救いの手13
突風に吹き飛ばされ、クロフと兵士の体は城壁に向かっていく。
城壁に叩きつけられる直前、クロフは体の向きを変え、石を蹴り、地面に着地した。
クロフが剣を突きつけていた兵士は、そのまま城壁に叩きつけられ、頭から血を流している。
クロフは動かなくなった兵士を見つめ、ロキウスをにらみつける。
「兵士を巻き添えにするのか!」
「たかだか兵士一人が死んだだけのこと。些細なことだ」
クロフは城壁を背にしてロキウスに剣を構える。
「今回は神殿にいた頃のように、きみに勝ちを譲ってやることは出来ない。ぼくにも譲れないものがあるから」
クロフの赤金色の瞳が赤みを増す。
剣先からは炎にも似た白い光が揺らめいている。
広場の中央にあるかがり火が音を立てて燃え上がった。
炎は巨大な蛇のようにうねり、赤い火の粉を辺りにまき散らす。
地面をはい回る炎に、兵士達は四方八方に散り散りに逃げ、広場は悲鳴や怒号に包まれた。
その隙にクロフは倒れているディリーアに駆け寄り、その体を抱き起こした。
「静まれ!」
ロキウスは杖を掲げ、大声で言い放つ。
ロキウスが一声叫ぶと、広場を風が渦巻き、燃えさかっていた炎も風に飛ばされ小さくなった。
逃げ回っていた兵士達が一斉に動きを止め、ロキウスに注目する。
ロキウスは静まった炎と兵士達を見回し、クロフへと杖を突きつける。
「諦めろ。諦めて神殿へ戻れ。しかるべき罰を受け、それですべてを忘れるんだ」
クロフはディリーアを肩に背負い、立ち上がった。
「それは出来ない。ぼくはもう神殿に戻ることは出来ない。あの頃には、もう戻れないんだ」
二人の間に風が吹き荒れ、かがり火の炎が再び舞い上がった。
風は砂や小石を空に巻き上げ、黒い雲が月の光を遮った。
炎は熱と光をまき散らし、広場の石畳の上を明るく照らした。
兵士達は遠巻きに二人を眺め、そこを動く者は誰一人いなかった。
クロフとロキウスの間には炎と風が渦を巻き、その柱は天まで焦がすほどだった。
「諦めろ!」
炎と風のせめぎ合う渦を挟んで、ロキウスがクロフに呼びかける。
白い頭巾の下からのぞく目には、今までのような厳しさはなく、哀れみと寂しさが入り交じっている。
「諦めて、神殿に戻れ。今ならまだ間に合う」
クロフはディリーアを肩に背負ったまま、ゆっくりと首を横に振る。
ロキウスは悲しさを含んだ声で訴える。
「神殿から逃げて、それでどうなる。一生追われ続けることになるんだぞ。地位も名誉もない、貧しい生活を送って、それでどうなる。そんな女を一人助けただけで、お前の人生を棒に振る気か?」
クロフは赤金色の瞳を細め、わずかに微笑んだ。
「地位や名誉を追い求めるのも、それも一つの生き方かも知れない。でも、名も無き人々のように、貧しくても心安らかな生活を送るのも、一つの生き方なんだ。どちらが劣っていて、どちらが優れているかなんて、その人にしかわからないんだ」
クロフはディリーアを背負い直し、剣を高々と振り上げた。
ロキウスは白い裾を振り、杖を体の前に構える。
「ごめん、ロキウス」
クロフは剣を地面に勢いよく振り下ろす。
足元の地面が円形に陥没し、膨大な量の土や小石が風に乗って舞い上がる。
見る間に夜空を土色に染め、辺りは一寸先も見えないほどだった。
炎と風が収まった後には、クロフの姿はどこにも見当たらなかった。
「追え!」
ロキウスは背後で呆然と立ち尽くしている兵士や、城壁にいる弓塀に大声を張り上げた。
兵士達は思い出したようにそれぞれの持ち場に戻り、クロフの姿を求めて走っていった。
「これがお前の選んだ道か、クロフ」
まだ収まらない土埃の中で、ロキウスは寂しげにつぶやいた。