に、それ以外は今できる全力で。良いかしら?》
「よいでーす」
《うん、分かった》
《ラジャ》
《……了解です》
私達が最後の確認を終えたタイミングで、プロがスタートした。その遠ざかる背中を見送り、自分達のグリッドに付く。
今スタートしたプロは八人。前四人がオープンウェイトクラスの選手で、少し間を開けてスタートした後ろ四人がライトウェイトクラスの選手だそうだ。
プロの試合はその二つのクラスがある。その名の通り、装備無しの重量、つまり体重が無制限と六十五キログラム以下のカテゴライズだ。出力による分類でないところが、モータスポーツとしては珍しいかも知れない。もちろん、スラッグが普及して多様化すれば、レースの在り方も変わっていくのだろう。
あと、他の変わった点としてはその二つの別のカテゴリが同一コース上で、今回のように少しの間隔を開けただけでスタートして行われる点だろうか。日本のGTカーレースで、五百と三百が混走するのと同じようなものと考えれば良い、と教えられたけど、そのレースを知らなかった私は、その後に映像を見るまではピンと来てなかったわけだが。
それはともかく。スラッグも自動車などと同様、軽量の方が加速やタイヤへの負担など有利な点が多いが、ほぼ生身に近い形でレースが行われるため、接触があった場合は体格の良い方が有利だ。そのため、オープンウェイトの方が速度上限をやや高めにして、先にスタートすることになる。学生部門が男女別なのも、体格差を考慮したというのが理由の一つらしい。
ちなみに、クラスに関係なく故意の接触、悪質な接触はルール違反で、基本はピットスルーペナルティだが、場合によっては即失格もあり得る。
とはいえ、周回数の少ない学生部門ではピットスルーも、より致命的なペナルティになる。無茶なオーヴァテイクをして接触があれば、仕掛けた側の反則を取られる可能性があるから気をつけるように、と、注意を受けたのを思い出す。……私だけじゃなくて、みんなに言ったこと……ですよね?
このクラス分けやレース形式、レギュレーションの細部などはまだ手探りな部分もあるため、一部のルールなどにはシーズン中に変更がある可能性もあるらしい。
だから、プロも私達と同様にスタンディングスタートのはずだが、今、プロの人達がフォーメーションラップからそのままローリングスタートの練習を行うのも、万が一の変更に対応するためだという。私達と違って充分な練習時間が取れるからこその取り組みなのだろう。
《そろそろ時間です。集中して》
……おっと、余計なことばかり考えているわけにはいかない。さっきよりも限界に近い走りをするなら、しっかり集中しないと。
シグナルが――点灯。四、三、二、一、GO!!
悪くないスタート。だけど、みんなも出遅れたりすることなく、割と綺麗に揃ったスタートになったのではないだろうか。
加速も、大きな差はない。スタートしたばかりで体力も充分だから、簡単に姿勢が崩れたりはしないか。
ならば、コーナで差を詰める、と言いたいところだが、さっき奏さんに言われるままに直線での急ブレーキや、ブレーキングしながらの旋回などで、いわゆる“タイヤがロックする(グリップが失われる)”感覚を繰り返し経験(転倒)させられたばかりなので、いきなり限界を責める勇気は流石の私にも、無い。
だけどそれはみんなも同じようで、順位に変動こそ無いが、第二コーナの立ち上がりではみんなの距離がちょっとだけ縮まっていた。
S字手前で真智さんが樹里を捉えた。しかし、ここから暫く追い越しは難しい。真智さんも無理をするつもりはないようで、スラッグ二つ分から三つ分ほどの距離を開けて樹里の後ろに付いている。
余談かも知れないが、こういった背後に付いた状況ではACUが自動で動作を変えて、スラッグでもいわゆる“スリップストリーム”の効果はある程度発揮されるのだそうだ。
樹里は大きなミスこそ無いが、やはり真智さんが気になるのだろうか。そして真智さんも、無理に抜きに掛かるわけにはいかないのだろう。響と私はそんな二人との差を徐々に詰めることが出来た。
