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C.D.V-M.R|O  作者: フーデリッヒ・シュタイナー
CAPUT I : Initium dilectionis
2/12

Occurrentes

 「人には腕が2本あるが、それを目一杯使っても全てを抱きかかえる事はできない。だから何かを得るために同じだけ手放さないといけない。」


 空を仰ぎながらふと思考が言葉となってどこへ向かうでもなく虚しく放たれては消えているのに気付く。いけない、悪い癖だ。


「だからこそ、手放すそのときに人は必死に考える。考えて考えて、自分にとってより良いものを手元に残そうとする。」


 背中側から少女の声。驚いて振り返って顔を見ようとするが、夕陽を背にしていて姿がよく見えない。


「こんな所でこんな時間に、あなたは一体何をしているのですか?」

「考え事さ。」


 私は高校に入学してからというもの、事あるごとに決まって屋上へ出ては校舎の縁に腰掛けながら考え事をするのだった。

 夕刻、屋上へと続く重い鉄製の扉を押し開けるとそこにはコンクリート製の淡い橙色の床の上に夕陽を背に受ける学校のアンテナの影が伸び、少しだけ視線をその先へと投げ出すと真っ赤に燃え上がっている私の住む街が一望できる。

 ここにいるとまるでこの世界には自分以外に人間はいないようで、感傷に浸るには絶好の場所なのだ。


「ふーん…」

 そう言ったきり少女は黙り込んでしまった。


「何か俺に用が?」


 その言葉を受けて、少し前かがみになっていた少女は背筋をピンと伸ばす。

 その姿は凛々しく、思わず見とれてしまいそうになった。


「何も、ありませんよ。」


 拗ねたような、それでもって私の質問を軽くあしらったような言い方。彼女はそれから身動き一つせず、私はまるで今まで人形と話していたのかと錯覚してしまいそうだった。

 このシルエットから分かる事と言えば彼女がこの学校の生徒である事だけだ。彼女の身体が私に対してちょうど45度程度傾いているので、右胸の鷲のピンバッジが僅かに確認できた。髪は長く、後ろで結いてあった。ポニーテルだ。


