12th Lap.挑むはアウェイのサーキット
九月も中旬を過ぎ、少しずつ朝の空気に秋の薫りが漂い始めてきたが、昼間の世界には未だ夏大臣がどっしりと腰を据えている。ちなみに、夏大臣とは私が冬将軍に対抗して産みだした言葉で、役職が大臣であることに意味は全く以て無い。
その大臣様が腰を上げて暴れ回っているかのような熱気に包まれているのは、第五戦の舞台であるここ、『フジ・スペリアレースウェイ』だ。
この熱気を生み出す要因になっているのは、天候もさることながら、二万人を超えた観客の存在も大きいように思える。
ただ、このサーキットはトヨカ系が運営していることもあり、トヨカ陣営がここに合わせてかなり力を入れて動員をかけたという噂もあるそうだ。
「それが事実なら、今回のレースは完全アウェイという雰囲気になるかも知れない、ということで、まずは気持ちで負けないこと、それが大前提。ま、その点は未玖も樹里も大丈夫だと思うけど」
とは、昨日のミーティングでの奏さんの言だ。
だが、今回のセカンドに樹里が選ばれたのは、別にメンタルの強さを買われたから、というわけでもない。
選ばれた一番の理由を端的に言えば、樹里が三人の中で一番小柄だから、ということになる。要は、重心を感知して駆動するスラッグに於いては、重心の低さというのも武器の一つになり得る、ということだ。
もし同程度の身体のブレでも、重心が高くなるほど足元のスラッグから見ると大きな重心の動きになる。そうなれば無駄な蛇行や減速などにも繋がりやすいというわけだ。それは特にレースの終盤、体力を消耗してから起こりやすい。
センサの感度はレギュレーションの範囲内なら調整できるので、人によっては鈍感方向のセッティングにして安定性を優先しているのかも知れないが、鈍感にすると減速しにく分、加速も鈍ることになるわけで、スラッグの加速力を十全に発揮するためにより敏感な設定で走るなら、持久力や体幹の強さが求められる。
その点に自信があるのが私の速さの理由の一つでもあったりするわけだが、そうでないならば、比較的小柄な樹里は速度維持にアドバンテージを得ることになる。傾向としては小柄な人の方がウェイトも軽いので、それも加減速などで有利な点だろう。
もちろん、それだけの要因で速さが決まるわけでは無いのがスラッグレースの面白さでもあるのだけれども――。
ただ、今回の舞台であるフジの代名詞は、日本一長いストレートで、その長さはコース全長の三分の一に迫る。となれば、そこで如何に長く最高速で走れるか、というのはレースの結果を左右するだけの要因になり得る。ならば――。
とまあ、そんなわけで今回のセカンドには樹里が選ばれたのだ、というお話でした。
《今回は全七周で、初めてトータル三十キロメートル以上を走ることになるから、体力勝負という面もある。今度こそ夏場の走り込みの成果を発揮する時だぞ。それと、フジは他のコースと比べると追い越しがしやすいはずだから、勝負を焦らずじっくり行こう。OK?》
「OKです」
《……了解です》
フォーメーションラップ、最終コーナを上りながらピットからの最後の指示を受けて、グリッドへ向かう。
私達は四番手スタート。前には私から見て順に平学、新港湾、そして最前列に白清。後ろには浜海、浜中、最後尾に豊加と並ぶ。
前にいるチームで一番手強いのは白清だろうか。前戦で彼女たちが最下位だったのは、私達に追突したペナルティがあったからで、二戦目で優勝したのはフロックだとは思えない。油断があれば、痛い目を見るのは私達だろう。
とはいえ、そこの攻略に手間取るようだと、浜中や豊加が差を詰めてきそうだ。真智さんには焦るなと言われたが、あまり暢気でいるわけにもいかないだろう。
そうやって状況を整理していると、いよいよシグナルが点灯する。
そして――、スタート!