事態はヘアピンで動いた。樹里が立ち上がりを焦ってストレート外側に膨らみすぎてしまい、少し減速したのだ。
真智さんが立ち上がりの加速で樹里を抜き去る――。
響は元より高校で姉と一緒にスラッグをやるつもりでランナとしての準備をしていたし、真智さんも部員が確保できなかった時はランナ兼任というのは決まっていたことなので、その為の練習もしていた。だから二人とも、研究所で実験機での簡易的な走行やVRシミュレータでの訓練も少しは経験があるという。
私はスラッグ経験こそ無いが、実を結ばなかったとはいえ、速く走るためのトレーニングはやっていたから、体力や筋力的な下地はある。
だけど、樹里はそうじゃ無い。だから、こういう展開になるのも仕方ないのだろう。
――部活が始まったばかりの頃を思い出す。
ちょっとした筋トレでも、樹里は私達と同じメニューはこなせなかった。たった半月でだいぶ変わったけど、それでも追い込むようなトレーニングだとまだ私達と同じようにとはいかないだろう。
一人だけ置いてけぼりにされたように感じたりはしないのだろうか? 辛いと感じて、やめたいと思ったりはしないのだろうか?
少し前、そんな疑問が浮かんで、そのまま深く考えずに聞いてしまったことがある。
樹里は、少し考えた後、こう言った。
「……そういう気持ちも、無いわけじゃ、ないと思う。だけど……、うん、多分、楽しい。私は、……そういうのも全部、それなりに楽しんでるんだと思う」
プログラミングとかが楽しいから他を我慢できるのではないか? そんな私の新しい疑問にも、
「……ううん、他の事も、まだ多分だけど、楽しい。……どれが一番とかじゃなくて……、多分……、うん、それぞれ違う、楽しさ」
そう答えた。
――凄いな。
私はただ、そう思った。
その時私が樹里に対して抱いたのは、尊敬の念だった。
樹里は、私のことが羨ましくて、私に興味を持ってくれたと言った。多分、私が彼女の持っていないモノを持っているように思えて、それを求めたんだろう。
でも、逆に言えば、彼女は私が持っていないモノを持っている。それがこの時の彼女の言葉から分かった。だから、素直に尊敬できたんだろう。
好きこそ物の上手なれ、という言葉がある。だからきっと、楽しんでいるのなら、樹里はどんどん成長するんだろう。
――だけど。
私だって、そんな素敵な仲間達と一緒に頑張るこの部活が、スラッグという競技が、もうとっくに大好きだ。
だから……、手心なんて加えないし、まだまだ簡単には負けてあげないよ!
真智さんに続いて、響、私と樹里の前に出る。
そして、ダウンヒルへ。ここは度胸が物を言う、私が有利なセクションだ。
実際、前との差はじわり詰まっていく。
だけど――、まだ仕掛けるには微妙な距離感か。残り二周ある。無理はせず、二人のブレーキングに合わせるように90°コーナをパスする。
……前とは差を詰めたはずなのに、意外と後ろの樹里との差が開いていない。追われるよりも追う方が得意なのだろうか。
トンネルの先も、みんな無難にパスして、二週目へ。
第四コーナを立ち上がり、ストレートへ。
真智さんと響のギャップは縮んでいる。
そして、私も二人との距離を更に縮め、響の背中をスラッグ三つ分ほどを開けて追っている。樹里は私との距離をほぼキープしたまま。つまり私とあまり変わらないペースで走っているということで、油断は出来ない。
第五コーナ、響に対して仕掛けたい気持ちが湧いてきたが、その前の真智さんが気になり、結局無難にパスする。
その先、130Rの途中辺りから、樹里が遅れだしたようだ。私がV字に差し掛かる辺りでピットから全員に無線が入る。
《樹里、ペースが落ちてるけど、トラブル? こちらではモニタ出来てないのだけど》
《……マシンは恐らく問題なし。体力的なものです》
《そう……、分かった。なら、樹里はこの周でピットイン。残りでベストを尽くして》
《了解》
そんなやり取りを聞くともなしに聞きながら、前三人は一団となってヘアピンに突入していく。
そして、再びのダウンヒル。私が仕掛けるなら、ここか。
ブレーキングポイント手前で、ややインに持ち出す。――だけど、響も仕掛けた!
