11th Lap.お約束は夏休みの合宿で
夏合宿。それは、青春の代名詞。
――かどうかは知らないが、ワクワクする響きを持っていることは確かだ。
合宿と聞いてすぐに水着回やら温泉回やらと口走っていた兄貴には鳩尾に膝を入れておいた。私のワクワクはそういうのじゃない。
ともあれ、その、夏休みに入ってから心待ちにしていた合宿が、遂に始まる。
日曜の内に前乗りし、月曜からの五日間みっちりサーキットを走り込み、土曜の午前に帰途につくという六泊七日のスケジュール。しかも自己負担は自宅と東京駅の間の交通費のみという、なんとも太っ腹な待遇には感謝しかない。
もちろん、主目的はトレーニングだし、これだけのことをしてもらったからには成果を出さねばならないというプレッシャも無いでもないが、初めての土地ということも相まって、楽しみな気持ちを抑えきれないのも仕方ないだろう。
その合宿の舞台となるのは、日本に現存するサーキットの中では最も古い歴史を持つ『スズカ・レースウェイ』だ。
三重県にあるこのサーキットは、デュアルリンクと同様にホンドが所有するサーキットで、それが私達の合宿地に決まった理由の一つでもある。
ただ、立地的には豊加が比較的近くにあり、私達が都心からデュアルリンクに向かうよりも少ない時間でアクセスできるし、実際にトヨカのプロチームはもちろん、豊加高校のスラッグ部も既に何度かトレーニングに利用しているそうだ。
なので、今季の最終戦の舞台である、この歴史あるサーキットでの栄冠を余所に掻っ攫われないためにも、ホームの利を活かしてがっつり走り込もう、というのが今回の合宿での最大の目的と言えるのかも知れない。
その意気込みが、宿泊費などの全額負担という行動にも表れているように思えるし、ホンド陣営のチームの中で唯一デュアルリンクを勝った私達に対する期待も感じている。
もちろん私は、この前の勝利で最低限の面子が立つ、なんて気を抜くつもりは無いし、スズカ以外のスゴウだってフジだって、残るレース全てで負けるつもりは無い!
そんな決意を新たに、私は初めてのコースへ向かうのだった。
――ちなみに、このサーキットの敷地内には天然温泉施設や夏限定のプール施設などもあり、兄貴の先見の明(?)にちょっとだけ戦慄した。
「お疲れ様、みんな」
十周を超える走行を終えてピットへ戻ると、奏さんと聡美先生が出迎えてくれた。先に走行を切り上げた真智さんは、茉奈さんとデータを見ながら話し合っているようだ。
「……ちかれた……」
ガレージへ戻りながら思わずそう零すと、奏さんに窘められる。
「あら、未玖。今日は午後もあるのだから、これしきでへばってもらっては困るわね」
「うへぇ……」
「周回数を減らしてあげても良いけど……、その場合はパワーアシスト無しね」
「このまま頑張ります!」
とんでもない提案に思わず背筋が伸びる。
「ふふっ、冗談よ」
奏さんが言うと冗談に聞こえないんだよなぁ……。響と樹里も露骨にホッとしてるし。
「まあ、私達が終日フルに使えるのは今日だけだから、仕方ないんだ。頑張って耐え抜いてくれ」
そう言う真智さんも、実際に走ることで気付くこともあるかも知れない、ということで、本番と同じ六周を走っている。トータルの走行タイムだけ見たら他のサーキットで走るのと特別大きく変わるわけではないのだが、総走行距離は五キロほど、つまり他のサーキットの一周分以上も長い。つまりそれだけ平均速度も高いわけだし、その分身体に掛かる負担も増える。普段の走行練習の量が私達より少ない真智さんにとって、それだけ走るのは結構大変だろう。
「それは、分かってはいるんですけどね……」
だから私も、そんな真智さんに文句は言えない。
「それじゃあ、その午後に向けて、反省点を見ていきましょう」
そして、その茉奈さんの言葉で反省会が始まった。
「――というわけで、今日は体力面の強化に主眼を置いているとは言え、未玖はシケイン部分の走行にムラがあるというか、少し雑になってる印象ね」
その茉奈さんの指摘には、自覚はあるのだけれど。
「うーん、なんていうか、スピードを落とさせられる、っていうのが引っかかってる感じなんですかね?」
「コーナ前の減速なんかは、ちゃんと慣れて良くなっていっているのだから、技術的な問題では無いのでしょうけれど」
「心理的な問題となれば、それこそ数をこなして自信を付けるしかないんじゃないか?」
茉奈さんや真智さんも考えてくれるが、気持ちの問題なら結局は私自身で乗り越えないといけないのだろう。
一応、自分なりに打開策を考えて試して、手応えも――。
「そうそう、未玖が最後の周にシケインをジャンプしてショートカットしようとしてたけど、あれ、普通にペナルティ対象行為だから」
――あれぇ?
「あー……、そう言われると、最初の頃に座学で習ったような気も……」
「こらこら。残りのレースの舞台は全部シケインがあるんだから、気をつけてよ? まあ、本番前に気付けたから良かったけど」
「すいません……。あれ? 次のスゴウってシケインありましたっけ?」
「もう。スラッグは二輪と同じレイアウトを使うから、最終コーナ手前にシケインがあるのよ。今日だって、ヘアピンの先のシケインも走ってるし、最後のシケインも二輪用の方を使ってるでしょう?」
「……そうでした。じゃあ、とにかく今日は数をこなして、少しでも良い感覚を掴めるように頑張ります」
「そうね、明日以降もあるわけだし、地道にいきましょう。……じゃあ、未玖は取りあえずそういうことで――」
そんな感じで、響や樹里へと話題は移っていったのだった。
――かぽ~ん。
トラディショナルな擬音でお解りいただけたであろう。そう、温泉である。
兄貴には膝を入れておいてなんだが、有るというのであれば楽しみになるのは仕方ない。アレに見られるわけでも無いのだから、入るのを躊躇う必要も無い。
浴場に足を踏み入れて、後から入ってきた響と樹里を振り返ると、そこでまず目についたのは、二人の【謎の光】だった。
今までは意識したことは無かったが、気付いてしまうと、世の中の理不尽を嘆かずにはいられない。
よくよく見れば、真智さんや茉奈さんも【謎の光】で、奏さんに至ってはさらに【謎の光】だ。
まったく。揃いも揃って……、どうしてこう……。
だがしかし、聡美先生は【謎の光】だ。――許せる!
