Statim incipere
『Byk-1, This is Nosorog, radio check over.【ブィク1、こちらナサローク、感度チェック。】』
『Nosorog, this is Byk-1. your voice very weak over.【ナサローク、こちらブィク1、感度不明瞭。】』
『Byk-1, notify ETA over.【ブィク1、到着予定時刻を報告せよ。】』
『Nosorog, ETA 20 minutes over.【ナサローク、残り20分。】』
『Byk-1, say again over.【ブィク1、再度言え。】』
『Nosorog, I say again. ETA 20 minutes break over.【ナサローク、繰り返す。残り20分。】』
『Byk-1, request short count over.【ブィク1、送信ボタンを数度押せ。】』
隣に座っている男がヘリコプターの操縦手に向かって怒鳴る。
「何だってこんなに無線が通じにくいんだ。ここは魔界か。」
『Byk-1, solid copy? over.【ブィク1、理解したか?】』
「操縦手、これは切れないのか。」
「切れない。いいから黙っていろ。」
操縦手は頭を前に向けたまま怒鳴り返した。
『Flash flash flash, This is Ovtsa, Nosorog, message for you over.【こちらアフツァー。ナサロークにメッセージだ。】』
『Ovtsa, This is Nosorog, send your message over.【アフツァー、こちらナサローク、メッセージを送れ。】』
『Nosorog, Request helo pick up over.【ナサローク、ヘリコプターでの回収を要求する。】』
『Ovtsa, Roger go ahead over.【アフツァー、了解。】』
『Nosorog, Grid X1 LZ green over.【ナサローク、座標X1、着陸地点の安全は確保した。】』
『Ovtsa, Helo callsign Byk-2 LZ Point ETA 10 minutes over.【アフツァー、ヘリコプターのコールサインはブィク2。着陸地点への到着予定は10分後。】』
『Nosorog, Thank you out.【ナサローク、ありがとう。】』
「ブィク2が10分で到着するのに我々は後20分?ブィク2は今我々の右後ろを飛んでいるんだぞ?」
「分かっている!こいつの無線機が悪いんだ。きっとブィク2にもブィク3にも我々の声は届かない。」
「はぁ…運が悪いな。」
立ち込める暗雲を切り払うように物々しい音を上げながら3機の大型ヘリコプターとそれを護衛する4機の攻撃ヘリコプターがロシアからウクライナの死都プリピャチへと向かう。
Mi-24RKhRと呼ばれる空飛ぶ棺桶、Byk-1のコールサインを有する大型攻撃ヘリコプターの中には与圧されたコックピットにパイロットとコ・パイロット、それ以外は2人の研究者とそれを護衛する5人の兵士からなる部隊、それとバイオハザード表示のされた冷凍コンテナが無造作にこれでもかと言うほど積まれている。
Byk-2とByk-3はMi-26T2と呼ばれる全長40mを超える大型輸送ヘリコプターで、それぞれ兵士50人と大量の物資を積んでいる。
この3機を護衛するのは攻撃ヘリコプターKa-52である。
ようやく頭が回って来てから無線通信で不思議だった点を質問してみる。
「で、どうしてアフツァーは自力で帰れないんだ。」
「お前、寝ていただろう。」
「寝ていたとは失礼な。」
「起きていたならつい数分前の指令を聞いていたはずだ。俺から説明することもあるまい。」
「念のためさ。」
「はぁ…。今から数時間前にプリピャチのヴィーゾフウィルスの感染者を隔離していたあの施設のある都市区画の警戒警備をしていた者から内部で暴動があったとの連絡を本部が受けて、付近の警察を動員しようとしたら警察は侵入出来ないと言う。だからアフツァーが向かったんだ。そこまでは聞いてたか。」
