第9話
第9話
"地下へ"
鍵が掛かっている非常階段の扉の前で、達也が有紀奈に無線で何度も呼び掛ける。
「速水、返事をしろ」
有紀奈からの応答は無い。
しかし、しばらく呼び掛け続けると、無線機から有紀奈の声が聞こえた。
『電源入れるの忘れてたわ』
「何故切った?」
『切らなきゃいけなかったの』
「…そうかい。今、何処にいる」
達也がそう訊くと、非常階段の扉を向こうから叩く音がした。
『扉の向こうにいるわ』
「なるほど。手榴弾を使ったのはお前か?」
『えぇ』
「随分と派手にやったな。建物、削れてるぞ」
『やむを得ずやったのよ』
「やむを得ず…ねぇ」
達也の言葉に、有紀奈はわざとらしい咳払いをした。
『…とりあえず、合流できないかしら』
「何故」
『さっきから質問ばかりね。…1階の様子は見た?』
「あぁ。蠢いてた」
『患者の数は思った以上に多いわ。やっぱり、4人で行動しましょう』
「了解。だが、どこで合流する?」
『そうね…』
有紀奈はしばらく考え込んだ後、上を見ながら答えた。
『あなた達、屋上に来れる?』
「屋上だと?」
『屋上以外のルートは全部、必ず1階を通る必要があるわ。それなら、上で合流した方が安全じゃないかしら?』
「確かにそうだな。よし、屋上にしよう」
『待つのは嫌いだから、なるべく急いでね。切るわよ』
達也は有紀奈が無線を切った事を確認し、自分も無線機をしまった。
「屋上…ですか?」
美咲が訊いてくる。
「聞いてたか。すぐに向かうぞ」
「了解です」
2人は階段へと向かった。
非常階段…
「さてと、行きましょうか」
有紀奈は無線機をしまいながら、段段を見てそう言った。
晴香も階段を見る。
「屋上…ですか?」
「えぇ」
「屋上…ですか」
晴香の声のトーンが暗くなる。
「…どうしたの?」
「…高い所、苦手なんです」
それを訊いた有紀奈は、思わず笑い出しそうになった。
「そ、そう…なんだ…。くっ…ふふふ…」
「わ、笑わないでくださいよ…。結構真剣に苦手なんですから」
「し…真剣に苦手なのね?…ふ、ふふ」
「うぅぅ…!」
晴香は顔を真っ赤にして半泣きになっていた。
有紀奈が笑いを堪えながら謝る。
「ごめんね…。でも、可愛くて…」
「もう!早く行きましょうよ!」
「はいはい…」
階段を登り始める2人。
有紀奈は、晴香に気付かれないようにずっと笑っていた。
「(この子、やっぱり可愛いわ…)」
「ま、また笑ってる!」
「ごめんごめん…」
屋上に到着すると、2人は真っ先に患者が居ないかを確認した。
「クリア」
「こっちも大丈夫です」
2人は安全を確認し、手分けして屋内への扉を探し始める。
「有紀奈さん、ありましたよ」
有紀奈が晴香の声を聞き、扉の前まで歩み寄ってドアノブに手をかける。
「鍵は…掛かってるわね」
有紀奈は扉のすぐ隣に窓ガラスを見つけ、そこに銃を構えた。
「あの…、何を…」
晴香が訊く前に、有紀奈は窓ガラスを撃ち壊した。
「後は、冴島達を待ちましょう」
「そ…そうですね」
晴香は横目で有紀奈を見ながら、本人に聞こえないように呟いた。
「この人、壊すの好きだなぁ…」
和宮病院地下1階…
武司が前方、茜が背後を警戒しながら進む4人。
真ん中に居る瑞希と風香は、さっきから続いている重い沈黙に少々困惑気味だった。
「風香ちゃん、何でこんなに静かなの?」
瑞希が2人に聞こえないように風香にささやく。
「私に訊かないでよ。でも何か、茜とおじさんがピリピリしてるような…」
風香は振り向いて、茜を見ながら言葉の続きを言った。
「気がする」
「…え?何?」
茜がきょとんとした様子で風香に視線を返す。
「なーんでもない」
「何でもない事は無いでしょ。どうしたの?」
「神崎さん、あのおじさんの事、あまり良く思ってないように見えて…」
