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C.D.V-M.R|O  作者: フーデリッヒ・シュタイナー
CAPUT I : Initium dilectionis
8/12

Domus

 うっすらとした意識の中、私は長い眠りから覚めた事に気がついた。意識の半分以上は未だ泥沼のような眠気から抜け出せずにいた。

 ぼんやりとした世界の中で、ぼんやりと腕時計を見てみる。


「10時…10時か……10時!?」


 自分で時計を読んでおきながらもその時刻を理解できない程に休んでいた頭が一瞬にして活性化される。

 私は飛び起きようとして違和感を感じた。そういえば私は昨日の夜には寝袋で寝たはずだったのに、気付けばマットレスとキルトの中で寝ていた。


「おはようございます。起きましたか?」

「あ、ああ。」


 少女が屋根裏部屋の扉から顔だけ覗かせてこちらを見ている。


「寝室で寝てって言ったはずでしたよね?」

「いや、シングルベッドしかなかったのにそこに俺が入ったらお前の寝る所がなくなるだろう。」

「それにお風呂も入りませんでしたね。」

「えっと、それは…すっかり忘れてた。」

「食器の事はありがとうございました。」

「いや、どういたしまして…。」


 少女は一つ一つ、確実に言うべき事だけを言ってこちらの反応を気にしていないように見えたがそうではなかった。


「お風呂、入れてありますよ。その間にご飯は作っておきますから。」

「ありがとう。」

「では、私は下に降りていますね。」


 私は扉を開け放しにして階下へと行く少女の足音を聞きながら、再び眠りへと私を誘おうとする睡魔を払いのけるように首を振った。


 少女の厚意を無視するのも悪いので、とにかく風呂へと向かう事にした。

 着替えを持って階段を降りて風呂へと向かう途中、ふと朝食の良い香りに誘われてダイニングを覗いてみるとやはり私の思った通りそこにはエプロン姿の少女が立っていた。


 私の気配を察したのか、少女はちらと振り向いて私の姿を認めると今まで見たこともないようなとても柔らかい微笑を私に向けた。

 それを見た瞬間、私は自分の心臓が一際強く跳ね、徐々に早鐘を打ち始めるようになってゆくのを感じた。

 今まで感じた事のない感覚が思考を支配する。まるで胸を締め付けられるような感覚。気管が狭まり、息苦しくなる。

 何故だろう、見開かれた私の目に映っているのはただ微笑んでいる少女だというのに、私は鷹の前の雀のようになっている。

 しかし、それらは一瞬間のうちに私を貫いて過ぎ去り、後に残ったのはただただ呆然と立ち尽くす私の身体のみであった。


「どうかしたのですか…?」

 少女はすぐに心配そうな顔つきをして首を傾げた。


「いや、大丈夫だ。何でもない。」

 私はぼんやりとした頭を思い切り左右に振り、足速に風呂へと向かった。まるで少女から逃げるように、不思議と身体が勝手に動き出したのだ。




 風呂で落ち着いてからリビングへ戻ると小さめの食卓を埋め尽くさんばかりの色とりどりの食事が並んでいた。


「どうぞ、好きに食べて下さい。」


 私は少女が指し示した椅子に座ってから少女を見つめた。

 少女はしばらくは私の視線を気にもせずに右往左往としていたが、ふと足を止めて私を見つめ返した。


「何か苦手なものでもありましたか?」

「あ、いや…そういう訳じゃないんだが。」


 それを聞くと少女は不思議そうに小首を傾げる。


「どうしました?」

「どうしてお前はそこまで私に親切にするんだ?」


 当たり前の疑問だった。この少女は何度か会って少し話しただけの人間に食事と寝床を提供してくれるというのだ。それも恐らくこの調子では私が要求しただけ泊めてもらえるだろう。資金面は国からの支援であと数人は養えると言っていた。それにしてもそんな他人と同じ家で暮らして落ち着かないという事はないのだろうか。それに国から一体何の支援を受けているのだろうか。両親がいないという事もあるが、その支援にしては金額が高すぎる。まさか彼女には何か障害があるのではないか。

 頭の中で疑問が浮かぶ。その疑問が更なる疑問を生み、それらはまるで細胞が分裂するかの如く増えていった。

 しかし細胞分裂にも限界というものがある。ヘイフリック限界だ。細胞は分裂を繰り返すうちにヘイフリック限界を迎え、細胞老化を引き起こして分裂を行わなくなるのだ。


「それは…」

 少しの間を置いて少女が口を開いたので私は深い思考の渦から抜け出してきた。


「それは?」

「えっと…そう、ですね…。」


 少女は天井を見上げて顎に人差し指を当てて少しだけ考えた後、ふとこちらに向けて悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。


「研究、でしょうか。」

「研究…?」


 私は彼女の言った言葉の意味を全く理解できずにそのまま反復してみたが、やはり理解できずに結局訊き返す。


「研究というと、何を?」

「ふふっ、あなたをですよ。」

「俺…か?」

「ええ、あなたが寝ている間にお腹を開いて臓器を…」


 その話を聞いて思わず私はポケットに忍ばせておいたナイフをしっかりと握る。何せそんな話をこんな笑顔で話すのだ。こいつは正気じゃない。狂っている。きっと精神病か何かだ。それとも国から支援を受けているというのは嘘で、これまで人間の臓器を売って生活してきたのだろうか。