加速はやっぱり私が有利だ。樹里も付いてきている。
アウト側でエースとセカンドが縦に並ぶ平学に、右へ下る第一コーナで早速ブレーキング勝負。私達も縦並びでそのイン側に並び掛ける。
前に出るも少し奥へ突っ込む形になったが、そのままアウトを立ち上がっていく。平学はイン側から再び抜き返そうとするが、加速はやや私達の方が鋭い。――私達がそのまま前に出た。
そして、前の新港湾の背中を見ながら、左へ曲がる『コークス・コーナ』へ向かう。
ほぼ横並びで幅を使ってコーナのイン側に向かう新港湾に対し、私はそのアウトから突っ込んでいく。そして、次の100Rに向かうところで徐々にサイド・バイ・サイドの形へ。100Rは右へ大きな弧を描くコーナなので、私達がそのインに陣取る形だ。
その100Rを、Gを感じながらインベタで駆ける。全開での旋回性能では不安もあったが、上手く調整して、ほぼインに付いたまま曲がりきる。
ヘアピンに向けての立ち上がりでアウト側に膨らんだが、新港湾はもう後ろだ。樹里も新港湾のエースに僅かだが先んじている。
すぐにヘアピンに対してアウトに寄せて、白清の背中を追うようにヘアピンを左へ曲がっていく。
鋭く立ち上がって、更に加速して300Rを下っていくところで、白清との差を更に詰める。
次のフルブレーキングからのシケイン状コーナ『ランドップ・コーナ』への侵入はパッシングポイントだが――、難しいラインで比較的苦手なシケインに飛び込むのは流石に無茶か。まだ一周目だし、無理はしないことにする。
シケインを右、左、右と曲がり、第十三コーナを右へ。『トヨカブランド・コーナ』を左へ。隙あらばオーヴァテイクを、と集中しているが、ラインを限定する白清は早々に崩れたりはしてくれない。
だが、最終コーナを超えれば、そこからは純粋な速さ勝負だ。
とは言え、加速で差を縮めても、最高速がレギュで同じに制限されている以上、そのまま抜き去るのも難しい。
ほぼ横並びになった辺りで無線が入った。
《未玖、ポジション・スリー。樹里、ポジション・フォー。少し離れてはいるが豊加のエースが五番手、浜松中央のエースが六番手。茉奈によれば、今のところは私達も含めてよりセンシティヴなセッティングのチームが有利に展開してるようだ。白清はそれほどピーキィなセッティングじゃないみたいだから、次の第一コーナで仕留めちゃえ》
「言われなくてもやりますよっ!」
《……了解。未玖に付いていきます》
そして二周目、早速有言実行。私は危なげなく、樹里は白清のエースとかなり接近したようだが、無事にパスして、私達がトップに立った。
トップのまま三周目へ。第一コーナに入る辺りで無線が入る。
《豊加のお嬢様が速い。白清セカンドのミスを突いてあっさりパス、四番手だけどこの周で追いついてきそうな勢いだ》
「お嬢様って……、立川さんか。どのくらい速いです?」
そう喋りながら、コークス・コーナに向かうところでバックモニタに映る、白清のエースに付いている立川さんの姿を確認。白清エースは第一コーナこそ三番手を死守したみたいだが、この様子だと苦しそうだ。
《セクタ・ツーとセクタ・スリーで合わせて未玖よりもゼロコンマ五秒は速いな。特に終盤のテクニカルセクションで差が付いてる》
「うう……。もうちょっとコーナ攻めてみます」
《無理せず、よろしくね》
「あいさ」
《樹里は、お嬢が上がってきたら可能な限りブロック。でも無理せずクリーンにね。ペナ貰うくらいなら、未玖に託そう》
《……ベストを尽くします》
思ってたよりもタイム差を付けられている。私達がスズカを走り込んだように、豊加もこのフジを走り込んだのかも知れない。
だけど、このチャレンジングな状況は、プレッシャよりも楽しいという気持ちの方が大きい。望むところだ。
それに、立川さんにライバル宣言をしておきながら、前戦ではふがいない姿を見せてしまったから、今日こそは失望させない走りをしたい。
――そして最後には、私が、勝ちたい。
《煌華女子、揃って平皇学園をパスしました》
《煌華女子が新港湾もパスしました》
《煌華女子は白清女子にぴったり付いて二周目に入ります》
《煌華女子、エース、セカンド共に第一コーナで白清女子の二人をパス、順位、ワン・ツーです》
次々と入ってくる無線からの報告で、気が付けば顔をほころばせている自分に気付いて、新鮮な驚きを覚えます。
混戦になる前に、速攻で前に出る。――それが、今回のわたくしたちの作戦。