「いや、全然。」
「それで、アフツァーが着陸地点を確保して着陸して暴動を鎮圧しようとしたら予想以上に住民の抵抗が激しく、我々に応援を要請した。都市区画はウィルスが蔓延しているので、この暴動がウィルスの仕業であればそれを排除する為にと言う事でこの研究者2名と物々しいコンテナを運んでいるんだ。」
「そういえばそんな話も聞いたような気がするな。」
『Nosorog, This is Ovtsa, contact, LZ red over.【ナサローク、こちらアフツァー。会敵、着陸地点は危険。】』
『Ovtsa, Stand by over.【アフツァー、待機せよ。】』
「暴動はそこまで酷いのか。発砲許可は。」
「出るはずがない。何せ相手は市民だ。アフツァーは防護盾とゴム弾と非常用の拳銃しか持っていない。」
「ゴム弾は使っていないのか。」
「さあ。知らん。」
「なら移動命令を出せば良いのに。これでは…」
それからしばらく無言が続いたが、到着数分前になってアフツァーから本部へと無線が入った。
『Nosorog, This is …tsa, Request …ir su…ort over.【ナサローク、こちら……】』
『Ovtsa, Stand by over.【アフツァー、待機せよ。】』
『Nosorog, This is Ovtsa, Request close air support over.【ナサローク、こちらアフツァー、航空支援を要求する。】』
『Ovtsa, How copy? Stand by over.【アフツァー、理解しているか?待機せよ。】』
『Nosorog, This is Ovtsa…【ナサローク、こちらアフツァー……】』
突如無線機からアフツァーの無線手の声が聞こえなくなった。
「おい、アフツァーはどうした!」
「知るか。こちらも後数分で到着する。」
『Byk-1, What happened to Ovtsa?【ブィク1、アフツァーに何があった?】』
『Byk-2, I don't know. out.【ブィク2、知るか。】』
「あれだ。着陸地点を確認した。何だ、グリーンじゃないか。」
「人がいないな。アフツァーはどこへ行った?」
「大方隠れたのだろう。着陸する。」
徐々に3機のヘリコプターは高度を下げ、開けた場所に着陸した。護衛のKa-52は一度帰還する。
「行け!」
着陸と同時に私を含めた5人の兵士と2人の研究員、それとByk-2、Byk-3それぞれ50人の兵士が封鎖隔離された都市区画へと降り立った。
「クリア!」
着陸地点の安全を確保し、コンテナがMi-24Rから降ろされる。
だが、コンテナを1つ降ろした瞬間に突如建物の陰や草むらから住人と思われる人々が100人程飛び出してきてMi-26T2に向かって走って来た。
「奴らを止めろ!発砲を許可する!」
「待て!コンテナを撃つな!射撃するんじゃない!」
Mi-26T2から降り立ったばかりのチームが3人を射殺した頃には既に操縦手は引きずり降ろされてヘリコプターは貨物を搭載したまま奪取された。
「何人が乗った!」
「恐らく20から30人が乗ったと思われる。ここは封鎖隔離された区画だ。外に一人でも人間を出した日にはどうなるか分かった物じゃありませんよ!」
「だからって殺す訳にはいかないだろう!民間人だぞ!」
「いや、あの数十人の民間人が外に出ればそれこそ人類滅亡だ。撃墜を許可する。」
「ですがコンテナが……!」
「構わん。我々に被害は無い。」
「了解。」
住民の中にパイロットがいたのだろう、回転数を上げたMi-26T2の機体が浮かび始める。
「パイロットを射殺すれば良いんだ!何もあれを落とす事はないじゃないか!」
「ダメだ、角度が付きすぎた。」
「もういい、落とせ。砲兵、イグラを持っていたな。」
「機体の中です。重火器はすべてあのコンテナの中に。」
