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C.D.V-M.R|O  作者: フーデリッヒ・シュタイナー
CAPUT I : Initium dilectionis
3/12

Duo faciem Angeli

 「あー!」


 私は布団に寝転がりがら唸っていた。

 というのも、希望進路の調査書の締め切りを翌日に控えたこんな状況で悠々としている暇などないというのに、あろうことか私は昼近くになってようやっと目覚めたのである。ただでさえ考える気が起きない事柄なのに、こんな状況では余計考える気が起きない。

 だがそれが半分ほど諦めの入った気持ちでいざ起き上がって机に向かってみるとどうだろう、意外に頭は回るものだ。

 しかし頭が回ったところで今日一日で進路を決定しろというのは少し無理のある話だ。これから何十年あるかわからない将来を今この一日で決めるだなんて。


「こんなもの、書いたところで何にもならないさ。」


 考えていることとおおよそあべこべな事を口走っている自分が表れた。こうなってしまったらもう何をどう考えても行動には移せないのは目に見えている。


「少し散歩でもしようか…」


 またぽつり、誰に向けてでもなく言葉が発されて消える。だが今度の言葉は考えている事と趣旨が一致していた。

 そして言い終わるか言い終わらないかのうちに私は立ち上がって部屋を後にしようとしていた。だが扉に手を掛けたところでふと何かが頭をよぎる。

 足を止めて部屋のなかを見回すと、真っ先に壁に掛けた制服の上着のポケットから少しだけ出かけた校舎の屋上の鍵が目に飛び込んでくる。


 そうだ、鍵を掛けていない。昨日も結局屋上の鍵を掛けずに学校を出てしまった。

 思えば一昨日、あの少女に出逢ってからというもの不思議と何も手につかなくなっている気がする。

 彼女の事ばかり気にかけて進路も授業も頭に入ってこない。

 何はともあれ屋上の扉に鍵を掛けなくてはいけない。制服に着替えて家を飛び出す。学校まではそう遠くない。いくらもう秋分を越えて日が短くなりつつあるとは言えど、ゆっくり歩いて行って帰ってきたとしても明るいうちに家には着けるだろう。



 いざ学校へ着いてみると門は開いていない。警備員もいないのだろうか。

 かと言って堂々と正門を乗り越えるのは少々気が引けるので裏手に回って小さな従業員用の門を乗り越えて校内へ入る。その時、一瞬“不法侵入”という単語が頭をよぎった気がしたが、気のせいだと思い込んで校舎の中へと足を進める。

 玄関には当然鍵がかかっていて入ることはできない。どこか開いていないものだろうかと校舎の周りを一周ぐるっと回って扉という扉に手を掛けてみたがどこも開く気配はなかった。


「参ったなぁ…」


 扉が開いてないとすれば窓から入るしかないが、しかし窓も恐らく開いてはいないだろう。もうお手上げだ、そう思って裏門から出ようとしたその時だった。


「何してるんですかー!」

 少女の声。だがしかしどこにいるかが分からない。


「忘れ物ですかー?大丈夫ですかー?今扉開けますから、少し待っていてくださーい!」


 上方からだろうか、ふと見上げてみるが少女の姿はどこにも認められない。

 それにしてもよく通る声だ。教室からだろうか。そうであればまだ分からない事もないが、あれがもし屋上からだとすれば相当な声量だ。それから少し待つと少女が正面玄関側から駆けてきた。


「お待たせしましたぁ…」


 息を切らした少女は私の目の前まで来たと思えば膝に手をついて呼吸を整えていた。まるで謝罪されているような気分だ。


「それにしても、どうやって校舎に?」


 まだ呼吸も整わず肩で息をしている少女にあろうことか私は不完全な質問を投げかけてしまった。考えた事が無意識のうちに口から出てしまう癖はここまでたちの悪いものなのかと、そしてそれを上手に抑制することはできないのかと思うとまた少し自分が嫌いになった。


「えへへ…鍵、持ってるんですよ…」


 苦しそうにしながらも質問に答えるその姿を見て本当に悪いことをしてしまったと思ってから、私の身体が「鍵」という言葉に反応してポケットにある屋上の扉の鍵に触れてその存在を確認しているのに気付く。


