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零落の魔術師と盾の魔女


 ◇◇◇


 それから、幾年(いくとせ)もの時が経った。

 ゆうに成人の年齢を超えたアシェル・レゲンデーアは、現在、ニミリエル王国の王都に住んでいる。

 アシェルは、魔法防衛大臣カシアン・カロンの秘書官として、王城で働いていた。

 本日もアシェルは朝から晩まで王城にあるカロンの研究室にて、カロンの補佐を主とした仕事をしている。

 執務机で書類整理をしているカロンが、呆れたように息を吐きながらアシェルに声をかけてきた。


「ちょっと~聞いてよアシェル君。またいつもの諸侯方からアシェル君に、〈防御結界魔道具〉の作成依頼きてるんだけど。うちのアシェル君によくもまあ、何度も何度もずけずけと……腹立っちゃうねえ」


 今やアシェルの結界魔術は、ニミリエル王国の防衛機構の要である。

 アシェルはニミリエル王国一の結界魔術師──〈盾の魔女〉と呼ばれ、随分と名が知れた。

 アシェルは半眼になっているカロンへと顔を向け、淡々と答えた。


「いいですよ、カロン卿。私で良かったら、魔道具作成はいくらでもします」

「ええ? いいよ、そんなことしなくて。アシェル君も忙しいんだから、無理はしないで。この厚かましい諸侯方のことは、デメトリア君にチクっとくから」

「密告なさらなくても、わたくしは既に把握しおりますわよ。カロン卿」


 不意に、研究室へとデメトリアがつかつかと入って来た。

 そんなデメトリアにカロンが身震いをして「ひえ……流石はデメトリア君ね……抜け目のない情報網こわ……」と苦笑を漏らす。

 一方デメトリアは、「当然のことですわ」と涼しげに頷いて見せた。

 近年のデメトリアは戦場ではなく、王都での仕事が多い。その多くが、王国軍魔術兵の魔術鍛錬のためらしい。ゆえに、デメトリアはよく魔法防衛大臣のカロンとも共同で仕事をすることも多いのだ。

 アシェルはデメトリアへと、少し緊張しながらもぺこりと小さく頭を下げて挨拶をする。


「えと……お疲れ様、です。デメトリア……姉様……」

「ええ、アシェル。本日も相変わらず、貴女は最高にお可愛らしいですわね。そんなに固くならなくてもよろしいのよ? もっと気楽に呼んでくださいまし。堅苦しい口調も結構です」

「あ、うん……ありがとう」


 デメトリアは何故か、アシェルのことを妹のように可愛がってくれる。アシェルとしては有り難い限りだし、嬉しくも思っているが……未だに慣れない。

 アシェルはデメトリアに頷き返しつつ、本日最後の書類整理を終えた。それを見計らったのか、カロンがアシェルへと再び声をかけてきた。


「アシェル君がここにきて、もう随分と経つよね。俺としては滅茶苦茶に有り難いんだけど……ジュダ君の方は何年経っても相変わらず、だよねえ。もう何年も音沙汰なしなんでしょ?」

「!」


 カロンの口から出た「ジュダ」の名前に、アシェルはあからさまにぶすくれた。

 そんなアシェルを見たデメトリアが背後からアシェルに抱き着いてきて「まあ。ぶすくれた顔もお可愛らしいこと」と何やら嬉しそうにしている。

 しかしアシェルは、それどころではなかった。


「……ジュダと会ったのは、〈飛空艇軍〉を殲滅したバカン原野戦が最後。あれからもう、何年も会ってない。連絡の一つも無い……確かに私は待つと言いましたし。ゆっくりでいいとも言いましたけど……いくら何でも遅すぎます」


 アシェルの半ば愚痴とも言える呟きに、デメトリアも何度も頷いて見せる。


「ええ、ええ。アシェルの仰る通りですわよ。いくら何でも遅すぎますわ。わたくしが戦場に乗り込んで行って、先生をお殴り遊ばせたいくらい」

「だよね……!」


 互いに引っ付いて頷き合うアシェルとデメトリアに、カロンは小さく笑みを浮かべると、アシェルに目を向けて、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。


