10th Lap.手にするは最高の宝物
二周目、再びのダウンヒル。
ここでの加速は私にアドバンテージがある。坂に入り、スリップストリームから飛び出し、遂に横に並んだ。
サイド・バイ・サイドからのブレーキング。一人にだけ集中すれば良い分、さっきよりも状況は楽だ。
ブレーキングを焦らず、豊加のエースが走りたいだろうラインをイン側で抑える。
ほぼ横並びで曲がる。彼女は私より先に立ち上がろうとするが、させない。私が僅か先にアンダーブリッジへ。
次のコーナに対して彼女がイン側に。私が半身リードも、彼女もミスをしない。
まだほとんど横並びでコーナ。だが、二つ目の左コーナから最終コーナへ、私がインを取り、最終コーナを先に加速して上っていく。
私は遂に、トップに立った。
――だがそれは、レースの決着を意味しない。そこからは、意地と意地のぶつかり合いだった。
三周目、豊加はぴったりと付いてくる。だけど私がダウンヒルで差を広げる。
四周目、豊加は広がった差をコーナリングで再び詰める。そして、ダウンヒルでは先ほどよりも差が付かなくなる。
(慣れてきた? それとも、成長している?)
たとえそうだとしても、不思議と焦りは無い。
――すごく、楽しい。すごく、嬉しい。
むしろ、今の状況をそう感じている自分に気付いた。
同時に、脳裏に理解が閃いた。
それは、幼い頃に兄貴の隣で夢中になって見た、特撮ヒーロー番組だったと思う。
圧倒的なスピードを武器に、独りで戦い続けて平和を守る主人公。強敵に敗れることがあっても、何度でも立ち上がり、武器であるスピードをどこまでも磨き上げ、最後には勝利する。
きっと、それが、私に原風景とも言える憧れを与えていたのだろう。
今思えば、中学時代に独りで速くなろうとしていた背景には、陸上部の人達を驚かせてやろう、という気持ちの他に、その影響もあったのだろう。
或いは、更にそこに、中学生の頃にありがちな、青臭い、中二病とも言えるような格好つけもあったのかも知れない。
鍛えればそれだけ速くなる、最初はそう思っていた。
行き詰まり、負荷を上げて、怪我をした。
その後、フォームを気にするようになったが、よくよく調べもせずに聞きかじった程度の知識では大した効果は無かった。
そして、思うように結果が出ないことに、意固地になってもいたのだろう。結局、私は一人だけでなんとかしようという考えに固執してしまっていた。
だからだろう、その時は思い至らなかった。
ヒーローは、戦う時こそ独りだったけれど、辛い時や苦しい時には、いつだって助けてくれる仲間達がいた。そして、何度もぶつかり合い、高め合い、認め合い、最後の最後には手を取り合いさえした、ライバルがいた。
そう、私が憧れたヒーローは、一人きりじゃ無かった。
――そんな、簡単なことに。
だけど。
今の私には、かけがえのない仲間達がいて。
今、私のすぐ後ろには、どこまでも追いすがってくる、ライバルがいる。
――楽しくないはずがない!
速さに憧れる私が、無意識で本当に求めていたもの。
私は今、それを手に入れている。
――嬉しくないはずがない!
浮き立つ心とは裏腹に、思考はクリアに、冷静になる。――世界が、違って見える。
コーナリングで差を詰められるなら、そこに私の無駄がある。
減速、旋回、加速。
言ってしまえばそれだけの単純なことを、私の技量やマシンの限界、周りの状況なども加味して最適化しなければならない。
それは、簡単なことじゃない。
――だけど、豊加がレース中に成長しているなら、私だって成長してやる。
今までの経験から来る惰性で走ってはいけない。
チャレンジして、経験に上乗せを。そうしてもっともっと走りを洗練させていくんだ。
今の私なら、それが出来る気がする。
五周目、豊加はコーナリングで差を――縮められない。ダウンヒル、二人の差は――縮まらない。
ファイナルラップへ。
無線から知らされる、後方で起こっている順位争いやコースアウトなどは、私達のトップ争いの邪魔にはならない。
――そして。
最後のアンダーブリッジを抜けて、光の下へ。
左コーナを掠め、残り二つのコーナへ、誰にも邪魔されずに突入する。
最後のコーナを上った先には。
私のために用意されたフラッグが、振られるその時を待ちわびている。
ピットウォールから身を乗り出した仲間達が、私の帰りを待ち受けている。
誰よりも速く、誰よりも先に、栄光が待つ、その場所へ。
研ぎ澄まされた感覚のまま、今にも爆発しそうな荒れ狂う感情を胸に秘め、そのまま私は――。
――トップのまま、チェッカーフラッグを受けたのだった。
どのランナよりも高い位置に響と一緒に立ち、辺りを見回す。
デュアルリンクという名前の由来でもあるもう一つのオーバルコース、『ハイパースピードウェイ』のストレート上に設置された仮設スタンド『Vスタンド』を埋め尽くす勢いの観客が、私達に拍手を送ってくれているのも分かる。
別の席種の人達も合わせれば、今日の観客は一万に届くかも知れないそうだ。
初戦は雨天とはいえ二千人程度で、それでも想像以上だったという観客が、わずか三戦目で五倍の観客を集めているという事実は、私達のモチベーションにもなる。
何より、これだけ多くの人に祝福してもらえることが、こんなに嬉しいなんて!!
