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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

武勲艦「桜型護衛空母」

作者: オシドリ

山口多門先生の有志企画「架空戦記創作大会2014夏」参加作品です。


※ 2014年8月19日 大幅な改定を行いました。

1936年、日本。


帝都にある海軍省の一室にはどんよりした空気が漂っていた。

集まった海軍上層部の方々はみな胃を抑えていたり、頭を抱えていた。


一昨年には友鶴事件が、去年には第四艦隊事件が起きるなど大変な目に合った。

この二件で用兵側の無茶な要求を満たすため、トップヘビーになり、また台風に対する知識不足から船体強度がやや不足する事が分かったのだ。

幸い、被害は少なかったため、直ぐに対策は取られたのだが、悪いことは重なる。


「どうやってチートで物量万歳な米帝様を締め上げるんだよ……」


これが今の海軍上層部の思いだった。


日本海軍にとって、最大の仮想敵はアメリカであった。

今は友好国ではあり、日本は多くの資源を依存していたが、アメリカはその生産力に見合う消費地を探していた。

そこで目をつけたのが中国大陸だった。

人口が多く、軍閥による内戦状態が続くこの国はアメリカ、特に軍事産業にとっては素晴らしい土地であったのだ。

なにせ、武器を作れば作るだけ売れるのだ。こんなにも良い国は無い。


そんな事でアメリカが積極的に中国へ武器を作って売っており、また太平洋を挟んでいる以上、日本は邪魔な存在であり、いつか戦争になると考えていた。


そこで考案されたのが、「漸減邀撃作戦」である。


現在、日本は委任統治として南洋群島(現在の北マリアナ諸島・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦・パラオ)を持ち、アメリカ軍はハワイからここを攻めてくると考えていた。

そこで、侵攻してくるアメリカ軍を、潜水艦と航空機を用いて漸減させ、日本近海で艦隊決戦を行い、決着をつける作戦である。


しかし、


「コレ、本当に可能なのか……?」


と言う声が若手や中堅士官から上がってきたのだ。

最初は「果敢精神が足りない」、「貴様それでも大和魂があるのかっ!」など怒鳴られてたが、一部の士官らが独自に集まり、対アメリカ戦略の研究会を立ち上げたのだ。


そして研究の結果、無理だと分かったのだ。


そもそも、アメリカ軍は自分たちが不利の状況で、わざわざ日本近海という遠い場所で艦隊決戦をする必要が無いのだ。


艦隊が沈められた?なら、建造して艦隊を結成すればいいじゃない!

今度は沈められない様に規模を倍にするねっ!


これが米帝様の考えていることである。


史実でも、実際に〝月刊正規空母〟やら〝週刊護衛空母〟をやっていた国である。

輸送船に至っては4年間で約2700隻を建造したお方である。


はっきり言おう、補充能力が段違いの国にどうやって勝てと?

間違いなくこっちが先に死ぬ。


アメリカが段違いの生産能力を持つことが分かった上層部は顔が一気に青ざめていった。

そして新しい作戦の制定の為、慌てて会議を開いたのだ。


今までの作戦では駄目だ。ならばどうするか。


短期決戦?最初に押し切れれば勝てるが、少しでもミスをすれば即終了。

博打が大きすぎるとして却下される。


最終的に考えられたのが、「徹底的なゲリラ戦を行い、アメリカ兵を殺しまくり、嫌戦ムードを作って停戦」という「漸減邀撃作戦」の焼き直しに近いものだった。


アメリカ軍が日本に来るには太平洋を横断しなければならない。

そして、所々どこかに補給基地を作らなければ日本にまでたどり着けない。


そこで、第一次世界大戦中にドイツが行った「群狼作戦」と仮装巡洋艦による通商破壊作戦に目をつけた。


アメリカ艦隊そのものを叩くのではなく、艦隊を動かす燃料、部品、食料、そして人間を運ぶ輸送艦を狙うことにしたのだ。


アメリカ軍太平洋艦隊が駐留するハワイは食料自給率が低く、またフィリピンも経済が良いとはいえず、物資の大半を本土から輸送していた。


それが途絶えたとしたら?


まず、宣戦布告と共に奇襲攻撃をする。狙いは第一に重油タンク、弾薬庫であり、次に艦船である。それを叩いたのち、通商破壊用に編成した高速の重巡と軽空母による小艦隊をもって輸送船団を叩く。また太平洋上の艦隊が通りそうな場所や軍港付近を潜水艦で封鎖し、哨戒網を敷く。艦隊を発見した場合は付近の潜水艦を集合させ、攻撃する。


これだけで物資は届かなくなる。


燃料が無ければ艦隊は動かせず、部品が無ければ修理は出来ず、食料が無ければ人は餓死する。


特にフィリピンは独立機運が高い地域でもあった。現地住民と衝突は免れないだろう。

また、多数のスパイを配置し、海外のジャーナリストも呼び込む。そしてアメリカ本土に現地の情報と写真を流す。

モラルが崩壊し、餓死していく兵士たちにアメリカ人は耐えられるだろうか?