瑞希は茜の隣に行き、武司に聞こえないようにそう呟いた。
瑞希を見て微笑む茜。
「うふふ。そう見えたの?」
「す、すみません。失礼でしたよね…」
「…どちらかと言えば、良くは思ってないわ」
茜がそう言った瞬間、先頭を歩いていた武司が突然立ち止まった。
「聞こえてるぞ」
「…あら。耳、良いのね」
武司は振り向いて茜を見た。
「素性を知らない奴はどうも信用できん。そろそろ、教えてはくれんかね」
「直に教えるわ」
「今じゃダメなのか」
「えぇ」
2人はしばらく睨み合っていたが、瑞希が2人の間に入って止めさせようとした。
「2人共やめてください!仲間同士でいがみ合ってどうするんですか!」
「…仲間だと?」
「仲間ですって。いい言葉ね」
2人は更に険悪な雰囲気になっていく。
すると、風香が呆れた様子で溜め息混じりに2人に言った。
「いい加減にしてよ。子供じゃないんだから」
「あなたに言われたくは…」
茜が言葉を言い切る前に、風香が彼女の頬を手の平で打ち付けた。
「痛ッ…!」
「問答無用。2人で喧嘩して、何の得があるのよ?大人は仲間を信用する事もできないの?」
「………」
無言になる武司。
茜も風香を見たまま、何も言えなくなっていた。
「大人がそんな調子でどうするの。しっかりしてよ」
「…すまなかった」
「…ごめんなさい」
「わかればよろしい。さ、行こ」
「風香ちゃん、何で偉そうにしてるの…?」
「偉いから」
「そう…なんだ…」
4人は再び通路を進み始めた。
茜が風香に叩かれた頬をさすりながら歩いていると、瑞希が気まずそうに訊いてきた。
「だ…大丈夫ですか?すごい音しましたけど…」
「大丈夫。2回目よ…」
「え?2回目…?」
「まぁ、間違ってたのは私だからね。…それにしても」
茜は前を歩く風香の背中を見て、言葉の続きを呟いた。
「彼女からは、色々教えられるわね…」
「教えられる…?」
「えぇ。大切な事を、色々とね」
風香は瑞希が隣に居なくなってる事に気付き、後ろを振り向いた。
「…何話してんの?」
「なーんでもない」
茜はイタズラっぽく笑い、そう言った。
「みんな、こっちだ」
先頭の武司が何かを見つける。
それは地下2階への階段だった。
瑞希が不安そうに階段を覗き込む。
「降りるんですか…?」
「あぁ。隈無く探そう」
「確かに地下は怪しいけど、危険じゃないかしら?」
茜が瑞希の隣でそう言う。
しかし、風香は茜の言葉を聞きもせず、階段を降り始めた。
「ほら、さっさと行こうよ。どうせ引き返したりはしないでしょ」
「風香ちゃん!待ってよ!」
瑞希も風香を追って階段を降りていく。
茜は風香を見て、溜め息を吐いた。
「あの子、慣れてきちゃってるわね…」
「慣れは油断に繋がる。何もなければいいがな。行くぞ」
「あら、信用できない人間を連れて行くの?」
横目で武司を見る茜。
武司は鼻で笑って答えた。
「見たところ、お嬢ちゃん達はあんたを信用してるみたいだからな。彼女達に免じて、今は信用してやろう」
「それはどうも」
4人は階段を降り、地下2階に足を踏み入れた。
和宮病院5階階段前…
「冴島さん…、早いですって…」
疲労困憊しながらも、階段を登りきって5階へと到着した美咲。
達也が呆れた様子で美咲を見て言った。
「この程度の階段で疲れるのか?だらしねぇな…」
「平凡な女子高生に体力を求めないでくださいよ」
「どうせあれだろ。お前帰宅部だろ」
「悪いですか!?」
「別に…」
次の階段に足を掛ける達也。
すると、美咲が階段に座り込んで懇願した。
「少し休みましょうよ~」
「次で最後だ」
「さっきもそう言ったじゃないですか!」
「次は本当だ」
「嘘だったら百万円下さいね!」
「そんな事言う奴、まだ居たのか…」
