水〜スイ〜
うだるように暑い夏の日には、水に浮かびたくなるんです。
私は水の一部となり、ちいさなそれの中を漂う。そんな時間を愛しているんです。
水〜スイ〜
ゆらり、ゆらり。
誰もいないプールを私は漂う。
学校の屋外プールには私以外に全く人がいなぃ。愛すべき私の時間。
誰もいないプールで声だし。
鼻唄がもの悲しく響いた。それでも私は流行りのJ-POPナンバーを歌い続ける。
サビに入ってのってきた私は、ゆったりと背泳ぎなんて始めた。
そのときだった。視線を感じたのは。
歌うのを中断して、辺りを見渡す。
誰もいない。アリと蝶々が少し舞っているだけ。
私は背泳ぎを再開した。
また、視線を感じる。
再び、背泳ぎ。
何度か繰り返した時、校舎の3階にその視線の主を見つけた。
男とも女とも知れない何者かと、ジットリと視線が絡まる。
先に目を反らしたのは奴の方だった。
少し勝ったような心地がして、私はタプンと水につかる。
向こうから、私はどんな風に見えているのだろう。考えるとなぜかドキドキした。
出来れば神秘的で美しく映っていて。水に溶けこむマーメイドのように。
綺麗な尾鰭を揺らして優雅に漂う彼女たちのように、憧れを感じさせたいと思う。
三階のそこは音楽室だった。
しかし吹奏学部が常に使用している第一教室ではなく、誰もいない第二教室。
「なぁ、うちの学校って水泳部とかあったっけ?」
「ねえよ。なんで?」「人がいる……」
2人は放課後の空き教室でたわいもない雑談をしているところだった。
窓辺に立っている華奢な美男子が竹野 光輝、ピアノ用の腰掛けにあぐらをかいているのが荒川 大和である。
竹野の言葉に、荒川は渋々といった表情で窓辺に歩み寄る。
「どこだよ」
「え?だからプールに……」
竹野が再び見下ろした時、そこには既に人影は見当たらなかった。
「お前オバケでも見たんだろ、きっと」
荒川は茶化す様にそういった。
晴れないモヤモヤを抱えたまま、この日竹野は家路についた。
──翌日。
竹野は授業に集中出来ぬまま、ぼぉっと昨日の出来事を反芻していた。
何度考えても見間違いなどではない。確かにはっきりと少女の姿を見たのだ。
「あぁ〜くそっ!」
竹野はまとまってくれない自分の思考を留めるように机を殴った。
……授業中であるということをすっかり忘れて。
「竹野!なんだその態度は!俺の授業が気に入らないなら出て行け!!」
当然の如く先生はご立腹。
竹野は言われるがままに立ち上がり、教室の外へと出ていった。
途中、隣の席の荒川がドンマイといった表情を向けていたのを横目で確認しながら。
この時の竹野の心情はというと、集中出来ない授業を受けていてもしょうがないと腹をくくっていた。
竹野の頭は、昨日の少女の事でいっぱいだった。深い恋に堕ちたかのように。廊下に座り込みながら、竹野は放課後プールに行けば少女に会えるかもしれないと、小さな期待を膨らませていたのだった。
バタバタと階段を駆け降りる音、互いに挨拶を交す声、運動部の元気な掛け声。
放課後の静かな教室にそれらが仄かに届いてくる。
どこか寂しいその空間に、竹野はひとり残っていた。
「もうそろそろ行くかな……」
竹野が独り言を呟く。もちろん目的は少女に再び会う、いや再び見る事である。ゆっくりと手摺を撫でながら階段を降りて行く。
一歩、また一歩と進む度、緊張が増すのを竹野は感じていた。
「多分、いないよな」
竹野はとうとうプールに続くドアの前に立った。
コホンと咳払いをして自分を勇めてから、竹野はそっとドアを開いた。柔らかな光が溢れる。
そこには、豊かに水をたたえるプールが在るだけであった。