「鍵…?何の…?」

 そして私は再び不完全な質問を投げかける。


「マスターキー…です…」


 マスターキー…そうか、この少女は校内のおよその扉は開けることができるのか。しかし何故この子がそのようなものを持っているのか、甚だ疑問ではある。


「忘れ物、取りに行きましょう?」


 少女は大きく息を吐き捨て、背筋を伸ばす。

 こうして改めて見ると意外と背は高くはない。さらに驚く事には、至近距離でよくよく見つめればこの少女はとても可愛らしい。

 その雰囲気は昨日見た少女とはまるで別人のようで、目は丸々として輝いていてまるで小動物のようだった。


「忘れ物、取りに行きましょうかー?」

 少女が私の顔を覗きこんでしかめっ面をしながら同じ質問を投げかける。


「あ…ああ。」


 その勢いに圧倒されてついつい肯定してしまったが、私は忘れ物などしていない。


「どこに、何を忘れてきたんですか?」

「いや…その…」

「思い出せないですか…。ならばまずは教室から回りましょう?」

「そうじゃ…うわっ!?」


 少女は私の手をしっかりと握って校舎へと歩き出す。遅れを取るまいと私も歩き出すが、少女の歩みが早いのか隣に並ぶ事ができない。

結局私は教室まで少女に手を引かれて行くことになった。


「えっと…あなたの教室は…」

「D」


 素っ気なく答える。私は自分の話を聞いてもらえなかったから少し不機嫌になっているのかもしれない。


「D…だと、こっちですか。」


 そのまま突き当りまで歩いて行き、教室の前までくると少女は私の方へと向き直って手を離して微笑んだ。


「はい、どうぞ。」


 そして教室の扉を開けて“入れ”と催促するような動きをする。仕方がないので教室へ入って自分の席の方まで進むと背後で鍵の掛かる音がした。

 驚いて振り返ってみると少女は内側から扉に鍵を掛けていた。


「何してる…?」

「何って、施錠ですよ?」

「違う、俺が聞いているのはそういう意味じゃなくて、何故施錠する必要があるんだと聞いている。」

「だって、警備員の人とかに気付かれたくないじゃないですか?」

「いるのか?警備員。」

「はい。」


 それ以上は話す事もなかったので、私は自分の机の中を軽く漁るような仕草をしてから少女の方を向く。


「勘違いだ。家だろう。」

 それを聞いて少女は目を見開いて言った。


「本当にしっかり探しましたか?あ、でも教科書とかだったらすぐ分かりますからね…なら、もう帰るのですか?」


 気のせいか一瞬僅かに憂いを帯びた表情を見せて、すぐさま少女は私に背を向けて続けざまに言った。


「いいです。帰ってください。」

「帰ってくださいとは無いだろう、俺だってここにいて悪い訳は…」

「あります。不法侵入ですよ。」

「そんな事言うならお前だって…」

「私は管理者だからいいのです。」

「管理者…?」

「ええ、ここの。」


 詳しい事は分からないが、これは退散した方が良さそうだと本能が警鐘を鳴らす。しかし私はわざとそれに気付かないふりをして会話を続ける。


「なあ、屋上の扉もその鍵で開けられるのか?」

 少女はぴくりと反応し、やがて小さく首を横に振った。


「なら、これ。」

 私はポケットから屋上の鍵を取り出して彼女に差し出した。


「いりません。」

「どうしてさ。」

「それは、あなたが保管しておいてください。今までと変わらず、大切に。」


 一瞬だけ振り返りかけてやめた少女は落ち着かない様子でそう言い放つ。そして大きく息を吸ってから振り返る。


「そうだ、屋上、行きません?」

 少女は先程までとは打って変わって晴れやかな表情をしている。


「ああ、いいけど…。」

「なら決定ですね!先行ってますから!」


 私が呼び止めようと手を伸ばすより先に少女は施錠を解いて走り去ってしまった。

 足音は遠ざかって段々と小さくなったと思えばすぐに消えた。日が傾いて紅く染められ、幻想的な雰囲気を醸し出している教室に一人取り残されると感傷的な気分になりそうになる。

 あまり待たせてもいけないと思い教室を後にし、早足で屋上まで向かう。

 階段を上がってみると屋上への扉はもう開いていた。


「どうして…?」

 予期せず口から発せられた言葉に対して返答が返ってくる。


「開けっ放しでしたよー!」


 そうか、と心の中で納得して屋上へ出るといつもと変わらぬパノラマに一つ、そこに少女が立っているという"exception(例外)"が存在していた。


「ふふ、ここに来ると落ち着いていいです。今度から私、ここで考え事しよっかなーって。」

「おいおい、ここは俺の場所だぜ…?」

「嫌なら鍵、しっかり掛けておけばいいじゃないですか?」

「む…それはそうだが…」


 楽しそうに跳ねまわる彼女を見ていて私の心に不快感は全く無く、変わりに何か不思議な感覚が私を包んでいた。


「そういう事で、私は考え事をしますねっ。アデュー!」


 言うが早いか、少女は校舎の縁に座って微動だにしなくなった。

 恐る恐る少女に近づき、少し距離を置いて横に座ってみる。視線ひとつ動かさないその様子はまるで少女の彫刻を見ているようだった。

 しかし何故だろう、考え事をしているにしては嫌に深刻そうな表情をしている。


 そしてふと、少女の手に触れた時の感覚が蘇る。あの暖かさは、あの心地良さは、一体何だったのだろうかと。

 私は少しずつ少女との距離を詰め、少女のその手に自分の手を重ねようと本当に少しずつ、手を伸ばした。


 しかし、後僅かという所で少女が急に立ち上がる。私は驚きで手を引っ込めるのと同時に校舎から落ちそうになった。

 しかし少女はそんな事は気にも留めない様子で校舎の中へと向かう。


「お、おい、ちょっと待てよ…!」

「え?どうしてですか?」

「いや、どうもこうもないが…」


 もっと一緒にいたい。その短い言葉すらも遂には出ず、結局少女は首を傾げて校舎の中へと入っていってしまった。


「仕方ない、かぁ。」


 私は大きな溜め息をつくと立ち上がって少女を追うように屋上を後にした。

 階段を降り、教室の扉に手をかけてみると、やはり施錠されている。

 私はそのまま裏口へと向かって鍵を開け、従業員用の門を乗り越えて家路についたのであった。

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