セカンドの飯田さんも、自分のことは気にせずにわたくし一人でも先に行って良いと言って下さり、わたくしはその託された責任を果たそうと意気込んではいました。
ですが、私たちの作戦をそのまま実行するかのような片山さん達の走りは、そんな責任感以上に、わたくしを掻き立ててくれました。
一周目、ヘアピンで、浜松中央に抜かれていた浜海を、ランドップ・コーナで浜松中央のセカンドを、最終コーナで平皇のセカンドをパス。
二周目、第一コーナで平皇学園のエースを、ヘアピンへの突入で100Rから競っていた浜松中央のエースを、トヨカブランド・コーナで白清女子のセカンドをパス。
作戦通りとはいえ、順調すぎるほどに順調に事が運ぶことに不思議な昂揚感を覚えると共に、錯覚かも知れないけれど、あの方の走りがわたくしをより高みに引き上げてくれているような気がして、まるで……そう、悦びとでもいうような感情が心の中にあることに気付きました。
敵が強いことが嬉しいなんて変な気もしますが、“ライバル”というのはそういうものなのかも知れないと、改めて思います。
前回のレースの後しばらくの間、わたくしは自覚があるほどに不機嫌が続いていましたが、その理由も今更はっきりと分かりました。
あの方がわたくしをライバルと言って下さってから、わたくしの心はそれまでに無いくらい大きく揺れ動くようになって、でもそれは不愉快では無く、むしろそれまでに無かった充実感を覚えるような気さえします。
でもわたくしは、わたくし自身で思っていた以上に欲張りだったようで、まだまだその充実感が欲しいと思ってしまうのです。
前回は、それが全く得られませんでした。そのことが思いの外、わたくしの心を乱していたのです。
だから――。
まずはあの方に追いついて、ライバルとして、ふさわしい戦いを。
そして最後には、わたくしが、勝利して見せます!
三周目、100R手前から並び掛けた白清女子のエースをヘアピンでパスして、いよいよ前には煌華女子のお二人のみ。
片山さんの後ろに少し離れて中嶋さん。その中嶋さんの走りを見ながら、得意のテクニカルセクションで差を詰めていきます。
間近で見ていて気付いたのは、減速のために上体を起こす動きやコーナリングに入る時の身体の傾け方など、中嶋さんの動きが所々、片山さんの動きとそっくりであるという事でした。
それに気付いた瞬間、わたくしの胸に何か、ちくり、と痛みのようなものが走り、それに気を取られた最終コーナで若干加速が遅れてしまいそうになりましたが、身体が自然に反応してくれて、事なきを得ました。
でも……、今の痛みは何だったのでしょうか。
それは、今までわたくしが意識したことの無い感情だった、気がします。
だから、今まで友人などから聞いた話や、読んだり見たりしてきた物語達から推し量るしかありません。
――羨望、嫉妬。少し考えて、わたくしの理性に一定の納得を与える答えは、それでした。
きっと、片山さんと走る、という、胸躍る出来事を体験できる機会の多い彼女を、わたくしは羨ましいと感じたのではないか、と。
その答えが与えてくれたのは、わたくしの心の隙間の、いくつかの角には嵌まってはくれましたが、隙間の全てを埋めてはくれない――、そんな微妙な納得でしかありませんでしたが。
出来ればもっと納得のいく答えを得たい気持ちでしたが、いくらフジのストレートが日本一長いとはいえ、そんな思索をいつまでも許してくれるほど長くはありません。
四周目、迷いを振り切ったわたくしは、第一コーナで中嶋さんを完全に射程圏内に捉えました。
300Rを下っていった先で、フルブレーキング。――でも、ここでも中嶋さんは隙を見せてはくれませんでした。でも焦らずにぴったり付いていきます。
先ほどから、中嶋さんの走りが変わったように感じます。特に、ブレーキのタイミングがより的確になったように思えるのです。
それは、わたくしがブレーキングに入りたいポイントを分かっているかのようで、もしかしたら前周にわたくしの追走を受けながらタイミングを計っていたのかも知れません。
中嶋さんのフォームに片山さんと似た部分があることからも、もしかしたら彼女は他の人の良い部分を真似するのが上手いのではないかと思えます。
でも、それならば。
トヨカブランド・コーナの立ち上がり、気持ち早めの加速でやや強引に中嶋さんのインを抑えに行きます。
その目論見は上手くいき、彼女はこれまでのように最終コーナを綺麗なアウト・イン・アウトのラインで走行できません。