政権の支持率はがた落ちし、嫌戦デモは多くなるだろう。

此処で停戦になれば良し。デモを鎮圧すれば不満がたまっていき、憲法で「革命の自由」があるアメリカだと、下手すれば内戦突入である。


もし基地を捨てて強引に脱出し、アメリカ本土へ回航する場合には、アメリカ海軍の弱兵さを世界中に喧伝し、空いた基地を悠々と占領すれば良い。

民衆のアメリカ海軍に対する信頼度がガタ落ちで、より政府に不満がたまるだろう。


此方も負担が大きく、そこまで上手くは行かないだろうが、現状で勝率の高い作戦と考えられた。

また従来の作戦に追加、修正を加えるだけなので策定した上層部は非難されにくく、あまり混乱が出ないのもその一つだった。


新しい作戦が決定され、それに伴い一部の建造計画が変更(航続距離の増大のために武装が一部撤去など)になり、忙しくはなったが、「これでアメリカと戦争しても対抗できる」と一安心した。


だが、再び問題が起きた。


艦が足りないのだ。特に船団護衛に使える艦が。


此方が通商破壊を行えば、あちらも潜水艦による通商破壊が行われるだろう。

それを守るには、多数の駆逐艦、海防艦、航空機、それを運用する軽空母などがいる。

特に軽空母は通商破壊に大半を回す為、数が足りないのだ。


現在、ロンドン海軍軍縮条約の失効し、またアメリカとの仲が険悪な国際情勢となっている。そのためにも軍艦は幾らあっても良いのだが、主要ドックは空いておらず、既に予算もマル3計画で使用することが決定しており、金が無い。


喧々諤々と言い合い、結局は船舶改善助成施設を継続させ、海軍が幾らか建造費を負担する代わりに有事の際には特設艦船として使うことが決定する。


その決定がなされた時、とある人物がやってきた。


その人物は某重工の社長だった。

この会社は航空機の武装や造船を手掛けており、また海軍が採用している酸素魚雷の開発者であった。史実では1933年に実用化された酸素魚雷だが、この世界では某重工が10年も早く、酸素魚雷を開発、また航空機に搭載できるよう改良、小型化していた。


また、この会社は堅牢で、沈みにくい艦船を造ることで有名だった。


一例として、この会社が建造した石油輸送船が某国の巡洋艦と正面衝突する事故があった。この時は濃霧が出ており、電探などは研究段階でまだ無い時代であり、気付いた時には既に遅かった。結果、フネは大破した。


そう、巡洋艦が。

輸送船は小破程度で航行に問題が無かったのだ。


そのため輸送船が旧式とはいえ巡洋艦を曳航するという珍事が起き、その後、新聞などで「巡洋艦にも負けない輸送船」として一躍有名になったのだ。


そんな社長だが、「今日は新型油槽船の売り込みに来た」という。


自信満々の顔の社長とは裏腹に、油槽船か、と微妙な顔をしながらも渡された仕様書を見て硬直し、そして狂喜した。


書かれていたのを意訳すると、


「空母に近い構造の油槽船を多数建造し、平時は油槽船として、戦時中には給油艦、護衛空母として使える船」


というものだった。


今なら大量発注してくれれば、航空爆弾、酸素魚雷と航空機関砲をつけて、更に値段も勉強するという破格の内容だった。


当然、海軍は飛びつき、某重工に大量発注を行った。


タンカーで有るため南方の資源輸送にも使え、給油艦にもなり、護衛空母にも使える。

実に良い。また特徴である堅牢さは折り紙つきである。

社長も久々の大口発注にホクホク顔で帰っていき、久しぶりに全ドックをフル回転させることになった。


1937年。


ついに桜型油槽船「桜001号艦」が竣工した。

基準排水量:11000t、全長150m、全幅21m、機関はディーゼル機関を2基2軸、最大で20ktを出すことができた。

特徴としてブロック建造方式を採用し、また電気溶接により工期を大幅に短縮した。

また、某重工の売りである堅牢さを持ち、後の改装で航空機の格納庫やエレベーター、武装を追加できるよう、予めスペースを大きく設けてあった。

名前は量産が前提であったため、「桜001号艦」、「桜002号艦」………、とつけられる。


改装空母にする際には新開発の油圧式カタパルトを設置されたことにより、新型機の運用、展開も可能であった。また、航空機用燃料タンクの周りにはコンクリートが充填されることとなった。

