イタリアでの戦いーその1ー
冬期でも戦闘を望んだ俺は、ローマの二個軍団がローマが建設して間もないピアンチェンツァにいると斥候からの情報を受けるとすぐに、ピアンチェンツァに向かって進軍した。
ピアンチェンツァにいた執政官コルネリウスは、敵情視察をしたかったのか騎兵2500と軽装歩兵1500だけを従えて西に進軍した。
俺は、その事をすぐに知って歩兵の進軍を停止させ、弟マゴーネに軍を預け騎兵だけを率いて戦う事にした。
俺は、ガリア傭兵の騎兵5000と精鋭のヌミディア騎兵2000を率いた。
俺と執政官コルネリウスはティチーノの地で激突した。
戦況は、はじめは互角だった。だが、ローマはローマと同盟した弱小のガリア人騎兵だったので、我らが精鋭ヌミディア騎兵にはかなわなかった。すぐに横に回り込み、ローマの本体を攻撃し壊滅させた。執政官コルネリウスを逃したが。ローマは二個軍団の騎兵戦力を失い、600名が捕虜になった。
俺は、捕虜を尋問して近くにあるカステッジョの村がただの村落ではなくローマ軍の兵糧貯蔵地だと知った。
俺は、弟マゴーネに歩兵と象隊を預けて東へ進軍するように命令した。
俺は、騎兵を率いてカステッジョの村を攻め落とした。これで、ガリア人村落を兵糧を得る為に襲わなくなったので、ガリア人の懐柔作戦がやりやすくなった。さらに、ティチーノでの騎兵戦の結果もありガリア人の参戦申し込みは増えた。
これは、史実のティチーノ会戦を元にしています。(史実100%)