「私が。」
もう一機のMi-26T2から降り立ったばかりの砲兵が地対空ミサイル“ストレラ”を肩に担いで叫ぶ。
直後、ロックオンを示す音が鳴り、轟音と共に矢が放たれる。毎秒600mという速さを誇る矢は一瞬にしてMi-26T2に到達し、1kgの炸薬が炸裂する。
「あれでは落とせない。」
「十分だ。」
地上で観測しながら数人が議論している内にも目標は高度を落とし、建物に激突して大爆発を引き起こした。
「弾薬か。」
「ええ、嫌というほど重火器を積んでいましたから。戦争に行く訳でもないのにどうしてあんなに積んでいたのでしょうか。」
「何かあったら施設を壊滅させるんだろう。空爆も要請して良いと言われているのに。」
「私に言われても困ります。」
私はそのやりとりを自分の機体のすぐ傍から見ていた。
「おい、行くぞ。」
「もう突入か?」
「違う、指示を聞いていないのか。生存者の確認へ行く。」
「あれじゃ誰も生きていないだろう。それより残った物資を護衛する方が重要じゃないか?」
「だから俺達とブィク2の10人が施設内へ行って、残りの40人が物資の基地内部への持ち込みと援護、60人が着陸地点の安全確保だ。」
「もっと内部へ来ても良いんじゃないか。」
「通路が狭いんだ。17人でも狭いぞ。」
慌ただしく行動する部隊をよそに私はぼんやりと空を見つめる。ふと、光が私に近付いてくる。
「またか……。」
「おい!何してる!」
彼がいくら怒鳴っても動けないものは動けない。光が眩しくて周囲が確認出来ないのだ。
「また“あれ”だ!少し支援してくれ!」
「はぁ……。救護兵、出番だ。」
「だから私達には何も出来ませんよ!」
「分かった。俺が背負って行く。」
私は結局背負われて現場まで連れて行かれた。
数年前、私が入隊してから時々こういう事があった。除隊になると思いながらも申告すると当時の直接の上官の厚意で除隊は免れたものの、車両等の扱いは禁止されたのだ。
「よし、戻れ。配置に着け。コールサインを更新する。突入部隊はZmeya【ズミヤー】、物資の輸送部隊はAosol【アスィォール】、着陸地点と司令部の防衛部隊はMedved【ミドゥヴィェーチ】とする。行動開始。」
私達はズミヤー、つまり蛇である。
私は研究者の方へと向き直って言う。
「我々から離れるな。」
「分かりました。」
「前後に着け。前5人、後ろ8人だ。私達は左右に着く。広間に出たら各自解散してエリア内を捜索しろ。ただし扉には近付くな。単独行動と独断での行動は当然禁止だ。必ず確認を取れ。」
「了解。」
「内部の案内は任せる。」
私は男性の研究者の肩を叩いて言う。
「案内って……。えっと、正面入口のすぐ傍に見取り図があります。そちらも軍だから持っているのでは……?」
「ああ、持っている。だが地図だけでは役に立たない場所もある。」
「分かりました。」
「それで、あの箱は何だ?」
「現在あのウィルスに対して最も有効性があると思われているものを含める4種類のワクチンです。内部で患者数人に投与します。」
「それで。」
「出来れば彼らを保護室に拘束して投与の実験を行いたいのです。しかしそちらの弾薬が足りるかどうか……。」
「弾薬を使わなければいけないのか?扉を守るのに?一体何の為の鍵だ。外から壊してしまえばいい。扉ならいくらでも爆破出来る。内部を確保して鍵を破壊すればいい。」
「そういえばそうですね……。殺してしまうなら我々は必要ありませんものね。」
「ならばまずは見取り図を確認するぞ。正面入口は。」
「あれです。」
悍ましい雰囲気を放つ廃墟の大きな門がその口を閉ざしているのが見える。
「分かった。よし、アスィォール、準備は良いか。」
「大丈夫です!」
「よし、行くぞ。」
私は何故ここにいるのか。あの学校の頃の夢を見て、あの時の私の選択はあっていたのかと自問自答をする。
あの後私は空挺師団に配属された。結局少女とはもう話さず、会う事も無かった。
私の選択はこれでよかったのだろうか。
様々な思考を振り払い、私は廃墟へと歩みを進めはじめた。