お嬢様、冒険者になる1
いつの間にか眠っていたらしく、目が覚めたら見覚えのない天井が視界に入ってきた。これは、お約束をするべきか悩んだけれど、止めておいた。ネタを知っている人はこの世界に少ないだろうから、何を当然の事をと思われるだけで何もないのだけれど、黒歴史の一つになりそうだったからだ。
起き上がりベッドから降りて、窓の側まで行って外を見てもやっぱり見覚えのない景色だった。まあ、公式訪問以外にもちょくちょく抜け出してはいたものの、基本的に領内からは出た事はないので、どこへ行こうと知らないのは当然の事なんだけど。現在の場合、知っている景色であった方が問題だし。
太陽も既に高い位置にあり、影は足元に小さく出来ているだけだった。という事は大分寝過ごしてしまったらしい。それに、やっぱり寝ちゃってる内に国境を越えてしまったみたいだ。だから結局、一体どうやって国境を越えたかは知らないままだ。でも、知らない方が幸せって事もあるよね。と思う事にした。
「やあ、おそよう。寝坊助さん」
「!?」
一通り外の景色を眺めて満足していた私の背後から、突然声を掛けられ反射的に身構えながら振り返るとそこには、やけに満足そうな顔をしたセスが居た。
「おそよう」の辺りから背後の人間がセスだと声から分かっていたものの、油断しているところに突然声を掛けられたら誰だって驚くだろう。ましてや、無駄に高いスキルを使って気配を絶っていたのだから、私の胸中は推して知るべし、だ。
「最低でもノックは、屋敷外でもしろって言ったよね!?」
「君の驚く顔が見たかったんだから仕方ないよね」
――コイツ!!悪びれた様子もなく言い放つセスに拳を強く握りしめる。けれど。
「悔しかったらもとスキルを磨いたらイイんじゃないかな。ここからはもう、安全だった君のお家ではないんだし?」
サラッと言われた皮肉な内容に、その拳は行き場を無くす。だってそれは正論だったから。
いくら野宿等よりは安全な屋根の下とはいえ、我が家との安全性は比較にもならない。と言うか、一般的な宿屋と、私兵軍があるような我が家を比較すること自体がおかしいんだけど。
でも、完璧に気配を消したセスを見付けられるくらい気配察知スキルを上げて常時発動出来る位になれば、不意打ちを喰らう事はまずなくなるだろう。まあ、常時発動と言っても、一部を除いて対象を絞らないと気配に酔ってしまう事もあるみたいだから、その辺の匙加減の練習も必要になってくるだろうけど。
と言うか、セスの気配を察知できるくらいまでって、一体どれくらいの時間がかかる事か。今では只の愉快犯だけれど、こう見えて超一流の暗殺者らしいからね。自称だけど。出会った時の状況が状況だから、いまいち信憑性に欠けるものの垣間見る実力は確かだしね。
複雑な思いがそのまま顔に出ているのか、セスは私の顔を見て笑い出す。あれだ、何事にも動じない心とか、考えてる事が表情に出ない系のスキルがあるなら今すぐに欲しい。今度時間があればポイントで何かそういう系統のスキルが取れないか探しておくことにしよう。緩ませていた拳を再び強く握りしめながらそう固く決意した。
そこで突然、なんとも間の抜けた音が部屋に響き渡る。グ~と鳴る音を聞いたセスは噴出した。
「ちょ、しょうがないじゃん!どれくらい寝ちゃってたか知らないけど、少なくとも半日以上何も食べてないんだからね!子供の身体は燃費が良くないから直ぐにお腹空くんだからしょうがないんだからね!!」
恥ずかしくて言い募る私に、セスは身体を九の字に折り曲げて盛大な笑い声を上げるだけだった。
その後も笑い続けるセスに、私の黄金の右手が今度こそ炸裂してもなお笑い転がる奴が次第に落ち着き始めて、目尻の涙を拭いながら「ご飯を食べに行こうか、お嬢様?」と言うまでには結構な時間を要した。
涙が出るくらい面白かったんですかそうですか。この恨みは忘れずいつか晴らしてやるからな!もう一度私の黄金の右手が炸裂したけれど、これは恨みを晴らした内には入らないんだからね!
