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C.D.V-M.R|O  作者: フーデリッヒ・シュタイナー
CAPUT I : Initium dilectionis
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Quod praeteritum et nunc

「自然の前では人間は為す術もなくただただ滅び行くだけだろう。我々人類は長い時間を掛けて“技術”や“文明”を発展させてきた。そしてその歩みを“歴史”として語り継ぎ、記してきた。ただきっと、我々は宇宙からしてみればあまりに小さくて、刹那のうちに滅ぶものなのであろう。それは…」

「それは君の将来とどういう関係があるのか、私はその話が聞きたい。」

「え…?」

「寝ぼけた顔をするな。全く…将来は何になりたいかと聞いたのに、少し黙り込んだと思えば訳の分からん事を口走りおってからに…。」


 私は今、教室の中央で担任と2つの机を挟んで向かい合うようにして座っている。

 年老いた男は私に鋭い視線を向けていた。

 それもそうだ。進路相談という名目で呼び出し、この後職に就くか大学進学をするかいい加減に決めろという事を話そうとした途端にわけも分からない言葉をつらつらと並べ始めるのだ。彼もさぞ驚いただろう。


「そう、ですね…」

「で、結局どうするんだ。」

「今のところ。」


 少しの沈黙の後、私は口を開く。


「軍人になろうかな、って。」

「軍人か…それは親御さんの影響か…?」

「少しだけ、あります。」

「悪いことは言わない。憧れだけでそれを考えているなら、考え直せ。」

「どうしてですか!私がどうなろうと勝手でしょう…!」

「君が本気でそうしたいのならもちろん私はその手助けはしよう。ただ、もう少し考えてみることだな。」

「余計なお世話です。」

「そうか。今日はもういい。よくわかった。帰りたまえ。」

「ええ、お言葉通りに。」


 激情に任せて強めに言い放って私は勢い良く立ち上がり、教室を後にして屋上へ向かう。

 別に担任の言う事は何も間違っていないし、確かに私は憧れから軍人になりたいと思っていた。しかしそれを認めると間違いなく担任は今以上にこの進路希望に否定的になる。いくら国の為とは言ってもこの世界は完全に平和ではないのだ。私は自ら人を殺したいと言っているようなもので、憧れだけで命を粗末にするのも考えものである。