「なーんて、冗談ですよ。」

「冗談…?何がどう冗談だって言うんだ!」


 私は思わず怒鳴りつける。


「わわっ、そう怒らないでくださいよ。」

「そんな嘘信じるか。お前は殺人鬼だ!」

「殺人鬼…?何を言っているのですか?冗談ですよ、冗談。」

「だからそれを信じられないと言うんだ!」

「私はあなたがここに来てからずっと様子が変なので、少し冗談でも言って緊張を解いてもらおうと思ったのですが。」

「そんな訳…そんな訳…!」

「もしも私があなたの臓器を売るつもりならば、そもそもあなたを引き取った時点でしっかりと貰っています。その時不可能だったとしてもその後あなたはもう一度寝た。しかしどうですか?今あなたの臓器は足りませんか?」


 言い返せなかった。確かにその通りだ。まあ自分の臓器の数は確認できないが、切開の痕は無いらしい。私は仕方がなくこの少女を信じる事にした。


「分かった、分かったから。変な冗談はよしてくれ。」

「ええ、分かりました。次からはもう少し穏やかなものにしますね。それより食事を早く。冷めてしまいますよ。」

「誰のせいだと…。」


 文句を言いながらも再び食卓に視線を戻すと、その料理の色彩の鮮やかさに怒りも気のせいか少し落ち着いた。


「好きなだけ食べてください。」

「お前の分は?」

「そこにありますよ。ですが私は小食ですし、それをあなたが全て食べてしまっても別に作りますから気にしないでください。」


 私は小さく頷いて少女の食事を食べ始めた。そして気付けばまた私はあっという間にそれらを平らげてしまったのだった。


「よく食べますね。お腹がすいていたのですか?」

 エプロンをして台所へ向かいながら少女はそんな事を言った。


「そりゃあ、まあ。」

「そうですか。私は適当に食べるので、散歩でもしてきてはどうでしょう。あ、食器はそのままで結構です。」


 気のせいか少しだけ少女の口数が増えている気がした。


「そうか、じゃあそうしようかな。」


 私は行く宛もなかったがとにかく家から出て周辺を散策してみることにした。

 家を出ても周辺には森しか無く、ところどころに小さな家が建っているだけで本当に行く所はなかった。


「仕方がない、戻ろうか。」

 誰に言うでもなく呟いて私は彼女の家に戻る事にした。




家の扉の前まで戻ってきて、何となくドアノブを握る。


「戻った。」


 そう言って扉を開けようとするが、開かない。鍵がかかっているようだった。


「おーい、開けてくれー!」


 ついに閉め出されたか。まあ確かによくよく考えれば当たり前なのだ。彼女にとって私を泊める事による利益はない。それならば私も家に帰る事にしよう。きっと話しあえば解決するはずだ。

 だが、そのためには一つ、問題を解決しなければならなかった。そう、荷物である。私の荷物は未だ彼女の家の中にある。これは侵入するしかない。そう決めた時であった。


「ごめんなさい、いつもの癖で閉めちゃいました。」


 少女が申し訳無さそうに恐る恐る扉を開ける。追い出されたという訳ではなかったらしい。

 見ると、彼女は手に何やら写真を持っていた。


「それは?」

「これは…。」


 彼女は一瞬表情を曇らせる。だがまたすぐに明るく微笑んで言う。


「家族の写真です。母と父と、それからまだ幼い私。」

「やっぱり、好きだったんだな。」

「当たり前じゃないですか。それと一つ注意があります。」

「注意…?一体何だ?」

「家に帰って来た時は、『戻った』ではなくて『ただいま』ですよ。」

「そんな事言っても、ここは俺の家じゃない。」

「でも家を追い出されてしまって行く宛も無いあなたにとって、ここは家のようなものです。つまり、あなたは私と家族のようなものです。」

「おいおい、それは迷惑だろう。住み着くぞ?」

「構いませんよ。ずっと一人で独りには慣れているつもりですが、やはり少しは寂しいものですから。」


 少女の言葉を聞いていて、少しだけ私は淡い期待を抱きはじめていた。それは私が彼女に対して持っているものと、同じものを彼女が私に対して持っているのではないかという期待だ。

 だがそんなはずは無いと、私はそれらの思考を頭から追い出さんとすべく激しく頭を横に振る。


「どうかしたのですか…?」

 少女が不思議そうにこちらを見る。


「いや、何でも無い。少し頭痛が。」

「それなら、頭を振ったらより痛くなるのではないでしょうか。とにかく家の中へ。薬を探して来ます。」

「ああ、大丈夫。心配には及ばないよ。」

「なら良かった。とにかく外は寒いですし、どうぞ。」


 少女はそう言って扉を大きく開けて手招きした。玄関に入ると、やはり慣れない他人の家の匂いと暖炉の暖かさとが私を優しく包み込んでくれた。



「おかえりなさい。」


「ただいま。」

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