救いの手15
月夜の草原を駆ける馬は、風のような速さで北へ向かっていた。
岩のむき出しになった草地を飛び越え、月に照らし出された丘を駆けていく。
その背にまたがるクロフは、背後の暗闇をつぶさに振り返った。
いつ猟犬が放され、馬に乗った兵士達が追いかけて来るとも限らなかった。
クロフの予想は当たった。
月が半分ほど西に傾く頃には、荒野の彼方に猟犬の吠え声と馬のひづめの音とが風に乗って聞こえてくる。
クロフは視線を前に戻し、馬の手綱を操った。
馬はいっそう足を速め、吠え声とひづめの音はわずかばかり遠のいた。
しかし猟犬に吠えられ追い立てられれば、どんなに訓練された馬であろうと集中が解けるものだ。
馬は緊張のため息を切らせ、足の運びが遅くなっていく。
クロフは少しずつ近づいてくる吠え声に、馬の手綱を強く振るう。
馬が小石に躓いたのか、一瞬だけ体勢が崩れる。
クロフは馬の首にすがりつき、ディリーアが落ちないように抱き留めた。
その拍子に足から宿り木の靴が片方脱げ落ち、背後の闇に転がっていく。
クロフが叫ぶ間もなく、靴の落ちたところから植物の芽が幾つも生えてくる。
木の芽は細い枝葉を伸ばし、幾重にもからみつきながら夜空に向かって伸びていく。
クロフが遠ざかっていく間にも、木々の幹は大人が両腕を広げたほどにもなっていた。
辺りは枝の生い茂る林になり、どっしりとした木々が何本も兵士の行く手を阻むように並んでいる。
クロフは馬を走らせながらもう片方の靴を脱ぎ、同じように後ろに放り投げた。
するとまた同じように、そこから植物が芽を出し、鬱蒼とした森になった。
クロフは目線を前に戻し、一路北へ向かって馬を走らせ続けた。
月明かりの中、闇に包まれた森に気が付いた兵士達は、馬の足を緩め立ち止まった。
猟犬達を呼び集め、突如現れた森を回り込む方法を考えた。
同行していた神官の一人が、杖を掲げ進み出た。
「わたしが森に道を造りましょう」
神官は杖を構え、祈りの詩をつぶやいた。
「火種燃え くすぶる炉ばた
木々の枝葉は 灰へと変わる
羽虫を焼く 火柱のように
明るく強く 輝きをもたらせ」
神官の杖の先に炎が宿り、森に火が放たれた。
森の木々は炎に包まれ、一直線に北へと向かって燃え広がった。
赤い炎が下草を焼き、太い幹や枝が燃えて裂ける。
辺りは真昼のように照らし出され、夜空をも焦がす勢いだった。
炎と煙が収まるなり、兵士達は追跡を開始した。
黒く焼けこげた道を踏みしめ、所々くすぶる火の粉を明かりに、森への道を北へと駆けていく。
クロフは猟犬の吠え声に、後ろを振り返った。
丘の彼方に兵士達の影がちらちらと揺れて見える。
その姿は少しずつ大きくなり、こちらに迫ってくる。
クロフは手に持った盾を眺め考えた。
宿り木の靴があのような奇跡を起こしたのなら、この盾も神々の加護が受けられるのではないだろうか。
クロフは藁にもすがる思いで、盾を腕から外し夜空に祈った。
「もしもぼく達の罪が神々に許されるのなら、追っ手から逃し、導いてください」
クロフは盾を背後の草地に放り投げた。
ほんの少しの間をおいて、盾が落ちた場所から低い地響きが聞こえてくる。
荒野の岩が盛り上がり、暗い夜空に影を落とす。
岩は幾重にも重なり、小高い岩山となって兵士達の行く手を遮った。
クロフは馬を励まし、北への道を走り続けた。
岩山にたどり着いた兵士達は、小高い岩山を見上げ考え込んだ。
その岩山を馬で登るには骨が折れた。
岩山を見上げている兵士達の前に、今度は別の神官が進み出た。
「わたしが岩山に道を作りましょう」
神官は杖を構え、祈りの詩をつぶやいた。
「谷間を漂う 雲を吹き消し
雷のとどろき 雨足より早く
嵐の波間 ワタリガラスより速く
石壁を崩し 荒野へと帰せ」
神官が唱え終わると、辺りに風が吹きすさぶ。
岩山の石は舞い上がり、岩は削られ崩れ落ちた。
低いうなり声を上げ、石や小石を空へと巻き上げる。
岩山は形を変え、なだらかな台地となった。
風が収まるなり、兵士達は再び追跡を開始した。
小石を跳ね上げ、岩の裂け目を飛び越え、なだらかな台地を北へと向かう。