兄と千春2
教室のドアを開けようとして、ふと手が止まる。どんな顔をして会えばいいのだろうか。どんな話をすればいいのだろうか。友達で――親友でいられるのだろうか。
わからない。
それでも、この重たく感じてしまうドアを開けなければなにも進まないのだろう。
「ふぅ……」
僕は息を吐いて覚悟を決めるとドアをそっと開けた。
教室では中央のあたりに千春がこちらに背中を向けて座っていて、その背中はなんだかいつもより小さく感じた。
「よ、よお」
自分でも間抜けだなぁと思うくらいに間抜けな声のかけ方だったと思う。
千春の正面に座るなんてそんな覚悟(最初の覚悟はどこに行ったんだ)は僕にはなく、教室の後ろの方のいすにちょこんと座った。
傍から見ればよくわからない画になっているが、そこは僕の心中を察して温かい目で見守ってほしい。
「よお」
それだけ⁉返事だけかよ!いつものお前ならもっとなんか話を展開させるだろうが!
なんかますます気まずくなっちゃったよ!どうすんだよこの空気。
「あー、なんかあれだよな。僕と千春ってもう長い付き合いだよな」
「そうだね」
またそれだけかよ……もうつっこまないけどさ。もうちょっとなんか言ってよ……。
ふと、前を向いたままの千春は今どんな顔をしているのだろうか、どんなことを考えているのだろうかが気になった。いや、気になったというよりは気にせずにはいられなかったの方が正しい。
「あの……さ。千春って――」
とうとう僕は沈黙に耐えきれず勇気を振り絞り、核心へと触れようと言葉を発した。
だがその言葉は途中で打ち切られ――否、声が出なかったのだ。
突然振り向いた千春が泣きながら笑っていたから。
僕が千春が泣いているのを見たのは今日が最初で最後だった。
「俺からちゃんと伝える。俺の言葉で伝えたいんだ」
「あ……ああ」
ようやく絞り出せた声は空っぽだった。
「昔の記憶はあんまり残ってない。思い出せるのは七瀬との思い出くらいだ。二人で出かけた時、お祭りに行った時、海に行った時、ゲームをした時。そんななんの変哲もない思い出が俺を支えていたんだと思う。……俺は中学二年の夏休み最終日、事故にあった。大型トラックに轢かれたそうだ。痛み?よく覚えてないや。たぶん死ぬほど痛かったんだろうよ。実際死んじまったわけだし。笑い事じゃない?そう言われてもなぁ。よくわかんないからしょうがないだろ」
いつもの千春の口調で冗談交じりに語っていくが、僕は内心怒っていた。なにに対してなのかはわからない。冗談をはさんできたことに対してなのか、それともずっと隠してきたことに対してなのか。どちらもなのか。それを考えられるほど僕は冷静でいられなかった。
軽い感じではあったがはっきりと千春の口から『死んだ』と聞いたのだから。
心臓の音がいやに近くで聞こえる。
「そういうわけでさ……お別れだ。迎えも来ちまったし」
ちょっと待ってくれよ。
「だから、ありがとう」
待ってくれ。
「またな」
「まて……待てよ!そんなの納得できるわけないだろ!意味わかんねぇよ……」
「意味なんてないよ。運命なんだよ、これが」
「おかしい。おかしいよ。なんでそんな簡単に終わらせちゃうんだよ。終わらせていいわけないだろうが!僕とお前の人生ははじまったばっかなんだぞ!死んだなんて嘘だろ?幽霊なんて嘘だろ?そうだよ……そもそも幽霊なんて信じられるか!幽霊なんて存在しない!だからお前も生きてる!普通の人間だ!戻ろうよ……昔みたいにさ」
ああ、僕はなにを言っているんだろう。沙也加のことがあって幽霊がいることを知ったじゃないか。幽霊は存在するのだ。ただ見えていないだけで。
見えていない……?
「昔?昔ってなんだよ」
「え?」
「覚えてないんだよ!なんにも覚えてないんだよ!母さんのことも父さんのことも!兄弟がいたのかさえわからないんだよ!何度も何度も何度も何度も思い出そうとしたさ!でも、思い出せないんだよ!俺だってこんなところで終わらせたくないさ。でも、無理なんだよ。俺にはもうなにもないんだ。残ってるのなんてお前との思い出だけなんだよ……」
さっきまで止まっていた千春の涙は、また流れてきて――僕は言葉を失った。
「もう……戻れないんだよ」
誤字脱字等あれば教えてください。