第27話 揺籃を捨てる
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アシェルとカロンは休む間もなく馬を走らせ、バカン原野へと辿り着いた。
バカン原野からは地鳴りのような轟音が振動と共に大気を震わせ、微かに大地を揺らしている。凄まじい死地の気配がした。
二人は小高い丘の上までくると、馬を下りてバカン原野を見渡す。
バカン原野一帯はまさに、乱戦状態だった。
イスカンダル帝国軍とニミリエル王国軍の兵たちが入り乱れ、衝突し合い、次々と人が呆気なく死んでゆく。
投石機によって放たれた大岩が飛び交い、魔術兵たちが無数の炎魔術を打ち上げて、火の矢が雨の如く降り注ぐ。数多の攻撃魔術があちこちで爆発するように行使され、至る所で黒煙が上がっていた。
血と泥と、人の肉が焼け焦げる激臭が鼻を突く。兵たちの生き物のものとは思えなくなった絶叫と断末魔が、鼓膜を痛いほどに叩く。
「……あ……?」
アシェルの口から、間の抜けた声が漏れる。同時に視界がぐるりと回った気がした。
次の瞬間、脳から伝って、アシェルの五感に蘇るのは灰色の世界。
かつて〈矛神レゲンデーア〉として戦場の中を死んだように生きてきた己――人殺しの兵器でしかないアシェル。
アシェルはまざまざと己が「人殺しの兵器」であることを改めて自覚して、ぽつりと口からあの言葉が濁流の如く流れ出てきた。
「……ころす……ころ、す。ころす、ころす、ころす……」
戦場という地獄の様相を、久方ぶりに間近で目の当たりにしたアシェルは――不意に、我を失った。
「な……まずい! アシェル君、しっかりして!」
アシェルのうわ言を耳にしたカロンが、咄嗟といったようにアシェルの腕を掴む。しかし、アシェルはその腕を力尽くで振りほどき、飢えた獣の如く駆け出して丘を下りた。
一切の躊躇いなく――むしろ、喰いつくように乱戦の中へと突入したアシェルは、無差別に己へと降り注いでくる剣や槍、攻撃魔術を本能的に行使した結界魔術で容易く弾き返した。
アシェルの周りを取り囲んだのは、イスカンダルの帝国兵だった。
帝国兵たちが、血走った目で咆哮を上げ、アシェルに襲い掛かってくる。
兵器として「人を殺さねばならない」という強迫観念が、再びアシェルの中で息を吹き返し、呪いの如くアシェルを蝕む。
「ころ、さないと……わたし。生きる意味。生きる価値。ない……」
アシェルは呪いに突き動かされるまま無意識にそう呟いて、帝国兵たちへと軽く片手を掲げる。既にアシェルの口の中では詠唱が完了しており、アシェルは帝国兵へと結界魔術を放った。
しかし、アシェルが掲げた左手――その手首に刻まれた「不殺の呪い」が眩く光り輝き、アシェルが放った結界魔術は舞い踊る光の粒と化してアシェルの身体を覆い尽くす。
「は……ジュダ……?」
ふと、アシェルを覆い尽くした光の粒に――ジュダの魔力を感じた。そこでアシェルは、ようやく我に返る。
アシェルは目を何度もしばたたかせて、己を覆い尽くした光の粒、否、ジュダの魔力を見上げた。
光の粒はアシェルに覆い被さるような揺り籠の形となり、彗星の紋様が描かれた結界と成る。
揺り籠の結界は、アシェルに襲い掛かって来た帝国兵たちを幾人も弾き飛ばし、アシェルを守った。
『不殺の呪いは、お前が人を殺そうとすれば、お前に魔術が跳ね返ってくる』
かつてのジュダの言葉が脳裏を過った。
アシェルは思いがけず、その揺り籠の結界を解析する。
(〈不殺の呪い〉とは……ジュダの反射の魔術式。それが、わたしの結界魔術を反射した……わたしが本能的に放った結界魔術は〈矛〉の結界魔術じゃなかった。ジュダと一緒に研究した、〈盾〉の結界魔術だったんだ)
アシェルは小さな手で、揺り籠の結界に流れる彗星へと触れる。
ジュダの魔力によって反射されたのは、アシェルの〈盾〉の結界魔術。それにアシェルは、守られた。
アシェルは何だか、ジュダと己が入り混じったような魔術に抱かれているように思えて、泣き出したくなる。
(そうだ。今のわたしが操る結界魔術は誰かを殺す〈矛〉じゃない――誰かを守る〈盾〉なんだ。ありがとう、ジュダ……出逢った時からいつも、ジュダがわたしを『矛神』から『アシェル』にしてくれる)
アシェルは己の左手首に刻まれた「不殺の呪い」を、慈しむように指先で辿りながら、結界に描かれた彗星へと、こつんと額を触れさせた。
(遠く離れていても、ジュダはわたしの傍に在る――だからわたしは、たとえ〈無能〉という揺り籠を捨てようとも。ジュダを守る)
アシェルは詠唱を唱えて、揺り籠の結界を解除した。
すると、揺り籠の結界は一瞬にして光の粒子へと分解され、星の砂のようにさらさらと空に流れてゆく。
振り返れば、カロンが帝国兵を雷の魔術で撃退しながら、アシェルを待ってくれていた。
「もう大丈夫だね。アシェル君」
カロンが小さく笑いかけてくれた。それにアシェルは「うん」と柔らかに短く返す。
そんな時、二人から少し離れた位置。バカン原野の東にて。
上空から攻撃魔術による、凄まじい光線の雨が降り注いだ。アシェルはカロンと己を結界魔術で守りながら、東の空を見上げる。
そこには、イスカンダルの無敵艦隊――〈飛空艇軍〉が、数え切れないほどに姿を現した。
一刻も早く、ジュダたちを見つけ出さなければならない。
アシェルとカロンは互いに目配せだけで意思疎通を図ると、戦場の中を再び駆け出す。
カロンは攻撃魔術で道を切り開き、アシェルは結界魔術で守りを固めつつ、遠隔操作魔術を駆使してジュダとデメトリアの魔力探知を行使した。




