02.泣くほど嫌なら
「勘弁してくれよ。」
バルカは、宮殿の窓に腰掛け夜風に吹かれながら、独りごちた。
小高い丘にあるこの宮は風の通りがよい。
窓に付いた木の扉は、透かし彫りで美しく、可愛らしい草花や小鳥があしらわれていた。
この先、ずっと姫の側に侍ることができるのかと、内心うれしく思っていたが、彼女と会う機会は少なく、バルカはがっかりした。
おまけに、次の新月の翌日からは、宮殿内にあるアカデメイアと呼ばれる学問所に通うこととなったのだ。
学問所など貴族の子弟や官僚を目指す裕福な商人の子らしか通わない。
そこへ一介の奴隷が放り込まれるのだ。
先々のことが思いやられて、バルカは、眉間にシワを寄せた。
「浮かない顔だな」
頭から降ってきた言葉に驚いて顔を上げると、巫女姫がいた。
そして、後方に2人の侍女が控えている。
(…気配がしなかった。衣擦れの音も…)
バルカは、窓から素早く降り、片膝をつきながら、頭をフル回転させる。
「浮かない顔をしていましたか?
僕のような身分の者が、宮殿に住まい、学問所まで通わせていただけるというのに。
もし、浮かない顔をしていたのだとしたら、それは、慣れない場所に戸惑っているだけでしょう。
直に慣れることです。貴女様が煩わされることではございません。」
その回答に巫女姫は少し表情を和らげ、ふっと柔らかい声をもらした。
「そなたの齢はまだ12、13だろう?」
「…13になります。…何かおかしいですか?」
「いや。…うん。そうだな、おかしな奴だな。」
バルカは、少し気恥ずかしくなり、顔を背けて言った。
「こんな夜ふけにどちらへ?」
「ああ。今宵は、月が満ちている。王がわらわの元に参るのでな。神殿にこもらねばならぬ。」
「…は。これは、不粋なことをお聞きしました…お赦しを…」
正直、狼狽した。
やっとの思いで絞り出した言葉を巫女姫は気にも留めない様子でしずしずと宮殿の奥に続く神殿へと向った。
(まいった。あの人があまりに人離れしているので、実感がなかった…)
しかし、この国の王は、はるか昔から女神の化身である巫女姫を自分の宮殿に納めている。
最高位の神官でもある王は、その巫女姫と交わることで力を得ているそうだ。
そんな話は、幼い子供でも知っていることだった。
(くっそ、なんだよ…これ。)
胸がチリチリと痛んだ。
初めての感じている痛みに、戸惑うことしかできない。
バルカは強く拳を握りしめて、しばらくそこから動かなかった。
どれくらいそうしていたのだろう。
サラサラと音が聞こえて来た。
それが、衣の擦れる音だと気づくと、次には人影が見えた。
姫だった。
(なんだ、きちんと気配があるじゃないか。)
さっきは、考え事に夢中になっていただけかもしれない。
そして、姫の方もこちらに気づき、足を止めた。
見送った時と同じく、何を考えているか掴めない表情。
しかし、バルカの顔を見た途端に、大きく目を見開いたかと思ったら、いっぱいの涙が溜まって、ポロポロとこぼれ落ちる。
砂の城がくしゃりと崩れるかのようだ。
「どうして、いるの?」
その様子に、バルカも驚いたが、次にはくってかかっていた。
「泣くほど嫌なのですか?!それなら、やめればいい。なんで、あんなじいさんと…!」
姫は面食らったようだった。
「王をじいさん呼ばわりだなんて…」
そう呟いた後には、笑っていた。
「…すまなかった。まさか、そなたが居るとは思わなかったから、取り乱してしまった。」
「…連れて逃げろと言ってくれれば、俺はいつでもそうします…!」
巫女が驚き、目を見張っている。
興奮した勢いそのままで発した自分の言葉にバルカ自身も面食らった。
(えっと…俺、何言っちゃってるんだ…)
しかし、彼女は、すぐに諦めたような微笑をみせた。
「…嫌、それはできない。この国が、この世界が四度、乱れる。」
「…あなた、一人いなくなって、何が変わると言うのです?」
姫はその質問には答えず、ただ微笑んで、自らの寝所へと行ってしまった。
(四度乱れるってどういうことだよ。)
バルカはさきほどの言葉をベットの上で逡巡した。
世界が四度乱れる…。
世界の混乱と言えば、すぐに思いつくのは世界大戦だ。
一度目と二度目の世界大戦は、今から200年以上前だ。世界の覇権を争ったと聞く。
三度目は、今から130年ほど前の2030年に起きた。
原因は、人が住める土地の奪い合いだったはずだ。
原因不明の不妊で人口が急速に減少する中、なぜか子供が元気に生まれる土地が世界で3箇所あった。
その「方舟」と呼ばれた土地を巡って世界の国々が争ったと聞く。
結果、人類の減少に追い風を吹かせたのだから皮肉な話だ。
バルカには、巫女姫と世界大戦が、少しも結びつかなかった。
もはや、バルカの中に最初に漆黒の瞳を覗き見た時の恐ろしさはなく、むしろ普通の女の子より頼りない存在にすら感じていた。
(彼女にどんな力があるというのだろう。)
答えが出ない難問にバルカの瞼は次第に重くなっていった。