武装は25ミリ連装機銃を4基搭載。艦載機も余った旧式機を中心に16機ほどだったが、護衛空母としての能力は十分だと考えられた。

そして大量生産で更に1937年より実施された〝優秀船舶建造助成施設〟が適用されたため価格が安く、規格が統一されている為に修理もしやすい。性能も優秀であり、その使い勝手が良い事から後に陸海軍から追加発注を受けることとなった。


そして、1941年12月8日未明。


日本はアメリカに宣戦布告。太平洋戦争が勃発する。


遂に桜型護衛空母の出番である。


ハワイには海軍主力の機動部隊が、フィリピンには重巡1隻、桜型護衛空母4隻からなる上陸支援用艦隊が派遣された。


本来ならば、桜型はフィリピン攻略戦には加わらない筈だったが、この時の艦載機搭乗員はあまり錬度が高いとは言えなかった。

そこで、新たに導入した集団戦法(とんでもなく反対が多かったが、ベテラン勢が確保できないとして押し切った)の確認と、錬度向上を兼ねて今回派遣されることとなった。

また台湾から多数の陸戦、陸攻と同時攻撃させることにより、物量で一気に押しつぶして戦況を優位に進める狙いがあった。


そして、その目論見は成功する。


フィリピンでは陸戦、陸攻がクラーク飛行場、イバ飛行場を強襲。

また桜型から展開された艦爆を中心とした艦載機により、マニラ湾内のキャビテ軍港を攻撃開始。重巡の支援砲撃もあり、目標であった重油タンク、弾薬庫を破壊し、ついでに旧式戦艦を含む在泊艦隊に大損害を与える。


また、ハワイにおいても奇襲成功し、重油タンク、弾薬庫の破壊、戦艦5隻を含む艦隊を轟沈した。


この奇襲攻撃により、此方の損害は殆ど無く、アメリカ軍は大損害を受け、出だしから大きく挫かれることになった。


1942年(昭和17年)


既にフィリピンは陥落し、現在の戦況は日本側に傾いていた。


通商破壊用艦隊、仮装巡洋艦、潜水艦による通商破壊が本格化し、ハワイでは本土から物資が届かず、足りなくなってきた。更にハワイに向かっていた空母「レキシントン」が潜水艦による雷撃により轟沈。太平洋艦隊が動けなくなり、修理もままならないため士気は格段に落ちていた。


アメリカも対抗して潜水艦による通商破壊作戦を開始したが、魚雷の信頼性が低く、ましてや船団護衛をしていた桜型護衛空母により次々と発見され、逆に轟沈させられる羽目になった。


この世界では海軍上層部が資源輸送にも理解があり、また、南方からの護送船団をしていた桜型油槽船、護衛空母が活躍したため、本土では油不足に悩むことなく、この船団を見た陸海軍の軍人からは「満開の桜並木ができた」として桜型の活躍と合わせて縁起が良いと言われるようになった。


アメリカでは完敗続きの現状を打破するため、空母「ホーネット」に陸軍のB25爆撃機16機を搭載。真珠湾、マニラ湾での報復として空母「ホーネット」、「エンタープライズ」、重巡4隻、軽巡1隻、駆逐艦7隻が日本に向けて出港した。


同年 4月18日 朝


哨戒艇「日東丸」から「敵艦隊発見」の通報を受け、付近にいた桜型護衛空母1隻を含む哨戒部隊が「ホーネット」を含むアメリカ艦隊を発見。


既にドーリットル隊、B25爆撃機を発艦させた後で、退避している最中だった。


桜型護衛空母はすぐさま艦載機を展開させ、駆逐艦と海防艦らと攻撃を加える。旧式艦が殆どではあったが奮戦し、ホーネットに魚雷1発を当て小破、軽巡1隻、駆逐艦2隻を大破に持ち込むも、物量と重巡の砲撃に抵抗できず、桜型護衛空母は大破、他は轟沈する事態となった。


しかし時間を稼ぐことに成功し、第二艦隊が駆け付けることに成功。

重巡4隻、軽巡1隻、軽空母1隻、駆逐艦2隻からなる第二艦隊との砲撃戦の結果、「ホーネット」「エンタープライズ」は拿捕、他は轟沈された。

また、桜型護衛空母は修復不可能として自沈処理が行われ、桜型初の喪失艦となった。


結果から言えば、B25爆撃機による日本本土空爆は成功となり、アメリカ本土ではメディアで必死に作戦成功を喧伝するも、代わりに貴重な空母2隻と将官を失う羽目になり、アメリカ軍は更に追い込まれることになった。


同年 8月。


アメリカが大量建造した潜水艦による通商破壊により、太平洋を荒らしまわると流石に桜型も損傷、撃沈するなど被害が出始めていたが、此方も潜水艦によるアメリカ本土攻撃を断続的に行うなど暴れまわっていた。


