救いの手6
部屋に戻ってきたクロフは、寝台の上に座り炉ばたの炎を見つめてぼんやりとしていた。
頭に浮かぶのは今牢にいるディリーアのことばかりだった。
気が付けばふらふらと部屋を出て、地下牢の方へ歩いていた。
クロフが地下牢にたどり着くと、牢番は牢の前にはいなかった。
階段から下りた突き当たり、牢番の詰め所で蜜酒を酌み交わしていた。
口々に明日の魔女の処刑を喜び、その声がクロフのいる階段のところまで聞こえてくる。
クロフは牢番の詰め所に顔を出さず、さっさと奥の牢屋へと歩いていった。
ディリーアのいる牢の前にたどり着いたクロフは、背を向けて石の床の上に横たわっている人影を見つけた。
クロフが声をかけようとためらっているうちに、人影がもそもそと動き起きあがった。
「またお前か。まだわたしに何か用があるのか?」
ディリーアは眠りを邪魔されたためか、大きなあくびをかみ殺す。
「ごめん」
クロフは素直に謝った。
「でも、今夜中に聞いておきたいことがあったんだ」
「何だ?」
ディリーアは気だるそうに石の上にあぐらをかく。
クロフは長い間ためらってから、やっと口を開いた。
「あなたは、この牢から出たいと思わないのですか?」
クロフの問いに、ディリーアは首を傾げる。
「つまりその、あなたなら、水を自在に操るあんなすごい力を持っているのなら、逃げられるはずです。そうしないのはどうしてですか?」
ディリーアの虚ろだった青い目に生気が戻ってきた。
「確かにお前の言うとおり、牢を出ようと思えば出られないこともない」
「では、どうして」
クロフの言葉は最後まで続かなかった。
ディリーアの射るような鋭い瞳に、途中で遮られた。
「牢を出て、ここから逃げて、それでどうする?」
ディリーアの泉の底のような青い瞳には、有無を言わさぬ強い輝きが宿っている。
「わたしが牢を逃げ出すには、恐らく牢番を殺さなくてはならないだろう。手向かう兵士達も殺さなければならない。国民をすべて敵に回さなければならない。それでどうする? この先どこへ逃げるのだ?」
「それは」
クロフには答えられなかった。
何よりもディリーアの冷たく悲しげな瞳に射すくめられた。
「国民と神殿の人間を敵に回して、わたしにどうしろと言うのだ? わたしが城に連れてこられてから、あの森も焼き払われたと聞く。一体わたしにどこへ行けと言うのだ? わたしには帰る場所も、迎えてくれる家族も友人も、もう何も無いというのに」
ディリーアはうなだれ、腕に顔を埋める。
クロフも沈痛な表情でうつむいた。
「でも」
絞り出すようにクロフは声を張り上げた。
「でも、逃げないと、あなたは明日の正午、広場で処刑されてしまう。それでもいいのですか?」
ディリーアは伏せていた顔を上げ、クロフを見上げる。
「知っていたさ。そんなこと」
吐き捨てるようにつぶやく。
「森にいたときから、お前に初めて会ったときから、いやその前からずっと、覚悟していたさ。何者かがわたしの命を奪うことを。いつかわたしがお前に殺されることを」
「そんなことは!」
クロフは口ごもった。
ディリーアの言葉を否定するはずが、続く言葉が出てこない。
「そんなことは無い、か? そうだな、お前が直接手を下したわけではないからな。だが結果的には変わらない。お前が、神殿の人間が来たせいで、わたしは森から追い出され、森を焼かれ、今ここにこうしている」
クロフはうなだれたまま、黙ってディリーアの言葉を聞いていた。
どういう言葉を並べても、ディリーアに詫びることは出来ないと考えたからだ。
「まあ、仕方がない。これがわたしの招いた結果ならば、責め苦を負うのはわたし一人でいい。気楽なものさ」
「ごめん」
クロフは鉄格子を両手でつかむ。
「本当に、ごめん」
クロフは石の床にひざまずき、深く頭を垂れる。
「気にするな。お前が気にしてどうにかなることでは無いのだ。これがわたしの運命だったのだ。お前が気に病む必要はない」
ディリーアはクロフの鉄格子をつかむ手に傷だらけの細い手でそっと触れる。
「わたしのことは忘れ、お前は神殿に戻れ。そしてお前の力を万民のために役立てろ。なあに、お前ならば良い神官になれるさ。わたしが保証する」
ディリーアの青い瞳が優しげに細められる。
クロフはその微笑みに目を奪われた。
それはクロフの中で強い意志の炎を新たに灯らせ、燃え上がらせた。