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そうして戦闘を回避しながら進む事、三日。無駄に広い帝国領も残すところ約半分くらいとなってきた。
楽しみにしていたルゼーナス山脈も、麓からでは鬱蒼と生茂る木々が邪魔をしてその姿は殆どと言うか、全くもって見えなかった。
行った事は無いけど、富士山付近もこんな感じだったのかなあ、なんて思いながらも足を止める事は無い。
夜、寝る前にアーカイブを確認したところ、この山脈の中でもドゥラートゥス山が一番標高が高く、その麓の魔物も他よりも強いらしいから、より一層気を引き締めていかないと。
そう思った直後、早速スキル範囲内に魔物が引っかかる。
何だろう。多分今迄に見た事がない奴だと思う。
今迄に遭遇した魔物はウチの領内でも倒した事があったのでその気配を覚えていたけど、これに覚えはない。
初見の魔物かあ。いつもだったら、初見の魔物だと絶対に戦わされてきたけど、今回は如何するんだろうか。
一応、逃亡中だしなあと思いながらセスを伺う。
私が気付く程度なんだから、セスが気付かない筈がない。
私の視線に気が付いたのか、振り返ったセスは目線だけで告げる。
――行け。と。
ゴーサインが出たので早速行く事にする。行けと目線で言われたけど、あんまり時間をかけてはいられないからね。
進行方向より少し山側に居る敵反応に向かって加速する。
そう遠くない位置に居たそいつは、想像通り初めて遭う奴だった。
でも、と走りながら“鑑定Ⅰ”を使う。鑑定は何故か二種類あって、こっちのは疲れない方だ。その代わり、一度目にしたことがある情報しか引き出せないけど。
それで照合した結果、出てきたわ。実際に実物を見た事は無くても、図鑑で見た事はあったらしい。こういう事は結構あるから図鑑様々だよね。
で、情報によれば名前は“グーロ”。この個体自体を鑑定した訳じゃないからレベルまでは表示されてないけど、ここのレベル帯は凡そ三十から五十。
私のレベルは十で、普通なら到底敵わない。普通なら。
でも、ステータスの値自体なら既にそこらの新人冒険者は愚か、中堅にだって負けてない私には関係のない話だ。
確か、グーロの毛は太くて頑丈だからその毛で作った布は丈夫で長持ちするらしいし、牙や細く鋭そうな爪も薬の材料になるらしい。それに内臓だって様々な事に使えるらしい、捨てる所がないエコな魔物だった筈。
なら、倒したら丸ごとイベントリに入れてしまおう。あそこなら時止めが自動で掛かっているから痛んで腐ったりといった劣化も起こらないし。
まあ、解体した方が良い奴とかもまだ丸ごと入ってて容量の空きがあんまり無いかも知れないけど、まだ大丈夫でしょう。多分。
アイテムバッグは容量の大きい物は余り無くて、複数のバッグを持っていたら何をどれ入れてるか忘れたら一々全部確認しなくちゃいけなくなるって事がある。
その点、イベントリは容量が遥かに大きい他、項目別に何を入れているか文字として読み取れる機能が付いている。
そもそも“バッグ”という道具を持たなくても良いっていう利点とかがあったりと、色々便利なのだ。
けど、そんなイベントリだけど、一つだけ難点がある。それは、自身のレベルと魔力量、そして時空間スキルの熟練度レベルに比例して容量が決まる事だ。
スキルにも熟練度があって、レベルが高い程威力が増すって言うのはゲームだとよくある設定だと思う。
ゲームでは、レベルが一定以上になって、初めて技を覚えるという仕組みの物が多かった気がするけれど、この世界のスキルの熟練度の殆どは技を覚えるのにはあまり関係ない。
覚えるためには、個別のスキルレベルの方が重要なのだ。