「アシェル君、迎えに行ってもいいんじゃない? ジュダ君、ヘタレだしね」


 ふと、カロンが「そうだ」と言って立ち上がると、アシェルのもとに歩み寄ってきて、何やら書状等を収める丸筒を手渡してきた。


「アシェル君さ。今日、誕生日だよね。はいこれ、誕生日の贈り物。俺とデメトリア君で用意したのよね」

「!」


 アシェルは何度か目をしばたたかせて、カロンとデメトリアを見比べた。

 今や、己の本当の誕生日など忘れてしまったアシェルだったが、カロンの提案で、アシェルはジュダと初めて出逢った日を誕生日としていたのだ。

 その誕生日が、どうやら今日であるらしい。すっかり頭から抜け落ちていた。

 アシェルはカロンとデメトリアに深く頭を下げて、何となく落ち着かなく視線を漂わせながら礼を言う。単純に何だか気恥ずかしくて、堪らなく嬉しかったのだ。


「あ、あの……ありがとう。二人とも。大事にする、ね」

「礼などよろしくてよ、可愛いアシェル。それよりカロン卿、そろそろアシェルの業務はここまでにしてはどうかしら? せっかくの誕生日ですのよ」


 デメトリアの進言に、カロンは快く頷く。


「そうだね。それじゃアシェル君。今日のお仕事はこれでお終い! 誕生日なんだから、残りの時間はアシェル君が思うが儘、ゆっくりしてね」


 そうしてアシェルは、カロンとデメトリアに見送られて王城を後にする。

 城下に出たアシェルはいつもの癖で、闇に呑まれて夜へと傾きつつある空を見上げた。


(……星、見たいな)


 せっかくの誕生日だ。

 今日は思う存分、好き勝手しても許されるだろう。

 アシェルはそう思い至って、星がよく見える秘密の場所――アシェルの人生を変えた、思い出深い地である〈草原の城〉を目指して、馬を走らせた。



〈草原の城〉が佇む草原に着いた頃には、辺りはもうすっかり夜になっていた。

 アシェルは〈草原の城〉の厩舎に馬を繋ぐと、再び草原へと出て、闇に吞まれた夜の(そら)を見上げる。

 やはり、この土地はいいとアシェルは思った。

 泡沫が弾けているような白銀の星の大河。

 鮮やかな色が数多にきらめく星雲。

 昏くとも赤い星、金色の星、眩い光を放つ青白い星。

 様々な星が、この場所からはよく見える。

 アシェルは壮大で幻想的な星空に釘付けになりつつも――ジュダを想う。

 ジュダと別れて、幾年。数え切れないほどに星空を見上げた。そうして、星空を仰ぐ度に、ジュダを想わないことはなかった。

 ジュダは今、この星空の下で何をしているだろう。

 怪我はしていないだろうか。

 ちゃんとご飯は食べられているだろうか。

 悪夢を見ずに眠ることができているだろうか。

 無能成分やポンコツ成分が不足して、もともと悪い口が、更に最悪な口に成り果ててはいないだろうか。


(……もしかしたら、ジュダにはもう……死ぬまで逢えないのかもしれない)


 アシェルは内心でいつまで経っても消えない不安を、独り言ちる。

 ジュダはもう、有能になってしまったアシェルなんて、忘れ去ってしまったのかもしれない。

 アシェルを拒絶することを選んだのかもしれない。

 それでも――。


(無能な私しか愛せぬ貴方。されど私は貴方の盾と成り、貴方の役に立ちたい)


 そう、願わずにはいられなかった。


(……ジュダに逢いたい)


