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その1

 そうなった経緯。


 彼、こと三枝智樹を例えるならば、派手さのない優良物件だ。流行の雑誌を彩るような、はっと人目を惹くイケメンでは間違ってもない。だが、ちゃんと彼を見つめれば綺麗な顔立ちをしていると気づいてしまう、不思議な魅力を持つ顔を持っている。すんなりとした鼻筋に、薄めの唇、決して大きくない奥二重のたれ目、右にはぽつんと泣き黒子。染めたことのないという短く切られた黒髪はしなやかなこしがあり艶やかで、そんな頭を支える思いの外がっしりとした太い首から下は、ほどよい筋肉に覆われたそこそこの高身長。しかもスーツをぱりっと着こなせるほど足が長い。経歴も、名を告げればほほう、と感心する程度にいい大学を優秀な成績で卒業、並み居る同期の熾烈なさや当てを巧みに掻い潜り、今や出世頭の仲間入りを果たしたというできる男なのである。


 なぜ目立たないかといえば、もっと経歴と顔の良い出世頭がほかにも数人いるせいだ。上げるならば、景山悠、榎本大治郎、大桑章吾などがあげられる。みなそれぞれ毛色の違う容姿端麗さで、また華やかな経歴と実力を持っている。しかも、全員が(噂だけに限れば)フリーだという。このようなメンツに大抵の女性は流れてしまい、彼に対してさほどの群がりが出来ないという事態が起こっているのだ。しかしその反面、むしろミーハーな要素のない、現実味を持ったおつきあいを望む堅実な女性陣に狙われる、目立たない優良物件というポジションを不動のものにしている、という立場なのである。


 そんな優良物件の三枝智樹と褥を共にする彼女の名は、堀野月子。彼と同じ部署で働く、出世頭にはなれないが無能でもなく、使える社会の歯車一号といった評価が無難な女性だ。入社三年目、同じようなスタートダッシュを決めたというのに、彼は今や上司の覚え目出度いバリバリのエース陣、片や彼女はそのエース陣のとってきた仕事を潤滑に回すために駆り出される馬車馬。何が一体これだけの差を生むのか、と嘆きたくもなるが、そんなこと言っている暇があったら仕事をしてしまう、そんな真面目で当たり障りのない役どころ。


 彼女の容姿も、そんな会社の立ち位置に似合ったように、可もなく不可もないといった印象である。すこしぽっちゃりとした体型と、ふくふくとした小さな手に似合ったやや童顔よりの顔立ちは、未だに実年齢に見られたことのないという点を除けば、特筆してかわいい訳でもない。セミロングのダークブラウンの髪をゆるふわ巻きに化粧を施しているのに、就業中はためらいもなくバレッタで後ろにまとめてしまう真面目さが売りで、アクセサリの類はピアス程度。ふっくらとした唇にはグロスではなく、薬用リップを塗りたくるという、どこか色気の欠ける、けれど真面目な企業戦士その一である。

 そんな彼と彼女が、どうしてこんな風に褥を共にしているのか。簡単な答えだ。


 体の関係だからである。


*************************


(ああ、どうしてほんとに、わたしって馬鹿なんだろう)


 月子は、思う。どうしてこんなことになってしまったのか。いつもいつも、彼ととっぷりベッドで一戦を交え、なし崩しに風呂場で二回戦をして、彼に抱え込まれるようにバスタブにつかってから、思う。

 始まりは、そう自分の告白だった。三か月前、忘れもしない、二人きりの残業だったときだ。


(チャンスだと思ったのよ。告白してケリつけられるって)


 月子は身の程を知っていた。そう、知り尽くしていた。高嶺の花と呼ばれる、営業エース陣とかかわる機会の多いからこそ、自分に三枝智樹という男性を手に入れる機会など、万が一にもないと知り尽くしていた。

 エース陣と讃えられる彼らは、本当に魔法使いだ。こちらがああでもないこうでもないと、手を変え品を変え交渉していた相手企業を、ものの数回で見事口説き落とし、契約書を得意げに小脇に抱え持って帰ってくる。しかも、想定よりもぐっといい条件で。その鮮やかな手際と実力に、エキストラその一である月子には妬むことすらできず、羨望の溜息のみを落とすだけ。彼らに届こうなどと烏滸がましいような努力もできず、空を飛んでいく箒やカボチャの馬車を下から眺めているような人間に、彼らが恋焦がれてくれるはずがない。もしも、目を向けてもらったとして、その先に続くような何かがあるだろうか。彼らの心を刺激するような何か、そんなものを差し出せる自信が、虚勢ですら月子にはない。

華やかな蝶々が煌びやかな鱗粉をまき散らす中、自分にすら薄っぺらい嘘をつけない意気地なしが、そんな幸運に恵まれるはずもないだろう。それを、よくよく熟知していた。

 そして自分が玉砕して帰ってきた企業の契約書を手に入れてきた智樹の涼しげな横顔を見て、恋に落ちてから一年。彼をそっと窺ってきてわかったことがある。彼は、とても防御が固い。そして、本命を決めてはいないが、決めるときは自分から食らいつく。月子の片手であまる恋愛経験と、数多の恋愛相談によってそう導き出した。

