救いの手9
牢屋の鉄格子を挟んで、布包みを抱えたクロフが松明の明かりに照らされ立っていた。
ディリーアは慌てて涙をぬぐい、顔を背けた。
「な、何でもない」
ディリーアは精一杯強がって見せる。
しかしそれも今となっては無意味なことのように思えた。
クロフは少しだけ微笑んで、真剣な顔つきに戻る。
「少し鉄格子から離れていて下さい」
クロフは布包みの紐を解き、中から一振りの剣と盾とを取りだした。
「何をする気だ?」
ディリーアは眉をひそめる。
「今からこの鉄格子を斬ります。大丈夫、この剣があればそんなことは造作もないはずです」
「だから、何をする気だ!」
ディリーアは鉄格子にしがみつく。
クロフは少し困ったように、ディリーアから目を背ける。
「今からあなたを助けます」
ディリーアは自分の耳を疑った。
気が動転していたせいで、自分が聞き間違えたとさえ思ったほどだ。
「助ける? お前は何を言っているんだ?」
ディリーアは何度もまばたきを繰り返し、クロフを仰ぎ見る。
「今はゆっくり説明している暇はないんです。どうか鉄格子から離れていてください」
クロフは鞘から剣を抜き放ち、刀身を横に構える。
肩でゆっくりと呼吸し、それに応じるように剣の刀身から炎に似た赤い光が漏れ出す。
クロフの赤金色の瞳も、髪も、炭火が燃えるように徐々に赤みを増していく。
鋭いかけ声と共に、クロフは剣を横になぎ払った。
返す力でもう一度斬りつける。
すると剣で触れた鉄格子が、焼けた石のような赤い塊になって床に飛び散った。
赤い鉄片は石の床に落ちる前に、黒い塊になって辺りに散らばった。
クロフは剣を鞘に収め、鉄格子の切れた隙間から体を曲げて牢の中に入る。
牢の奥で座り込んでいるディリーアと目線を同じくする。
「よかった。どこにも怪我はないですね。正直、上手くできるかどうか心配だったんです」
ようやく正気に戻ったディリーアは、クロフに近くから顔をのぞき込まれているのに気が付いて慌てて顔を背ける。
「さあ、早く逃げましょう。今の物音でいつ牢番が駆けつけてくるとも限りません」
クロフはディリーアの手をつかみ、引っ張った。
「何だと?」
ディリーアはクロフの手を振り払う。
「逃げる? お前はわたしを逃がすために、わざわざ牢までやってきたというのか?」
クロフはディリーアの冷たく青い瞳にもひるまず、大きくうなずいた。
「ええ、そうです」
クロフはしゃがみ込み、ディリーアをのぞき込む。
「以前に言いましたよね? ぼくはあなたを救いたいと。あなたが生き残るためには、今夜しか逃げ出す機会はないんです」
クロフはディリーアに手を差し出した。
ディリーアはじっとその手を見つめている。
「何故、お前はわたしを助けようとする? わたしを助けて、お前にどんな利益があるというんだ?」
クロフは差し出した手を引っ込めて、自分の手の平を見つめる。
「それは、ぼくがそうしたいと思うから。そうしなくては、いずれ後悔すると思うから。本当はあなたを守りきれる自信は無いんです。もしかしたらここで逃げることによって、あなたをもっと苦しい目に合わせてしまうかも知れない。辛い目に合わせてしまうかも知れない。でも、どうせ生きるなら自分の望むように生きたいし、あなたにも自由に生きて欲しいと思う。後悔は少しでも少ない方がいい。少なくともぼくはそう思うんです」
照れくさそうにクロフは頭をかいた。
「答えになっていないかも知れませんが」
クロフはもう一度ディリーアに手を差し出した。
「わたしは」
ディリーアはクロフの手を見つめ、自分の傷だらけの手を見つめた。
「わたしは、お前の足手まといにだけはなりたくないと思った。ここで命尽き果てるというのなら、それでもかまわないと思った。だが、こうして手を差し出されたら、やはり命が惜しくなるものらしい。不思議なものだな」
幼い頃、兄に差し出された手を取ったときのように、ディリーアはクロフの手に自分の手を重ねた。
その先にどんな苦しみや悲しみが待ち受けていようと、ディリーアは今度こそ心がくじけ、巨大な白蛇になることは無いと感じていた。