ハンニバル イタリア侵入ー前編ー
俺は、ピレネーを越えると史実通りにガリアの内陸部を大きく迂回した。何故なら、マルセーユにスペイン遠征するローマ軍24200が駐留していたからである。
俺は、史実通りにガリア民族への懐柔などを行った。そして、大河ローヌを渡河した。
しかし、渡河する為にパトロールに出していた騎兵500がローマ騎兵300と鉢合わせになってしまい、200騎の損害を受けた。(ローマ軍の被害は140騎)そして、執政官コルネリウスに行方を知られてしまった。執政官コルネリウスは、全軍を率いて渡河地点に辿りついたが、俺は3日前にアルプスへ向かい出発していた。
すると、執政官コルネリウスをローマ元老院はピサに呼び戻した。コルネリウスは、弟のグナエウス=コルネリウス=スキピオ=カルウスに二個軍団24060を預けてスペインへ向かわせた。この判断は後に仇になった。
俺は、アルプスの麓のガリア人を懐柔してモンジネブロの道を聞けた。
登り始めてから九日目に峠の上に辿りついた。そして、二日の休憩を取ることにした。
俺は、「あそこに見えるのは、イタリアだ。ここを下ってイタリアに侵攻すれば、ローマの城門の前にたったのと同じことだ。アルプスを越えた我々は英雄だ。イタリアに侵攻して何回かの戦闘をすれば我々は全イタリアの支配者になれる!我に続き、イタリアを征服しようぞ!」と演説し士気をあげた。