まあ、それはともかくとして。
「ところで……、なんか湯気が多い……というか、やたら濃くなってきてない?」
「うーん? そうかな?」
私の疑問に、響はそう答えた。その様子から、本当にそう思っているようだ。おかしく感じているのは私だけなのだろうか?
それに、さっきから視界に何か変な光のようなものがチラチラ映っている気がする。
視線を下げれば私の【謎の光】。
右を見れば【謎の光】、左を見ても【謎の光】。
上を見【謎の光】
あれ?【謎の光】【謎の光】
ちょ【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】
これ【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】
な【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】【謎の光】
「なんの光ッ!!?」
自分が何を口走っているかも分からないまま、荒い息で周りを見回す。
すぐ隣には、マッサージチェアに座って寝息を立てる響の姿が。そして、自分が座っているのも、マッサージチェアだった。
ここは……、温泉施設の……?
徐々に状況が理解できてくる。
ああ……、何だ……、夢か……。
「はぁーーーーっ……」
安心したら盛大な溜息が出た。どんな夢を見たのか――は、もう思い出せないけど、なんか“刻”的なものが見えかけた気がする……。
しかし、うっかり眠ってしまうとは……。それもこれも、このマッサージチェアが有能すぎる所為か。
今や世界中で研究が進んだ学習型AIの進化は、ハードの性能が追いつかない勢いだそうだが、そんな高性能AIをマッサージチェアや温水洗浄便座にまで率先して搭載するのは日本くらいじゃなかろうか……。いや、生活が豊かになる利用方法は、それがあるべき姿だろうし、素晴らしい事だと思うけど。
そんな他愛も無いことを考えていたら、バクバクいってた心臓もようやく落ち着いてきた――と、そこで足元に落ちている紙切れに気付いた。
拾い上げて見ると、そこには、『読者の想像力を刺激する、魔法の暗号』と書かれている。
その下には『E、D、D、E、F、B?、B』と、アルファベットが並ぶ。
それが意味するところは、私には解らない。――解らないが、何故か腹が立つ。
そして、次の瞬間。
――Bとかそんなもん、作者の匙加減一つやないかい!!
ふと、頭に言葉が閃き、なにか、世界の真理とでもいうものの一端に触れたような気がしたが、その言葉は浮かんだそばから消えていって、さっきの夢のように、求めても、もう決して掴めない。
「…………ま、いっか」
考えても分からないことはそれ以上考えるのをやめて、部屋に戻ることにした。
響を起こして一緒にホテルに戻る途中でも、なんとなく釈然としない気持ちは消えなかったが、同時に、聡美先生にはもう少し優しく接しよう、そんな温かい気持ちがなぜか湧き上がってきたのを感じていた。
――西ストレートから全開のまま130Rへ飛び込む。
身体を持っていこうとする遠心力に抗い、ぐうっ、と上体を押さえつけて、速く、速く、前へ。
カーブに合わせて身体を起こす重心移動。横の動きを意識しすぎてスピードが落ちないように気をつけて。
そこからほぼ真っ直ぐも全開を維持、次に備えて左へ寄っていく。そしてシケインに突っ込むブレーキング。しっかりスピードが落ちればスラッグは良く曲がるとはいえ、さっきのラップは慎重になりすぎた。もう少し速く侵入できるはず、ギリギリを見極めて。
上手く旋回したら、素早く加速。最終コーナは下りなので加速の感覚は良い。
そして、そのままストレートを駆け抜ける。
《未玖、ベストラップ。……続いて響、樹里もパーソナルベスト更新。そろそろ体力的にしんどくなってくるだろうけど、残り三周、みんな、頑張って》
「はい!」
《頑張ります!》
《了解》
――合宿の仕上げは、本番形式での走行。
二日目のコースが使えない時間はプールではしゃぎ過ぎて、三日目にはしんどい思いをした反省から、昨日の午後はしっかりと身体を休めたので、今日は調子が良いという感覚がある。結果も出てるし、初日よりも体力的に余裕があるように感じるのも、決して気のせいだけでは無いだろう。
私だけじゃなく、響と樹里にも確かな進歩があるのは、タイムという分かりやすい指標からも窺える。
結局、それ以上のタイム短縮こそならなかったが、私達は確かな手応えを感じながら、合宿を打ち上げたのだった。
そして、二週間後。
宮城県の『モータランド・スゴウ』での第四戦。
「……確かな手応えとは一体何だったのか……」
《まあまあ、最後尾スタートの上に途中で追突されたにしては、三ポイント取れたんだから悪くない結果だよ》
真智さんの言うとおり、順調に順位を上げていた三周目でシケインで後ろから追突されて後退、その後に何とか巻き返したものの、個人では五位、チームとしては四位でレースを終えた。
トップは、このサーキットをホームにしているヤマナ陣営の浜松中央に競り勝った、豊加。
この結果で、首位の私達と二位の豊加の間に八ポイントあった差は、たった一ポイントに縮まった。
残るは二戦。私達は、追われる立場の苦しさを初めて感じることになったのだった――。
 




