第2話 未知に抱かれる
ジュダが軽く片手を掲げると、アシェルを取り囲む兵たちが一糸乱れぬ動作で敬礼をした後、全員が素早く広間から出ていく。
地面に這いつくばるように取り押さえられていたアシェルは、魔力封印の拘束は解かれぬままその場に転がる。そんなアシェルを、死んだ魚のような目を鋭く眇めたジュダが睨み下ろしてきた。
「はあ……冗談じゃねえ。あのクソジジイ。厄介なものを押し付けやがって」
ジュダの人一倍低い声は、苛立たしげに掠れている。
「何が帝国屈指の兵器〈矛神レゲンデーア〉……ただの人間。しかもガキじゃねえか。人間は嫌いだ。だいたいの人間は赤子だろうが老人だろうが、生きてるだけで役に立つ。最悪だ」
ジュダは何やらぶつぶつと独り言を零し続けている。
そんなジュダを前にして、アシェルは魔力封印をされているとはいえ、今はある程度動ける状態になったことに気が付く。そう思い至った瞬間、アシェルの胸を突いたのは、呪いじみた強迫観念だった。
(敵。人間が、いる……ころす。ころさないと)
アシェルが内心でそう呟き切る前に、アシェルの身体は勝手に動き出す。
アシェルは両腕を拘束されたままでも、転けながら下半身で勢いをつけて飛び起き、ジュダの片腕に嚙みついた。
ジュダは避けるでもなく、アシェルに己の左腕を喰らわせる。アシェルの動きを読んでいたのか、その大きな身体は一切動じることがなかった。しかし、それに反して、ジュダは嚙みついてきたアシェルを、目を丸くして凝視してくる。思わずアシェルも、小さく目を瞠ってしまった。
それでもジュダの目が丸くなったのはほんの一瞬だけで、その死んだ魚の目はすぐに何処か興味深そうに細められる。同時に、ジュダの空いている右腕がすらりと伸びてきて、何とアシェルの両腕を縛る、魔力封印の拘束を解き放った。
「なぜ?」という疑問を抱く間もなく。そこからのアシェルは、本能の赴くままに動いていた。
短杖が無い今、アシェルが唯一会得している魔術――結界魔術を展開するには、魔術式を詠唱するしかない。アシェルは一瞬でそう思考を巡らせると、口の中で詠唱をしながら、ジュダから跳ねるように背後へと飛び退く。着地したのと同時に、アシェルは敵を圧死させる結界魔術〈鳥籠〉をジュダに放った。
「人殺しに特化した超攻撃型結界魔術、か。面白い。しかも目に入った人間は手当り次第に殺そうとする異常性……それは結構」
ジュダが何か、ぼそりと独り言ちた気がしたが、アシェルの耳には届かない。
併せて、アシェルの結界魔術は容易く、ジュダが指を鳴らしただけで弾き返された。アシェルの鳥籠が、緑光の雷となってアシェルに襲い来る。
アシェルの〈鳥籠〉の魔術式が、ジュダの手によって雷の魔術式へと上書きされたのだ。
咄嗟にアシェルは地面へと飛ぶように転がって、雷の魔術を躱す。
(魔術式、書き換えられた……!)
アシェルが立ち上がりざまに内心でジュダの魔術を即分析していた、ほんの刹那。その隙に、ジュダはいつの間にかアシェルの眼前へと迫っており、アシェルの細い頸を大きな片手で鷲掴みにする。
アシェルは小さく息を吐いて、脱力した。
きっと自分は、このまま殺される。だって、この男を殺そうとしたのだ。
殺意には、報復。それがこの世の理。
今度こそ、この予想は外れない。アシェルは冷静にそう思い至って、その場に膝をつき、己の頸を差し出すようにゆっくりとジュダを見上げた。
「お前。名は?」
不意に、目が合ったジュダがそんなことを尋ねてきた。目を細めたジュダの片眉は、微かに上がっている。予想外の事態に、アシェルは茫然としながらも、思わずその問いにぽつりと答えてしまった。
「……兵器になまえ、要らない……」
「なかなかの無駄口だ。だが黙れ。いいから名乗れよ」
ジュダが強請るように、掴んだアシェルの頸を揺らす。アシェルは戸惑いながらも、小さく己の名を口にした。
「あ……アシェル。アシェル・レゲンデーア」
アシェル。そう名乗ったのは、いったいいつぶりだろうか。酷く、懐かしいような気分に陥った。
そんな妙な気分に陥っている間にも、何故だか身体は勝手に動き出すもので。
アシェルは己の片手に、結界魔術の刃を纏わせて、目の前にいるジュダを貫こうとした。しかし、それも呆気なくジュダの逞しい腕によって、叩き落とされる。
「成程……人殺しの能しかないのか。アシェル」
ジュダがゆっくりと、精気の無い目をしばたたかせた。
「気が変わった。お前みたいな人殺ししかできない無能のポンコツ、初めて見た」
どこか弾むような、微かな笑いが混じった声でそう独り言ちると、ジュダは何やら長い詠唱を始める。
すると、古代魔法語で「不殺」やら何やらと書かれた文字がジュダの手から、アシェルの頸を生き物の如く伝っていき、アシェルの左手首へとその文字列が腕輪の如く刻まれた。
アシェルはすぐに、その古代魔法語を読み解く。
(古代魔法語……『人を殺めること、能わず。人ならざる者、能う。汝の業よ、星のもとへ還れ』……これは、呪い?)