慌ててもう一人分、内へ。
ブレーキを若干遅らせて真智さんのインに飛び込む響を見た瞬間、すぐに私もブレーキング、ラインに割り込む。
下りだけあって減速がやや鈍い。かといって、無理なブレーキでロックさせたりしたら、縁石に向かって一直線、そこで躓いてすっ飛んで行ってしまうだろう。
減速が足りないか? だが、身体の向きはしっかり曲がり始めた。これなら何とかギリギリ――。
ゴッ! ふわっ。――ガガガガガガッ!
ギリギリでアウトだった!!
縁石に乗り上げたと思ったら、身体が浮いた。直後、何とか転ばずに着地、グラベルをガガガッ、っと走って停止。ちょうど差し掛かった樹里に手を上げて無事をアピールしておく。それと同時にピットから無線が入る。
《ちょっと未玖! 大丈夫!?》
「はい、私は問題ありません。スラッグは大丈夫ですか?」
《もう……。ええ、モニタでは異常は感知してないわ。……えっ? ああ、そうね……。未玖、コースに復帰できる? 茉奈がその状態のタイヤでの走行データも欲しいって》
「了解です。……あ、後ろは大丈夫ですか?」
《後ろ? ああ、プロの人達ね。まだ二分くらいギャップがあるから平気よ》
「分かりました」
奏さんに返事をしながら、慎重に縁石に乗り上げ、コースへ戻る。
「それじゃ、再開します」
《ピット、了解。無理はしないでね》
そうして私は、砂や砂利が残っているような足元の走行感覚に顔をしかめつつ、レースに戻っていった。
――結局、私がコースアウトしたところで響は真智さんをパスしていて、三週目もそのまま逃げ切った。
私は三週目を攻めることなく走り抜き、三着でゴール。
「うーん、不完全燃焼……。奏さん、もうちょっと走れません?」
「……やめておきましょう。片付けにだって時間は掛かるし、午後は男子学生がテストする予定だから、迷惑を掛けるわけにもいかないわ。それに……、まあ、これは明日には嫌でも分かるわね」
「???」
そんな、奏さんの意味深な呟きを印象に残して、初めてのサーキット走行は幕を閉じたのだった。
そして翌朝。
目を開けると、窓から差し込む春の優しい日差しが部屋を明るくしている。その明るさに、自然と目が覚めたようだ。
惰眠をむさぼっていたい気持ちもあったが、その気持ちよさそうな明るさに、起き上がろうと決意した――次の瞬間。
「ぐっ!?!! ……あばばばば……」
昨日の奏さんの言葉の意味が、痛いほどに分かった。――と言うか、全身が、痛い。
これは……、筋肉痛じゃな? ――なんて戯けてみたって、楽になるはずもなく。
普段からそれなりに鍛えてきたつもりだったが、実際にレース走行する際に使う筋肉は全然別なのだろうか? もちろん、それが分かったからといって、やはりこの苦しみが消えるわけでもなく。ああ……つらみ。
結局私は、ゆったりした動作を意識して悲鳴を上げる全身を宥め賺しながら、そして、今日が日曜日であることに、せめてもの感謝をしつつ、長い長い一日を過ごすことになったのだった。
更に明けて月曜日。
その日、都内の名門、煌華女子高等学校では、二昔以上前のロボットのようにぎこちなく動く女子高生が、四人も目撃されたという――。