「なんだよ。やっぱりなあ〜」
竹野は安堵の表情を浮かべた。プールの淵まで歩いて行き、昨日少女がいた辺りを眺める。
当然なんの痕跡も残っていないのだが、竹野は少しドキドキした。
「あ〜あ……バカらし。早く帰ろう」
竹野が出入り口に向き直ろうとしたその時、誰かが竹野の背中を押した。
「うわっ……!」
何とか体制を立て直そうとする行為も虚しく、竹野はプールに思いきり飛込んでしまった。
物凄い水音と水しぶきが辺りに飛び散る。
「何すんだよ!!」
勢いよく叫んだ竹野だったが、そこにいる人物を見て面食らった。
どうせ悪友たちの一人だろうと思っていたのに、そこにいたのは……美しく微笑する水着姿の少女だった。
「昨日見てたのも、君でしょう?」
彼女はニコリと笑みを溢す。
近くで見ると、上から見ていた時とは比べ物にならない位美しかった。
「……ごめん。なさい」
息が詰まる程の高揚感。竹野は目眩に似たものを感じた。
初めて聞く声は甘過ぎないソプラノで、竹野の耳を喜ばせた。
初めて覗き込んだ瞳は、淡い褐色で憂いを含んでいた。
束ねられた長い髪を下ろせば、きっと指通りがよくサラサラしているのだろう。竹野は彼女の全てに陶酔した。
「大丈夫?もしかして痛かった?」
しかし彼女の言葉で竹野は現実に引き戻された。
ぼーっとして動かない竹野を彼女は心配そうに見つめていた。
みとれていたことを思い竹野は赤くなった。
「大丈夫です。なんともないし……」
「ふふっ、良かった」
彼女は竹野の横にゆっくりつかり、プールの壁を蹴って泳いで行った。本当に気持ち良さそうに。
真ん中辺りで立ち止まると、彼女は竹野を振り返った。
「君もおいでよ!」
竹野は重くなった上着を脱ぎ捨て彼女の処まで泳いでいった。
彼女のように優雅には進めなかったけれど。
「何秒潜ってられるか対決しよ」
「え?対決って……」
顔に似合わず幼い事を言う彼女。
それすら竹野の目には甘美に映った。
「よ〜い、ドン!」
一斉に水中に潜った。竹野が目を開くと悪戯に微笑む彼女がいた。
彼女が竹野の手をとる。全神経がそこに集中して、熱くなる。
またも息苦しさに襲われ、竹野は息を大きく吐き出してしまった。
水面からザバッと顔を出す。
続いて彼女も。
「本当に大丈夫?なんか顔赤いけど……」
彼女に指摘されて益々竹野の顔は熱った。 不意に彼女の顔が近付き、竹野の額にコツリと当たった。
「ん、熱はないみたい」
竹野は耐えきれず、彼女を水中へ押し戻した。若かったのだ。
目と目を合わせると、彼女は酷く狼狽しているように見えた。
竹野は彼女の背にそっと手を回し、触れたか分からない程優しくキスを落とした。
彼女の方も竹野を見つめ、躊躇いがちに腕を回した。
どちらともなく、2人は深くキスをした。水中で、ワルツを踊っているように舞いながら、ゆらり、ゆらりと。
誰もいないその場所で、二人だけの秘密の舞踏会。
最後に彼女が言った。
「さよなら……」
涙を、溢しながら。
後になって知った。
彼女があの翌日に転校していった事、彼女が魚住 ハルカという名前だって事。
事実を知った竹野は落胆し、しばらくは立ち直れずにいた。
交したキスを思い出しては、夢だったのではと考えてしまう。
今でも、竹野はハルカの夢を見る。
結婚し二児の父となった今でも、細胞の何%かは彼女に恋をしていた。
「僕は人魚に恋をしたんです」
竹野はそう語ってくれた。
彼の脳裏にはハルカとの至福のワルツが、しっかりと刻み込まれていることだろう……。
〜END〜
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