わたくしも理想的な速度でのコーナリングは難しくなりましたが、アウト側から前に出ようとする彼女を抑えながら、ストレートのミドルへ立ち上がっていきます。
そして、最終コーナから続いたサイド・バイ・サイドの競り合いは、五周目、わたくしが第一コーナの立ち上がりで前を押さえる形で決着しました。
片山さんには少し先行されていましたが、わたくしと片山さんの間がクリーンだったおかげで、五周目の最終コーナを立ち上がるところではだいぶ差を詰めることが出来ました。その分、中嶋さんとの差も広げることが出来ています。
残り二周を残して、トップ争いは片山さんとわたくしの一騎打ちの様相。――そして、その二周は、わたくしにとって、まるで夢のような、幸福とも呼べる、かけがえのない時間でした。
わたくしの知覚が周りの状況を鮮明すぎるほどに理解していたのは覚えています。きっと、あれがゾーンという領域の知覚だったのでしょう。
だけど、わたくしの感性はふわふわと夢心地で、素敵な音楽の中で、片山さんと一緒にソシアルダンスを踊り続けていたような気分でした。
わたくしが、片山さんを追い越して。
片山さんが、わたくしを追い越して。
くるくるとステップを踏むように。
わたくしは、片山さんだけを見て。
片山さんは、わたくしだけを見て。
永遠に続いて欲しいような楽しい時を、踊る。踊る――。
――そして。
きっとわたくしは、その時が終わってしまった後も、余韻の中に微睡んでいたのでしょう。
ハッキリと自分の意識を取り戻した時、わたくしが立っていたのは――、表彰台の、真ん中でした。
《ごめんなさい、抑えきれなかった》
樹里からの無線。
「ドンマイ、樹里。後は任せて」
――それからは、夢中だった。
追われる立場だったが、悲壮感は無かった。だから、“必死”ではなく、ただ“夢中”だったように思う。
六周目、ヘアピンでオーヴァテイクを許し、ランドップ・コーナへのやや強引な飛び込みで抜き返し、最終コーナで抜き返される。
ファイナルラップ、第一コーナで抜き返し、何とかトップを維持するも、今度はランドップ・コーナでやり返される。
彼女が得意としているテクニカルセクションも、私は離されずに食らいつく。
最終コーナ立ち上がりで私はスリップストリームについて加速、イン側に飛び出す。そして――。
ほんの僅か。スラッグ一つ分も無いような差。私は、そのほんの僅か――届かなかった。
レース後。今度は私が豊加のガレージを訪れた。
「立川さん!」
「えっ? ……えっ!! あっ、そのっ、片山さん、御機嫌よう」
「ご機嫌は……良くはないかな」
「あっ。その……、申し訳ありません」
「ううん。……今のは私の八つ当たりかな、ごめん。それと……、おめでとう、立川さん」
「いえ……。あの、ありがとうございます」
さて、勢い込んでやってきたは良いものの、自分の気持ちをどう伝えたら良いのかな……。そんなことを考えていると、立川さんの方が先に口を開いた。
「あの……、こんなことを言うと片山さんはお怒りになるかも知れませんが……。わたくし、貴女と走った最後の二周、とても、まるで夢のように、楽しかったのです。それこそ、順位なんて気にならないほどに」
「それは……うん、怒りはしないけど、ちょっと悔しくはあるかな。私は、勝ちたかったから。あ、だけど!」
悔しいと言った私に、恐らく謝罪を口にしようとした立川さんを遮るようにして、私は続ける。
「だけど、嬉しくもあるよ。私も、貴女と走っている時間は、凄く楽しかったから」
「片山さん……」
立川さんが潤んだ瞳でこちらを見つめる。――いやいや、そんな表情されたら、まるで私が情熱的な愛の告白をしてるみたいじゃん。
「だからっ、次も楽しい戦いをしようね! でも、次に勝つのは私だから! それだけ言いたかったの。じゃあね!」
なんとなく気恥ずかしくなって、逃げるように立ち去ってしまった……。
うーん、前に私に告白してくれた女の子もあんな目で私を見つめていたのを思いだして、変な考えになっちゃったけど、流石に立川さんは違うよな……。言いたいことだけ言って逃げて、悪いことしたかな……?
だけど。結果ではなく、私とのバトル自体を立川さんが楽しいと思っていてくれたというのは、単純に嬉しい。
負けた悔しさはやっぱりあるけれど、それ以上に、次の最後のレースへ向けて闘志を新たにすることになったので、思い切って話しに行って良かったのかな。
そんなことを考えながら、私はみんなの待つガレージへ戻ったのだった。