 だが他人の為に、国の為に、自分の命を有用に使えるというのならば。それならば、名誉の内に死ぬのもありかもしれないという考えが頭を過るものだった。


 屋上の扉に鍵を差し込もうとするとどうも上手くいかない。まさかと思ってドアノブを捻ってみれば、やはり施錠は解かれていた。

 眩しさに目を細めながらもゆっくりと屋上へ出てみればやはりそこには少女の姿があった。


「また、考え事か?」


 呼びかけると校舎の縁に腰掛けていた少女は驚いたようで、少しだけ跳ね上がってから落ち着いた様子で振り返った。


「はい、ちょっと。」

「本当に気に入ったんだな、ここ。」

「はい。本当に気に入りましたよ?」

「ここの何が好きだ?」

「何が…ですか?」


 少女は少し考えこむような素振りをしてみせたが、すぐに微笑んで言った。


「なんとなくです。」

「おいおい…なんだよそれは…。」


 私の言葉を聞いて少女は小さく笑みを漏らし、ふと顔を背けた。


「でも、ここにいれば貴方が来るから、私はこの場所が好きなのかもしれません。」


 私に届く前に吹き抜ける風に消されそうな、そんな小さな声で少女は言った。

 傾いた陽が彼女の頬を紅く染めている。その瞳は微かに潤んでいて、彼女はどこか遠くを見るような目をしていた。


「…どうしたんですか?」


 気付けば彼女はこちらに向き直っていた。


「いや。ただ、不思議だなって。」

「不思議…?」

「ああ、不思議。」

「一体何が不思議なんですか…?」

「お前がさ。」


 私は思ってもいなかった事を口にした。その一連の会話が終わってから、私はまるで自分が他人の話を聞いていたかのように自分の発言を聞いている事に気付いた。

 少女は不思議そうに首を傾げ、私の目をまじまじと見つめている。


「あはは、気にするな。」

「気になります。気になって夜も眠れなくなって、睡眠不足で死んじゃうかもしれません。」


 むすっとした顔つきで彼女は言う。気のせいか少しだけ頬を膨らませていた。


「大したことじゃないさ。お前の発言の意図が分からなかった。だから、不思議だなって。」


 私のその言葉を聞くと今度は少女は急に寂しげな表情になり、足元へと視線を落とした。だが次の瞬間にはもう彼女は笑顔でこちらを見ていた。


「ふふ、鈍感さんですね。」


 それだけ言って少女は私の脇を走り抜けて校舎へと戻っていった。

 私は訳も分からないまま先程まで彼女が座っていたあたりに腰掛けて考え事を始める。

 進路の事を考えるつもりが、私の頭にはやはり彼女の事しか浮かばないのだった。


「『ここにいれば貴方が来るから、私はこの場所が好きなのかもしれません。』かぁ…」


 私は少女の言った言葉を反復してみるが、まったく内容が理解できない。

 彼女は私が来る場所が好きなのか。ならば学校はどうだ。私の教室は?そこに彼女はいない。彼女はやはり何だかんだいってこの屋上の空気が気に入ったのであろう。

 確かにここはいい場所だ。まるで生き物が他にいないかのように静かで、日常の喧騒から隔離された空間。その景色はいつも神秘的で、夕刻には真っ赤に染め上げられた街の全景が、夜には天に所狭しと輝く星の数多と朧気な灯りで夜闇を照らすディアーナが、そして朝が来れば昇る朝陽が夕陽とは違った色に地平線を染めるのだ。その美しい光景は見た者全てを魅了するであろう。そんな場所を気に入らないはずがないのだ。




 翌日、授業を受けながら私はふと彼女の事が気になって、次の授業までの休憩時間に他のクラスをあたってみようと思った。

 長ったらしい授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、起立、礼。その直後に私は教室を飛び出してクラスAの方からクラスCにかけて教室の中に入っては彼女の姿を探したが、ない。

 次の授業を受け終えてからすぐに再びクラスAから順に彼女の姿を探したが、やはりどこにも彼女の姿はなかった。


 全ての授業が終わり、放課後になって私はまるで何かに誘われるようにして早足で屋上へと向かった。人目を気にしながらも重い鋼鉄製のドアを開けば、そこにはいつも通りの全景があった。そして私は安堵の溜息をついた。

 気付かぬうちに、“いつも通りの全景”には彼女が含まれていた。しかし別段私はそんな事を気にする事もなかった。


「また、考え事か。」


 その声を聴いて少女はゆっくりと振り返った。今まで見せたことのないような泣いているのとも区別のつかないような笑顔を私に向けて、私の目を見たと思えばすぐに目を瞑り、首を横に振った。


「考え事じゃないのか?」

 今度は小さく縦に頷く。


「じゃあ、何を?」


 それを聞くと少女は小さく息を吸ってから答えた。

「考え事です。ですが、未来の事ではありません。過去の事について、少しだけ考えていたのです。面白くないですが、聴いてくれますか?」

「ああ、聴くだけでいいなら。」

「ありがとうございます。」

 そう言うと少女はまた視線を街の方へと戻した。私はゆっくりと歩いて少女の右隣に一人分の間隔を空けて静かに座って、彼女が話しだすのを待った。


 やがて、その口から記憶の断片が零れ落ちてゆく。






「実は私、両脚が作り物なんです。と言ってもこうして自由に動かせますけど、機械なんです。腕だって危うかったのですが、なんとか回復しました。しかし腕は神経系がダメになってて、手の感覚、殆ど無いんです。冷たい物に触れたって、暖かい物に触れたって、もう殆ど分からないんですよ。」

 少女はそう言いながら自分の脚や手を見て、視線を戻してから話を続けた。

「あれは私がまだ幼かった頃の話です。あなたもまだ幼かったでしょう。今から15年程昔の話になるでしょうか。今はここロシアの一部になっていますが、15年前までは独立国家だった国がありましたよね。アルメイシアです。あの国はそれまでも事実上ロシアの一部のようなものでしたが完全な独立を求めてその周辺国、同盟国と共にロシアに対して独立戦争の宣戦布告をしました。それが20年前の第1次対ロシア独立戦争です。