2人が階段を登り切ると、そこは目的地の屋上だった。
「やっと着いた…」
「ガラスの破片…?」
達也が地面に散らばっているガラスの破片を見て呟く。
すると、右手側から声が聞こえた。
「こっちよ」
声のした方を見てみると、割れた窓ガラスから、有紀奈が顔を覗かせていた。
「すまん。遅くなった」
「全くよ。何か見つけた?」
有紀奈が窓に付いているガラス片を銃を使って落とし、窓をくぐりながら達也に訊く。
「患者と死体だけさ。そっちは?」
「私達も同じよ。だけど、山口達が情報を入手したわ」
「聞かせてくれ」
有紀奈は武司から聞いた霊安室の件を、達也に話し始めた。
有紀奈の後から出てきた晴香が、疲れきった様子の美咲の元へ行く。
「美咲、どうしたの?」
「鬼…鬼だよあの人」
「へ?鬼…?」
美咲はふらふらしながらも立ち上がり、晴香を見て笑った。
「独り言。それよりも、無事でよかった!」
「今まで色々あったけど、何とか切り抜けて来たからね。…怖かったけど」
「結構、ピンチな時もあった感じ?」
美咲の質問に、晴香は苦笑いしながら答えた。
「…数回」
「あらー…」
「まぁ、こうして生きてるから良いけど」
2人は顔を見合わせて笑った。
すると、話を終えた達也と有紀奈が2人の前に来た。
「2人共、探索を再開するわよ」
「今度はどこを調べるんですか?」
晴香の質問に、達也が答える。
「5階から調べる。そしたら次は4階だ」
「結局、しらみ潰しなんですね…」
溜め息を吐く美咲。
「何しろ手掛かりが無いからね。行くわよ」
階段を降りる4人。
5階に着くと、有紀奈が通路を見渡して呟いた。
「1階に比べて、かなり綺麗ね…」
それを聞いた美咲が、思い出したように言う。
「あ、そうそう。1つ気付いたんですけど、上の階に行くほど、患者とか死体が少なくないですか?」
「…確かにそうだな。4階にも死体は無かったし、3階からは患者に1度も遭遇してない」
達也が腕を組んで、下の階の様子を思い出す。
「何か理由があるんですかね?」
晴香の疑問に、有紀奈がある推測を立てた。
「武司が言ってた実験が地下で行われていたとしたら、患者が上の階に少ない事はおかしくないわ」
「だとしたら、地下に居るあいつらはかなり危ないんじゃないのか?」
「あくまでも推測よ。でも、そう考えるのが自然だと思うわ」
「お前の勘は状況が悪いほど当たる。地下に行こう」
「褒めてるのかしら?それともバカにしてるのかしら?」
「バカにしてる」
「あっそ…」
4人は探索を中止し、地下に向かうことにした。
階段を降りて4階に出ると、3階への階段の前に、1体の患者が立っていた。
「ふん。1体か」
達也が銃を構える。
引き金を引こうとした時、晴香が静かな声でささやいた。
「待ってください!あの患者の後ろ…」
達也が見てみると、患者の後ろから、爪が異常発達した盲目の患者が歩いて来ていた。
晴香と有紀奈は初めて見るその患者に、思わず呆然としてしまう。
美咲と達也は和宮高校の教室内での戦闘を思い出した。
「音を立てるな。奴は目が見えてねぇ」
「冴島、知ってるの?」
「"アルファ"で戦った」
すると突然、盲目の患者が階段の前に居る患者を爪で突き刺した。
絶命した患者を放り捨て、こちらにゆっくりと歩いて来る。
「や…やばくないですか?」
「壁に張り付いて静かにするんだ…」
4人は静かにその場から離れ、それぞれ背中を壁に付けて歩み寄る患者を凝視する。
患者はゆっくりと4人の間を歩く。
途中で立ち止まったが、4人に気付いている様子ではなかった。
再び歩き出す患者。
その時、少し安心した美咲がバランスを崩し、足音を立ててしまった。
「あ…」
「避けろ!」
音を聞いた患者が、美咲の元へ突進してきた。
美咲は後ろに倒れ込み、攻撃を避ける。