剣術スキルがⅠでも難しい技、例えば衝撃波等を覚える事は出来る。
光属性スキルがⅠでも、欠損部位を治せるほど高度な術スキルを覚える事も出来る。
只し、威力はとてつもなく小さいものになるだろうし、中途半端に発動したり暴発してしまったり、そもそも発動自体しないなんて事態に陥る事がある。
それと同じような仕組みでイベントリに収められる容量も決まってるんだろうけど、レベルが低い今の私にとっては不便極まりない状況だ。
魔力量とかをドーピングで上げていなかったらもっと容量が小さかったんだろうなあ。特恵典様々だとしみじみ思う。
この時は、なんて事を考えられる位には余裕があった。
どんなに余裕で倒せそうな敵でも、向こうだってこっちを殺せる程度の力を有しているんだから油断は大敵だ。
加速スキルの継続時間はまだ大丈夫だし、気配遮断スキルの使用レベルを上げて風下かつ背後を取りやすい位置に向けて走る。
勿論、物理攻撃を緩和させる防御魔法もかけて、魔法系を使いそうな見た目はしていないけど、一応魔法攻撃を緩和させる方の防御魔法も掛けておく。
臆病なんじゃなくて慎重なんだよ!と誰にともない言い訳をしながら。
どんなにスキルを重ね掛けしたって、自分自身ではない物、踏みしめた木の根だとか、体に当たる枝や木の葉が揺れる音まではまだ消す事が出来ない。
その為、風で揺れた訳ではない、どうしても不自然な音になってしまうらしく、気付かれる時は気付かれてしまう。
今回もそうなってしまったらしく、私に気付いたグーロが振り向くけど、もう遅い。
体もこちらに向くよりも、私が腰に下げた刀で一閃する方が速い。
一筋の軌道を残して、刃に付着したモノを布で拭ってから刀を鞘に納める。
そうしないと痛むからね。こういうと所もゲームらしく耐久値だけ表してくれたらいいのに、中途半端に現実的なのが困る。まあ、もう現実になっちゃってる事の弊害の一つなんだろうけど。
まあ、達人ではない者が扱う刀でも骨を断つ事が出来る時点で、その耐久値もファンタジーならではっぽいけど。
グーロは斬られた事に気が付いていないのか、そのまま体を動かそうとして、失敗する。
そりゃあ、頭が落ちたらバランスも崩れるだろうよ。
次いで、頭部がずれ落ち、露になった傷口の断面から一瞬遅れて血が噴き出る。
本当の達人は細胞を傷付ける事無く斬る事が出来てしまうために、切った後、そのままくっ付けてしまう事が出来るらしい。
けど、そうなったらそのまま襲ってきそうだな、なんて考えながら、血が治まるのを待ってイベントリに収めた。
近くに他の気配を始終感じられなかったので、単独で行動する魔物だったんだろう。
なら、もう終わりかな。と、先を行くセスを追い掛けようとして元のルート――セスの気配は腹が立つほど嫌味な位完璧に消されてて、気配を追う事が出来なから事前にルートは教えて貰っているのだ――へ戻ろうと思った時、意識するよりも前に体は動いていた。
「っ!?」
反射的に自分の元居た場所を見やれば、さっきのグーロの二倍以上はありそうな魔物がそこに居た。
猫っぽかったグーロの顔とは違い、ちょと狸っぽくて爪も太く頑丈そうだった。あれに引っ掻かられたら酷く抉られそうだ。
私をその爪で抉るつもりだったんだろう。ヤツの足元の地面はかなり深く掘り返っていた。
敵の様子を観察しつつ、攻撃を受けるまでどうしてスキルに引っかからなかったのかを考える。けれど、直ぐにそんな余裕は無くなってしまう。
私を捕らえられなかった事に気付いたヤツは直ぐ様、クルリと方向転換し再び私に飛び掛かってきた。
今度は奇襲ではなく、正面からだった為さっきよりは余裕を持って避ける事が出来る。
――けど、速い!
