プロローグ
私には朝になるとほぼ毎回する事がある。ほぼ、というのも、宿に泊まる事が出来た翌朝にしかやらないからだ。
アレは野営なんかの、誰に見られているか分からないような場所で出来る、いや、読めるような物じゃない。
気配察知スキルは持っているもののまだそんなにレベルは高くない。今も磨いている最中位のレベルだから格上何かに背後を取られたら気付けないし。
でもまあ、背後を取られて覗き見られたとして、そもそもちゃんと読めないと思うから無駄な心配なんだけど。なにせ、常人では到底解除で出来ないような幻影魔法が掛けられてるし、それに――。
苦笑しながら手元にある一冊の本に目を落とす。重さの通り分厚いそれは一見、何らかの辞典や辞書の様にも見えるけど、見る人が見れば直ぐにそうではないと分かる。何故なら、表紙にはこの世界の共通文字とは異なる、元私達の母国語でこう書かれているからだ。
『これから生まれてくるであろう親愛なる同胞へ』
これをきちんと読んで理解できるとすれば、ここに書かれている通り同胞――まあ、私はこれを書いた人達とはちょっと事情は違うけど、大きく見ればこの括りに入るからこれで良いのだ――である私みたいなのとか、同胞に文字を教えてもらった人とか、一部の研究者位なもので、ほんの少しは読めるか或いは全く読めない人の方が大半であるからだ。そんな人達がこの文字を日常的に使っていない限り、覗き込んだくらいで解読するのは難しいでしょ。
それにしても、生まれてきた子供が同胞じゃなかったらどうするつもりだったんだろうか。歴代の子供の中にも同胞と思しき人物は片手で足りる程度しか生まれていない。いや、片手で足りる程度でも生まれて来てるならかなり高い確率なんだろうけどさ。
この本の存在は、文字を教える事なく読めた人にしか教えてないみたいだし、読めた人に渡すよう代々言い伝わってるらしいんだけど、該当者が居ない場合は当主となる特性を引き継いだ人に渡されてきたらしい。
ここ何代かは生まれてきてないみたいで、私の今世の父も、特性を引き継いでいるだけだ。だからこそこうして私が今この本を持っているんだけど。
装丁もしっかりとしている分厚い表紙を開けば、いくつかの数字とその横に名前らしき文字が書かれているのが目に入る。
私が目当てにしているのはこの次のページだ。なのでペラ、と更にページを捲る。
“――これは賭け(ゲーム)だ。
俺達ゲーマーにとっての人生を捧げた最後の賭け(ゲーム)だ。
文字通り、みんな人生を捧げた。
先ずは一番短命の奴等が。
次は、二番目に短命の奴等が。
更にその次は三番目の、と順繰りにその人生を賭けていく。
勿論、強制ではなく希望者のみで、だ。
その弊害として数種の種族が足りなかったけれど、それらは比較的数の多い種族だった為いつか組み込めば良いだろうと、他の者を優先的にして順番を組んだ。
結果がどうなるか、全てが終わる頃に俺は、否、多くの同胞達が既にその世界から旅立った後だろう。
長命な種族と言えども残っていないかも知れないし、そもそもこの世界がゲームだった頃から噂でしか聞かなかった事だから、もしかしたらデマだったのかも知れない。
それでも、この世界を散々遊び倒した俺達にとって数少ない検証対象だったから参加するのに否はなかった。
そんな風にこの世界を遊び倒した俺達の結果が君だ。そんな俺達の検証に付き合わせた結果になり悪いと思っている。
だから、お詫びにいくつか詫びの品を用意しておこうと思う。それをどう扱うかは君の自由だ。
但し、世界を滅ぼそうとか、征服しようだなんて事は止めておいた方が良い。そんな事をしてもつまらないだけだ。
まあ、結果としてそうなってしまったとしたならそれはそれで仕方がないというか、流されてそうなったんだとしたらご愁傷様。
まあともかく、まだ見ぬ我が子孫よ。我が同胞よ。この世界を生き抜け。そして自由に遊び尽くせ。
そして、俺達でさえ成しえなかった事を君が達成する事を心から応援している。”
最初に書かれたであろう文字を補足――と言っても良いんだろうかと首を傾げたくなるような内容が多い――するかのように明らかに違う筆跡で矢印付の文章があちらこちらに散らばっている。
例えば、“奥さん可愛かったしな、リア充爆ぜろ”その言葉の後に“リア爆リア爆”“結婚式は笑わせてもらった”“どうせそんなお前らもリア充じゃん爆発爆発”だの、“相変わらず締まらない奴”“軌道修正乙”等々。
流暢な書き方から察するに、“同胞”の人達なんだろうと思う。そして多分、歴代の当主とその伴侶達でもあるのだろうなとも思う。だって、この後も何度か同じ筆跡を目にするしね。