 追われることなど、きっと多かったから。食らいついてくる女性など、きっとどうでもいいと考えているにちがいない。そして、たぶんそれは正しい。

 だからこそ、告白して、全部ぶった切ってしまいたかった。終わらせて、過去にして、セピア色にしてしまいたかった。ずっと一か所にとどまっておくなんて、さみしいから。つらいから。苦しいから。帰らない卵を抱え続けるには、その場から逃げ出したくなってしまっただめな母鳥だから。


『あの、三枝さん?』

『はい?』

『男女交際を望むことを前提とした意味合いで好きです』


 付き合って、といったら、どこまで?といってはぐらかしそうな気配さえして、全否定をしてほしくて言った言葉だった。明らかに好意を伝える告白としておかしいと思ったが、告白の言葉がどうであれ、気にすることはない。彼ならばばっさり切ってくれることだろう。どれだけ滑稽に思われたところで構わなかった。どうせ、その先に待ち受ける接点は、この職場のみだ。友人とも言えない、薄っぺらで躊躇いのない関係である。同じ職場にいる気まずさはあるだろうが、智樹ならば上手く配慮してくれることだろう。そのくらい智樹はエースであり、対して月子はエキストラなのだから。主人公たる彼なら、その程度造作もないはずだ。すべて彼任せなのは気が引けるが、その程度の我儘は許してもらおう。 


(だって、これから振られるんだし。迷惑かけないから、その程度やってくれても…いいと思うんだ。…我ながら勝手だなぁ)


 だから、彼に選ばれることはないだろう。そう思うと、やっとケリをつけられることに、ほっと溜息をもらす。鋭く心臓を弄る痛みは、祝福の鐘のようだ。一年以上の、甘酸っぱくて優しい片思いの轍は思いのほか深そうだけれども、むしろ望むところだと思ってしまう。終わることが、重要なのだから。この、不毛で可哀そうな恋を殺すという、惨めな、終幕が。



『…』

『? あの、お返事を頂きたいんですが?』



 この期に及んで勿体ぶるな! そんなに告白が滑稽だったか!

 月子は荒ぶる思考を宥めつつ、彼の涼やかな目元を睨み付ける。別に同じ職場だからと遠慮しているわけではあるまい、それならば佐々木さんを木端微塵に吹っ飛ばしたりしないはずだ。

 先日連れて行かれた2時間半の酒の先で、べろべろの彼女が涙ながらに語った話に、これが未来の自分の姿か、と覚悟を決めたのは記憶に新しい。



(彼女のヤケ酒は本当に盛大すぎて、次の日遅刻しそうになったんだ! というより、お前、モテるからって勿体ぶっていいわけないでしょ! ああもう、早く、早く、ハリー!)



『堀野さんて、面白い人だね』

『は?』



 思わず飛び出た声は、言葉としての形を成さなかった。月子のあっけにとられた顔と素っ頓狂な声に、智樹はくすくすと優雅に笑った。柔らかな弧を描くそれぞれのパーツは実に優美で、哀れにもときめいてしまう心臓を宥めつつ、月子は怪訝そうに眉を動かす。なにを言ってらっしゃるのだろう、この御仁は?



『まあ、確かに告白の文句としては面白いかもしれませんが。それは謝ります。で、さっくりとお返事をいただきたいんですけど』

『うーん、まあ、そうだよねえ。おれも、断る気満々だったんだけど…うん』



 断る気満々ときた。これまた思いのほかざっくりと柔らかい片思いに刺さった言葉に、また苦笑する。脈なんて少しもないと自覚していたが、改めて智樹本人から言われると傷ついてしまうものだ。今日はヤケ酒確定だな、と月子は頭の片隅でつぶやく。抱えていた卵の中身は思ったよりも孵化しかかっていたらしい。痛みに喘ぐ心臓が、激しく脈打った。わかったから、あとちょっと持って。大丈夫、精一杯甘やかしてあげるから。

 そんな痛々しい熱を宥める月子をくすぐるように、智樹の涼やかな唇が、艶のある声を零していく。



『うん、でも、さっきので興味わいた』

『は?』



 きっと先ほどからとても面白い顔をしているだろう、月子はそう思う。上昇と下降を繰り返す波に乗り切れない。サーファーの資格でもあればよかったのだろうか? 混乱しきった頭には、状況把握という高度な処理は無理なようだ。

振られるのではなかったのか。もしかして付き合えるのか、といった希望すら湧かない。いまいち状況が呑み込めず、ぽかんとした阿呆面を晒すことのみだ。



『かといって、彼女は今作る気がないんだよねぇ。…だからさ』



 智樹の笑みが、一層艶やかな色を帯びて、月子の恋心に降り注いでくる。それは、決して優しくも甘くもないはずなのに、思わず頬張ってしまいたくなるような香りがしていた。



『体だけのお付き合いって、どうかな?』



『まあ、堀野さんが了承するなら、だけど』 



 ふざけるな、という言葉を言えなかった。馬鹿にするな、と罵れなかった。

 ただ、その提示された言葉に、少しだけ何かをみつけてしまった恋心が、月子の唇と手を動かしてしまったのだ。

 その提案を、受け入れると。


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