けして避けきれないスピードではない。けれど、グーロの反応速度よりも明らかに速いそれに舌打ちをしそうになる。
避けているだけでは終わらないので、刀を引き抜き応戦するけれど、その持ち前の速さで殆どが避けられてしまう。
しかも、当たっている筈のこちらの攻撃は殆ど効いている様子は見られない。
これは長期戦になっちゃいそうだな。と目を細めた。
だって、スピード特化、と自任している私とほぼ対等のスピードで渡り合っているのだ。
まだ体が小さくて体力も力も不十分な私はスピード特化の短期決戦を得意としているから、この状況はあまり頂けない。
早く戻りたいが為に死ぬ(失敗する)のは本末転倒だし、はてさてどうしたものか。
私もヤツもお互いの攻撃を交わしながら、突破口が見つからないかと観察を続ける。
肉食獣型の魔獣の多くは魔法を使えない物が多いし、さっきから物理攻撃ばかりだから多分、ヤツもそうだと思う。
魔法が無いなら、直接攻撃だけを警戒していればいい。
ヤツのちょっとした仕草を観察し続け、どういう時にどういう動作をするのかパターンを割り出し癖を見抜く。
それを続ける事で漸くコレだというのを見付けたのが、理由は分からないけれど、ヤツは振り返る時、頭だけではなく体ごと同時に向きを変えているのだ。
普通なら頭から変えるそれではない動作は、気付いたら違和感しかない。
その様子は、まるで背中に一本の棒が入っているかの様だった。
そのため、向きを変える時にどうしてもタイムラグが出来てしまう。
ある程度は気配を感じ取る事で避ける事が出来るけれど、私達はどうしても無意識の内に視界に頼ってしまいがちだ。それは獣型の魔物も同じ。
一瞬出来る死角。そこが狙い目だった。
そうと決まれば、チャンスを作らなければ。けど、あからさまにそこばかり攻めていればバレてしまう。
バレないように、でもいくつかの攻撃パターンをワザと繰り返す。そうする事によって、相手の心にも余裕が出来る。
そうして出来た心の余裕は、無意識の内に油断を誘う。
――ほら、そこだ。
今、無詠唱で出来る魔法はまだ威力が小さく、威嚇や囮程度にしかならないけど、それで十分だ。
ヤツが向きを変えるよりも早く、私の居る位置とは反対になるようなやヤツの直ぐ側で火の玉を弾けさせる。
ボンッ。ループする攻撃の中に生まれた余裕に差し込んだそれは、十二分に効果を発揮してくれた。
油断しているところに、威力はなくても大きな音がすればどうしても一瞬そっちへ意識が行ってしまうものだ。
故意に作り出したその隙を私が見逃す筈もなく、その首を落とさんと肉迫し、
「シッ!」
刃を振り下した。
私が首を狙うのは、そこの骨が他の背骨よりも細くて切り落とし易いからだ。
他の部位を切り裂いたり貫いたりしても良いけれど、多少切り裂いた位では死なない魔物は多く、反撃を許す事があった。
切り裂いてもそれなのだから、貫く程度の効果など心臓でもない限り高が知れている。
その心臓の位置も、こればかりは本で一応その位置を知っていても、何度か倒した事のあるような奴でもない限り正確な位置は分からない。
そんな訳で、私は首を狙うんだけど。
「ッチ!」
スピードを優先しているから、どうしても走りながらになるし、片手になってしまう。
だから両手持ちの時よりも威力が落ちるとは言え、今までそれで落とせなかった首は無かった。
無かったんだけど、骨に当たった所で止まってしまった刀に思わず舌打ちをしてしまう。
切り落とせなかったという事はまだ生きているかも知れない。
という事は反撃があるかも知れないので、動揺しつつも離脱する。
私は力が不十分で受けきれない事があるから、攻撃はヒット&アウェイが基本だ。
反撃に備えて様子を窺っていたけれど、そう時間も経たない内に、ヤツの体が動いたかと思えばそのまま地に倒れこんだ。
演技かも知れないそれに警戒したけれど、名前が分からないから“???”になっているままの名前であろう文字の色が白から灰色に変わったので、本当に絶命したんだろう。
ヒットポイントを表すバーも鑑定していないから数値は見えないものの、無くなっている様に見えるし。
終わった事に安堵し息を漏らした。
それにしても、やたらと硬かったあの骨は何だったんだろうか。
回収する前に調べておこうと、鑑定を使おうとした時だ。
何かの気配を察知した。
スキルも今度は仕事をしてくれたらしい。でも、思っていたものよりも近いその気配に眉根を寄せる。
結構近くまで来ている筈なのに、正確な位置は分からないし大きさも今一よく分からない。
今といい、さっきのこいつといい、私の感知系スキルを上回る隠密系スキル持ちが多過ぎやしないか?