嫌々ではなく希望者で、更にその中でもそれなりにオモイ合って結婚に至ったこの人達を、私は少し羨ましく思う。だって、私にそれは厳しい。
弄ったりなじったりしている細く文字を指先でなぞる。自分以外の誰かに見られるここに書けるという事は、この人達はきっと仲が良かったんだろうなあと。でないとこんな落書きしないでしょう。私なら出来ないしね。じゃれついている姿を屋敷に有った絵姿で想像して笑ってから本を閉じる。
次のページからは、現在の領地に住むに至った経緯や、それから起きた比較的大きかったのであろう出来事がつらつらと日記のように綴られている。それらをもう何度読み返したかは分からないけど、お気に入りの話は一字一句諳んじる事が出来る位には読み込んでいる。
だって、まるで日記風の小説みたいで面白かったんだ。印刷技術がそれなりに普及しているものの、まだまだ本は貴重な物。娯楽用の本の数が少なくてつまらない思いをしている中で面白そうな本があったら手を出すでしょう?それに、魔法とか魔術とか厨二心擽られる内容をオタクなら放っておく訳ないでしょう?つまり、そういう事だ。
それでも磨り減った様子のない本に、魔法って便利だよねとごちる。
中身がどうあれこれは、我が家に先祖代々伝わる由緒正しい本だ。保存魔法の一つや二つ。更には細かな個別指定された魔法が掛かっててもおかしくはないよねと白目になる。
知ってるか、今じゃ幻と言われてるような術が掛かってたりするんだぜ。更に言えばやり方も載ってるんだぜ、これ。他にも色々不味そうな事が所狭しと書かれてたりするんだぜ。
そんな物をおいそれと他に渡したり、無くしたりは出来ないよね。という理由もあって、無くしてはいないか確認も兼ねているのだ。まあ、イベントリに入れている限りよほどの事が起こらない限り無くさないから、一番の目的は別にあるんだけどね。
本をイベントリに納めると、タイミングを見計らっていたかのようなタイミングで部屋の扉をノックされ、返事をしない内に開かれた。
「ちょっと、何勝手に入って来てんの。入るときノックしても直ぐに入って来てたらノックの意味ないでしょ。着替え中とかかも知れないんだから止めてって毎回言ってるじゃない」
「うん?でも、本当に入って来て欲しくない時、君は鍵を掛けているだろうし、何が何でも入らせてはくれないじゃないか。だから着替え中とかもまだ見れてないんだし」
「“まだ”とか、非常事態にでも陥らない限り、あんたに自分から見せる気は全くないから」
「うんうん。自分からは、ね。まあでも、その内、非常事態じゃあない時でも自分からオネダリしたくなるように……。いや、やっぱりいいや」
「……」
妙なところで言葉を区切ったこいつに、思わず半目になる。相変わらずニヤニヤ笑ってるし、どうせ碌なことを考えてないに違いない。
今、私の顔は相当胡散臭いものを見る表情をしている筈だけど、こいつが気にした様子はなく、むしろニヤニヤ顔が酷くなっている気さえする。
て言うか、非常事態時って自分の意思で着替える事が出来ない、つまりは動く事が出来ない位怪我を負って瀕死の状態に陥ってるって事だからね。もしくは昏睡とか麻痺とかの異常状態になってるか……それもある意味瀕死の状態なのか?
兎も角、そんな風に自力で動けない状態の私をニヤニヤしながら着替えさせるよりも先に回復してくれよと言いたい。こいつに回復術の適性はない――光属性の適性はある癖に、だ――けど、この世界には前の世界もビックリなお薬があるじゃんか。
性能によってはそれなりに高価だけど、手持ちが無い訳じゃないっていうか薬自体それなりに持ってるんだからさあ。ああでも、わざとそれを使わずにボロボロの私を見て嘲笑ってる姿が目に浮かぶようだ。
そんな奴がニヤニヤ笑いながら考える事なんて、やっぱりどう考えても碌な事じゃないんだろうなあと思いながらも続きを待ってあげる私ってなんて優しいんだろう。と自画自賛でもしていないとやってられない。
「恥ずかしそうに抵抗する君から一枚一枚俺の手で無理やり脱がせてあげるのもまた一興、だよね」
「……」
ああ、やっぱり碌な事じゃなかった。と内心も何も隠さず盛大に溜息を吐いてやる。
私の顔はますます酷い事になっているだろうに、こいつは最初と変わらない。なのでもう一度盛大な溜息を吐く。
皮肉を見せ付けるため?いいや、私自身の心の安寧のためだ。溜息を吐く事でいくらかストレスが緩和される気がするしね。
それに、いくらこいつに皮肉な態度を取ったって、逆に喜ばせるだけだってのはもう学習済みだ。性格が捻じ曲がってるからなあ。私の溜息は尽きない。
「それよりも、支度は出来てるみたいなのに出て来てなかったって事は、またアレでも眺めてたの?よく飽きないね」
肩を竦め呆れたようなヤツの物言いに、私も肩を竦め返す。