そして、今回のレースで手に入れたのは、栄冠だけじゃない。大切な気付きを手に入れることが出来たこと、それもまた、凄く嬉しい。
そんな気持ちで思わず涙ぐむ私に、インタビュアのマイクが差し出される。
「初優勝おめでとうございます! 今の率直な気持ちをお聞かせ下さい!」
隣の響とアイコンタクト、その目は私に答えろと言っている。だから、私は口を開いた。
「……はい、凄く、もの凄く、嬉しいです! こんなに嬉しいなんて、もう……、びくとりーの感動にびっくりーです!!」
――それは流石に苦しいやろ。
今年の春からこのスラッグにも使われている部品を扱う会社に就職した僕は、教師である姉が学生部門に関わっているということもあって、新人ながらこの応援観戦の一人に選ばれた。
先ほど目の前で行われた女子学生達のレースは、スピード感こそ午前のプロレースに譲るが、若さ故か、恐れを知らない接近戦の迫力はプロに引けを取るものでは無く、気が付けばすっかり惹き込まれていた。
そのレースの勝者である少女(どこかで見たことがあるような気がするのだが、どうしても思い出せない)の今の一言には心の中で思わずツッコミを入れてしまったが、周りはそういった人ばかりでは無いようで、スタンドは、白けた、というのともちょっと違う、虚を衝かれたような不思議な空気感になっていた。
だけど、あの子の嬉しさはありありと伝わってくるためか、スタンドはすぐに優しい空気に包まれていった。
そんな変化を好ましく思いつつも、自分の顔には苦笑いが浮かんでいるのを自覚しながら、すぐ隣の上司を振り返る。
そこにあったのは、それこそびっくりーするほどに見事な、――真顔だった。
「あれは無いわー」
「えー? 真智さんなら喜んでくれると思ったんだけどなー」
「……びっくり-した」
「ふふっ、ちょっと樹里……」
「響、大丈夫。……単体で使う分には寒くない」
「私、サムかったの!?」
それこそびっくりだよ! って言うか、さっきのモノローグ誰だよ!?
嬉しさに浮かれてそんな会話をしていた私達に、後ろから声が掛かった。
「ちょっと、宜しいかしら?」
振り返った先にいたその声の主は、そのしゃべり方も相まってか、正に“お嬢様”という印象の女性だった。本戸姉妹が“現実にいそうな良いとこのお嬢様”なら、彼女は“漫画やアニメからそのまま飛び出してきたお嬢様”といった印象と言えば伝わるだろうか。……とは言え、流石に穴が掘れそうな縦ロールなどは備えていないけれど……。また、彼女の高めで可愛らしい声質も、そういった印象に寄与しているのかも知れない。
ともあれ、その人のことは知っている。さっき、すぐ隣にいた人だから。
「貴女は……、豊加のエースの……立川さん、だよね?」
私がそう尋ねると、少し驚いたような顔をして、頬を赤らめた。照れ屋さんなのだろうか?
「そっ、そういう貴女は、片山未玖さん、で宜しいわね?」
「はい、そうです」
ツン、と澄ました感じで取り繕ってしゃべる立川さんの姿が可愛らしくて、思わず微笑んで答えてしまったら、立川さんはまた顔を赤くした。今度は怒らせてしまっただろうか?
「わっ、わたくしのことを知っていて下さったのですね?」
「ええ、もちろん。私は勝手に一番のライバルだと思ってますけど……、迷惑ですか?」
「めっ、べっ、わっ、わたくしも、今回のレースで、貴女のことを最大のライバルであると感じましたから、別に迷惑ではありませんわっ」
「良かった。ありがとうございます」
あの立川さんからライバルだと認めてもらえた。それは思っていたよりも嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。
立川さんはますます顔を赤くするが、怒っている様子はなさそうだ。……面と向かってライバル宣言なんてしたのが恥ずかしくなったのかも知れない。そう思うと、私も少し気恥ずかしいような気がしてしまう。
「みっ!」
「……み?」
「美羽華ですわ! 立川美羽華!! それが貴女のライバルの名前です! 良く覚えておいて下さいませ!!」
立川さんは真っ赤な顔でそう宣言した。……なるほど、恥ずかしさを勢いでごまかす作戦で来たか。
「もちろん! これからもお互い切磋琢磨していきましょう!」
ならばと、私も気恥ずかしさを表に出さず、爽やかな対応を心がける。
そして、力強く手を差し出し、握手を求める。
「えっ? ……あっ。こっ、今後ともよろしくお願いしますわっ!」
立川さんはそう言って控えめに私の手を握ったと思ったら、逃げるように去って行ってしまった。
強気なんだか謙虚なんだか良く分からない人だったけど、少なくとも悪い人では無さそうで良かったと思う。
「まただね……」
「……うん、まただね……」
なんとなく呆れたような視線でこっちを見ていた響と樹里が良く分からないことを言っている。
「何が、また、なの?」
「……知らぬが仏」
樹里の返事にますます首を傾げる私だったけど――、
「ようし! 今夜は私の奢りで祝勝会よ!!」
聡美先生の言葉で一気に気持ちは切り替わった。
「おお!! 聡美ちゃん最高!!」
「こらこら、先生に対してちゃん付けは……と言いたいところだけど、もうっ、今日だけは無礼講よ!!」
そうして私達は再び、初めての勝利の喜びに浸ったのだった。