またも警戒し始めた私の耳に飛び込んできたのは意外なものだった。
「おーい、だいじょーぶかー」
男の人の声。しかも、私を心配する声だ。
三日前振りのセス以外の人間の声に、思わず警戒を解いてしまいそうになるも慌てて引き締める。
良かった、さっさとこいつをイベントリに収めなくて。
もしさっき、解体もしていないこいつを丸ごと入れていたら、怪しまれる事は必須だっただろう。
解体もしていない魔物は痛むのが速いし、丸ごとなんて入れていたら容量を圧迫するから、普通なら解体してから回収するものだ。
それをしないって事は、大容量だったり、時止の魔法が掛かってるアイテムバッグを持っているか、異邦人か。
時止の魔法が掛かったアイテムバッグは高級品で、持っている人が少ない。
つまり、冒険者としては大成している筈なので、今の私程度でも倒せるような魔物を丸ごと回収しているのはおかしいのだ。
そこから導き出される答えは少ない。
面倒臭い事になりそうだったので、心配して声を掛けてもらったところ悪いけど、無視させてもらおう。
失礼な奴だとは思われるだろうけど、大丈夫だという事はわかるだろう。
それに、そんな失礼な奴を追い掛けてまで心配するような人は滅多に居ないし、無事撒けるだろう。
そう思って、ルートに戻ろうと踵を返せばまた「おーい、だいじょうぶかー」の声。
はいはい大丈夫ですよ、さようならー。なんて思っているとまた「おーい、だいじょうぶかー」の声。
心配し過ぎ、超元気だし。こんなに声を掛けて来るっていう事は、もしかしたら滅多に居ないお人好しで着いて来ちゃうかも知れない。
それは面倒だなと思う。相手がどれ位の実力者かは知らないけど、少なくとも私のスキルを上回るものを持っている事は確かなので、もしかすると振り切れないかも知れない。
セスの所まで辿り着いたらセスが何とかするとは思うけど、その後のセスが面倒だから嫌なんだよね。絶対に馬鹿にしてくるに違いないんだもん。
それは避けたいな、と思うから頑張って振り切らなくちゃ。時間も想定してたのよりくっちゃったし。
そう思って今度こそ足に力を入れればまた「おーい、だいじょうぶかー」の声。
本当にしつこいなと思った矢先にまた「おーい、だいじょうぶかー」の声。
いい加減、ウザったいレベルだわ。思わずそう溜息を吐きそうになって、はた、とある事に気付く。
今、おかしな方向から聞こえてこなかった?と。
声音は同じだけど、後ろから聞こえたかと思えば間髪を入れずに前方からも聞こえて来た。明らかに無理がある方向から聞こえて来たその声に、サッと顔を青くさせる。
ホラーは別に嫌いじゃない。夏になると組まれる特集は見ていたし、ゾンビ系も大丈夫だ。
でも、怖い物見たさレベルの“嫌いじゃない”であって“好き”ではけして無い。名所とかお化け屋敷なんかには絶対に行こうとは思わなかった。
実際に起きたとしたら恐怖で慄いて居た事は必須だ。色んな事に慣れてきた今だってあまり関係ない。
「(何コレ、ホラー怖いっ)」
双子とか、声がそっくりさん同士でパーティーを組んでいない限り、ほぼ真反対の位置から間髪を入れず声を掛けるなんて無理な芸当だ。
でなければ、どれだけ足が速いんだよって、突っ込みを入れるレベルだ。
という事は、つまり、そういう事になる訳で。
この世界には魔物として存在しているらしいから、一度でも見れば大丈夫になるかマシになるかすると思うんだけど、幸か不幸かまだ見た事は無い。
こうして一人きりの時に直面する今があるから、見れなかった事は不幸なんだろうなあ。
ちょっと現実逃避しながらも、ちゃんと目の前の事実も受け止める。
アンデットとかゴーストの類は総じて光属性が苦手だ。次点で炎だけど、手っ取り早いのは光なので、用意をしておかなくては。
気配がよく分からなかったのも、ゴーストの類だったからなのかな。なんて事を考えられる位には精神的にも回復してきた。
やつらのスピードは大した事が無いらしいし、と油断していたのが悪かったのだろう。
気が付けば目の前に接近していたそいつに目を奪われていたら、背後からの奇襲に気付けなかった私は驚くほどあっさりと意識を奪われた。