第29話 魔王と魔女
◇◇◇
アシェルはカロンと共に伝って来た結界魔術から飛び降り、大地に着地する。
すると、少し離れた位置に立って、こちらをじっと見つめるジュダの姿があった。
アシェルは思わず浅い呼吸を繰り返し、片手で胸を押さえて息を呑むが、そんなアシェルの背中をカロンが後ろから軽く押してくれる。
「行っておいで。大丈夫」
カロンの柔い声は、更にアシェルの背中を押してくれた。
ふと、ジュダの向こうにいるデメトリアとも、アシェルは目が合う。デメトリアはいつも凛と引き締めている表情を、美しく、されど何よりもやさしく綻ばせて、アシェルに頷いて見せてくれた。
アシェルは、そんなカロンとデメトリアに力強く頷き返すと、真っ直ぐにジュダのもとへと駆け出す。
まばたきも忘れてアシェルを見つめてくるジュダの顔は、驚愕と困惑で染まっており、茫然としていた。
「お前、どうして……」
半ば放心しているジュダの独り言が、耳に入る。アシェルはそんなジュダのすぐ目の前まで辿り着くと、躊躇いもなく、長杖を持つジュダの大きな手を、己の小さな両手で握った。
「来るなって言われたのに。二度とジュダの前に姿を見せるなって言われたのに……ごめんなさい。でもわたし、ジュダのもとへ走り出さずにはいられなかった。たとえジュダに嫌われても、憎まれても、蔑まれようとも……」
アシェルは赤い瞳を閃光の如くきらめかせて、ジュダを見上げる。
「わたしはジュダを守りたい」
アシェルはもう、ジュダから目を逸らさない。ただ、ジュダを想って、ジュダの声を待つ。
アシェルの言葉を受けたジュダが、その黒い瞳を大きく揺らす。ジュダの夜の瞳の中で、泡沫が弾けるような光を、アシェルは見た。
ジュダは途端に、今にも泣き出しそうなほどにくしゃっと顔を歪ませると、片手で顔を覆い隠す。
一瞬だけ見えたジュダの泣き出しそうな、しかし、笑っているようにも思える顔は、かつて戦場で初めて出逢った時の不思議な顔と似ているようで、全く違うものだなと、アシェルは密かに小さく笑った。
「……馬鹿か……」
そう震えるように、低く呟いたジュダの声は、アシェルに投げかけているようにも、ジュダ自身に言っているように思える独り言だった。
そこで不意に、すぐ近くでけたたましい咆哮がいくつも上がった――イスカンダルの魔物軍だ。
恐らく、〈飛空艇軍〉に加えたイスカンダル帝国からの追い打ちだろう。魔物軍――火蜥蜴の群れは、どこからともなく現れて、アシェルたちを囲い込む。
火蜥蜴たちが「がちがちがちがち」と不気味に牙を鳴らし、大口を開けて無数の火球をアシェルたちに向かって撃ってきた。
アシェルは咄嗟にジュダを守ろうと構えるが、そんなアシェルの前に、二人の人物が立ち塞がった。
「閃雷」
アシェルの目の前に立ったのは、カロン。カロンは詠唱して、短杖を横一線に振るう。すると閃光の如く白金の雷が走り、火蜥蜴たちを蹴散らす。
「わたくしが抱いて差し上げましょう――おままごとは、性に合いませんけれど」
カロンの横に並んだのはデメトリアだった。デメトリアが長杖を振り下ろせば、無数の火蜥蜴たちが巨大な水の塊に呑まれ、更にカロンが放った雷が水を伝って激しく感電してゆく。
見事な連係を見せた二人は、互いを目だけで一瞥して不敵な笑みを浮かべる。
「まあ。流石は魔法防衛大臣様でいらっしゃいますわね。カロン卿、ご老人方のお相手ではなく、わたくしたちと同じ戦場がお似合いなのではなくて?」
「そうかもね。俺今、凄く燃えてる」
二人は軽口を叩き合った後、振り返ることなく、アシェルとジュダに声をかける。
「ここはお任せくださいませ。アシェル様、先生。お二人は〈飛空艇軍〉のお相手をお願いいたしますわ」
「二人の邪魔は、死んでも俺たちがさせないから――思う存分。二人で踊っておいで」
カロンとデメトリアはそう残して、魔物軍へと揃って立ち向かってゆく。
アシェルはそんな二人の頼もしい背中に「カロン、デメトリア……ありがとう……!」と声を張り上げると、再びジュダに向き直った。
「今は時間がない。わたしを見て、ジュダ。お願い」
アシェルは早口でそう言うと、ジュダの長杖を強く握りしめる。それに併せて、ジュダの長杖がきらりと瞬く。
すると、アシェルとジュダの遥か頭上、または〈飛空艇軍〉の下方の宙に、巨大な〈盾〉の防御結界魔術が顕現した。
アシェルは結界魔術を行使したまま、ジュダに力強く語り掛ける。
「わたしの結界魔術――ジュダがわたしに授けてくれた〈盾〉の結界魔術は、遍くものを守る。民も、国も、大地も、何よりもジュダを守る。ぜんぶ守ってみせる! だから星を降らせて、ジュダ!」
アシェルの赤髪が、強く風に靡く。
アシェルの真紅の瞳が、細められる。アシェルの白くて丸い頬が、仄かに赤らんで、アシェルの小さな唇が美しい弧を描く。