「勿論。もう習慣になってるからね。あの本を確認しておかないと一日が始まった気がしないんだよねえ」
あの本がどういった本であるかを知っているのは私を除いてこいつだけだ。ついうっかり話しちゃったんだけど、歴代当主の日記とだけだし、制約で縛ってるから漏らされる事もなくて心配もないし。
まあ、日記とは意図しない秘密なんかがうっかり書かれてる事もあるらしいから内容は気になるみたいだけど、読み聞かせる気は無い。
無いから早く諦めてくれないかな。瞬きをするよりも短い一瞬だけ滲み見えた剣呑な光にげんなりする。
「て言うか、部屋に来たって事は何か用でもあったんじゃないの?」
「用がなければ君に会いに来ちゃいけないのかな?」
「ああ、うん。そういうのもういいから」
一見、顔だけは柔らかく微笑んだような笑みも性格を知っている身としては胡散臭い笑みにしか見えないから普通にして欲しい。
何で朝からこんなに疲れなきゃいけないんだろうか。今日は厄日か。
ジトリと半目で睨んで見せればようやく観念したのか飽きたのか肩を竦めている。多分後者なんだろうなと思いながら早くしろよと睨み続ける。
「いや、ね。みんなもう準備し終わって待ってるって事を伝えに君に伝えに来たんだよね」
「え、何それ。そういうのは早く言ってよ!」
言われた内容に椅子代わりに座っていたベッドから慌てて立ち上がり、忘れ物がないか最終チェックのために部屋の中を見渡す。うん、大丈夫そうだ。
思わず慌てたけど、もうそんな時間だっただろうかと我に返る。アラームなんてものはないから遅れないように気を付けていたんだけど。
懐中時計で時間を確認すれば、待ち合わせ時間よりもまだ早い。けど、もう集まっているというのなら行くより他はない。待たせておけば良いとはならないのは元の国民性の悲しい性だ。
チェックを終わらせて扉の方へ向き直れば、こっちを見ていたのであろう奴と視線がかち合った。そして確信する。
こいつ、慌てる私を見るためだけにわざと言わなかったな!
これはけして自惚れでも何でもない。だって、奴のニヤニヤ笑ってる顔を見れば一目瞭然でしょ。ひくり、と頬が引き攣る。
「だって、君が余りにもつれない態度を取るから、思わず意地悪したくなっちゃたんだよね」
まるで私が悪いとでも言うような物言いに眉間に皺が寄る。
確かに、変に会話が伸びたのは応じた私にも小指の先の爪程度には責任があるかもしれないけど、大半の九割九分九里悪いのは奴だ。
「はいはい、そういうのもう良いって。朝から疲れさせないでよ」
「鬱陶しい」と呟けば「ほら、つれない」と言われ眉間の皺は酷い事になってるだろう。けど。
「呼びに来てくれて、ありがとね」
そのまま待ってればいいのに、わざわざ呼びに来てくれたのは事実だ。それに、短くはない付き合いで学んだ私は知っている。こんな態度からじゃ分かりにくいけど、みんなを待たせてたと知ったら申し訳なく思ってしまう私の事を知ってるからこそ来てくれたんだと。まあ、慌てふためく私を見たかったってのも本当だろうけどさ。
有難かったし、嬉しかった。だから素直にお礼を言えば、何を言われたのか処理しきれていないのか、一瞬だけではあったもののキョトンとした顔を見れた事で今朝の無礼は許してやる事にした。直ぐ笑みに塗り替わったのは残念だけど。
「ホント。君のそういう処、スキだよ」
「はいはい。私も好きだよー」
「……うーん、そういう処はあんまりスキじゃないかなあ」
「それは残念だなー。私は結構本気なのになー」
軽く返す私にこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、眉尻はちょっとだけ下げられて浅い溜息も吐かれた。けど、珍しいものが見れたから気にならない。
「ま、ともかく降りよっか。みんな待ってるらしいし?」
今度は私の方がニヤニヤ笑ってるいであろう自覚はあるから、下に行く前に元に戻さないとね。
そう思いながら、首に下げていたゴーグルを着ける。これがないと、不意打ち(・)を喰らうからね。ほぼ毎日見てる筈なのに未だに慣れないんだよねえ。同じくほぼ毎日見てるみんなは大丈夫になってきたんだけどさあ。
まあ、極力見ないようにしてるからっていうのもあるんだろうけど。慣れないものは仕方ないよねって、開き直ってるから良いんだけどね!
ちょっと拗ねてるっぽい奴の側を通って扉を抜ける時、思わず笑ってしまいそうになるのを抑えるのが大変だったとだけ言っておこう。
後はそうだな。ああ、本を見る一番の目的?それは初心に帰るためだよ。初心に、ね。
何だかんだ言いながらも大人しく着いて来る気配を後ろで感じて、今度こそ堪え切れなくなった笑いがクスクスと漏れた。