しかし当然ながら1ヶ月も戦線は維持出来ずに呆気無く惨敗、これまで以上に厳しい制約と迫害を受けながらも5年間も耐えてきたのです。そして15年前、第2次対ロシア独立戦争が勃発。この時には5年間の厳しい迫害によって亡命や餓死でアルメイシアの人口は半分以下にもなっていました。更には第2次独立戦争では他国家からの協力は得られず、第1次独立戦争の時に対ロシア統一戦線を形成していた国家も完全にロシアに吸収されて敵としてアルメイシアの独立を憚る形となりました。包囲網が完成した状態からの開戦を快く思う者などいなかったでしょう。しかし、死んだようにして生きるくらいならばいっそ国家の為に死ぬ方が余程良いといって国家総動員の独立戦争が開戦したのです。」


 2度に及ぶアルメイシアの反乱。なにかで耳にした事もあった。そう言おうとしたが、しかし私は黙って話を聞いた。


「しかしこの戦争は世界中の予想に反して長期化しました。弱小国家アルメイシアは過去の同盟国を制圧し、ロシア南西部の都市までもをいくらか制圧したのです。実はこの時にアルメイシアには頭脳明晰な策士がいて、そのおかげもあってこの戦争にアルメイシアは勝利を確信する事すら出来ました。都市の解放を条件に独立を認めてもらう、それでアルメイシアが勝利する予定だったのですが、調印式を行っている最中に何者かが発砲、アルメイシア軍の参謀総長と護衛兵を射殺しました。直後、会場にはロシア軍兵士が雪崩れ込んで来て、会場内を一掃したのです。

その後は簡単で、ロシア軍による日夜を問わない無差別爆撃によってアルメイシアは愚か、その周辺国家までもが焼け野原にされました。」


 少々寂しげな瞳をしながら、少女がこちらを向く。が、気付かない振りをして私は正面を向いたままでいることにした。


「この話は歴史の授業でも聞いたでしょう。華々しいロシアの歴史の一頁として。この話の、表面だけは。

そして私はその調印式の会場にいたのです。その時に負傷して、両脚を失い、両手の感覚を失って、一時は視力までもを失いました。闇の中で痛みに苦しめられたのは身体のみではありません。」


 ちらと少女を見れば彼女は肩を震わせ、その瞳には涙が溢れ、それでも必死で表情だけは笑顔のままでいようとしているのが分かった。

 冷たい風が私達の間を吹き抜ける。少女は少しだけ開いた口を急に閉じて言葉を封じ込め、飲み込んだ。


「そう、か…」


 まるでロシアを批判するような口調だった。それでもってアルメイシアの内部事情にもそれなりに詳しく、よく調べたとしか言いようがなかったが、どうしてアルメイシアを擁護するような言いぐさなのだろうか。そんな思索を切り裂いて言葉が発される。


「だが、アルメイシアの人間も愚かだよな。」

 一瞬少女の目付きが変わった気がしたが、私は正面に広がる街を見つめたままで続けた。


「勝てる訳もないだろう。このロシアに。私たちの軍は世界最強なんだ。過去にあの自由を掲げた星条旗の国すらも下したんだ。だが私たちはあの国とは違い、国際的な組織に圧力をかけることもなかった。そんな慈悲の心を持った皇帝閣下が支配するこのロシアに反逆したアルメイシアが愚かなんだ。勝ち目なんてないのにさ。ふふ。可哀想な国だよ。同情する気にもならない。むしろロシアになれてよかったと思う。そうは思わないか?」


 長々とした台詞を吐き終えて一呼吸ついてから少女の方を向けば、何故か彼女の拳は強く握られ、歯を食い縛っていた。何が彼女をそうさせているのか、私には見当もつかなかったが、きっとアルメイシアに対する恨みであろう。彼女はアルメイシアの反逆で手脚を失ったようなものだ。憎くてもしょうがない。


「だがもうアルメイシアは滅んだ。どう抵抗しようが、団結しようが、無駄なんだよ。それに…」

 そこまで言ったところで少女が勢いよく立ち上がる。


「おい!?どうしたんだよ?」

 あまりに急で驚きのあまり少女の腕を掴んでしまったが少女はするりとその腕を抜いて校舎へと戻って行った。

 後を追おうと急いで閉じかけた扉を開けるとそこにはすでに少女の姿はなかった。

 ふと振り返ってみると夕景を飲み込もうと迫る夜闇の中に一筋の光が私に近付くのを見た。




 あれは――――――

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