ご飯を食べに行こうと言ったものの、まだ笑いの余韻の中にいる奴を放っておいて、私も支度をする事にした。
私が寝ている間に浄化魔法を使ってくれたのか、あれだけ森の中を移動したにしては綺麗だった。けど、この服装のままでは気軽に出歩く事が出来ない。ふんだんにレースやらが使われているそれは、いかにもイイ所のお嬢様然としすぎている。でも、着替えるにしても、セスはこの部屋から出て行きそうにないし、仕方がないから楽をする事にした。
右手の人差し指と親指で丸を作ってから、胸の高さまで持ち上げて開く。そうすれば、半透明の板のようなディスプレイが現れる。
これは、転生者特典の内の一つで、まるでゲームのように――と言うか、ゲームだったらしいんだけど――自身のステータス等を見る事が出来るのだ。これは、元々この世界で生まれた人達には出来ないらしく、細かい――大まかな物はギルドタグで見れるらしい――ステータスを知るには一々面倒な手続きが必要らしいけど。
そんな、この存在を知らない人からすれば、空中で何か指を動かしてる不審者に見えるっていうのは、異世界物の定番の一つだよねーと笑う。
数度指先を動かしてお目当ての項目を二度タップする。そうして現れた次の項目から目当てのアイコンをタップしてスライドさせる。それを何度か繰り返してやれば出来上がりだ。ディスプレイの中で着せ替えられたアバターを見て、こんなもんで良いかな、と頷く。出来上がった設定を空いている欄に登録して、現在の物と入れ替えるようにスライドして実行に移せばほら、終った。
フリフリのドレスから、ちょっと良さそうな、でも一般階級に見える服装へと瞬時に入れ替わった。麻のシャツにズボン、使い込んだ感じのあるフード付きローブ。首に下げているゴーグルを目元まで上げてフードを被れば完成だ。
ある意味幸い、いや不幸にもセスしかいないからこそ出来る裏技だよね。セスはコレの存在の事知ってるし。
まあ、若干?フードを被る事とか?ゴーグルをしている事とか?見た目怪しい子ではあるけど?これが無いとある意味目立つからなーと思わず遠い目になる。自覚はないけど、ある意味自覚はあるのだ。うん。
宿の受付で鍵を返し、チェックアウトをするセスの背中を睨みつけながら、再び拳を強く握りしめ、決意を新たにする。だって、着替え終わって尚、床に伏していたのだコイツは。
宿の外に出れば、当然ながら部屋から見えていた光景がそこにはあった。人々が行き交う穏やかなその様は、領地で見てきたものと何ら変わりはない。その光景に目を細めながら、先を行くセスの後を追いかけた。
「食事をしよう、とは言ったものの時間の節約は大事だからね。歩きながら屋台ですませちゃおうか」
「歩きながら食べるなんて今更だし、別に良いんじゃない?」
屋敷を抜け出して買い食いをして歩いていたのだから今更だ。その時のお供は当然セスなんだから、知らないとは言わせないけど。
何を食べるのかなと、食べ物に思いをはせながらセスを見上げた。
「そう?俺としては残念だけどね。帝国ならではの料理とかも沢山あるから、久し振りに食べるのも悪くはなかったんだけど、誰かさんがぐっすり寝てるから、ね」
「それなら起こすか、一人で食べてくれば良かったじゃない」
「うーん。そうしても良かったんだけど、誰かさんを一人にしておくと泣いちゃうかも知れないからさあ」
仕方がないから待ってあげていたんだと、わざとらしく恩着せがましい物言いに頬がヒク付く。だけど、これくらいで怒ってたらそれこそセスの思う壺だ。起き抜けから続けて疲れたくはないので、笑って流す事にした。セスは詰まらなそうな顔をしていたけど、私の知ったこっちゃない。
「まあ、領地には無かった料理が屋台にもあるし、今回はそれで我慢してよね」
「我慢出来ないほどお子様じゃないっての。いつかその内、戻って来れるようになったら自分で食べに来るし!」
「お子様じゃない、ねえ。ま、確かにその内来れるようになるだろうから、その時まで取っておこうか。お楽しみは、後に取っておけば取っておくほど増すって言うし、ね」
何かを含んだ言い方に引っかかるモノがあったけれど、こういう時は掘り返しても良い事があった試しがないから、これも聞かなかった事にしてチラホラ見え始めた屋台へと意識を移した。