アシェルがそう考え至ったのと同時に、ジュダも鼻を鳴らしながら口を開いた。
「人間限定の不殺の呪いだ。これでお前は、どうやっても人を殺すことはできなくなった――よし。ついてこい」
そう言って、ジュダはアシェルの左腕を引っ掴むと、アシェルがよろけるのも構わず、アシェルの手を引いて何処へともなく歩き出した。
アシェルは半ば引き摺られるようにジュダの後を付いていきながら、ただひたすらに、困惑する。
(なに、この人間――わたしを見る目、やっぱり変。敵意、ない。その感情、なに?)
アシェルの脳内は、困惑と、未知と、不安と、わけのわからない感情が濁流の如く渦巻いて、もうどうしようもない。
(人間、わたしに敵意を向けるもの。だから人間、殺さなければならない。そう教わった。でもこの人間、違う――こんな人間、初めて)
屋敷の外に繋がる大扉だろうか。その豪奢な大扉を、ジュダが開け放つ。
(わたし、どうすればいい……?)
そんなアシェルの乱れ切った心中にも構わず。ジュダは屋敷の外へ、アシェルを連れ出した。
外に出ると、辺りは夜だった。イスカンダルの帝都にも劣らない、立派な都。
だからか、夜にもかかわらず、たくさんの人々が行き交っている。
「人――殺す」
やはりアシェルは、本能的に人を殺すよう即座に動き出した。
人々を敵と認識したアシェルは、彼らを殺すため、魔術を行使しようとする。しかし、アシェルのか細い身体は、ふらりとよろけてその場に倒れてしまった。
「あ……」
アシェルは咄嗟に、己の魔力を探る。どうやら極度の疲労と緊張、空腹も相まって、魔力は底を尽きているらしい。
併せて、アシェルの左手首に刻まれた「不殺」の呪いも目に入る。そうだ。魔力が底を尽きていなくても、おそらく自分はもう、人間に向けて魔術を行使できないはず。
「たたかえ、ない……? ほんとうにわたし、ただの無能……」
アシェルはようやく己の「無能さ」を痛感して、目も耳も利かなくなってしまったような──途方もない心許なさを覚える。
こんなことは、初めてだった。アシェルは思わず、不安と諦念が入り混じった独り言を、ぽつり、ぽつりと呟く。
「誰も殺せない。無能なわたし……生きてる意味、ない。死ぬしかない……わっ」
不意に、アシェルの身体がふわりと宙に浮いた。アシェルが反射的に驚きの声を漏らす。
気が付けばアシェルは、岩のように硬い感触に包まれていて――つまりは。ジュダに抱き上げられていた。
アシェルは大きく目を瞠ると、弾かれたように、己を抱き上げているジュダを見上げる。ジュダはアシェルに一瞥もくれることはなく、淡々と人混みの中を歩きながら、アシェルの独り言に勝手に応えた。
「そうだ。人殺しの魔術しか使えない上、兵器と見なされ、蔑まれて憎まれ、生きてるだけで仇として追い回される。お前はまさに最悪の疫病神。そんなお前ほど無能なポンコツは他にいねえ――だが、それでいい」
ジュダは真っ直ぐに前を見据えたまま、語り続ける。
「そういうポンコツ人間に、俺は死ぬほど逢ってみたかった。だから、無能のまま生きてろ。死ぬには惜しいポンコツ人間だ。お前は」
その声からは、何を考えているのか、どんな感情を抱いているのか、何もわからない。アシェルには、ジュダという男の全てが、未知に溢れすぎていた。
(……わたしが、人間? この男、わたしなんかを……人間と呼んだ? 殺せないわたしが死ぬのが、惜しい? この人間、おかしい。この人間……何も、わからない)
ジュダから貰った全ての言葉に、酷く困惑せずにはいられなくて。「死人のようだ」と言われるアシェルの顔は、久方ぶりに驚愕と不安と戸惑いの色で、濡れそぼっていた。
(この人間が言うこと、ぜんぶ変……無能が必要って、なに? 無能には、生きる価値。ないのに)
唇を微かにわななかせて、顔を歪めているアシェルにも構わず。ジュダはアシェルを抱いたまま、満点の星空の下を迷いなく歩いてゆく。
(あ……星)
ふとアシェルは、ジュダと初めて出逢った時のことを思い出した。
星屑降る夜を背負って現れた、ジュダのことを。
無数に降り注いでいたあの星屑たちは、おそらく――魔術だった。
(なんだったんだろう。あの時の魔術……あの星屑が降る魔術。見てたら、熱くなったなあ……心ノ臓が燃えてるみたい、だった。あんなきもち、はじめて)
アシェルは内心で、祈るように、しかし無意識のうちに呟く。
(また、あの魔術を見たい)
そんな覚束無いような思考に耽っていると、何だか頭がぼんやりとしてきた。アシェルは何となく、目の前にあるジュダの顔を見つめていると、「視線がうるせぇ。寝てろ」と低い声と共に睨まれる。アシェルはジュダの声に誘われるがまま、ゆるりと目を閉じていった。