また、4月のドーリットル隊の空襲は日本人に精神的打撃を与えたが、その後、本土防衛のために更なる桜型護衛空母の量産、配備し、報復として6月に聯合艦隊によるミッドウェーを攻略開始。ハワイより出撃したアメリカ太平洋艦隊と交戦する。

主に正規空母3隻が大破、戦艦2隻が中破、上陸部隊を乗せた輸送艦隊を護衛していた桜型護衛空母2隻、輸送艦が中破する被害が出るも、主力艦に喪失艦は無し。

対するアメリカ軍は物資不足からくる錬度低下、ミッドウェーに来るまでに散々嫌がらせを受けており、この戦闘で空母2隻、戦艦4隻が撃沈、太平洋艦隊はハワイに撤退、ミッドウェーは陥落する大敗となった。


この頃、桜型護衛空母の活躍についても大きく喧伝されるようになり(殆どが地味な作戦が多く目立たないのだ)、またアメリカ側も詳しく知ることになったが、「元が油槽船でこの活躍ぶりとタフネスさはありえんだろ」と、アメリカ軍の兵士からは「桜の悪魔」と恐れられるようになった。


同年9月。


アメリカの通商破壊作戦は低調であり、残った太平洋艦隊はハワイも潜水艦、航空機を使った物資輸送を行っているが、焼け石に水であり、現地からの情報では戦意を保てるだけの将官がおらず、士気はどん底である。


アメリカ海軍はもうすぐエセックス級空母が竣工するため、まだ挽回できるとあきらめていなかったが、連日続くアメリカ本土での度重なる空爆と通商破壊、ハワイの状況を新聞社に流す、日本軍のスパイによる扇動、開戦以来負けっぱなしもあり、各地で嫌戦デモが多発するようになった。


この当時の大半のアメリカ人にとって、日本は「極東の未開の島国」でしかなく、日本人は「黄色い猿」でしかないのだ。

そんな国に、本土空襲やら通商破壊をさせられ、ハワイの太平洋艦隊を助けない(一般人観)今の政権は無能で弱い政権でしかない。

民衆には「革命」という2文字がちらつき始めた。


1943年12月8日。


遂に連邦軍とデモ隊の衝突が起き、アメリカ全土に広まってしまった。

このままでは内戦が起きるとし、戦争を続けようとする大統領を弾劾裁判にかけ、穏健派の大統領をたてる。


奇しくも日本が宣戦布告したこの日、日本とアメリカは停戦することとなった。


その後も賠償金やら領土などで揉める事にはなったが、2年間に及ぶ戦争は終結。


桜型護衛空母は全て退役、損傷が酷い船は解体された。

連合艦隊の裏方を支えた続けた姿と輸送任務で殆どが沈まなかったという縁起の良さから一部の艦がフィリピンやタイ王国など、東南アジア諸国へ輸出、また国内の民間企業へ売却された。

東南アジアでは海防艦、水上機母艦として長く活躍し、また民間企業に払下げとなったものは再び油槽船として日本の輸送業を支えることとなった。


桜型は華々しい活躍は殆ど無いものの、縦横無尽に動き回り、その裏方を支え続けたその姿は日本海軍史上、最も活躍した武勲艦と言えるだろう。




余談だが。


桜型を建造した某重工は戦争終結後、最初の一隻である「桜001号艦」を自費で記念艦にする。

この艦は今でも見学がする事ができ、また世界各国からその堅牢さと技術の高さから注文が舞い込み、世界でも有数の巨大造船企業として活躍することとなった。



改めて読み直してみて、「余りにも無茶苦茶すぎる」として大幅な改定を行いました。(それでも大して変わらない……)。

日本製コロッサス級が活躍する話はまた別の機会にします。


桜型油槽艦は川崎型油槽船をモデルとしています。

川崎型は有事の際に特設艦船として使用するため、艦政本部の指導を受け、建造された船でした。

これを護衛空母に改装すれば活躍したのではないか、そして南方資源地帯の輸送任務に就いていたならば歴史は変わっていたのではないかと思います。


感想、評価をお待ちしております。


※ 2014年8月18日、誤字脱字を修正しました。

※  同年8月19日、大幅な改定を行いました。

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― 新着の感想 ―
[一言] それって日の丸MACシップですか 日本人らしく、原型よりかなり凝った航空艤装ですが… 最大の問題は平時にタンカーを大量に必要としない脆弱な日本経済の底の浅さだとは思いますw
[良い点] 日本海軍が米軍の兵站線破壊をドクトリンとして、そのドクトリンの中から建造された護衛空母というのが面白かったです。
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