「あっ…私、そろそろ行かないと。」


 顔も何も動かさずにどのようにして時間を確認したのだろうか、思い立ったかのように少女は言い捨ててくるりと後ろを向いたと思えばそそくさと校舎の中へと戻っていった。

 重いドアの閉まる音。その残響は太陽と共に闇へと飲まれて消えていった。

 ここには元から音はなかった。だが何故か今日だけは不気味な程に静かだ。そう思わせる何かがある。人間は物事を考えるとき、必ず何かと比較している。

 先ほどの少女はそれほどに騒がしかっただろうか。否、そうじゃない。そもそもここに人が訪れた前例がないからだ。

 ここで人と話した事など今まで一度もなかった。


「自分にとって、より良いもの…」


 私は今、これからの将来を本格的に考える時期に差し掛かっている。選択の余地はそれなりにあるものの、夢がない。だから何も決められないのだ。

 そんな優柔不断な自分が嫌になる事もある。今日も担任に呼び出されて「せめて大学進学か就職かだけは決めろ」と脅迫じみた事を言われてここへ来たのだ。

 だが、私にも夢がまったく無い訳でもない。親の影響で去年あたりから軍人になる事を考え始めた。


 私の両親は国防軍に勤務している。そのせいで私は野放し状態なのだが、時折親の勤務している軍事施設に呼ばれて仕事を見せてもらうのだ。

 単に格好良いという事もあるが、何より元来人の為になりたいと思う事が多いのでこういう職には憧れるのだ。


「はぁ、あいつのせいで今日はもう考える気もないな…」


 誰に聴いてもらうでもなくそんな言葉を口にしながらゆっくりと腰を上げて校舎の入り口へと向かう。

 と、静寂を切り裂く金属音。何かを蹴ったようだ。目を凝らして床を見つめる。


「何だ、これ…?」


 そこには流れ星を模した鉄製の髪飾りが落ちていた。間違いなくあの少女のものであろうが、しかし先程少女が立ち去る際にはこんなものが落ちた音はしなかった。

 自分の記憶を怪しみながらも恐る恐る髪飾りを拾い上げ、月光に向けてかざしてみる。

 その髪飾りの星の部分は薄緑色のガラスで出来ているようで、妖美な輝きを発していた。


 拾った髪飾りを持って階段を降り、下駄箱で靴を履き替えて学校を後にする。

道に出て家の方を向くと、不思議と空がいつもより近い気がした。




 翌日、普段と変わらず目覚め、いつも通りの朝食をとって、いつもの時間に家を出て学校へと向かい、教室へ入り、授業を受ける。

 ただ一つだけいつも通りでないのは、私の鞄に髪飾りが入っている事だ。昨夜はこれが気になって仕方がなかった。

 ベッドに寝転がりながら窓から射し込む月光にこの髪飾りをかざし、エメラルドグリーンの星の影が部屋の壁に映写されるのを眺めていたが、気付いたら寝ていた。


 朝、目覚めてから髪飾りを鞄に投げ込んで学校へと来たはいいがそもそも昨日の少女が一体何者なのか、どうやって探せばよいか。頭の中は髪飾りと少女の事でいっぱいだった。そのせいで授業にも集中出来ず、内容が何一つとして頭に入ってこない。


「ああ、ダメだダメだ…!」


 自分に言い聞かせるようにして言葉を放ち、勢い良く席を立つ。

 まだ昼時でこの後は午後も授業はあるが、出席した所でこんな状態ではまったく意味がないだろう。

 急いで教室を飛び出て2段抜かしで階段を駆け上がり、あっという間に最上階へたどり着いた。廊下を端から端まで駆けて、最後の階段を上り切る。

 ポケットから鍵を取り出し、いつもの様に重い鉄製の扉の鍵穴に差し込もうとする。


 と、違和感。鍵が差し込めない。少し押し込んでみてから考える。


「開いて…る?」


 ゆっくりとドアノブを捻る。不気味な音と共にノブは回転し、少し押し込めばドアは開いた。

 自分以外に鍵を持っている人はいないはずだ。そう思いながらも扉を半分ほど開けてからすり抜けるように屋上へと出る。

 真っ白な床が陽の光を受けて輝いている。その眩しさに手で目を覆おうとすると正面から声がした。


「人には腕が2本あるが、それを目一杯使っても全てを抱きかかえる事はできない。だから何かを得るために同じだけ手放さないといけない。」


 その聞き覚えのある声は、私に驚きを与えるとともに安心感を与えた。


「お前、鍵をどうやって開けた!」

 目を細めて少女の姿を捉えようとするが、まだ目が慣れない。


「あら、開いていましたよ?」

「開いてた…?」

「昨日、あなたがここを立ち去るとき、あの扉に鍵を掛けましたか?」

「掛け…!」


“た”、と言おうとしてから考え直す。いや、私は鍵を掛けていない。

 何故だったか、少し考えれば分かった。髪飾りだ。流星を模した髪飾りに気を取られて鍵をかけ忘れていたのだ。

 それでふと思い出した。私は髪飾りを彼女に返さなくてはならない。


 私はポケットに手を入れ、髪飾りを掴む。そのまま手をポケットから引き抜いて、正面へ突き出す。


「忘れ物だ。」


 少女の口から何か思い出したかのような声が漏れる。

 そして少女はゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばし、こちらへと向き直る。


 その姿を目にした瞬間、私は夢でも見ているのかと思った。

 少女の瞳は透き通った碧色で、陽光に輝くダーティーブロンドの髪とよく調和が取れていた。その瞳の中に自分が映っているのが見える。

 少女が近付くにつれて瞳の引力が強くなる。このまま吸い込まれてしまうのではないかと思ってしまう程その瞳は深かった。


「ありがとうございます…!」


 その声でふと我に返る。少女の伸ばした手が髪飾りを握った私の手を覆うようにして触れる。

 その指先を伝って少女の暖かさが私の手に伝わってくる。

 そして少女の手が止まる。髪飾りに指だけをかけ、その顔に戸惑いの色を浮かべて私の顔と手を交互に見る。


「どうしたんだ…?」

「あの…返してください。」


 思わずあっと声を上げる。私は無意識のうちにその髪飾りをしっかりと握り締めていた。

 手の力を緩めると少女は遠慮気味に髪飾りを私の手から抜き取ってゆく。


「ありがとうございました。」

 それだけ言って少女は颯爽と身を翻し、出口の方へと歩いてゆく。


「お、おいっ、待てよっ!」


 思わず呼び止める。だが、少女が歩みを遅める事はなかった。

 少女はそのまま鉄製の扉に手を掛け、ふとこちらを振り向いて微笑んだ。そしてそのまま扉の奥の闇へとその姿を消したのであった。

 再び屋上は扉の閉まる音の残響を最後に音を失った。


 まだ陽は高い。しかしその陽もいつかは沈むのだ。少年はいつもの様に校舎の縁に腰掛けて夕陽に染まりゆく街の情景を眺めるのであった。

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