 そんな時――一筋の星屑が、夜空に弧を描いて流れた。

 そして瞬く間に、無数の星屑が七色の光を迸らせて、次々に流れてゆく。

 アシェルは咄嗟に息を呑んで、小さく声を漏らした。


「は……」


 ふとアシェルは、懐かしい気配を本能的に掴んだ。

 いつかの夜。アシェルが〈草原の城〉で「ジュダに逢えますように」と祈った時に感じた、〈夜の怪物〉とまったく同じ気配。

 アシェルは弾かれたように、星空から視線を外して、前を振り向く。

 少し離れた場所に、大きな影があった。

 闇に溶けるような、獣の冬毛によく似たふさふさのマントを背負い、夜と星の色で彩られた軍服を纏っている。

 まるで、星空の王のような――〈夜の怪物〉が、そこに居た。


「ジュダ」


 アシェルがその名を呼ぶ。今のアシェルには、まばたきをする余裕すらない。


「ジュダだ」


 繰り返し呼ぶ。確かめるように呼ぶ。浅く呼吸を繰り返して「どうして、ここに」と。

 すると夜の怪物が「ああ」と低く頷き、首を傾げたようだった。

 その表情は、闇に紛れてはっきりとは窺えない。


「カロンとデメトリアに、お前宛の書状を送ったが。見ていないのか?」


 そう言われて瞬時に頭を過ぎったのは、先刻、カロンとデメトリアから「誕生日の贈り物」として受け取った丸筒。アシェルは慌てて腰のベルトに下げていた丸筒から、書状を取り出す。

 書状に書かれた文字列を目で辿っていくと、アシェルはみるみるうちに赤い瞳が零れんばかりに、目を瞠った。

 そこに書かれていたのは――「イスカンダル帝国との休戦協定締結」の証明。それは、休戦協定の証明たる書状の写しだったのだ。

 アシェルの大きく見開かれた赤い瞳から、きらきらと星の粒が流れ落ちてゆく。

 アシェルは書状を仕舞うと、頬を伝う星の流れもそのままに、一歩、また一歩と、夜の怪物に歩み寄ってゆく。


「ジュダ。ジュダ……わたし、もう大人だよ」


 幼子のようだった口調も、とうの昔に直したはずなのに。

 この夜の怪物を前にすれば、アシェルはいつだってあの頃の──「少女のアシェル」へと、還ってしまう。

 夜の怪物は、アシェルが「少女のアシェル」へと還ってしまっても、どこか懐かしそうな声色でアシェルに応える。


「……まあ、少しはデカくなったか」

「うん。だから、だから……ジュダの傍に、行ってもいい?」


 アシェルは夜の怪物から八歩ほど離れたところで立ち止まると、祈るように両手の細い指を互いに絡ませて、目を伏せる。赤い睫毛が震えていた。


「……お願い」


 本当は、この夜の怪物に――ジュダに、全てを委ねるつもりだったのに。

 幾年も前に交わした約束の、問いかけの答えを、ちゃんと聞くつもりだったのに。

 アシェルの口からついて出たのは、子どものような祈りと、お願いの言葉だった。


「やっぱりわたし、ジュダの傍に居たい。この手が届く先で、ジュダを守りたい。ジュダの役に立ちたい……」


 アシェルは両手で顔を覆い隠し、力なく濡れた声を絞り出す。

 言ってはいけない事なのに、言わずにはいられなかった。

 そうやって、肩を震わせているアシェルに「またそれか……」と小さく息を吐きながら、今度はジュダがアシェルの方へと歩み寄ってくる。

 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩――そこでジュダは、立ち止まった。

 アシェルはジュダが立ち止まった気配に、びくりと身体を揺らす。

 ジュダが、意を決したように息を吸うと、低くて掠れてはいるが、よく通る声を紡いだ。


「今も変わらず、俺は有能が大嫌いだ。だが……アシェル。お前だけは、無能も有能もどうでもよくなった」


 ジュダの声にいざなわれるかのように、ゆるゆるとアシェルが顔を上げる。

 ようやく夜闇に慣れた目が、ジュダの表情を今度は確かに捉えた。

 アシェルから三歩ほど先。

 そこにはジュダが、ぎこちなく片手を僅かに差し出して、くしゃりとした下手くそな微笑みを浮かべていた。

 今にも泣き出しそうにも見える、不思議で、心臓を射抜かれずにはいられない、流れる星屑のようなジュダの笑み。


「……また、俺と共に来い。俺の傍に居ろ。ただし、なるべく俺の役に立とうとすんじゃねえ。いいな?」


 そう言って、ジュダは控えめに片手を差し出したまま、そっぽを向く。

 やっぱりジュダは今日も、七色の雨の如く光降りしきる、星屑降る夜を背負っていた。

 そんなジュダを目にしたアシェルは、泣き笑いの声を上げた。

 地面に根を下ろしたかのように動かなかった足が流れるように駆け出して、アシェルは思いがけず、二人を隔てていた三歩を容易く飛び超えると、ジュダに向かって両腕を広げる。




 アシェルは何度でもこう思う。思い知る。

 星屑降る夜、心奪われた。

 この星屑のような男に。




【第一部 完】

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