確かに、帝国だけの料理に惹かれないと言ったら嘘になる。既にお腹が鳴るほど空腹な私にとって、その響きだけでもっとお腹が空いた気がしたし。でも、セスに言った通り、いつかまた来れば良いのだ。
またお腹が鳴らないように気を付けながら、鼻を擽る芳ばしい匂いの元達を探る。
肉の焼ける匂いというのは、どうしてこうも空腹を加速させるんだろうか。タレの焦げる匂いもまた良し。私はどちらかというと塩派ではあるけれど、この匂いには負けそうになる。フラフラと匂いの元に行きそうになる足を止めるのは大変だった。
「取り合えず、あそこのにしようか。この内陸特産のアクリスは殆どが養殖だけど、天然物に比べると肉が柔らかくて、調理の仕方によっては口の中で溶けるみたいに無くなっていくのが特徴なんだ。けど、食べながら移動したいから今日はあれで許してね」
あそこ、とセスが示したのは、まるでヘラジカのような立派な角が柱に括り付けられている屋台だった。ちょっと人の目を引くには良い展示品だった。あれなら、アクリスがどんな生き物か分からなくても目を引いて、それのついでに商品も目に映るし、元々アクリスを使った料理を目当てにしている人にとっては良い目印になるわけだ。
「許すも何も、その事は別に怒ってないし」
あそこからも良い匂いが漂ってくるし、文句はないし。
「“楽しみは後に取っておけば取っておくほど増す”んでしょう?だから問題はないよね」
セス自身がこう言っていたのだから、セスの方にこそ文句は言わせない。
それに、一番のお薦めじゃなくても、セスが薦めてくれたのならそれなりに美味しいはずだ。意地悪で激辛とか激マズ珍味を薦めてこない限りは。さっき笑ったばかりで機嫌は悪くない筈だから大丈夫でしょ。
その屋台ではナンみたいに厚みのある丸い生地の中に具を載せて、それをまるでクレープみたいに細長い三角形にして包み込んだ物だった。見てるだけでもおいしそうなんだけど、一応、他の人が買う様子や、作る時に辛そうな物を入れてはいないか確認するけど、やっぱり大丈夫で安心する。
「すいませーん、それ一つ下さい!」
「おう、らっしゃい。で、具は何にする坊主」
ちょうど人が途切れた所で声を掛ければ、頭にねじり鉢巻きを着けたおじさんが私を見下ろした。
「具って選べるんですか?」
反射的に思わず声に出してしまうと、おじさんは珍しい物でも見るような顔をして生地を焼き続けている。
「あん?何だ坊主。インセオ食った事ないのか」
「あ、うん。そうなんだよねー。だから取り敢えず、おっちゃんのおススメ二つでよろしく!」
「二つ?ちびっこい坊主なのによく食うな」
「ああ、あっちに連れが居るんっすよ。俺はそれのお使い」
そうか、この体のサイズだとあれを二つ食べるのは無理そうに見えるのか。私はあれくらいなら二つでも余裕なんだけどなあ。
主食ではなくおやつ感覚なんだろうか?なら二つは食べ過ぎかも知れないなあと思いながらセスを親指で示すと、納得してくれたように頷いた。
「確か、オレのおススメを二つだったな。なら一つに付き小銅貨六枚な」
という事は、二つで小銅貨十二枚。つまり、大銅貨一枚に小銅貨二枚って事ね。
この世界も十進法だから計算が楽で良い。って言うか、元々ゲームだったんだから向こう基準なのは当然なのかなあ。
腰に着けているベルトポーチから、少量の銅貨だけが入っている財布を取り出して三枚の硬貨を摘み出す。だって、大量の硬貨が入った財布を見せびらかすなんてスってくれとか、金持ちの子供だから誘拐してくれって言ってるようなもんだし、ましてやイベントリから直接出すなんて以ての外だ。
最初に転移してきた人以降も転移者や転生者は居るものの、その数は当たり前だけど少ない。けど、その存在を知られていない訳じゃなく、むしろ有名な為に狙われやすいのだ。色々な意味で。だから、これ以上無用な面倒事を起こさない為にもこういった事から対策は大事なのだ。まあ、自身の身を守れるくらい強くなって名が売れた事でバレても面倒な事になった事が過去にはあったみたいだけど、今はまだ関係ないし。
私に追いついたセスに一つ渡して噛り付いたインセオは、とっても美味しかった。