アシェルは僅かに歯を見せて、強く、美しく、ジュダに微笑みかけた。
我儘を当然の如く語り掛ける、悪い魔女のように。
「わたしに、ジュダのだいすきな星屑降る夜。みせて」
「……く……はは……」
アシェルの魔女の微笑みを前に、しばらく瞳が零れんばかりに目を見開いていたジュダが、己も仄かに目元を赤らめて、無邪気に笑った。
まるで少年のような、あどけない笑みだった。
思いがけず、アシェルは息を呑んでジュダを見上げる。アシェルは戦場に居ても、死地に在っても、こんな時でも、ジュダに釘付けになってしまう。
ジュダはひとしきり少年の如く笑うと、一度だけ目を固く閉じて、すぐにその黒い瞳をアシェルへと真っ直ぐに向けてくる。
「ああ……クソが。今回は俺の負けだ。負けてやる。やってやろうじゃねえか。今夜は最高の天体観測日和だ」
その星空のような瞳は、まるで魔性のような強烈な色香を漂わせ、まるで魔王の如く不敵に、凄絶に笑っていた。
「お前のためだけに見せてやる、アシェル。最高の星屑降る夜を」
ジュダはそう言うと、アシェルを背後から片手で強く抱きすくめて、アシェルの小さな手の上から長杖を握る。
「しゃらん」と長杖の装飾が鳴く。長杖を通じて、ジュダの魔力が迸るのがわかった。
ジュダが耳元で、随分と楽しそうにアシェルへと語り掛けてくる。
「お前の結界魔術、まだ想像力が足りていない。今のままでは俺の星屑に耐えられん。もっと面白い結界魔術にするぞ――俺の杖を通じて、星魔術に適応しろ。星を巡る魔力を利用し、星屑も〈飛空艇軍〉もただの無能へと還す、超広域防御結界魔術とする」
アシェルも思わず笑った。ジュダはこの土壇場で、魔術研究、開発、そして初めての共同魔術行使まで遂げるつもりなのだ。とんでもない天才だ。
アシェルは笑みを絶やさぬまま、ジュダの魔術開発に応える。
「ふふ……あはは……! いいよ、ジュダ。教えて。星魔術を構成する魔術式の言語体系はなに?」
「古代魔法語、古代錬金語、古リエン語。これらが星の魔力と相性がいい。計算式はわかるか?」
「言語体系さえわかれば、大丈夫。さあ、やろう」
そこからの二人には、言葉も不要だった。
二人が握る長杖から、天空と大地に向かって巨大な光柱が噴水の如く光の粒子を溢れさせて、立ち昇る。
長杖から根を張るように、大地に彗星の紋様が模られたジュダの魔法陣が顕現。
天空には、更に巨大なアシェルの〈盾〉の結界魔術が顕現する。
アシェルたちの魔術展開に気が付いたのだろう。〈飛空艇軍〉の全軍が舳先をアシェルたちへと向け、無数の攻撃魔術の照準を合わせてくる。だが、それではもう遅い。
〈飛空艇軍〉が浮かぶ更に上空にて、夜空に幾千、幾万の星屑が、色とりどりに燃えて流れる。
同時に、〈飛空艇軍〉へと星屑が――隕石群が降り注いだ。
儚く小さかったはずの星屑の群れが、虹色に燃える巨大な礫と成り、〈飛空艇軍〉を呑み込んでしまうかのように、色彩と光と炎の濁流となって流れ迫ってきた。
〈飛空艇軍〉は攻撃魔術を放つ前に、呆気なく隕石群に衝突し、色とりどりの光に混じって、燃え滓となって墜ちてくる。
流れる星屑と、燃え滓となった〈飛空艇軍〉が、アシェルの結界魔術に墜ちた。途端に、アシェルの全身へと重い負荷が掛かり、アシェルは押し潰されそうになる全身を叱咤するように、歯を食いしばって踏ん張る。
背後から抱きしめてくれるジュダが、「アシェル」と短くアシェルを呼んだ。
刹那――アシェルは、ジュダの手と、触れ合った体温と、長杖を通じて、星の魔力と繋がった感覚を掴んだ。
星の魔力に繋がった糸を手繰り寄せるように、アシェルは脳内で目まぐるしく新たな魔術式を編み上げてゆく。創り上げてゆく。生み出してゆく。
(ジュダが言う、星屑も〈飛空艇軍〉も無能に還す魔術……解った。星魔術に適応──墜ちてきた星屑と〈飛空艇軍〉の強大な魔力を結界魔術を通じて吸収、及び分解。そしてジュダの星魔術の術式にその強大な魔力を流し込み、星の魔力へと還す──そうすれば、わたしの結界。決して破れない)
〈盾〉の結界魔術は半球体状の形と成り、みるみるうちに広く、分厚く、水のように柔軟で、巨大になってゆくと、バカン原野全土の上空をも覆い尽くす。
美しい硝子細工のようで、何よりも強固なアシェルの〈盾〉の結界魔術。
アシェルの結界魔術は、受け止めた隕石群も燃え滓もその全てを「どぷん」と柔軟に呑み込み、それらの魔力を吸収することで星色の砂へと分解させた。
アシェルの〈盾〉の結界魔術から、星色の砂がさらさらと零れ落ちる。
砂と分離されて溢れ出した隕石群と〈飛空艇軍〉の魔力は、七色に瞬きながら星魔術が展開された大地へと還り、星の魔力に溶けて脈々と巡ってゆく。
アシェルの結界魔術は見事、隕石群と〈飛空艇軍〉の残骸を防ぎ切って見せ。人も、大地も、ジュダも――全てが、アシェルの魔術によって守られたのだった。