患者の攻撃は窓ガラスに当たり、けたたましい音が鳴り響いた。
達也と有紀奈が素早く患者の背後に付き、2人で同時に患者の背中を蹴りつける。
患者は蹴られた勢いで窓ガラスから落下し、絶命した。
「美咲!」
晴香が美咲の元へ駆け寄る。
美咲は力無く笑い、手を差し出してきた。
「あはは…、腰抜けちゃったよ…」
「怪我は無いの?」
晴香が美咲の手を引っ張って起こしながら、心配そうに訊く。
「大丈夫。この通り、怪我はないよ」
「なら良かった…」
達也と有紀奈は窓ガラスから頭を出し、落下した患者を見ていた。
「盲目の患者…ねぇ」
「聴力は大したもんだがな。それに、あの爪の殺傷力は見ただけでわかるだろう」
「即死ね」
「おっさんは生きてるがな」
それを聞いた有紀奈が、達也の顔を見る。
「…刺されたの?」
「感染はしてない。噛まれない限りは大丈夫みたいだぞ」
「そう…」
達也は窓から離れ、美咲と晴香の元へ行った。
「…怪我は無いようだな」
「腰が抜けました」
美咲の言葉に達也は鼻で笑い、1人で歩き出す。
3人も後を追い、4人は3階への階段を降り始めた。
和宮病院地下2階…
「何だこの数は…」
地下2階の通路に居る大量の患者を見て、武司が呟く。
「引き返す?」
茜が後ろにある階段を見て言う。
しかし、武司は銃を構えた。
「いや、一本道なら戦いやすい。退却は危なくなってからすればいいさ」
「了解。接近されたら任せて頂戴」
武司、風香、瑞希が射撃、万が一患者が近付いてきた場合は茜が蹴り飛ばす。
しかし、3人の弾幕に患者は近付くことなく次々と倒れていった。
「まだ奥に居るっぽいね」
風香がアサルトライフルの再装填をしながら、通路の奥を見る。
「この調子なら押されることはない。倒しながら進むぞ」
4人はT字路を左に曲がり、患者を1体1体仕留めていく。
すると、後ろからも患者が来ていることに茜が気付いた。
「あら…、後ろからも来てるわ」
「挟まれたか」
「後ろは任せて」
「銃も持たずにか?無茶言うな…」
武司が後ろに居る患者に銃を構えた時、風香が彼にこう言った。
「あいつは1人で大丈夫だよ。むしろ加勢は邪魔になると思う」
「大丈夫な訳が無いだろう。10体は居る」
「いいから見てなよ」
武司が見てみると、茜は左足だけで立ち、右足で患者の顔面を次々と蹴りつけていた。
10体以上は居る患者が、茜1人によって食い止められていた。
「なるほど、大したもんだ」
「だから言ったでしょ?後ろは任せて、私達は前を蹴散らそう」
「わかった。…お嬢ちゃん、どうした?」
手元の銃を見て首を傾げている瑞希に、武司が気付く。
「撃てなくなっちゃったんです…。どうしてだろう」
「…弾切れだ。これを使いな」
「これを…どうやって使うんですか?」
「………」
武司が面倒臭そうに瑞希の銃を再装填する。
風香はその様子を見ていて、自分が銃の扱いに慣れてきている事に改めて気付いた。
「慣れて良いのかな…、これ…」
風香の独り言に、武司が瑞希に銃を渡しながら答えた。
「若い内は色々と挑戦するべきさ。大人になって役立つはずだ」
「射撃が?」
「多分な。多分」
「へぇ…」
そんな話をしていると、茜が3人の元に戻ってきた。
「あら、まだ片付いてないの?」
「もう全滅させたのか…」
武司が茜の後ろに転がる大量の患者の死体を見て言う。
「まぁね。ほら、そっちも早く片付けなさいよ」
「…思ったんだけど、あんたが全部やれば早いんじゃない?」
風香の言葉に、茜が腕を組んで答える。
「疲れるわ」
「………」
それからしばらくした後、戦闘は無事終了した。
「これで全部だな」
「かなり居ましたね…」
「余裕だったけどね」
「油断しちゃダメよ。さ、行きましょうか」
4人は通路を進んでいった。
第9話 終